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その結末は



「……けて」


「だ、誰だ!?」



一面真っ黒の世界の中、ただ一人残された俺は周囲から聞こえてくる声の出所を探していた。


一寸先は闇、まさしくその言葉が正しく、自身の手足も闇に隠れてしまい、何一つ目視することが出来ない。光がない以上、周囲を見渡したところで何かが見つかるわけでは無く、ただひたすらに無駄な行動を繰り返すばかり。意味のない行動だと言われても、見ず知らずの場所に置いていかれれば誰だって混乱する。


居ても立っても居られない状況の中、何とか先に進もうと必死に足を動かして進んでいく。


先に進めば何かあるんじゃないか、分かるんじゃないか。


その一心で、歩き続ける。



「す、けて……」



先に進むにつれてどんどん声が大きくなってくる。同じ言葉を繰り返し発するその様子は、まるで壊れたオルゴールのようで何とも気味が悪いものだった。先に進んだところで、決していいものは無い、自分にとってプラスになるものではないと容易に想像することが出来る。


しかし足は勝手に先へと進んでいく。己の第六感が先に進まなければならないといった使命感を絶えず四肢に伝達していた。自分の意志と反して先に進んでいくと、ぼんやりと先に映る影が見える。この距離ではその物体が何なのかまでは分からない。


高さ的には一メートル弱だろうか、生憎先の闇にぽつりと浮かぶ影。他の物体など何一つ認知できない中で、その影のみだけはしっかりと目で捉えることが出来た。


何故かどうして影だけを目視することが出来るのか。


俺にとってあの物体は何なのか。


理解が出来ない──否、理解をしてはならない、理解してはいけない、決して開けてはならないパンドラの匣。それを俺は開けようとしている。





───マズイ。



アレニチカヅイテハナラナイ。


アレガナンナノカリカイシテシマエバモウヒキカエセナイ。


ヤメテクレ。





自分の脳が警鐘を鳴らしている。


脳から伝達して静止を掛けるはずの行動が出来ない。劇場で操られるマリオネットの如く、自分の意志に反して足だけが先へ進んでいく。徐々に大きくなってくる物陰、モノクロの世界が徐々に色づいたものへと変貌していく。同時にひどく焦げ臭く、そしてどこかで嗅いだことある嫌な臭いが周囲を充満し始めた。


そして一定の距離まで近付くと同時に、目の前の物体は消え去り、代わりにメリメリと音を立てながら崩れ落ちるかのように周囲の黒が剥がれ始める。視線の先に移る世界、それは目を逸らしたくなるようなものだった。



「な、なんだよ……これ」



絶句という単語が酷く似合う。


周囲に広がるのは無数の屍の数々。命果てた死骸が山のように築き上げられ、多くの蛆虫がわいている。




ある者は胴体から上が切り離され。


ある者は身体が真っ二つにされ。


ある者は原型が止めていないほど顔面が潰され。



あらゆる場所から漂う死臭と、何かが焦げるような臭い。数分も居れば間違いなく吐き気を催すレベルの風景に、思わず我が目を疑いたくなった。


更なる事実は所々に散乱している旗に刻まれた文字。



────そこには大きな文字で『孫』の文字が書かれている。




つまり周囲に散乱する死体の数々は全て、孫呉の兵隊たちのものである事を決定付けるだけではなく、見ている風景は、起きている事象は孫呉の敗戦、及び孫呉の滅亡を意味していた。



……負けた?


一体どうして、何があって、誰に?


辺りには自身の部下である張楊や趙雲、呂布の姿がないどころか普段行動を共にしている孫家の人間が誰一人居ない。


死んだとでも言うのか。そんな馬鹿な話があってなるものか、あれだけ強大な勢力を誇った孫呉がそう簡単に滅亡するはずが───。



「……すか」


「っ!? 誰か居るのか!」



ほのかに聞こえる消え入るような声に周囲を見渡す。


近くに誰か生存者が居るのか。いずれにしてもまずは現状を把握しなければならなかった。とにかく生きているのであれば、今の状況を確認する他ない。俺の知らないところで何が起きたのか、何故このような結末を迎えているのか。


これだけ大きな損害が出ているのだから生きている人間なら、全てを知っているはず。もしかしたらほとんどの人間は逃げおおせているかもしれない。そもそもここがどこなのかも分からない以上、孫呉が全滅したと断定するには些か早すぎた。


とりあえず今の状況を確認して、それから行動を起こすのも間違いではない。


近くから聞こえる声の出所を探すべく、周囲の散策を始めた。



「……」



言葉が出てこない。


このような惨状になるまで自分は何をしていたのか。朽ちる同士たちの姿を見ると、申し訳なさと共に目を背けたくなる。視界の先に広がる惨状を受け入れる事が出来ない、信じたくない。


見渡す限り死体の山であり、到底生存者がいるとは考えられない。そもそもどこから声を掛けられているのかも分からない手前、手当たり次第に探すことしか出来なかった。


普段なら死体の山を素手でかき分ける事はしないだろう。だが、いざ同士立ちが死ぬ現状をまざまざと見せつけられると、辛い感情を隠せなかった。


乱世を生き抜く以上、必ず何人かの命は失われる。


何の犠牲もなく、平穏を取り戻すことが出来るはずもないのだ。分かっていたこととは言え、まざまざと見せつけられると自分自身の綺麗事は結局綺麗事そのものだった……そう、思わされた。



「あす……か……」


「その声、孫策か! おい! 一体どこにいるんだ!?」



今度は声と言葉まではっきりと聞き取る事が出来た。声質からすぐに孫策の声であると断定は出来たが、本人の姿がどこにもない。声の大きさから近くに居るのは間違いないんだろうが、見えないということはもしかしたら死体の中に埋もれている可能性も在る。


生き埋めになっているとすれば一刻も早く助ける必要があった。かすかに聞こえた声を頼りに声の方へと歩を進める。



「あすか……たすけ、て」


「どこだ! すぐ助けてやるか……ら?」



探そうとし始めたところで、如実なまでの違和感に身体が硬直する。


声を頼りにするも毎回毎回聞こえる声の出所が違い、最終的に孫策がどこに居るのか分から無かった。声の出所に近づこうとすれば、また別のところから聞こえてくる。


感覚的には目の前にゴールがあって、あと一歩でゴールという時に全く別の場所にゴールをずらされてしまうようなもの。あまりにも極端な例だが本当に狐にでも包まれたんじゃないか、そう思えるほど色々な場所から声が聞こえてくる。


最初は違和感程度に思っていたことが、時間が経つにつれてあらゆる場所からオーケストラの……否、まるで呪文を唱えられているかのように繰り返し発せられた。あらゆる場所から孫策の声が聞こえる。もうどこに孫策が居るのかも分からない。


ここは一体何処なのか。


最初に出てきた疑問は結局解決しないまま、俺を呼ぶ声が不協和音となって俺の耳から脳へと伝達していく。もはやその声に孫策の面影は皆無。




───気持ち悪い。


───頭が痛い。


───自分が自分で居られなくなる。



「あすか、たすけて。あすか」


「たすけ、て、あす、かタスケテ」


「タスケテアスカタスケテタスケテ」


「タスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ」


「アスカ、アスカアスカアス、カ、アスカ、アス、カアスアスカカカカカカ、カカカカ」




───やめろ。



思わず耳を塞ぐ。


聞いているだけで自分がおかしくなっていくのが分かった。両手で耳を塞いだにも関わらず、手を突き抜けて声だけが耳の奥へと届く。



「ねえ、飛鳥」



いくつもの無機質な声の中、耳に届く一つの声。同時に周囲の不協和音が一斉に消えてなくなる。先ほどまでの声とは違い、明らかに生気を伴った声に確かな手応えを感じた。


───生きていた。


その声に釣られるまま、声の聞こえた背後へ振り返る。振り返った先に映ったのは下を俯いたまま、数メートルほど先に佇む孫策の姿だった。


見たところ大きな怪我もしていない。これだけの戦いの中、大きな怪我もなく生きていてくれたのは不幸中の幸いか。何はともかく、孫策が生きていた事が分かっただけでも、一つの安心材料にはなる。


孫策以外の面子も、もしかしたら別の所に逃げているかもしれない。ただ今の俺にはそれを判断する材料があるわけもなく、分かるとすれば孫策だけ。


精神的にも体力的にも辛いだろうが、他の面子がどうなったかを確認しなければならない。それが仮に悲惨な結末を迎える事であったとしても。



「孫策、こんな状況で悪いんだが他の家臣たちはどこにいった? ひょっとして遠くまで逃げているのか?」


「……家臣?」


「あぁ、何処かにいるのなら教えて欲しい」



弱々しい言葉を続ける孫策と会話をするも、かなり歯切れの悪い話し方だった。戦いの影響から疲れているのか、言葉尻もはっきりと聞こえず、いつものように言葉に力もない。


周瑜は、孫権は、張楊は。


その姿はどこにも見あたらない。どこに隠れているのか、はたまた本当に死んでしまったのか。孫策の何一つ覚えていない、分からない。一体我に戻るまでの間に何が起き、どうなったのか。全ての事象を何一つ理解していない。


夢でも見ているようだった。


夢を見ているのなら覚めて欲しい、そう思いながら孫策の元へと近付くも、俯いたまま反応する素振りを見せない。本当に全員死んでしまったのかと思い始めた刹那、不意に右腕を掴まれる。



「っ!?」



突然の事に驚き、ふりほどこうとするも、力が強く振り解く事が出来ない。相も変わらず孫策は俯いたままであり、声を発する様子は見られない。


ショックのあまり心神喪失してしまったのか……いや、孫策に限ってそんなことは考えづらい。どちらにしても彼女の口から事実を聞くまでは判断が出来ない。続いて出て来るであろう言葉を俺は辛抱強く待とうとするが、妙な胸騒ぎに襲われる。


誰かに言われた訳でもない。


周囲から聞こえる不協和音が静まったところで、頭の中で鳴り響く警鐘が鳴り止むことはなかった。



「孫策、一体何が……って痛っ!」



ズキリと痛む右腕、何が起きたか分からずに右腕に視線を向けると爪が食い込まんばかりに握り締める孫策の手があった。握り締めた場所には指が食い込み、はっきりと手痕が残るほどに力強く握り締められ、加減をする様子が何一つ見られない。


やはりおかしい。


鋭いツッコミをかまされることはあっても、身内や家内、それから無害な民に暴力的な行為を働くことは一切無かったはず。目の前の孫策は孫策の形こそしているもまた違う何か。仮に気に障ったことをしたとしても、笑ってやり過ごせるほどに心の器が広い彼女が、そう易々と暴力を振るうハズがない。


コイツハ……ソンサクデハナイ。



「くそっ、離せっ!!」



ぎりぎりと締め付ける手を振り払おうとするも、凄まじい力で握り締められる。痛みがあるのはもちろんのこと、このまま握り締められ続ければ、右腕が使い物にならなくなってしまう。


こうなれば実力行使に出てでも腕を……。



「どうして……たの?」


「何?」



力をこめて相手を突き放そうとした矢先に、一言呟かれる。


相変わらず声が細々として聞き取りづらいが、同時に握り締められた腕の力が弱まった。



「どうして……くれなかったの?」


「さっきから何を」



声質は紛れもなく、完全に孫策のそれだった。聞き違うはずがない。発している言葉を聞き取ろうと、耳を澄ます。


















「どうして、助けてくれなかったの?」


「何っ……」



はっきりと聞こえる声、聞こえた内容に思わず俺の身体は硬直する。そして俯いた顔を上げると、そこには間違いなく涙を流す孫策の顔があった。



「どうして、どうして……」


「……」



再び俯いてしまう孫策。


言葉の意味は分かるが、具体的に何を意味し、指し示しているのかが分からない。助けてくれなかった? 俺は何か孫策のことを助けることが出来なかったのだろうか。いや、そもそもこの惨状では助けられなかったといっても過言ではない。


心の奥底から沸き起こる罪悪感と共に、謝罪の言葉を述べようとする。


───その時だった。

















「どうシテ、あすカはタスケてクレなかっタの?」


「えっ……ぐっ!?」



生気のこもった声が一瞬にして無機質なものへと変わると共に、右腕に走る強烈なまでの痛み。それは先ほどの非ではなく、腕そのものをプレス機で握りつぶそうとしているんじゃないかと思うほどの力が込められていた。


身体中から一斉に冷や汗が出始め、ミシミシと嫌な音を立てて右腕がしなり始める。痛みから顔をしかめながら、孫策の顔を見つめた瞬間。



「マモレナイミツカイナンテイラナイ……」


「なっ!?」



孫策の顔が血にまみれた深紅に変わり、身体全体を赤に染めていき、一度鳴り止んだはずの不協和音が再び合唱を始めた。



「キサマハナニヒトツマモレナカッタ」


「ワガクルシミオモイシルガイイ」


「コノムネンドウハラスベキカ」



次々に俺の耳に入ってくる怨念の数々に頭部に激しい痛みが走る。居ても立っても居られずに場を離れようと満身の力を込める。



「や、やめろ!」


「ダメヨ、アナタハニゲラレナイ、ニガサナイ」



力をどれだけ込めようともビクともしない。尚も追い打ちを掛けるかのようにいくつもの声が俺を襲う。



気が狂う。


壊れる。


俺は、俺がこの結末を招いたのか?



「ソウヨ、アナタノセイデソンゴハメツボウシタ」



俺のせいで? 俺の判断で?


じゃあ俺が今までやってきたことは一体?


放浪していた時に拾われ、黄巾党討伐や董卓連合を足掛かりに袁術を倒して独立した結果が今だというのか?


なら俺の存在は一体?


イラナカッタ?


ハハッ、ソウカソウダッタノカ。


ケッキョクドコニモオレノイバショナンテナカッタンダ。



御遣いとして祭り上げられ、世を救う存在だとして降り立ったにも関わらず。


俺の導いたゴールは孫呉の滅亡だった。



「は、ははっ、ははははははははははははは」



もう俺の存在なんて要らない。


誰も俺のことを必要となんてしていないんだ。


いらない存在は、生きている価値すらない。


折角のタイミングだ、この目の前にいる怨念とやらに総てを差し出してやろう。


うつろな目で見つめる視線の先に映ったのは、ニヤリと不気味に笑う狂気の笑みだった。


身体中から吹き出る深紅の噴水を見つめながら、俺の視界は暗転した。





















「───つあっ!!?」



がばりと身を起こす。


目を見開いた先には死体まみれの荒野も、血塗れになった孫策も何も無かった。視界に映るのは白いベッドと、朝を伝える陽の光のみ。



「はぁ、はぁ、はぁ……っく!」



何とか気持ちを落ち着かせようと、酷く荒い呼吸を整えようとする。身体中から吹き出てくる汗で来ていたインナーはびしょ濡れであり、寝ていたにも関わらず身体は酷く疲れていた。


正直全く寝た気がしない。が、今まで見ていた風景が夢であったことに安堵する。もし今の夢が現実だったとしたら。



「飛鳥様、失礼します。まだ休まれて……ど、どうしたのですか!?」


「え……」



がちゃりと扉が開けられた先に視線を向けると、張楊が部屋に入る様子を確認する事が出来た。と同時に心配そうな表情を浮かべながらベッドの近くに駆け寄ってくる。第三者から見ても、俺の表情がただ事ではないのが明らかだと言うのだろう。


鏡を見たわけではないが、平常時の姿とかけ離れているに違いない。それだけはすぐに想像することが出来る。だが張楊の無事な姿を見るだけでも、先ほどまで見ていた光景が全て夢だったと証明する事が出来た。



「悪い。少し嫌な夢を見ていたらしい。心配掛けた」


「し、心配って。顔色もよろしく無いようですし、今日の軍議は出席を控えた方がよろしいのでは?」


「軍議? あぁ、そういえばそうだったか」



寝起きの脳が覚醒してようやく思考が纏まってくる。確か今日は月に一度ある大切な軍議を行う日だったと。どうやら俺は軍議の時間を忘れて、盛大に寝ていたらしい。おかげで悪夢を見る始末ともなれば同情の余地もない。



「集合時刻になっても飛鳥様がお見えにならないので、周瑜様より様子を見てこいと言われまして……」



重たい身体を起こすと、近くの茶筒に入っている水を一気に飲み干す。量はさほど残って居なかったが、大量の汗をかいた後ともなると、いつも以上に美味しく感じる事が出来た。


水を飲み干すと、近くにある制服を手に取り、インナーの上から羽織る。



「いや、行くよ。流石に寝起きが悪いからと言って軍議に出席しない理由にはならないからな。そんな理由を周瑜に伝えたら後で大目玉を食らうだけだろう」


「ほ、本当に大丈夫ですか? くれぐれも無理をなさらないで下さいね」


「了解。それじゃ行こうか」



どこか嫌な予感がする。それが何なのかまでは分からず、変に意識すれば周りに心配を掛けてしまうことになりかねない。


つい先ほどまで見ていた夢のことを忘れ、俺と張楊は大広間へと向かうのだった。

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