10話 ゴールデンキャデラック
料理と酒が少しずつ減り、二人が酔い始めたころ。
薫は頬をほんのり赤く染めながら、絢香に問いかけた。
「絢香さん、今日の料理でどれが一番美味しかったですか?」
「そうだね・・・どれも美味しかったけど、これかな」
絢香が指さしたのは、湯気を立てるアヒージョだった。
「アヒージョですか。私も好きです。最寄り駅の近くに美味しいアヒージョのお店があるんですよ。今度、一緒に行きませんか?」
「いいよ。楽しみだね」
絢香の穏やかな声に、薫はぱっと笑顔を咲かせた。
「はい!いつか行きましょう!」
薫はそのまま酒を口に含み、もうひとつ質問を投げた。
「そういえば、絢香さんって料理するんですか?」
「いや、しないね」
「そうなんですか。じゃあ、明日、一緒に作りませんか?」
「いいけど、簡単なやつにしてね」
「もちろんです!」
薫は子どものように笑いながらグラスを傾ける。
そんな姿を見つめながら、絢香は小さく呟いた。
「・・・薫ちゃんといると、飽きないな」
「え?なんて言いました?」
「ううん、なんでもないよ」
絢香が軽く流すと、薫は照れたように頬を掻いた。
「絢香さんと料理できるの、嬉しいです。もういっそ、一緒に暮らしませんか?」
「・・・滅多なこと言わないの」
絢香は眉をひそめて、薫の額に軽くデコピンをした。
「いたっ・・・」
薫が額を押さえる。
「むー、私は本気ですよ。でも、お父さんが許してくれるかどうか・・・」
「・・・そう」
薫はしょんぼりとグラスを見つめ、ゆっくり酒を飲んだ。
その横顔を見ながら、絢香もグラスを傾ける。
やがて、絢香はグラスを飲み干して、薫に視線を戻した。
「ねぇ、薫ちゃん」
名前を呼びながら、そっと薫の手に触れる。
「さっきの話・・・本当?」
真剣な眼差し。
その瞬間、薫の酔いが少しだけ醒めた。
「本当です。私、絢香さんと一緒に住みたいです」
「じゃあさ、薫ちゃん」
絢香は薫に究極とも言える二択を選択を提示した。
「もしも、私とお父さん、どっちかと住むのなら、どっちにする?」
薫にとって余りにも残酷な二択に、絢香は若干申し訳なさを感じた。
その選択に、薫は答えた。
「あ、絢香さんです」
その言葉に、絢香はゆるく微笑んだ。
「嬉しいよ。とても」
薫の胸が、どくん、と高鳴る。
高鳴る心音を感じていると、絢香が酒瓶を持ち上げた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
薫が頭を下げると、絢香は瓶を置き、自分のグラスを持ち上げた。
薫も慌てて酒を注ぎ返し、二人のグラスが並ぶ。
「乾杯」
澄んだ音が響き、二人の距離が近づいていった。
朝日が窓の隙間から差し込み、白いカーテンを淡く染めていた。
机の上には、昨夜の名残がそのまま残っている。
空になった皿、まだ少し残ったグラス、そして並ぶ酒瓶。
その前で、薫は腕を組んだまま、静かに眠っていた。
──ぽろん。
微かな音が、空気を震わせる。
それは、ピアノの音だった。
薫はまぶたをゆっくり持ち上げ、音の方へと顔を向ける。
視界の先に映ったのは、白いシャツ姿でピアノを弾く絢香だった。
朝の光の中、絢香の指先が鍵盤の上を滑る。
流れる旋律に、眠気は少しづつ醒める。
絢香は、薫の視線に気づくと、弾く手を緩めてこちらを見た。
「おはよう、薫ちゃん。ごめんね、起こしちゃった?」
「い、いえ、大丈夫です。おはようございます」
薫は寝ぼけ眼をこすりながら起き上がると、絢香のもとへゆっくりと歩み寄った。
ピアノのそばに立ち、驚いたように呟く。
「絢香さん・・・ピアノ、弾けたんですね」
「うん、少しだけね」
「そうなんですか・・・もう少し、聴いててもいいですか?」
「いいよ」
絢香は微笑み、再び鍵盤に指を置いた。
今度の音は、少し優しい音。
ピアノの音色が部屋の中を走る。
薫は両手を胸の前で組みながら、その音に聴き入った。
演奏が終わると、薫は思わず拍手をした。
「絢香さん、すごいです・・・本当に、上手ですね」
「ありがとう」
絢香は穏やかに笑い、腹部に手を当てる。
「・・・お腹、空いちゃったね。薫ちゃん、朝ごはん食べよ」
「はい!」
そう言って、二人は並んでキッチンに向かった。
そして、昨日約束した、二人で調理をする約束は、果たされた。




