第3話 イチさん
朝になり、カーテンもブラインドも無い窓から、太陽の光が差し込んでくる。
「――――ハッ!? お化けっ!」
トウゴは目覚めた瞬間飛び起きて、部屋の隅に避難した。
ガクガクと震えながら部屋中を見回すが、
「居ない……か」
あの白い手首は、消えていた。
「それにしても、部屋に入って数分で『出る』なんて、どんだけせっかちなお化けなんだ……何か、物欲しそうなこと言ってたし…………あれが【忌不様】ってやつか…………?」
あまり、深いことは考えないようにしよう。
「…………とりあえずシャワーでも浴びて、ハロワへ行くか…………」
浴室の鏡はひび割れていて、タイル張りの床は赤カビだらけだったが、蛇口からは清潔なお湯がちゃんと出たので良しとする。
さっぱりとしてから服を着ると、何だか心も少し軽くなった気がした。
しかしこの服も、公園のトイレで拝借した石鹸と水で洗っていた程度なので、壮絶に臭い! ……とまではいかないが、当然ながら小汚い。腰を据えて生活するには、服を何着か買っておきたいところだ。
もちろん食料も必要だし、日用品も欲しいし、布団やカーテンなんかも要る。
とにかく、金が必要なのだ。
「……よし」
朝の街は、夜と比べれば比較的にマシだが不気味なことに変わりはなかった。
何だか通行人や店先の人にジロジロ見られている気配を感じながら、アパートから徒歩30分程度の職業安定所まで歩く。
話は、トントン拍子で進んだ。
『サイモン』の名を出した途端に職員の顔色が変わり、すぐに仕事を紹介してくれたのだ。
(おじさんの言ってたことは、本当だったんだな……)
その日の正午過ぎに、教えられた通りに職場へ行くと、かなりの歓迎ムードだった。
「やあやあ。キミが新しいバイトの……トウゴくんか。昨日越してきたんだっけ? こんな辺鄙な都市に来てくれるなんて、嬉しいなあ」
出迎えてくれた老人は、温かい笑顔で両手を広げた。
他にも20代後半くらいの女性が1人と、中年男性が2人、ニコニコと笑みを浮かべている。
「あ、ども……」
職場はボロい民家を改修したような建物で、真っ白な壁に囲まれた20畳程の部屋に、簡素な机と椅子が5組並んでいた。
「ええと……それでおれは、ここでナニをすれば……」
「まあまあまあまあ」
椅子を勧められて、座る。
「それより、お腹空いてないかい? お肉食べる?」
「コーヒーをどうぞ」
「肩でも揉んであげようか?」
何故か4人とも、トウゴをちやほやと接待し始める。
「え、あ……いやあの、まずは仕事を……」
何だか怖いので、トウゴは慌てて立ち上がった。
「あらあら?」
「真面目だねえ」
4人は少し残念そうに、笑顔のまま肩を落とす。
「まあ、仕事は簡単だよ……よいしょっ、と」
老人が部屋の隅に積まれていた段ボール箱を持ち上げて、トウゴの前の机に置いた。
中身は、10cm四方の小包の山だ。
「ノルマは1日で段ボール4箱分。中の小包を、この黒い紐でちょうちょ結びして、こっちの段ボールに移す。ただそれだけさ」
「……要するに、内職っすね」
「お、経験アリかな?」
「ま、まあ……バイト生活長かったんで」
前の世界で、だが。
「なら話が早いね。ささ、キミの席はここだよ」
「あのう。ところで、この中身って一体……」
「…………(ニコニコ)」
「あ、何でもないっす」
仕事自体は、本当に簡単だった。
何も考えずに流れ作業で手を動かすだけなので、プレッシャーも何もない。
ノルマの4箱も、やってみると仕事量としては少なく、17時前には終わった。
(なんだこのバイト……楽すぎるし、ヘンな感じだなぁ)
仕事の間、皆は無言で黙々と手を動かすだけだったので、大したコミュニケーションもとれなかった。
「はいお疲れ様。これが1か月分のバイト代。前払いだよ」
老人は相変わらずニコニコ顔で、現金の入った封筒を手渡してくる。
「え……いいんすか?」
「引っ越してきたばかりで、色々と入用だろう?」
「あ……あざす…………てか、こんなに貰えるんすか?」
「この仕事の『発注者』は、かなり気前が良いからね。まあ、世の中には色々な人が居るということさ。それじゃ明日は、朝9時から来てね?」
「…………」
色々と胡散臭い職場だが、トウゴはついにまとまった現金をゲットした。
ひとまずその足で、食料や日用品を買いに行く。
やはり昨日思った通り、商店は充実しているようだ。
普通のスーパーマーケットはもちろん、雑貨店も家具店も服屋もある。
トウゴはおよそ必要と思われるものを、片っ端から買い揃えた。
「これだけ買って、まだ半分も金が残ってる……この街って、物価も異様に安いよなあ」
そして前が見えないほどの荷物を抱えて、『青苺荘』の102号室へ戻る。
玄関の鍵を開けると、腹が減り過ぎて、ぐぐぐぐぐ~っと音が鳴った。
結局あの職場で勧められた菓子や軽食は恐怖のあまり断ってしまったため、今日はまだ何も食べていないのである。
「あー腹減った腹減った……コンビニ弁当3人前も買っちゃったよ……それでもおにぎり1個くらいの値段ってなあ。どうなってんだここの物価…………何かもうこの都市そのものが『事故物件』って感じだよな」
とりあえず、掃除やカーテンの取り付けなんかは後だ。
トウゴは玄関の施錠をしっかりしてから、いそいそと荷物を下ろして弁当を取り出す。
唐揚げ弁当に、焼肉弁当に、サンドイッチと野菜が敷き詰められたヘルシー弁当。
久々の、まともな食事だ。
溢れるヨダレを啜りながら、トウゴは割り箸を掴んで――――
『 ち ょ う だ い ?』
――――また、白い手首が現れた。
「どぅわわっ!?」
トウゴはひっくり返り、がさがさと部屋の押し入れにまで後退る。
「ででででででたっ! ええと確か、【忌不様】っ!」
『…………』
手首は、小首を傾げた。手首なので傾げる小首なんかないのだが、そう見えたのだから仕方がない。
『ちょうだい?』
そして鈴のような声で、物欲しそうに言うのだった。
「落ち着け落ち着け落ち着けおれ! とにかく深呼吸だ……すぅー、はぁー……うん。よく見たら大人しそうじゃないか……昨日も結局、倒れたおれを襲わなかったんだし……怖くない怖くない……」
『……ちょう、だい?』
そんなトウゴの様子が不思議なのか、今度は少し遠慮がちに言った。
「ちょうだい、だとぉ? …………よく聞くと、けっこうカワイイ声だな」
だんだんと落ち着いてきたトウゴは、まじまじと手首を見つめた。
「今回も、襲ってくるような気配もないし………………いや待てよ。でも確か【忌不様】には、ルールがあるんだったよな。この場合、願いを聞いてあげるのが良いのか、それとも無視した方が正解なのか……」
都市伝説や怪談の類だと、だいたいこういう場合どちらを選んでも悲惨な結末が待っていることが殆どだが、今はそのことは考えないようにする。
……意を決して、話しかけてみた。
「な、なあ……きみは何か、欲しいのか?」
すると手首は、くいくい、と頷いた。
「おお。会話が成り立つタイプのお化けだったか」
ちょっぴり感動する。
「……しかし、どうしたものかなあ……うーん。ここは己の善意に従ってみるか? …………別に、声が可愛いからとかじゃないからな」
トウゴは自分に言い訳をしつつ、すすっとサンドイッチの詰め合わせ弁当を差し出した。
『…………くれぇるの?』
「あ、ああ。ただのサンドイッチだけど」
『……いっち?』
「そうそう。サンドイッチね。欲しいなら、食べていいよ」
『フンフン』
手首は、犬のようにサンドイッチの匂いを嗅いで、指先でツンツンとつつき、
『あぁむ』
そして手の平に開いた小さな口で、齧った。
綺麗に並んだ歯がパンと野菜とハムを咀嚼して、飲み込んでいく。
手首に食道など無いはずだが、一体あれをどうやって消化するのだろう。
『おいしぃねぇ』
手首はそう言って、吐息を漏らす。
「そ、それは良かった」
『いっち……あぁむ……はむんはむん』
「あ、はは……サンドイッチ気に入ったみたいだなぁ……キミのこと、『イチさん』って呼んでも良い?」
『もむもむ…………いっち!』
手首は口の中のサンドイッチを飲み込むと、元気に首肯した。
「あ、ちなみにおれはトウゴね。咲崎藤吾」
『……ト、ゴ』
「そうそう。トーゴだよお」
『トーゴ!』
……これはもしや『正解』を選べたのだろうか?
「よし……ひとまず、おれを食べようとはしなさそう……だな」
慣れとは怖いもので、こうして一心不乱にサンドイッチを貪る姿を見ていると、少し可愛らしく見えてくる。
ぐぅぅぅぅ、とトウゴの腹が鳴った。
「っと。おれも腹ペコなんだった……そんじゃおれはこっちの唐揚げ弁当を……いただきま~す」
そうして謎の手首『イチ』と共に、この世界で初のまともな食事にありつく。
2人(?)で3人前の弁当を平らげると、イチは満足げに埃だらけの畳をコロコロと転がった。
「はははは。イチさーん、埃舞っちゃうよー?」
トウゴはその異様な光景にもすっかり順応して、まるで公園ではしゃぐ我が子を見守っているみたいになっている。
……当然ながら、トウゴに子供など居たことはないが。
「てかイチさん、何か……腕、長くなった?」
『……? (コロコロ)』
「ごほっごほっ。てかホントに埃凄いな…………そろそろ、掃除でもするか」
トウゴは立ち上がろうとして、
「――――ん? 何か身体が重いな……」
思いのほか、脚に力が入らなかった。
「食べ過ぎたか……ぃよいしょっと」
おじさんのような掛け声で立ち上がり、買ってきた箒を手に取る。
「さーそれじゃあ、イチさんにも手伝ってもらおうかな」
そしてリビングの方を振り向くと、
「あれ……イチさん?」
その姿は、忽然と消えていた。
「どっか行っちゃったか……」
ほっとしたやら、寂しいやら。
トウゴは仕方なく、1人で部屋の掃除を始めたのだった。
次の日。
例の良く分からないバイトの職場へ行くと、昨日と同じメンバーがニコニコとトウゴを出迎えた。
「あれっ。おれ、遅れちゃいました?」
「いやいや。我々はこの事務所に住んでいるから、先に居て当然さ」
「え……ここに?」
「そうとも、何せ『正社員』だからね」
「は、はあ」
誇らしげに言う老人には悪いが、あまり羨ましいとは思えなかった。
そうしてまた、黙々と作業が始まる。
「…………」
しかし、こうも沈黙が続くと辛い。
「…………あのう……」
「ん、何だい?」
耐えきれずに、隣で作業をしている老人に話しかけてみる。
「昨日、不動産のお姉さんに聞いたんですけど……この都市には、何か良く分からないモノが沢山住んでるって……本当なんすか?」
「ああ。【忌不様】のことかい?」
老人は、当たり前のように言った。
(やっぱりその名前も、浸透しているのか……)
「【忌不様】は、素晴らしい存在だよ。我々の傍に居るようで、居ない。上手く『お気に入り』になることができれば、とてもイイコトがあるんだ」
「イイコト……とは?」
「…………(ニコニコ)」
何だか、ヤンキーお姉さんが言っていたことと矛盾している。
一体、どちらの言っていることが正しいのか。
結局それ以降は皆無言のままで、ノルマの4箱は午前中に終わった。
「これ、もう終わっちゃったんですけど、午後は……」
「ああ、いいよいいよ。1日のノルマさえ達成してくれれば、ちゃーんとフルタイム分の給料が出るからね。遠慮せずに、午後はあがっちゃっていいよ」
「ええ……?」
と疑いつつも、早く仕事が終わること自体は大歓迎なので、老人の言葉に甘えて退勤する。
そして、何となく街を散策して時間を潰した後、コンビニに寄った。
手に取るのは、自分の弁当とジュースと、デザートのプリン。
「一応、これも買っとくか」
サンドイッチの詰め合わせも、買い物カゴに入れる。
帰るときは、またすっかり暗くなっていた。
「…………ただいまぁ~……」
そっと鍵を開けて、自分の部屋に入る。
すると、
『おか、ぅえり?』
白い腕が、トウゴを出迎えた。
「い……イチさぁん……」
最初に見た『手首』のみの姿と比べて、確実に腕の部分が伸びていたが、それに対する疑問よりもイチに再会できた喜びが勝り、トウゴはサンドイッチの入ったビニール袋を下ろした。
そしてイチと談笑しながら、食事をする。
とはいえ、ほとんどトウゴが一方的に話しかけるだけだが、自分の話に肯定的な返事が返ってくるだけでも、嬉しいものだった。
…………ずしり、と。
「――――っ」
身体がまた一段と重くなるのを感じながらも、トウゴはイチと楽しい時間を過ごした。
そして夜が深くなってくると、イチは無言で姿を消す。
寂しいが、きっと明日の夜も現れてくれるだろう。
バイト帰りに、ちゃんとサンドイッチを買っておかなくては。




