猫に小判。
「拾ったところに戻してきなさい」
いつもよりも遅い時間に帰ってきた夫の孝範が連れて来たモノを見て、私はニッコリ却下の判定を下した。
玄関の入り口でこちらをうかがうような素振りで、我が家のヒョロい大黒柱は立ち尽くす。
ついさっき降り出した雨に打たれたのか、乾いているときは頭の中身と同様にふわふわと浮いている髪がしっとりと濡れそぼり哀れな様子を演出している。
「あの、郁子さん、でも……」
「戻してきなさい」
しょんぼりした表情に甘い顔を見せてはいけない。しょんぼりしているが反省はしていないのだ、こいつは。その証拠に、「でも」とまだ粘ろうとしている。
「行くところがないみたいだし、外、雨降ってるし」
「いつも言ってるでしょう。のべつまくなしに慈愛を振りまいてもうちの家計を圧迫するだけで何の得にもならないのよって。甘ったれもといお人よしもとい考えなしも大概にしないと日曜のバザーで売り出すわよ」
「何を売り出すの!? あとなんか言葉重ねてフォローっぽい言い回しした感じで結局貶してるよね僕のこと!」
外をふらふら出歩いては犬猫その他ケモノを拾ってくる野郎を弁護する必要はないだろう。
そのたびに里親探し、動物病院と面倒をみる家族の身にもなれという。
「おとーさん、じぶんでせきにんもてないものはてにしちゃめーなのよ」
「うう、みゃーちゃんまで……」
父を出迎えに出てきていた四つの娘にもキリッと諭されて、孝範が三和土にがっくりと手をつく。これもパフォーマンス。
「この間もう二度としないといったのは誰? 家出娘を拾って散々な目にあったのを忘れたの?」
「いや、この彼は家出人じゃないし……たぶん……あの子も、ちょっと世間知らずだっただけで、悪い子じゃなかったでしょ? 最後は素直に自分の家に帰って行ったし」
「悪い子じゃないのが財布持っていこうとしたり人の旦那の寝床に忍び込んだりするのか。そう庇うってことはお前あのとき必死で否定してたが実はヤッてたのか、ああん?」
「やってないよ僕は潔白だよ郁子さん一穴だよっていうかみゃーちゃんもいる前で何言うの!」
「お前の方がマズイ発言してるってことに気づけ!」
起き上がってゾンビのように這い上がってくる孝範を踏み、私はため息をついた。同じように娘も「はあ」と息を吐く。
胡乱なまなざしになるのも隠さずに、孝範よりもずぶ濡れになっている『それ』を見やる。
おそらく成人男子。私たちよりも少し下だろうか。白いシャツにスラックス、洒落や不精で伸ばしたわけでもなさそうな腰まである長い黒髪に、何も持たない手足。上から下まで検分して、裸足であることに気づいた瞬間、私はもう一度ため息を吐いた。
「おかーさん、タオルもってくるね!」
父がアレだからこうなのか、幼女のくせにやたら物わかりが良く出来の良い娘がそう言って奥へ。不憫だ。
これは断じて甘い顔ではない。経験則からくる諦めだ。
「むこう三か月お小遣いなしね。延長になる前に引き取り手探しなさいよ」
夫を踏みつけた足を戻す前にグリッと力を入れてから、不本意ながらも逗留の許可を与える。
「郁子さん愛してる!」
「知ってる」
嬉々として飛びついてくる孝範を避けて、棒のように突っ立ったままの拾い物を睥睨した。
終始ぼうっとしたままの青年は何を考えているのかわからなかったが、目には知性の輝きがあったので、かまわず我が家のルールを申し付ける。
「どこの誰だか知らないけど、うちでは私が法律だから。追い出されたくなかったら、ここにいる間私のいうことは聞くこと。あとうちの可愛い娘に変なことしやがったら、足の間にある無駄なものちょん切るから」
「いくこさんこわい」
「ぼんくら亭主は黙ってろ。――あんた、名前は」
彼は少し首を傾げた。瞬きをひとつ。
「――ない」
それがどういう意味なのか、こういう状況だから単に名前を言えない理由があるのだろうと、追究はせずそのまま流した。
「そう、じゃあタマって呼ぶわね。とりあえずお風呂に入って。面倒だからうちの旦那もくんずほぐれつしてらっしゃい」
「いくこさんひどい」
「おふろこっちよー」
小さな両手にバスタオルを抱えた娘の声に、青年がふらりと動き出す。
おせっかいな母のように、うちの風呂の使い方を説明する娘の声を聞きながら、濡れたネクタイを解こうとして手こずっている孝範を見上げた。
私の視線に気づいた夫は苦笑い。
「ごめん、なんかほっとけなくて。――御山の麓にいたんだけどさ。そのままどっか行っちゃいそうだったから引き止めちゃった」
日中は女子どもしかいない自宅に、明らかに訳有りの人物を連れて帰ってきたからには、それなりの覚悟があるのはわかっていた。
決裂していた家出娘の家族関係を修復するため駆けずり回ったように、今回もまたいろいろと面倒に巻き込まれるのだろう。
そもそものはじめ、孝範を拾った自分が口うるさく何かを言えるわけでもない。
「……拾ったものには責任持ちなさいよ」
「郁子さん愛してる」
「知ってる」
毎度のやり取りに答えて、私は予備の布団を出すため仏間に向かった。
「あれ、もうあがったの。カラスの行水にもほどがあるよ、ちゃんと温まった?」
「みみのうしろもあらった? おじちゃまかみながいのね、ちゃんとかわかさないとだめよ」
「おじちゃ……」
のんびりした夫の声と、こまっしゃくれた娘の発言に地味にショックを受けている青年に、まあ心配ないかと楽観的予測をもちつつ。
この日拾ったものが、三か月どころかずっと居つき、存在そのまま座敷童のように我が家にいろいろなものをもたらすことになるなど、そのときの私たちは知らなかった――。
END
(初出:2013/08/04 メルマガSS)