第21話:風の行方、鉄の追憶
翌朝。
数週間にわたってアイゼンを覆っていた不吉な霧は、嘘のように晴れ渡っていた。
朝日が鉱山都市を照らし、行方不明者の捜索はこれからだが、住民たちは解放感に浸りながら復興作業を始めている。
イザベラ専務の甥っ子については、彼は宿の片隅で震えて隠れていたのみで無事だったため、連絡を受けたイザベラ専務は一安心していた。
一方で、勇者パーティが宿泊する宿の一室だけは、鉛を飲み込んだような重苦しい空気が支配していた。
「……本当なのか、ゼファー」
ライアンが、苦虫を噛み潰したような顔で机を叩く。
「ああ。確認したが、やはり備品の『熱源探知バイザー』の予備機が一つ消えている……。そして、シルフィが消えた……」
ゼファーが静かに告げた事実は、あまりにも残酷な推論を導き出していた。
戦闘の混乱に乗じた、装備の持ち逃げ。そして脱走。
「そんな……! シルフィに限って、そんなこと……!」
アリアが悲痛な声を上げるが、誰もそれを否定できない。
状況証拠は真っ黒だ。彼女は何も言わずに消えた。それが全てだった。
***
俺は重苦しい部屋を抜け出し、裏取りのために動いた。
感情論で仲間を信じるのは勇者の仕事だ。俺の仕事は、事実を積み上げて真実を暴くことだ。
俺は、昨日見かけた、アイアン・ローズ重工の女性技師を呼び出した。
「……あの時、シルフィ様から何を預かりましたか?」
俺が単刀直入に問うと、彼女はビクリと肩を震わせ、周囲を窺ってから、懐から一通の『厚みのある封筒』を取り出した。
「こ、これです。シルフィ様、『もし私が戻らなかったら、専属記者さんに渡して』って……」
「……私に?」
「はい。絶対に、勇者様や他の人には見せないでくれと……」
技師は震える手で封筒を差し出した。
俺はそれを受け取り、人気の少ない路地裏で封を切る。
中に入っていたのは、金ではなかった。
一枚の紙の手形。それは、王都の銀行が発行した『預金証書』だった。彼女の全財産に相当する額だ。
メモが添えられている。『光学迷彩装備の改造費と迷惑料として』。
これは、あの技師へのものだろう。
そして、もう一つ。
丁寧に折りたたまれた手紙と、掌に収まるサイズの無骨な『受信機』が入っていた。
「……なるほど」
俺は手紙に目を通し、全てを悟った。
彼女はバイザーを盗んでなんかいない。
それどころか、自らの命と全財産を引き換えにして、魔王軍への反撃の狼煙を上げるために……。
この受信機が意味することは一つしかない。
俺は先程の技師へ手形を届けると共に、手紙の内容の裏取りをした後、宿へと急いだ。
***
「……アリア様、あなただけに話があります」
宿に戻った俺は、ライアンとゼファーに席を外してもらい、アリアと二人きりで特別室に向かい合った。
アリアは気丈に振る舞っているが、その目は赤く腫れている。
特別室に到着するなり、俺はパチン、と『防音・遮断結界』を発動した。
「レオン……お願い。記事には……シルフィのことは書かないで。私が責任を持って探すから……泥棒なんて汚名は……」
アリアの声が震えている。
俺は黙って首を振り、懐からあの封筒を取り出し、テーブルに置いた。
「記事になんかしない。……これを読んでくれ、アリア」
「これ……は?」
「シルフィからの手紙だ。『もし戻らなかったら俺に渡せ』と言伝があった」
アリアが息を呑み、震える手で便箋を開く。
そこには、あの無口な彼女らしい、必要最低限の、けれど決意に満ちた文字が並んでいた。
『専属記者さんへ。
この手紙を読んでいるということは、私はもうここにはいないと思う。
今回の敵は、尻尾を掴ませない。
だから、もし戦闘中に「隙」を見つけたら、私は独断でその「根源」を突き止めに行く。
アリアたちには言えません。彼らは優しいから、きっと私を止める。
だから、貴方に託す。
同封したのは、私の装備に仕込んだ発信機の受信機。
技術者に、強力な信号を発するように改造してもらった。
私が敵の本拠地を見つけ、無事に情報を持ち帰ることができたら、これは不要。
でも、もし仮に私が敵の手に落ち、脱出不可能になった時だけ、最後の力でこのスイッチを入れる。
信号が灯ったら、そこが魔王の居場所――歴史上で言う、魔王城……だと思う。
その時は、アリアたちに伝えて。
「私を助けに来るのではなく、その情報を利用して魔王を討って」と。
私の救出などどうでもいい。世界から争いが無くなるなら、私の命など安いもの。
貴方なら……勇者パーティの外部にいる貴方なら、冷静に判断してくれると信じている。
シルフィ』
「……っ、……うぅ……!」
読み終えたアリアの手から、便箋が滑り落ちる。
彼女はその場に泣き崩れた。
「バカ……! バカよ、シルフィ……! 自分の命より世界だなんて……そんなの、許さない……!」
俺は、机の上に置かれた、まだ沈黙を守っている受信機を見つめた。
彼女は計算高い。俺が「合理的」で「冷徹」な記者だと信じている。
だから、情に流されるアリアではなく、俺にこの残酷な判断を委ねたのだ。
「シルフィは誤算していたんだ」
俺は静かに告げる。
「俺が『特ダネ』や『合理性』を優先する、ただの第三者だと思っていた」
俺は受信機を強く握りしめた。筐体が、ミシリと音を立てる。
「だが、俺はとっくに、お前たちのことを仲間だと思っている。……誰かが欠けていい世界平和なんて、許さない」
俺の言葉に、アリアが顔を上げる。
その瞳から、迷いが消えていく。
「……うん。そうね、レオン」
アリアは涙を拭い、剣の柄に手をかけた。
「追いかけるわ。迎えに。……私たちの、大切な仲間を」
俺たちは頷き合った。
その時だった。
ピピッ――
静寂な室内に、無機質な電子音が響いた。
ピピピピピピピピピピピピ……!!
机の上の受信機が、激しく明滅し始めた。
赤い光が、絶え間なく点滅する。
それは、シルフィが敵の本拠地を突き止めたという吉報。
そして同時に――「彼女が敵の手に落ち、絶体絶命である」という最悪の凶報。
「――っ!!」
俺とアリアの表情から色が消え、戦場での鋭い目つきに変わる。
想定よりも早すぎる。敵に見つかったのだ。
俺は受信機をひったくるように掴み、立ち上がった。
画面に表示された座標は、西の果て。人類未踏の領域を示している。
俺は窓を開け放ち、西の空を睨みつけた。
「……急ぐぞ!!」
俺たちの戦いは、終わってなどいなかった。
霧の向こう側、本当の闇との戦いが、今まさに始まろうとしていた。
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