本当の序章
「―――――ッ!?」
状況反射とでも言うのか、身体は自然と腹筋の要領で起き上がった。これで何度目かどうかは分からない、自分の目の前に親しい誰かの無残な死体が転がっているなどという夢は見たくも無い。
そう思っていても見てしまう、人間の摂理というものは無情なものだ。額からとめどなくあふれ出てくる汗を拭い取るものの、続けざまに滝のように溢れてくる。無意識に、そして必然的に。
おかげさまで着ている服は水にでも浸かったかのごとくぐっしょりと濡れていた。着ているだけでも気持ち悪い。何よりも夢の内容が後押ししてしまい、とてもじゃないがそのまま二度寝する気分にはなれない。
濡れた上着を地面に叩きつける。叩きつけられた反動で、服からは染み込んでいた汗が染み出てきた。その汗が乾いた床を濡らしていく。床が汚れようとも腐ろうとも俺には気にする余裕も無かった。頭に手を置きながら壁のほうをひたすらに見つめる。
見ているのは壁だ、壁に何かがあるわけでもなく別に壁の先が透けて見えるわけでもない。でも俺は見ることをやめなかった。理由は知らないけど、何か行動を起こそうとも思えない。身体が何かを起こす気にはならなかった。
「やってられるか……こんなこと」
行き場の無い怒りを壁にぶつける。意味のないことだって分かっている。ただ愚痴の一つも溢さなければやっていられなかった。
暫しの間、身体を起こしただけの状態は続いた。一時間なのか二時間なのか、はたまた数分程度の時間だったのかは分からない。ただいつもより時間の経過が遅い気がした。
―――そんな時間の経過も忘れかけた頃、ようやく頭に思考が戻ってくる。布団を跳ね除け、ベッドから立ち上がる。上半身は裸のまま歩き出し、近くにある引き出しに手を掛けて代わりの上着を取り出した。着なれていないのか、いつもと着心地がいくぶん違ったが今はそんなことを気にする気力もない。
部屋に居たくない。その気分が後押しし、俺は部屋の扉を開けた。辺りは真っ暗、当然ろうそくの火も消されているから明かりもない。真っ暗な廊下をギシギシと歩いていく。こんな時は気分転換に外に出て、空気を吸えばまた少しは変わるかもしれない。そんな希望を持ちながら歩を進める。
こんな夜遅くに出歩いたことがバレたら何を言われるか分かったものではないが、言い訳は後で考えれば良い。
「最近……こんなんばっかりだな」
誰かが返答をくれるわけでもないが、歩きながらポツリと呟く。
最近、見る夢見る夢が悪い夢ばかりだ。毎日のように見るわけではないけど、悪夢を見て気分が良いなんてことはない。最悪までいかなくとも、少なからずテンションは落ちる。
その内容が誰かが死ぬだとか、自分の身に何かが起こるような夢だったら自分に対するダメージは大きいものがある。
更にその夢が見るたびにひどくなったいくとしたら、尚更タチが悪い。俺が今見ているのはそんな夢だった。
「今日で三日続けてか。……でも夢なんだよな」
あくまで夢の話だ。夢なんて誰でも見るし、その中には悪夢だって含まれる。正夢なんてのもあるけど、そうそう起こるものじゃない。見る夢見る夢信じていたら、精神的に参ってしまう。
だからあくまで夢の話、下手に気にする必要なんてない。しかし今回ばかりは夢だという一言で片づけるわけにはいかないと思ってしまった。確証があるわけではない、自分の勘がそう告げていた。
……悪い方向に考えているうちにいつの間にか庭に来ていた。来たところで何かをするわけでもなく、物思いにふけるだけだ。せめて素振り用に木刀か刀を持ってくれば良かったか。とにかく今更思い付いたところで後の祭り、大人しくしていよう。
「……はぁ」
何度目か分からないくらいのため息をつきながら芝生の上に寝転がる。朝は訓練している兵士や多くの人間が行き来している庭だが、暗い今の時間帯では不気味な雰囲気を醸し出していた。普通の人間なら行きたいとも思わない月明かりに照らされているこの庭も、今の俺には心地よい場所に思えた。
らしくもない。自分で自分のことをそう思ってしまう。というより些細なことは気にしないタイプだとは思っていたんだけど、思った以上に夢とやらは心身に堪えるものらしい。
……何も物事を考えないようになってから数分がたつ、特に何かが変わったわけでもなく心境に変化があったわけじゃない。
ここに来たのもただの気分転換、特にこれ以上いたところで何かが変わる兆しもない。兆しもないのなら庭に滞在する理由もない。
「戻るか……」
身体を起こしてその場に立ち上がる。ズボンについた土埃を払い、館に戻ろうかという時になぜか体が止まった。――――音が聞こえたからだ、それもすぐ近くで。もちろんただの音ではなく何かが擦れ合うような音。具体的にどんな音かと聞かれたら迷わずこう答える。……刀を納刀状態から引き抜くときによく似た音だと。
気がついた時にはもう身体は自然に反応していた。自身の聞き違いかもしれないという疑問はなく、一直線にその場から飛び退く。ギンッという何かと何かがぶつかりあう音、その音が先ほどまで立っていた場所からはっきりと聞き取れた。
身を翻しながら一目散に衝撃音のあった場所に向きなおる。思った通り地面には刀が叩きつけられていた。そしてその刀を持っていた者とは……
「………」
「白い衣装……だと?」
白い衣装とは言いつつも全身が完全に真っ白に包まれているわけではない。黒い衣装で全身を包んだ上からさらに白い布を羽織っている。そして顔半分を覆い尽くすマスクのようなものと頭を覆うフードにはこちらをまるで威圧するかのような目の紋章が刻まれていた。その場にいる全員が全員同じ服装をしている。
先ほどまでの雰囲気とは打って変わり、あたりには殺気が立ち込める。相手は四人、その四人がそれぞれ平等にこちらに向けて明確な殺意を向けていた。
相手を牽制しながら視線を泳がせると全員武器らしきものを持っている。一方でこちらは丸腰、正直相手のレベルもわからない以上、圧倒的不利な状況に置かれているのは間違いない。前後を挟まれる形に追い込まれると正直厳しくなるのは必至、視線を切らさぬようにじっと四人の動向を観察する。
「……殺す」
「!!」
一人が放ったその言葉が、戦闘開始の合図となった。
四人のうち、二人がこちらに向けて突っ込んでくる。残った二人が行動を起こす前にこの二人を片づけなければならない、それを念頭に置きながら再び視線を目の前の二人に戻した。するとすでに一人が刀を真上に振り上げていた。
その斬撃が当たらないように後ろへ飛び、次に来るであろう攻撃に向けて備える。予想通り、空を切った刃は地面に突き刺さる。しかし二人いるといったところが何とも厄介なところだ。
一振りをかわしても、すぐに次の可能性を模索して備えなければならない。かわして終わりではなく、次の攻撃は必ず来るのだから。そうそう呑気に構えている場合ではないが、少しこの二人の動きを観察して分かったこともある。
――――見た目こそ不気味な様相をしているものの、実力自体は大したことはない。
実際に同じ斬撃でもうちの武将たちと比べるとその差は雲泥、一振りの鋭さもそれには到底及んではいなかった。だから一瞬の隙さえ見いだせれば、こちらにも十分な勝機はあると確信を持つことができた。
「時雨は諸悪の根源! 正義の鉄槌を受けよ!」
「生憎だが、神様ってのには嫌われているんでね。……受けるわけにはいかないな」
「ふん、武器一つ持っていない今のお前に何が出来る? 武器を持たない人間など恐れるに足らず!」
「……また、ずいぶんと舐められたものだな」
「口ならどうとでもいえる。大人しく正義の鉄槌を喰らえ!」
油断してくれているのもこちらにとっては好都合、先ほどまでは様子をうかがっていた待機中の二人も臨戦態勢を解き、仁王立ちをしながら戦況を見つめている。
正直今の二人で十分に仕留めることができると思ったんだろう。そもそもな話、はじめから四人がかりで向かってこない時点で、俺のことを相当舐め腐っていたとしか思えない。
それこそ呂布やら趙雲クラスの武将が束になって向かってきたらひとたまりもない、ただ俺からしてみれば目の前にいる二人は素人に毛が生えた程度の実力しかもっていない。
それを武器を持っていないからこちらが圧倒的に有利だと考えるのはどうなのか、という話にもなる。
……もう先ほどの夢のことなどはとうに忘れた。それを忘れさせてくれたこいつらにはお礼をしなければならない。いちいち斬撃をかわしているのにも飽きてきた。一旦後ろへ飛び退き、相手との距離をとる。
「……」
「観念したか! ならば受けるがいい!!」
動きを止めたことに対して戦意を喪失したとでも考えたのか、二人のうち一人が単騎で突っ込んでくる。
「いや……」
「死ねえええええ!!!」
「……死ぬのはお前の方だ」
刀を振り上げると同時に相手の懐へと飛び込んだ。0から100の爆発的な瞬発力で飛び込んだために相手も全く予想をしていなかったことだろう。ただ所詮は飛び込んだだけ、まだ自分が優位に立っているとでも考えているのか、顔には微笑みすら感じることが出来る。
ゴキンッ!
この音が鳴り響くまでは、その頬笑みは続いていたことだろう。何かが力任せにへし折られる音が辺りに響き渡る。微笑んでいる顔に手をかけ、力任せに相手の顔を180度回転させた。
起きたのは本当に一瞬だったため、顔は微笑んだままだ。ただもう感情が変わることは二度とない。焦点の合わない視点はずっと定まったまま、変わることはない。弁慶の立ち往生のようにそれは立ち尽くしたまま息絶えていた。苦しみも何も分らないほどに終わらせたために、死んだ相手もまだ頭の中では俺と闘っているのかもしれない。
身体の力が抜け、足から地面に崩れ落ちていく。完全に動かなくなったことを確認し、息絶えた死体から刀を取る。そして残っている敵に向けてその刀を構えなおした。何をされたのか全く理解できずに残された三人は茫然と立ち尽くすだけ。まるで人のことを化け物でも見るかの様な目つきで見ている。
「……一つだけ教えてやる。確かに一人を仕留めるには数で押すのは得策だろう。
だが、貴様らは本質を見誤ったな。俺が丸腰だからって油断するべきじゃなかった。
何も持っていないから何も出来ないと思ったら大間違いだ……身体さえ動けば、何でもできる。……よく覚えておけ」
「く……だがこちらはまだ三人いる!」
「……だからどうした? 数にものを言わせるならさっさとかかってくればいい。鉄槌を下すんじゃなかったのか?」
「貴様……諸悪の根源の分際で……」
「だから来いと言っているだろう? さっきからお前らは口先だけだろう? 丸腰相手に何を恐れる必要があるんだろうな?」
あからさまに相手には戸惑いがあった。はじめのうちはたかだか人一人仕留めるくらい数人いれば何とかなるだろうとでも思っていたんだろう。ただ蓋を開けてみればご覧の体たらく、たった一人を潰すのに苦戦し、挙句の果てには一人を亡き者にされる始末……相手に動揺がないはずはなかった。
「く……この!!」
「それでいい……だが」
一対一のタイマンでは勝てないことを悟ったのか、今度は三人同時に向かってきた。ある者は正面から、ある者は後ろに回りこんだり、そしてある者は横から攻撃を仕掛けてくる。ただ、そんなことですぐに動揺するほど俺もやわじゃない。
相手との距離感を推測し、足全体に力を込めながら地面を蹴り、一直線に前方の敵へ向かっていく。納刀状態の刀ではないものの、居合抜きの要領で相手に向かって一閃。普段自分が使っているものと感触が違ったものの、肉を切り裂いた確かな感触が手にはあった。
そして振り向きざまに後ろから突撃してくる敵に一閃、多くの返り血が顔を赤く染めていく。と同時に横から迫りくる刃を体勢を屈めながらかわす。
ちょうど斬撃をかわした時に目が合った。顔半分が覆われているために詳しい表情を見ることは出来なかったものの、少なくとも迫りくる死に対する恐怖に満ちた顔ではなかったのは確かだった。例えて言うのなら、これで終わりだと思うなよと言わんばかりの狂気に満ちた顔。そして……
「忘れるな……すでに崩壊は始まっている」
「!!」
言葉を言い終えるとほぼ同時に、俺は相手の首を切り飛ばした。身体と離れ離れになった首は切り飛ばされた反動で空高く舞い上がり、そして十数メートル先の地面に落ちた。
刀をその場に投げ捨て、俺はその顔が転がり落ちた場所へと駆け寄る。地面に落ちた衝撃で顔を覆っていたマスクは取れ、そこには不気味なまでの笑みを浮かべた人間だったものの顔が転がっている。
……間違いなく死んでいる。死んでいるのにその目は俺の方を見ている気がしてならなかった。気分が悪い、今までごまんとこういうものは見てきたが、今回ほど気分が悪いものはない。まだこれで終わりではない、そう問いかけているような笑みがたまらなく不愉快だ。
『すでに崩壊は始まっている』
一体こいつらの正体が何者で、何を目的にしているのかは分らない。ただ少なくとも、この言葉を流すわけにはいかないというのも事実だ。崩壊が始まっている、一体何が崩壊しているというのか……
ふと、この世界に俺が来た時のことを思い出す。なぜここに来たのか、どうしてこんなことが起こったのか、これに関しては全くの手がかりはつかめていないのが現状。
ただ誰かに聞いたところで返ってくる言葉は知れてる。この世界にきたという摩訶不思議な現状を味わっているのは二人、俺と北郷一刀だ。手がかりが無いのだから話がまとまらないのも事実。
誰か、何かしらを知る人間がいればもしかしたら変わるかもしれないが、今はこれが精一杯だ。今回のことはひとまず忘れよう。
「さて……」
今何とかすべきなのはこの有様だろう。あたりには先ほどの戦いで敗れたものの死体が転がっているわけだ。当然このままにしておけば俺が問い詰められることは間違いない。どういう形であれ、これを何とか処分しなければならない。とりあえず人目につかない場所に埋めようと後ろを振り返る。
「……どうなってんだ、一体」
――――悪い夢の続きなら早く目覚めてくれと思うのが本望だ。
先ほどまで転がっていた死体は跡形もなく消え去っていた。死体はおろか血溜まりはおろか、使われていた武器類まで消えて無くなっている。
条件反射的に顔に手を添えるが、やはりあるはずの返り血の痕跡まで消えている。あたりを一面見回しても、先ほどまでの戦いの痕跡は何も残っていなかった。
……まるで先ほどまでの戦いはなかったとでも言わんばかりに。何もかもが消されていた。
「……」
疑問を投げかけても、答えなんて返ってくるわけはない。
定期的な悪夢、白装束、そして世界の崩壊。一体これからどうなっていくのか全く想像がつかず、朝を迎えるまでただ立ち尽くすことしか出来なかった。




