第4話 裸の少女と心臓の【忌不様】
「どうしたんだい、トウゴくん。顔色が悪いねえ?」
また次の日に出勤してきたトウゴを見て、バイト先の老人が言った。
「ああ、いやははは。なんか、悪いもんでも食ったんですかねえ」
「おやおや。気を付けないとねえ」
老人はニコニコしながら、段ボール箱を机に置く。
4箱の中には、昨日と比べて少し歪な形の小包が入っていた。
「さあ。今日も仕事、頑張ろうね」
そうして黒い紐を、小包に結び付けていく。
結んで、結んで、結んで。
ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっと。
「…………」
昨日はそこまで感じなかったが、この意味不明な仕事も、何だかやっているうちに気持ち良くなってくる。
これが、いわゆる『やりがい』というやつなのだろうか。
すぐにノルマの4箱が終わり、物足りなくなった。
「あ、あの……よければおれ、まだ仕事できますけど……」
物欲しそうに段ボールに手を伸ばすトウゴに、老人達はニコニコと首を横に振った。
「ダメだよぉ。トウゴくん。仕事のやりすぎは、身体に毒だからねえ? 今日はもう上がって、明日また来なさい」
「……はい」
そうして昨日と同じように街で時間を潰してから部屋に帰ると、当然のようにイチが待っていた。
「い、イチ……っさん。ほら、サンド……イッチ」
『いっち…………ち?』
肘の部分まで『身体』が伸びているイチは不思議そうに、部屋に座り込んだトウゴの顔を覗き込む。
『トーゴ、きぶん、わるい?』
「え? いやあ。むしろ、凄くキモチイイよ? なんかこう、高いお酒飲んだ時みたいな……」
『…………』
次の日も、いつもと同じ灰色の壁に囲まれた部屋で、ジャガイモのようにボコボコの小包に黒い紐を結び付けていく。
4箱終わると、無理矢理帰らされた。
早すぎる。
物足りない。
もっと気持ちよくなりたいのに。
次の日が待ち遠しい。
サンドイッチを買って帰る。
イチの身体は、細い肩まで生えていた。
…………でも、あまり談笑する気になれない。
頭の中が、バイトのことで一杯だ。
次の日も、その次の日も、トウゴは同じ生活を繰り返した。
「ぁ………………へぁ」
キモチイイ。タノシイ。
ぐにゅっ。ぐにゅっ。ぐにゅっ。
段ボール一杯に詰まった赤黒い心臓に、黒い紐を結び付けていく。
きゅっきゅっ、と締める度に、粘り気のある血液が数滴吹いて手にかかる。
ニコニコ。
トウゴは、幸せに満ちていた。
たった4箱で終わるなんて、もったいない。
この黒い壁に囲まれた事務所に、一生住んでいたい。
「ああ……キミも、この仕事の素晴らしさが分かってきたみたいだねぇ……」
ニコニコ。
老人が、トウゴの肩に手を置いた。
「キミにはもう、十分な資格があるようだ……どうだい? 明日からはこの家で、我々と同じ『正社員』にならないかい?」
「え? いい、いいんす、か……?」
「もちろんだとも……今日は残念ながらこれでお開きにして、明日また、ここへ来なさい。そうすればきっと『雇い主様』も、キミを『正社員』にしてくれるよ」
仕事が終わり、フラフラと街を彷徨う。
正社員。
正社員だ。
正社員ということは、あのキモチイイ仕事が、1日中できるということだ。(――――)
なんて素晴らしいことなんだろう。
(――ヤバイ)
なんてありがたいことなんだろう。
(助けて)
コンビニで、単品のサンドイッチを47個買った。
(イチ……さん)
「んっ? おめーは」
辺りが暗くなり、部屋に帰ろうとすると、顔のぼやけたお姉さんが声をかけてきた。
まるで顔面にだけ、砂嵐が吹き荒れているかのようである。
変な人もいたものだ。
「何日か前に『青苺荘』の102号室借りたヤツだな! おいあの部屋な、今日知ったんだがマジでヤバ――――うわっ、何だその顔! 気持ち悪ぃ!?」
ニコニコ。
顔のぼやけたお姉さんは、トウゴの満面の笑みを見て、何故か悪態をついた。
きっと、心の狭い人なんだろう。
「お前、完全に【忌不様】にヤラれちまってるじゃねえか! ちょっとここで待ってろ! な? 助け呼んでくるから! 動くなよ!」
なにやら、ザーザーと言われたが、よく聞こえなかった。
「………………ぁへ」
青苺荘の、102号室に帰る。
明日は、ついに正社員だ。
(ダメだ)
トウゴは、期待に満ち溢れて畳に寝転がった。
(逃げないと)
放り出したビニール袋から、大量のサンドイッチがどさどさっと転げ出る。
――何だったっけ?
確か、誰かのために買って来たような気がするのだが。
『 い っ ち 』
鈴のように透き通る、少女の声が聞こえた。
――――腕だ。
艶めかしい右の鎖骨が浮く右肩の肉塊から伸びた、白い右腕。
その手の平に開いた、小さな口が喋ったのだ。
「…………お、化け………………?」
でも、不思議と怖くはなかった。
『………………』
ごくん、と。
手の平の口が異様に大きく開いて、床に転がったサンドイッチを1つ。ビニール包装ごと丸飲みした。
ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。
腕は、次々とサンドイッチを飲み込んでいく。
そのたびに白い肉塊が脈動し、徐々にその身体が形成されていった。
ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。ごくん。
白い腕が、2本。
すべすべとした太腿で、陶器のように滑らかな脚が、2本。
健康的で、くびれのはっきりとした腹部。
少し控えめな、乳房。
細い首に、形の良い顎。
薄い唇と、孔の小さな鼻。
そして、綺麗だがあまり生気のないジトっとした双眸に、艶やかで長い黒髪。
――――美しい裸の少女が、8畳の部屋に降り立った。
「………………トーゴ」
鈴のような声で、呼ばれる。
「ああ、れ? ど、ちら…………さ、ま……?」
まあ、誰でも良い。
勝手に居てくれて構わない。
なにせ明日からトウゴは、こんなボロアパートではなく、あの素晴らしい事務所へ引っ越すのだ。
そして、死ぬまで『雇い主』様の元で――――
「っ!?」
ぐいっ、と。
少女に襟首を掴まれて、畳に倒れていたトウゴの身体が引き上げられた。
「…………」
黒い真珠のような瞳に、じーっと見つめられる。
少女は、右手の指をピンと伸ばして腕を引いた。
そして、
「むん」
「――――――――え?」
トウゴの胸を、右手で貫いた。
どぷん、と。
少女の手は、まるで水を掻くようにトウゴの身体に沈む。
血は出ない。
痛みもない。
「あ、あが……ぐっ……」
細長い指が、トウゴの心臓を掴んでいる。
何かを探るように、痙攣する心臓の表面を指が撫でて、
少女が、腕を引き抜いた。
ブチブチブチ、と。
何かが、千切れる音がする。
千切れて、離れて、解放される。
少女がトウゴの心臓から引き千切ったのは、黒い紐だった。
「――――――っ!」
視界が、晴れる。
音が、鮮明に聞こえる。
匂いが、分かる。
今まで強烈に頭を支配していた思考が、消え去る。
「い、イチさんっ!」
そして、すっかり『少女』の外見となった同居人に、目を丸くした。
「え、お、女の子にっ!? てか裸! あわわわわわ」
イチは、狼狽するトウゴの襟首を、むんずと掴む。
「え、何? なに――――わっ!?」
そして、部屋の隅に投げ飛ばした。
――――引き千切った紐がまるで蟲のように変貌して、さっきまでトウゴが立っていた辺りを飛んでいたのだ。
ぶちゅっ、と。
イチが涼しい顔で、その蟲を今度こそ握り潰した。
「い、イチさん…………だ、よね? ……ありがとう。キミが、助けてくれたのか」
「…………」
じーっと。
イチは無表情でトウゴを観察して、
「まだ」
と言った。
「え、まだ? って一体どういう――――ぎゃっ!?」
そして凄まじい腕力でトウゴを肩に担ぐと、アパートのドアを勢いよく開けて、走り出した。
「えちょっ。どこ行くの!? てかイチさん裸! 裸のまま夜の街を全力疾走しちゃダメだって!」
肩に担がれたトウゴの視界には、ぷりぷりの尻とアスファルトの地面しか映らない。
「うぉい102号室の奴! お前何やってん――――――」
何だか途中で聞き覚えのある声の主の前を通り過ぎた気もするが、今はあえて気づかなかったフリをしよう。
数分後、ようやくイチが立ち止まり下ろされた場所は、やはりというか何というか、例のバイトの職場だった。
「………………うわぁ……改めて見ると……おれ、よくこんなところに通ってたなあ」
2階建ての民家のような事務所は、点滅する街灯と月明かりに照らされて、禍々しい雰囲気を放っていた。
中から、4人の男女が出てくる。
老人に、若い女性が1人と、中年男性が2人。
皆はいつも通りニコニコと笑っているが、それぞれの手には包丁やハサミやカッターナイフを持っていた。
「いけないなぁ……トウゴ君……せっかく数日かけて締めてきた『雇い主様』の紐を、千切っちゃダメじゃないか」
穏やかに喋る老人の背後には、3メートル程の大きな黒い影が立っていた。
真っ黒で巨大な心臓である。
その肉体には黒い紐が縦横に何本も結ばれていて、不自然に人間の脚が4本生えている。
身体が脈動する度に、黒い液体をぐじゅぐじゅと撒き散らしていた。
「あ……あれも……【忌不様】……なのか」
「トーゴ。こっち」
ぐい、とイチの後ろへ引っ張り戻される。
「あーぁぁ、なんてことだ。まさか同時に2体の【忌不様】から御寵愛を受けていたなんて……羨ましい、羨ましい………………キミは、祝福でもされているのかなぁ」
祝福ではなく、呪いである。
「◇▼●%&※」
3mの心臓が、何かぐじゅぐじゅと言った。
すると老人達は彼(?)に恭しく頭を下げてから、トウゴに視線を戻す。
「トウゴ君……キミはどこまで、羨ましい男なんだ……」
老人は、少し嫉妬の色を浮かべながら言う。
「『雇い主様』は、キミを召し上がりたいそうだよ」
「遠慮しますっ!!」
「え…………」
何言ってるんだこいつ? といった様子で、老人達が顔を見合わせる。
「遠慮なんか……しなくていいよ!」
そして一斉に、襲い掛かって来た。
「ひいっ!?」
情けない声を出すトウゴを庇うように、イチが前に出る。
「い、イチさんっ! は、早く逃げ――――」
老人の包丁を、イチが右手で払った。
すると彼の手首は、包丁と一緒に捻じ曲がる。
そして――――パン、と。
イチの左の平手が老人の顔を叩くと、首が180度回って頭が萎んだ。
もっとグロテスクな光景になることを覚悟したのだが、老人からは血も内臓も出てこない。
まるで、人間にそっくりの皮に空気を入れただけの人形のような、壊れ方だった。
イチは次々に刃物を振りかざしてくる男女の手を払いながら、隙を見てその頭を叩き破裂させた。
他の3人も、老人と同じく皮だけの人形だった。
「#$¥@!!!」
当然ながら、あっという間に部下を倒された心臓の【忌不様】は怒り出す。
4本の脚で地団駄を踏み、黒い液体を撒き散らし、そして3mの巨体を傾けて、
「――――げ」
ぐぱぁ、と。異常に巨大な口を開けた。
生臭い呼気が漏れ出てきて、トウゴは自分の鼻と口を押さえた。
デカすぎる。
あの口だけで、1mはあるのではなかろうか。
あんなものに噛みつかれたら、トウゴなどひとたまりもない。
身長150cm程度のイチに対しても、単純に2倍の大きさだ。
「◆■◎●▽!」
心臓の【忌不様】は勝ち誇ったように叫びながら、突進してきた。
「こ、今度こそ逃げようイチさんっ! 相手の口、すごいデカイよ!?」
しかしイチは、澄ました顔のままだった。
「イチさ――――」
イチが右腕を上げると、まるで魔法のように、腕の周りに黒い靄が発生した。
そして右肩から先が、徐々に黒い硬質な獣毛に覆われ始める。
右腕が、右腕でなくなっていく。
少女の細腕がみるみるうちに黒く、筋肉質に肥大し、針のように逆立った毛が生え揃う。
拳や指は黒い獣毛に飲み込まれて、黒いナニかはさらに巨大化する。
2倍、3倍……10倍……20倍にまで膨れ上がって、ようやく形が安定した。
その長さ、約10m。
太さは、直径で約2m。
腕の先には紫に光る細い目が8つ並んでおり、その下には3mもの切れ目が入っている。
……口だ。
その切れ目が上下に開くと、唾液の糸を引きながら、1本1本が刀の切先のように鋭い100本以上の牙が現れた。
――――巨大な、獣。
そうとしか表現できないモノが、イチの右肩から生えていた。
ソレは月明かりを背にしていきり立ち、心臓の【忌不様】に影を落とす。
「%&@&…………!」
そして心臓の【忌不様】が、明らかに悲鳴と思われる声を漏らして急停止したところへ、
「むんっ」
イチが自身の右肩から生えた黒い獣の顔を、渾身の力で叩き付ける。
獣は長い口を目一杯開けて、
「@@@@@――――」
ばくり、と。
心臓の【忌不様】に、喰らい付いた。
そしてぐしゃりと、ひと噛み。
黒い液体と異臭のする肉が飛び散り、残された心臓の下半身がびくりと震える。
もうひと噛み。
今度は4本生えた人間型の足先まで、余すことなく全て、口に含む。
そして黒く巨大な獣は、不味そうに数回咀嚼した後に、ごくん、と。
喉を鳴らして、心臓の【忌不様】を完全に飲み込んだ。
――――とても、あっけない終わりだった。
あれほど恐怖をばら撒いていた存在が、ほとんど一瞬で抹消されたのだ。
徐々に、周囲に幕のように降りていた重く暗い空気が、霧散していく。
「た…………食べ、ちゃった?」
黒い獣は8つの紫の目を細めて月を仰ぐと、静かに消えていった。
まるで灰が風に舞うように、牙も獣毛も目も、都市の夜空へ溶けて行く。
その後には、1人の裸の少女が残った。
「……不、味……い」
そして顔をしかめる彼女を見て、トウゴは地面に座り込んだ。
「たす、かっ……た」
額から、冷や汗が噴き出てくる。
危ないところだった。
あのまま明日になっていたら、自分もあの老人達のように皮だけの人形にされていたのかもしれないのだ。
そう考えると、ゾッとするどころではない。
「あ、ありがとう……ありがとう、イチさん……」
「……?」
イチは小首を傾げて、トウゴを見る。
「……たす、けた?」
何故そこで疑問形。
「え……あの、助けて……くれたん、だよね?」
イチは、ちろ、と舌なめずりをした。
「え、うそ。ちょっ、なんで舌なめずりっ!?」
そして、細い右手をトウゴの方へ伸ばして、
「ひっ」
「…………よぉしよぉし」
頭を撫でた。
「……あのイチさん?」
「こわかったねぇ?」
夜の街外れで、アラサーの男が、裸の少女に、頭を撫でられている。
これは一体、何のプレイだろう?
(あやばい。涙が……)
安堵や恐怖や羞恥が一度に襲ってきたせいで、何だか泣けてきた。
こんなところを誰かに見られたら、人としてのナニかが終わってしまう気がする。
早くここから退散して、部屋に帰らなくては。
――――と。
「おおい! 102号の奴! 大丈夫か!?」
ヤンキーのお姉さんが、駆けてくるのが見えた。
とても、心配をしてくれていたみたいだ。
ああ見えて、意外とイイ人なのかもしれない。
しかし、
「お前さっきあれほど待ってろつったのに、裸の女に拉致られやがって、一体何を――――」
裸の少女に頭を撫でられて号泣しているトウゴを見て、
「――――――ひぃっ」
まるで【忌不様】でも見たかのように顔を引き攣らせたのは、ヒドイと思った。