第81飯(最終話) Sランク探索者の狭間蓮
『そうか。全部、返してきたんだね』
スマホの向こうで、神崎先生がゆっくりと息を吐いた。
八皇子の部屋に戻ってきたのは夕方だった。ちゃぶ台の横のゲートをくぐって、荷物を下ろして、それから先生に電話をかけた。
「はい。本も帳面も地図も、貸してもらえることになりました。研究にも協力してくれるそうです。名前と顔は出さないって条件で」
『……君には驚かされてばかりだ』
「アズールさんからも、先生と文珠川さんにだけは話していいと言われてます」
『そうか。ありがたいね』
先生の声が、少しだけ柔らかくなった。
『謝礼の話もしないといけないな。研究室の予算から出せるように、こちらで段取りを考えておくよ』
「お願いします。契約のほうは、弁護士に心当たりがあるので」
電話の向こうで、先生が小さく笑った。誰のことかは、言わなくても分かったらしい。
『あの子に言ったら、張り切りすぎて大変なことになるよ』
「湊は……もう張り切ってますよ」
『今後、彼らの立ち位置についてはいろいろと考える必要があるね』
「そうですね。——俺としては彼らと仲良くやっていきたいと思っています。協会にどう報告するかも、また相談させてください」
『もちろんだ。蓮くん、お疲れさま』
「ありがとうございます」
通話を切った。
「下僕ー! 話は終わったかの!」
台所のほうから声が飛んできた。
「腹が減ったのじゃ! 今日はまだ何も食うておらん!」
「分かってるよ」
禰室では結局、海鮮丼を食いそびれた。休業の札には勝てなかった。
◇
今夜はボア鍋にした。
北海堂に行く前に八皇子で狩ったボアの肉が、インベントリにまだ残っていた。
土鍋に昆布を沈めて火にかける。白菜、長ねぎ、しいたけ、豆腐。煮立ったところに味噌を溶いて、薄く切ったボアの肉を広げて入れる。脂の白い縁が、湯の中で透き通っていく。
「まだか」
「まだだ」
「もうよいじゃろ」
「豚と一緒だ。ちゃんと火を通せ」
ヴィヴィはちゃぶ台にあごを乗せて、鍋の中をじっと見ていた。湯気で前髪が揺れている。
この部屋で、初めてこいつに作ってやった飯も、ボア鍋だった。八皇子でボアを四頭狩って、その日の配信で鍋にした。
ずいぶん前のことのような気がする。
「よし、いいぞ」
「いただきますのじゃ!」
ヴィヴィが肉をごっそりさらっていった。熱い熱いと言いながら、口に放りこむ。
「……うまい」
噛みしめるように、目を閉じた。
「やはり、ボアはうまいのう。わしの原点の味じゃ」
「原点って」
「下僕が最初に作った飯じゃからな」
覚えてたのか。
俺も一切れ食べる。噛むと脂の甘さが味噌に溶けて、野生の肉の香りが鼻に抜けた。外で食った飯はどれもうまかったが、この部屋で食うボア鍋には、また別のうまさがある。
しばらく二人とも、黙って食った。
鍋の中身が半分ほどになったころ、俺は箸を置いた。
「なあ、ヴィヴィ」
「なんじゃ」
「右脚の剣とくっついて、何か思い出したことはあるのか」
ヴィヴィの箸が止まった。
「ふむ」
豆腐を一つ口に入れて、もぐもぐと噛んで、飲み込んで、それから首をかしげた。
「ほとんど、ないのう」
「ほとんど?」
「あの城で、あの女に言うたことがあったじゃろ。自由じゃ、好きに生きろ、と」
「ああ」
「あれは、言わねばならん気がしたから言うただけじゃ。どこから出てきたのかは、わしにも分からん」
ヴィヴィは鍋に目を戻した。
「足が戻って、少しだけ体が重たくなった気はするがの。頭のほうは、さっぱりじゃ」
「そうか」
それ以上は、聞かなかった。
気にならないと言えば嘘になる。魔王の心臓。七本の剣。あの言葉がどこから来たのか。
でも、こいつが魔王だろうが、魔王じゃなかろうが、俺にとってはどっちでもいい。こいつは飯を食って、うまいと言って、俺の肉を勝手に取っていく。それで十分だ。
一緒にいて、一緒に飯を食う。俺たちは最初から、それだけでやってきた。
「なんじゃ、下僕。じろじろ見おって」
「いや。よく食うなと思って」
「当然じゃ」
ヴィヴィが、また肉をさらっていった。
◇
「それで、下僕」
締めのうどんを鍋に落としたところで、ヴィヴィが言った。
「えすらんく、とやらになって、これからどうするのじゃ」
「どうするって」
「偉くなったのじゃろ。世界中どこにでも行けると、あの小娘も言うておったではないか」
五十鈴さんのことだろう。世界中のダンジョンに行ける。字面だけ聞けば、とんでもない話だ。
俺は少し考えた。
「……飯を食いたいな」
「ほう」
「あちこちのうまいもんを食いたい。スキルもまだ増えそうだし、魔剣も集めたい。魔王剣も、残りがどこかにあるんだろうし」
指を折って数えてみる。
「お前は」
「飯じゃ」
即答だった。
「うまいものを食う。たくさん食う。以上じゃ」
「だよな」
うどんが煮えてきた。鍋の残り汁を吸って、白い麺が茶色く染まっていく。
「……なんだ。今とそんなに変わらないな」
「変わらんのう」
ヴィヴィがうどんをすすって、満足そうに目を細めた。
二人で鍋を空にした。最後の一滴まで、ヴィヴィがおたまでさらった。
その夜は、二人とも早めに寝た。
◇
「ふぁ……」
窓の外が明るい。
ベッドから起き上がって、伸びをする。昨日の鍋の匂いが、まだ部屋にうっすら残っていた。
「今日も探索行くか。おい、ヴィヴィ。起きろー」
ちゃぶ台の横で、座布団を抱えて丸まっている小さな背中をゆさゆさと揺らす。
「……なんじゃ下僕……もちっと寝かせい……」
座布団に埋もれた金色の頭に、見慣れないものがあった。
寝癖かと思った。
指でつついてみる。硬い。髪の毛の感触じゃない。つるりとして、ほんのり温かい。
小さな角が二本、髪の間からちょこんと生えていた。
「ヴィヴィ……お前、それ……頭……」
「ん……?」
ヴィヴィが座布団から顔を上げた。目をこすりながら、自分の頭に手をやる。
ぺた、ぺた。
「お……お?」
手が止まった。
「角……生えてるぞ」
「なんじゃと!」
ヴィヴィが座布団を放り出して、洗面所へ走っていった。
「なんじゃこれはー!」
洗面所を覗くと、ヴィヴィが鏡の前で右から左から、自分の頭を眺めていた。角をつまんで、引っぱって、取れないことを確かめている。
「……右脚の分か?」
「知らん!」
顔の角度を変える。胸を張る。
「……ふむ」
口の端が、ゆっくりと上がっていった。
「悪くないのう。威厳が出たのじゃ」
「威厳って」
「わしはもともと偉いのじゃ。見た目が追いついただけじゃ」
鏡の前で、決めポーズまでとりはじめた。
「下僕。腹が減ったのじゃ」
「角より飯かよ」
「角は逃げん。飯は冷める」
正論だった。
とりあえず、トーストを焼いて目玉焼きを乗せた。ヴィヴィは三枚食った。
◇
ドローンを浮かべて、配信を始める。
「どうも、魔剣メシです」
>きた
>おはよう
>Sランクおめでとう!
>朝から配信助かる
>ん?
>ヴィヴィちゃん角生えてね?
>え、角?
>魔王剣……なんだよね、魔王化進んでる?
一瞬でコメント欄が埋まった。早いな。
「……俺も今朝知りました」
「かわいいじゃろ!」
ヴィヴィがドローンに顔を寄せて、ドヤ顔で角を見せつけた。
>え、やばない?
>どゆこと?
>さすがヴィヴィアン様、今日も麗しい
>角かわいい
>ニキが知らないなら誰も知らん
「今日はSランクになった記念として……どうしよっか」
>ノープランワロタ
>飯だろ
>空間属性ってなんだよ飯属性だろ
「おうおう、コメントのほうがよう分かっておるようじゃぞ」
>じゃあ登録者数も120万人いったところで
>飯配信にしますか
>いつもと変わらなくて草
「下僕。小腹が空いたのじゃ」
「さっき朝飯食っただろ」
「わしの朝飯は二回あるのじゃ!」
「二回目とか初めて聞いたわ」
>Sランクにエンゲル係数の危機
>ボアいく? それともメガガルーダ?
ボアもメガガルーダも悪くない。でも、せっかくだ。
「よし。じゃあ、近場の特Sダンジョンに行ってみるか」
「うまい肉はおるのか!」
>特Sをピクニック先と勘違いしてて草
>全国制覇の話、まだ生きてたのか
>Sランクの朝飯(特S)
ヴィヴィが、角を揺らしながら俺の袖を引いた。
——魔王の心臓だろうが、角が生えようが、やることは変わらない。こいつは俺に魔力を、俺はこいつに飯を。
「よし、二回目の朝飯を狩りに行くか」
「うむ!」
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第一部、完結です!
蓮「ここまで読んでいただき、ありがとうございました」
ヴィヴィ「下僕どもよ、大儀であった! 褒美に★をよこすのじゃ!」
蓮「逆だろ」
全体を通しての感想や★、レビューなどをいただけると、とても励みになります。
本当にありがとうございました!
※第一部のあとがき的なものを活動報告で公開します。
本編で描ききれなかった話(主に飯)、今後や他のネタについても書いております。
ご興味あればそちらもどうぞよろしくお願いいたします。
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