第一話 欠陥転生者
雨だった。
街を叩く激しい雨音の中、一人の男が無言で歩いていた。
黒いパーカーに、使い古したスニーカー。肩には夜間警備のバッグ。
かつて格闘技界で“鬼龍”と呼ばれた男――天聖龍は、今ではただの警備員だった。
街頭ビジョンには格闘技中継が流れている。
『現役王者、衝撃KO!』
歓声が響く。
だが龍は視線すら向けなかった。
もう終わった世界だ。
拳だけで生きていた過去は、とっくに捨てた。
夜の高架下へ差しかかった時だった。
キィィィィィッ!!
耳を裂くようなブレーキ音。
直後、大型トラックが横転した。
火花を散らしながら、制御を失った車体が歩道へ突っ込む。
「きゃ……!」
小さな少女が立ち尽くしていた。
恐怖で動けない。
周囲の大人たちは叫ぶだけだった。
「危ない!!」
「逃げろ!!」
誰も飛び込めない。
間に合わない。
普通なら。
だが龍は、もう走っていた。
低く沈む姿勢。
地面を蹴る。
格闘家時代に叩き込まれた踏み込みが、一瞬で距離を潰す。
「伏せろ!!」
少女を突き飛ばした。
その次の瞬間。
轟音。
世界が潰れた。
骨が砕ける感覚。
内臓を押し潰す衝撃。
視界が赤黒く染まる。
冷たい雨が頬を打っていた。
遠くで少女の泣き声が聞こえる。
「お兄ちゃん!!」
ああ、生きてる。
助かったんだな。
その安心だけを最後に、龍の意識は暗闇へ沈んだ。
――暗い。
どこまでも果てのない闇だった。
体の感覚はない。
ただ意識だけが漂っている。
すると突然、声が響いた。
『魂状態確認』
『肉体構築開始』
『異常を検知』
『魔力回路形成――失敗』
瞬間、全身に焼けるような激痛が走る。
「がァ……ッ!?」
叫んだ。
だが声は闇へ溶ける。
『代替構築を開始』
『大地盤性型へ移行』
意味は分からない。
だが次第に、何か巨大なものが体へ流れ込んでくる感覚があった。
熱ではない。
冷たさでもない。
もっと重く、古いもの。
まるで星そのものが脈打っているような圧力。
『構築完了』
光が弾けた。
目を開けた時、最初に見えたのは木の天井だった。
「生まれたぞ!」
「息をしてる!」
知らない言葉。
だがなぜか理解できる。
龍は手を動かそうとして、自分が赤子になっていることに気付いた。
「……ぁ」
喉から漏れるのは幼い声だけ。
その時だった。
ドクン。
体の奥で何かが脈打った。
鼓動に合わせ、地面から奇妙な力が流れ込んでくる。
巨大で、重く、果てしない何か。
「魔力測定を!」
老人が水晶を取り出し、龍へ向ける。
直後。
バキンッ!!
水晶が砕け散った。
「なっ……!?」
部屋が凍り付く。
老人は震えながら龍を見た。
「魔力回路が……存在しない……」
空気が変わった。
喜びは消え、恐怖だけが残る。
「そんな……」
「ありえない……」
誰かが後ずさる。
龍には意味が分からない。
だが本能で理解した。
自分は歓迎されていない。
数日後、その異常は決定的になる。
「魔導灯が消えた!?」
「こっちの魔石もだ!」
龍が触れた瞬間、魔導具が壊れる。
灯りは消え、術式は焼き切れ、魔石は砕け散った。
この世界では、魔導具なしでは生活できない。
それなのに龍は、存在するだけでそれらを壊してしまう。
「呪われてる……」
「化け物だ……」
周囲の視線は日に日に冷たくなっていった。
そして五年後。
「欠陥野郎!」
石が飛んできた。
額に当たり、血が流れる。
龍は避けなかった。
「魔法も使えない!」
「魔導具も触れない!」
「役立たず!」
子供たちは笑っていた。
龍は黙って拳を握る。
確かに魔法は使えない。
どれだけ練習しても、一度も発動しなかった。
だが代わりに、体だけは異常だった。
転んでも怪我をしない。
大人より力が強い。
山を走っても息が切れない。
けれどこの世界で重要なのは魔法だ。
肉体の強さなど価値がない。
誰もがそう言った。
だから龍も、自分は弱いのだと思い込もうとしていた。
その夜までは。
ゴオオオオオッ!!
警鐘が村へ響き渡る。
「魔獣だ!!」
「外壁が破られた!!」
悲鳴が上がる。
武装した男たちが魔法を放つが、数が多い。
突破した魔獣が、一人の少女へ飛びかかった。
龍の脳裏に、あの日の雨が蘇る。
泣いていた少女。
助けを求める声。
「――っ!」
気付けば走っていた。
地面を蹴る。
速い。
風景が流れる。
魔獣の棍棒が振り下ろされる。
龍は避けなかった。
拳を握る。
その瞬間。
ドクン。
体の奥で“何か”が脈打った。
足元の地面が震える。
嫌な予感がした。
だが止まれない。
「どけぇぇぇぇッ!!」
拳が振り抜かれる。
直後。
轟音。
地面が爆ぜた。
魔獣が吹き飛び、外壁ごと砕け散る。
衝撃波が村全体を揺らした。
誰も動けなかった。
魔法ではない。
剣でもない。
ただの拳。
その中心で、龍だけが呆然としていた。
拳が焼けるように痛い。
骨が軋む。
腕が裂けそうだ。
だがそれ以上に。
大地の奥から、何かが呼んでいた。
まるで星そのものが、自分を見つめているように。




