第22話:影の矜持、風の慟哭/シルフィ
私は、勇者パーティの『目』だ。
風を読み、気配を殺し、誰よりも早く敵を見つけ、仲間に危険を知らせる。それが私の役割であり、存在意義だった。
けれど最近、その自信が揺らいでいる。
城塞都市バレンシアでの『アサシン・リーパー』の襲撃。
そして今回の、鉱山都市アイゼンでの『不可視の軍団』。
私の風の探知は、人間が生み出した「テクノロジー」の悪用に後れを取った。
「見えない」という恐怖。何もできない無力感。
私が気づけない敵の正体を暴いたのは、武力を持たない一人の記者だった。
彼はすごい。
風の声など聞こえなくても、落ちている事実の欠片を拾い集め、論理という糸で繋ぎ合わせ、真実を炙り出す。
その背中を見ていると、時々、自分が惨めになる。
プロの狩人だったはずの私が、ただ彼に守られているだけの子供のように思えてくるのだ。
だから、焦っていたのかもしれない。
これ以上、役立たずになりたくなくて。
***
私の故郷は、北の果てにある田舎だった。
一年の大半を雪に閉ざされたその場所で、私は「天才」と呼ばれていた。
弓を持たせれば百発百中。雪山に隠れれば、大人たちでさえ私を見つけることはできなかった。
「シルフィはすごいな。まるで雪の妖精だ」
褒められるのが嬉しくて、私はますます「隠れること」に没頭した。
けれど、あの日。
その才能が、私に永遠の呪いをかけた。
***
ある夜、魔王軍が村を襲った。
私は、とっさに床下に潜り込み、息を殺して「隠れた」。
戦うためじゃない。怖かったからだ。
頭上の板の隙間から、ドタドタという重い足音と魔物の唸り声、そして肉が裂ける鈍い音が聞こえる。
私は、愛用の狩猟弓を握りしめていた。
隙間から、魔物の背中が見えた。その足元には、必死に家族を守ろうとする父の姿があった。
距離はわずか数メートル。
私の腕なら、確実に魔物の急所を射抜けた。
弦を引き絞る。ギリ、と弓がきしむ。
あと一瞬。あと指一本、弦を離すだけで、父を助けられるかもしれない。
寒さなんて感じていなかったけど、悴んだように手が震える。
指が矢から離れなかった。
射れば、私の居場所がバレる。
殺される。
その恐怖が、愛する父の命よりも、自分の命を選ばせた。
父の絶叫。母の最期の言葉。
村のみんなが殺されていく音を、私は震えながら聞いていた。
引き絞った弦の痛みで、指が裂けそうだった。けれど、私は最後までその指を離せなかった。
ポタリ、と。
頬に雫が落ちてきた。
それは、酷く生温かかった。
極寒の床下で、父と母だったものから流れ出た血が、赤い雨となって私を濡らす。
私は声を押し殺し、その「熱」を拭うことさえせず、ただ石のように固まっていた。
やがて静寂が訪れ、魔物たちが去った後。
それでも私は、床下から出られなかった。
一日、二日……腐臭が漂い始めてもなお、私は自分の「安全地帯」にしがみつき、飢えと寒さに震えながら隠れ続けていた。
生き残ったのは、私一人だった。
私は「隠れていたから助かった」のではない。
「隠れて、みんなを見殺しにした」のだ。
この命は、父と母を盾にして拾った、薄汚い残りカスだ。
絶望の氷の中に閉じ込められ、死を待っていた私を見つけたのは、旅立ち間もない若き勇者――アリアだった。
彼女は、床板を引き剥がし、腐臭と血の匂いが充満する闇の中に、迷わず飛び込んできた。
その純白のマントが、泥と汚物で汚れることなど気にも留めずに。
「……もう、いいのよ」
アリアは、石のように固まった私の手を、自身の温かい両手で包み込んだ。
そして、白く鬱血し、弦に食い込んでいた私の指を、一本ずつ、ゆっくりと解いていく。
「がんばったわね。……怖かったわね」
呪縛が解かれ、弓がカランと音を立てて落ちた。
その瞬間、彼女は私を強く抱きしめた。
私の頬についた乾いた血が、彼女の美しい頬を汚す。けれど彼女は離そうとしない。まるで、私の罪も汚れも、その全てを分かち合おうとするように。
「あぁぁぁぁぁぁ――ッ!!」
喉が裂けるほどの慟哭が、私の口から溢れ出した。
「ごめんなさい……ッ! 私が、殺したの……ッ! お父さん、お母さん……ッ!! 私だけ……私だけ生きてて、ごめんなさいぃぃ……ッ!!」
涙も、鼻水も、涎も、すべて垂れ流して、私は獣のように泣き叫んだ。
これが最初で最後。私が「感情」というものを、すべて吐き出した瞬間だった。
アリアは何も言わず、ただ子供をあやすように、汚れた私の背中を撫で続けてくれた。
その温かい手。私の罪ごと受け入れてくれる、陽だまりのような心。
私は、彼女の白さに憧れた。けれど、私はもう、その光の中には行けない。私の手は、見殺しにした家族の血で汚れているから。
だから、決めた。
(貴方の手は、誰かを救うためにある。……なら、私のこの汚れた手は、貴方の邪魔をするすべての「絶望」を摘み取るために使おう)
光の道を行く彼女の、足元に伸びる「影」になろう。
誰にも気づかれず、誰にも称賛されず、泥と血にまみれて散る。
それが、死に損なった私の、唯一の贖罪。
その時、私は誓ったのだ。
この拾われた命は、全て彼女のために使い潰そうと。
***
アイゼンにアイアン・ローズ重工の技術者たちが来た時、私は直感した。
今回の敵は賢い。こちらの対策(マーカー弾と熱源探知)を見越して、必ず次の手を打ってくる。尻尾を掴ませずに逃げるはずだ、と。
私は、こっそりと女性技師に接触した。
「……お願い。最高精度のものを。……出力の安全性なんてどうでもいいから、隠密性だけを極限まで高めた光学迷彩装備を」
全財産を叩いて、禁断の改造を依頼した。
そして、万が一のために手紙を書いた。
アリアには言えない。彼女は優しすぎるから、私が「捨て駒」になることを許さないだろう。
だから、専属記者さんに託した。
彼は合理的だ。きっと非情な判断ができる。
もし私が敵の本拠地で死んだとしても、彼ならその死を無駄にせず、魔王を討つための「情報」として利用してくれるはずだ。
……少しだけ、寂しいけれど。それでもいい。
***
そして、作戦決行の時。
霧の中で戦闘が始まった。
アリアたちが次々と敵を可視化し、倒していく。戦況はこちらの圧勝に見えた。
けれど、違和感があった。
敵は逃げない。まるで、自ら実験台になるかのように特攻してくる。
その狂気じみた光景の中で、私だけが「それ」を見つけた。
戦場の端。
一体だけ、戦闘に参加せず、大事そうに何かを抱えて、コソコソと路地裏へ消えようとする個体がいる。
(……見つけた)
あれが本命だ。
あの個体が、伝令の「運び屋」だ。
あいつを追えば、必ず敵の本拠地に辿り着ける。
私はアリアたちの背中を見た。
今、声をかければ間に合わない。敵は気づいて自害し、痕跡を消す可能性もある。
追えるのは、私だけだ。
心臓が早鐘を打つ。
もうとっくに克服したと思っていた、あの日の雪の中で震えていた記憶が蘇る。
怖い。足がすくむ。
でも。
(……違う。私はもう、逃げるために隠れるんじゃない)
私は、風を纏った。
恐怖を押し殺し、覚悟を決める。
(守るために、隠れるんだ)
私は誰にも告げず、戦列を離れた。
背中の仲間たちに、心の中で深く詫びながら。
『……ごめんなさい、アリア。……必ず、戻るから』
私は霧よりも薄い影となり、逃げる敵の後を追って、北の闇へと走り出した。
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