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第20話:霧の中の捨て駒

 深い霧に包まれたアイゼンのメインストリート。

 視界は数メートルも効かないはずだった。だが、俺たちの目には、霧の向こうに潜む「殺意」が、鮮明な「赤」として焼き付いていた。


「――見えるわ。右前方、建物の上、三体!」


 アリアが『熱源探知バイザー』越しに叫ぶ。

 彼女の視線の先、何もないはずの虚空に、真っ赤な人型の熱源が浮かび上がっている。


「おうよ! だったら、挨拶代わりに色を付けてやるぜ!」


 ライアンが魔導ライフルの引き金を引く。

 発射されたのは鉛玉ではない。塗料を充填した特殊弾、『着弾式マーカー弾』だ。


 バシュッ! バシュッ!


 弾丸が虚空で炸裂し、高粘着性の蛍光オレンジの塗料が飛び散った。

 その瞬間、何もない空間に、塗料にまみれた歪な人影が浮かび上がる。


「ギィッ!?」


 透明化していた魔物が、自らの輪郭を暴露され、動揺したように身をよじる。

 だが、もう遅い。


「そこっ!」


 アリアが踏み込む。

 もはや予測ではない。明確に見えている標的に対し、剣の一撃が振り下ろされる。

 鎧ごと断ち切られた魔物が、火花と体液を撒き散らして地面に崩れ落ちた。


「やった! 解析班の勝利だ!」


 後方でモニターしていたアイアン・ローズ重工の技術者たちが、歓声を上げる。

 彼らにとって、これはただの討伐ではない。自社の技術を悪用した偽物に対する、本家の意地を見せる戦いなのだ。


   ***


 戦況は一方的だった。

 「見えない」という最大のアドバンテージを失った敵は、ただの装甲をまとった下級魔物に過ぎない。

 アリアたちが前進するたびに、マーカー弾の花が咲き、次々と敵が沈黙していく。


 だが。

 後方で記録水晶を構えていた俺は、勝利の高揚感とは裏腹に、背筋に冷たいものを感じていた。


(……おかしい)


 俺は記録水晶越しに戦場を俯瞰する。

 敵の動きが、あまりに不自然だ。


 当初の想定では、もっと長期的な『いたちごっこ』になるはずだった。

 霧に隠れた数体を炙り出し、逃げた敵を追う。そんな数日がかりのゲリラ戦を覚悟していたのだ。


 知性のある集団なら、こちらの「タネ」が割れた時点で撤退を選ぶのが定石だ。

 虎の子の光学迷彩が無効化されれば、もはや勝ち目はないのだから。


 しかし、奴らは逃げない。

 それどころか、マーカー弾を浴びて全身が発光標的になってもなお、恐れることなくアリアたちの目の前に躍り出てくる。

 まるで、わざと攻撃を受け、その性能を確かめるかのように。


「……ゼファー様、どう思いますか?」


「……奇妙だな。これは戦闘ではない。『実験』だ」


 ゼファーもまた、険しい表情でバイザー越しに戦況を見つめていた。


「奴らは、我々の新装備のデータを取っている。マーカー弾の射程、粘着度、バイザーの感知範囲……それら全てを、己の命と引き換えに記録しているようだ」


 俺は戦慄した。

 この現場の魔物たちが判断しているのではない。

 どこかにいる「指揮官」が、冷徹に命じているのだ。『全滅するまでデータを取れ』と。


 その時。

 霧の奥から、増援と思われる反応が多数出現した。


「チッ、まだ湧いてきやがる! アリア、囲まれるぞ!」


「分かってる! シルフィ、左翼の牽制をお願い……シルフィ?」


 アリアの声が、一瞬宙に浮いた。

 俺は慌てて左翼――シルフィが展開しているはずのポジションを見る。


 いない。そこには彼女の熱源もない。


「……シルフィ! 応答しろ!」


 ライアンが通信機に叫ぶが、返ってくるのはノイズだけのようだ。

 被弾したのか? いや、バイザーで確認できる範囲に、彼女らしき倒れた熱源はない。


(どこに行った? この乱戦の最中に……)


 その時、俺の視界の端――戦場のさらに奥、誰もいないはずの路地裏へ向かって、風が吹き抜けたような揺らぎが見えた気がした。

 敵の増援とは逆方向。戦線を離脱する動き。


 まさか。

 俺の脳裏に、昼間の光景がフラッシュバックする。

 技術者に『封筒』を渡し、「対価はあっちで払う」と言っていた彼女の姿。


「……!」


 嫌な予感を振り払うように、俺は目の前の敵に集中しようとした。

 だが、事態はそれを許さなかった。


 ドォォォォン!!


 最後に残った数体の魔物が、アリアたちに取り囲まれた瞬間、体内の魔力炉を暴走させ、一斉に自爆したのだ。

 凄まじい爆風と熱波が霧を吹き飛ばし、周囲の建物の窓ガラスを粉砕する。


「ぐっ……! みんな、無事か!?」


 ライアンが盾となり、ゼファーも防御魔法を展開し、爆風を防ぐ。

 土煙が晴れた後には、敵の死骸すら残っていなかった。完全に溶解し、ただの鉄屑と化している。

 徹底した証拠隠滅だ。


   ***


 静寂が戻った。

 アイゼンの霧は晴れ、夕日が街を照らしている。

 作戦は成功した。住民や技術者たちが、勝利の喜びを分かち合っている。


 だが、勇者パーティの間にだけは、重苦しい空気が漂っていた。


「……いない」


 アリアが、青ざめた顔で俺を見た。


「街中を探したわ。でも、どこにも……シルフィがいないの」


 通信機は繋がらない。

 彼女の荷物は宿に残されたまま。

 そして、アイアン・ローズ重工の技術者が、おずおずと申し出てきた。


「あ、あの……実は、備品の『熱源探知バイザー』の予備機が、一つ足りないのですが……」


 その言葉が、決定打だった。

 アリアが言葉を失い、その場に崩れ落ちそうになるのをライアンが支える。


 シルフィが消えた。

 最新鋭の「隠密装備」と、敵の情報を暴く「探知バイザー」を持って。

 誰にも何も告げずに。


「……レオン殿」


 ゼファーが、感情を押し殺した声で俺に問う。


「昼間、彼女の様子はどうだった?」


 俺は拳を握りしめた。

 ポケットの中には、まだあの時の違和感が残っている。

 信じたい。彼女が裏切るはずがないと。

 だが、状況証拠はあまりにも黒に近い。


「……分かりません」


 俺は、震える声でそう答えるしかなかった。


 アイゼンの霧は晴れた。

 けれど、俺たちの心には、先ほどまでよりも深く、冷たい霧が立ち込めていた。

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