二人の距離
――――雪蓮 side――――
「…………」
嫌な夢を見た。自我を保てなくなるような到底信じたくない………そんな夢を。
自分にとって大切な人がいなくなる。それがどれだけ精神的な苦痛を与えられるか、正直想像したくなんかない。
―――母様が亡くなった時、私は強烈なまでの虚無感に襲われていた。いつも戦場では先陣を切り、天下無敵とも言われていた母様が死んだということが信じられなかった。
母様が死んで皆が阿鼻叫喚に包まれる中、私は泣かなかった。実の母が亡くなったというのに涙の一つも流れなかった。
死んだことが信じられなかったから、死んだと思うことで私の中で何かがなくなってしまいそうで………
人の死っていうのは気持ちがいいものじゃない。例えそれが人を捨てた賊だったとしても目の前で死なれれば気分はよくない。
――――忘れよう、あくまで夢だ。気にする必要なんてない。
………朝から気分が悪い。時間がたてばこの気分も和らぐんだろうけど、今は何かをしようとする気は起きない。
「………何なのかしらね」
ため息しか出てこない。むしろ喋ろうとしただけ、まだ気分が良くなってきたととらえても良いのか。
「………あっ」
落ちた気分が戻った後は無性に行動したくなる。布団から起き上がり、鏡の前で身支度を整える。
顔よし、髪よし、身なりよし。一通り確認する。
特に目に隈が出来ているわけでもなく、特に身体的な問題があるわけでもない。
うん、大丈夫。
「さて、こうしちゃいられないわね」
足軽に部屋を飛び出す。思い付いたら即実行、立ち止まっている時間が惜しい。
向かった先は倉庫、ここに確かいつも使っているやつがあるはず。どこにしまったのか………
………視線をふと別の場所へとうつす。壁に立て掛けてある目的のものを見つけた。後必要なものは……。
――――思考を巡らせながら必要なものを取り揃えていく。
「ふふ♪」
さっきまでの気分はどこへ行ったのか。もう思い出せない。それどころか今は楽しみの割合の方が大きい。
自然と笑みがもれてしまう。
彼のことを思うと何故か心が温かくなる。はじめはあくまで、孫家に天の血を入れるつもりで彼を引き入れた。
でもいつの間にか、私自身も彼に骨抜きにされてしまっていた。もちろん初めから興味がなかったわけではない。興味がないのなら体を許すなんてことは言わない。
だとしても、それ以上に彼の存在は私達の中で大きなものになっていた。彼抜きでは孫呉の独立なんて考えられないほどに。
「――――よし、準備完了! 後は起こしに行くだけね♪」
すべての用意は整った、後は彼を起こしに行くだけ。
まだ誰も起きていない時間だから、他の部屋の人間を起こさないように慎重に歩いていく。
――――無事に部屋へとたどり着き、部屋の中へと侵入する。
男性とは思えないくらい綺麗に整頓された部屋、机には終わった書類が綺麗につまれている。
夜まで書類整理をしていたと考えると頭がいたくなりそうだ。
「………」
寝屋の中には寝息をたてながらぐっすりと眠っている彼がいる。いたずらする気が失せるくらいに可愛らしい寝顔、正直ずるいと思う。
………さて、起こさないとね。
私は彼の肩に手を伸ばしていった。
―――― 雪蓮 side end――――
ーーーー…
「あ………か」
どこからか声が聞こえる。その声は途切れ途切れに聞こえてくるために認識することが出来ない。
俗に言う枕元に立たれるってやつだろうか。おお、怖い怖い。
「あ………すか………」
今度ははっきりとまで聞き取ることは出来ないが、確かに名前を呼ばれた。枕元に立たれるだけじゃなくて、ついには名前を呼ばれる。
………元の仕事や今やっていることを考えてみると恨む奴は何人もいる。だから一人一人の名前なんか認識していないし、全員の顔なんかもちろん覚えてなんかいない。
人物は断定できないが、声質からして多分女性か………
「ん……んんっ………」
「おき………さ………い」
この幽霊どこまでしつこいのか、挙げ句の果てには起きろとまで言い出した。
………あれ? なんかおかしくないかこれ。
冷静になって考えてみると体がユサユサと揺らされている。つまりは触られているってこと………
幽霊でも人間が触られているって思うときがあるらしいし、一概には何とも言えないけど………
俺をさわっているのってもしかして実体?
「…………」
「もう! いつまで寝てるのよ。どーん!」
「…………!?」
不意に体に重みがかかる。その重みが俺の寝ぼけている意識を覚醒させるには十分なもので………
目を開けた先には、孫策の顔がどアップで迫っていた。
とりあえず冷静になろう。
「あはっ♪ 起きた起きた。おはよう飛鳥」
「おはよう………」
俺に満面の笑みを見せてくれる孫策、朝イチに美少女の顔を見れるのは嬉しいけど………如何せん距離が近い。
別に嫌なわけではない。ただ俺の返しが気に入らなかったのか、孫策はムッとして俺に訴えてくる。
「なぁにそのつまらないって反応。そんなに変な顔してるかしら?」
「いや、そういう訳じゃない。とても綺麗だと思うぞ」
「あらありがと。飛鳥の寝顔も可愛かったわよ?」
「………悪趣味だな」
やっぱり見られていたか………孫策のことだし別に俺もそこまで気にするほどのことではない。
………さっきまで散々枕元に立たれたとか、今まで手にかけてきた人間の怨みだとか言ってたことは忘れよう。
人間誰にでもミスはある。完璧な人間などいやしない。つまり俺も生きていく上で起こりうる失敗をするってこと。これはそのうちの一つ。
オッケー?
「悪趣味じゃないわ。たまたまよ、たまたま」
「………まぁそんなことは良い。どうしたんだこんな時間に?」
「これから出掛けようと思って♪」
「これから………?」
具体的な時間は分からないけど………こんな時間から?
「ほら、早く起きて!」
「分かった分かった………着替えるから外で待っててくれ」
布団から強引に立たされる。というより用件は何だろうか。出掛けるにしてもどこに行くかぐらい言ってくれても良いと思うんだけど………
「………いつまでそこにいる? 気になって着替えられないんだが」
「あら? いいじゃない。私は別に気にしないわよ?」
「お前は気にしなくても、俺は気にするんだよ」
孫策の後ろに回り、背中を押しながら入り口の方まで連れていく。
本人はここで俺の着替えを眺める気満々だったわけだから、当然抗議し始める。
「やん! 何するのよー。飛鳥のケチー!」
「はいはい。後でいくらでも話を聞いてやるから」
「ぶー! ぶー!」
「拗ねてもダメ。ちょっと外で待ってな」
「もう、早くしてよねー?」
ブーたれながらも渋々といった感じで外に出ていく。本人はがっかりだろうけど、俺からすれば着替えているところを見られることが恥ずかしい。
その二つを天秤にかけたら俺がどっちを選択するかなんて分かるだろう。
………ただあまりにも着替えに時間をかけると孫策が入ってくるだろうし、そうなる前にさっさと着替えないとな。
布団の隣の机においてある制服を手に取る。ちなみに俺の寝るときの服装は普段着とは別にある。
というより、最近作ってもらった。さすがに丸一日同じ服を着てる訳にもいかないし。
後は職人に頼んで俺のフランチェスカの制服を作ってもらっているみたいだけど、かなり難航しているみたいだ。
フランチェスカの制服素材はポリエステル。この時代にそんな素材はない。当然って言えば当然か。
そうこうしているうちに身支度を整え終わった。さて、ちょっとワガママな姫様を迎えにいくとしますかね。
――――扉の向かい側の手すりに腰掛けながら孫策は待っていた。
「お待たせ」
「それじゃ早速行きましょうか♪」
「結局どこに行くんだ? まだ朝飯も食べてないし………」
「ならちょうど良いじゃない♪ 今日は川で魚釣って食べよう!」
「魚?」
釣りっていったってどこにそんな道具が……と言おうとしたら、孫策の手に竹で作られたような竿が二本握られていた。
準備は万端ってことか。
その他にも何か色々持っているけどそこはまぁ良いや。
「たまには良いかもしれないな」
「でしょ? さっ、早くいこう!」
「うい」
俺の手を掴みながら、まるで子供のように駆け出す孫策。されるがまま………いや、どこか期待じみた考えで俺は彼女についていく。
孫策がこういう表情を見せるのは珍しいことではない。
………っていう認識をしているのは孫策を取り巻いている人達だけで、一般兵たちは凛々しく勇ましい姿しか知らないっていのは最近知った。
だから嬉しくもある。孫策にとって俺は気を許せる人物になったということだから。
隊員からたまに冷やかされることもある。意中の女性は居ないのですかと。
正直答えられない。皆が皆大切で、俺が一人を選ぶなんてことは出来なかった。
………散々一刀のことをからかったけど、これじゃ俺も人のことは言えないな。
まぁそれは良いとして………
「急に魚釣りに行こうなんて珍しいな………何かあったのか?」
「え?」
「あ、いや。答えたくないなら良いんだ」
誘った理由も朝起きたら偶々思い付いたからだと思うし。ただ朝早くに来たのが引っ掛かっただけなんだが………
何故か孫策の言葉が詰まっていた。
「………孫策?」
「………え? あぁ、たまたまよ。最近飛鳥、他の子に構ってばかりだし。たまには私のことも相手にしてほしいじゃない?」
「………だから朝早くを狙ったと?」
「ええ♪ 後、魚釣りは朝が一番釣れるじゃない?」
「確かにそうだな」
言われてみればそうかもしれない。孫策のことを構わなくなったとは思わないけど、それ以上に俺の回りには女性が増えた気がする。
孫策は思い付いたら即実行するタイプだし、こういうことを予測できなかった訳ではない。むしろ今までで朝早くに来なかったから疑問に思ったけど………
――――どうやら、すべて俺の杞憂みたいだな。
「………悪くないな、早朝の森林も」
「そうね♪ はぁー気持ち良い」
天気もよく、朝特有の爽やかな空気が体に癒しを与えてくれた。その心地よさに思わず本来の目的を忘れそうになる。
「釣りには結構行くんだっけか?」
「昔は冥琳とよく行ってたわ。冥琳ってば釣りが上手でね?」
「ふーん。で、お前はエサをつけてもらってたとか?」
「あら、よく分かったわね?」
「………毎日見てるからな」
言われなくても分かる。明らかに細かい作業とか苦手そうだし。魚のエサをつけることが面倒な作業とは言わないけど、何か孫策がやらなさそうな作業だってのは分かる。
「早速始めましょうか」
「そうだな………って何だこの竿は?」
俺に手渡されたのは一本ではなく、二本だった。持ってきた竿は二本しか無いし、二本とも渡したってことはつまりはそういうこと。
孫策は相変わらず、甘えるような上目遣いで『エサをつけて?』と言わんばかりに訴えてくる。
困るとすぐこれだ。
でもそんなお願いを聞いてしまうあたり、俺も彼女には勝てないのかなぁと思ってしまう。
周瑜の気持ちが本当に良く分かる。
「わーったよ。付ければいいんだろ付ければ」
「ありがと。飛鳥ってば優しいわね♪」
「ったく。釣りに行くって誘ったのはお前だろう………」
「私は釣る専門。エサはいつも冥琳がつけてくれてたもの」
「…………」
案の定と言うか、まぁ予想通りの答えが返って来てくれたわけだが。何だかんだ俺も周瑜も孫策を甘やかし続けて行くんだろう。
孫策から受け取った竿の針先にエサをつける。つけ終えると今度は自分の竿にエサをつける。
両方終わった後、その片方を孫策に渡す。嬉しそうに受けとる孫策。それを見届けると二人ほぼ同時に糸を水の中に垂らした。
――――さっきも言ったけど、本当に朝の川岸っていうのは心地よい。
森林と川の独特の香りと、鳥の鳴き声と流れる水の音、そのすべてが混ざりあって俺の中へと入り込んできた。
人間は疲れを取るなら睡眠が一番良いと言われるけど、精神的な疲れを取るなら自然の中にいるのが一番良いと思う。
先ほど垂らしたばかりの二つの浮きが左右に揺れる。魚が釣れているわけじゃないけど、この場にいるだけでリラックスすることが出来た。
そのまま針先を見つめて数分。未だに二人のエサに当たりはない。
当然、釣りには長時間その場にいるっていう根気が必要になってくる。特にこの時代の釣針には返しがついていないために、かかったらすぐに引き上げなければ魚は逃げてしまう。
だから片時も浮きから目をはなさずに観察している必要があるんだけど………
世の中、全員が全員我慢強い人間ではない。
特に数分も落ち着いていられないっていうのは実際よくある。
つまり言いたいことは、隣にいる孫策の落ち着きが無くなってきているってこと。
「――――もう結構待ってるんだけどなぁ~」
「まだ数分しか経ってないぞ? 魚なんてそんなに早く釣れるもんじゃないだろ」
「うーん………」
――――更に数分後
「もう釣れても良いんじゃないの?」
「いや、だからまだ早いって」
「むぅ~………」
一つのことを長く続けていられないのか、徐々に眉間にシワがよっていく。
垂らして釣り上げてまた垂らすっていう単純作業の繰り返しの上に、魚が引っ掛からないという悪循環。
政務などでも集中力が長く続かない孫策にとってはかなり苦痛………いや、苦痛まではいかなくても落ち着かないんだと思う。
………俺?
俺は釣り自体がこういうものだっていう割り切りが出来ているから、特に何とも思わない。
というかぶっちゃけてしまえば、孫策が落ち着かなさすぎってこと。
――――更に数分後
「ん……かかったな」
垂らしていた浮きが沈み魚が食いついたことが分かる。手首だけで針を魚にうまく引っかけてそのまま釣り上げる。
引き上げると予想通り、魚が一匹食いついていた。大きさもそんなに悪くない。
ようやく一匹目が釣れた。
…………のだが、釣れたのが俺で孫策は面白くないのか、仏頂面のまま俺を見つめる。
「むぅ………」
うん、俺は何も見てないし、何もやってない。
だから俺は別に何も悪くないぞ。
あからさまに不機嫌になっていく孫策を俺はただ苦笑いで誤魔化すしかなかった。
――――しつこいようだが、更に数分後
「またかかったな………」
これで二匹目。入れ食い状態には程遠いが、ひとまずこれで二人分の最低限の魚は手に入れた。
とはいえ、これだけじゃまだ物足りない。もっと数が欲しいところだ。
再びエサをつけ直し、もう一度水に落とそうとした時だった。
「あー! もう! つまんない!」
ついに我慢が出来なくなったのか、持っていた釣竿を俺の方に投げつけてくる。
近いうちにこうなることは何となく予想が出来たため、俺はその釣竿を素手で受け止めた。
「ねぇ! 何で釣れないの!?」
「いや、俺に言われても………」
そういうことは川にいる魚に言ってくれってところか。
そもそも俺がいるから魚が釣れないってのは無いし、釣り針のエサに寄ってくるのは魚が決めること。
だから俺は何も悪くない。てか、ただ釣り針落として引っ掛かったら引き上げているだけだし。
むしろ釣りをはじめてから一時間どころか、三十分も経っていない。………いくらなんでも飽きるのが早すぎやしないかい孫策さん。
「あーすーかー、お腹空いた~」
「ったく………こういう時ばっかり甘えるのな」
じっとしていれない孫策にとって魚が全く釣れない魚釣りなど苦痛にしかならない。
挙げ句の果てには俺に釣竿を押し付けて来るという始末。そして自分の分まで釣ってくれと………
………釣りに行こうって言い始めたのって孫策じゃなかったっけか。
「………っておい、どこにいく!」
「飽きちゃったから、私は少し散歩に行ってくるわ」
「…………魚釣りは?」
「私の分までよろしくね~!」
声をかけたときには時すでに遅し、孫策は森の中へと消えていた。
川に一人ポツンと残される。どういうボッチプレイだこれ。誘った本人が飽きたって理由で居なくなるって………
――――俺は振られた彼氏か。
とはいうものの。このまま俺まで映画とかみたいに追うわけにはいかない。魚釣れていなかったら孫策はますます拗ねるだろうし。
やれやれだ。追ったところでどこにいったのか分からないし、無駄足になるだけだろう。
…………仕方ない。俺は俺で続けるか。
「よっと……」
先ほどの岩場に腰を下ろし、再び釣りを再開する。
さて、どれだけ釣れることやら。
――――…
「………これで八匹目」
あれから十数分。
思った以上に食い付きが良く、着実に数を増やしていた。数的にはもう十分足りる量だ。
後は孫策が戻ってくるのを待つだけだが、その肝心の孫策がまだ戻ってきていない。このまま休憩しても良いけど、まだ自分に出来ることはある。
せめて魚を焼くための薪や枯れ葉は集めておこう。帰ってきてから集めるのも時間の無駄だし。
周りに落ちている枯れ葉や木々を拾い集めて一ヶ所にまとめる。
落ちたばかりで水分を多く含んでいる葉ではなく、かなり前に落ちてる枯れ葉を中心に集めていく。
こっちの方が火がつきやすく、燃え広がりやすいから。………もちろん一歩間違えば大惨事だけど。
………まぁとりあえずは、だ。
――――必要最低限の燃えるものを集めて下地を作ったは良いものの、肝心なものを忘れていた。
何故もっと早く気が付かなかったのかと若干後悔している。
…………下地があっても火がなければ何も出来ませんよって話だ。
どーすれば良いのか検討も付かない。当然火打ち石も持ってきていないから、今発火手段は無い。
あるとするなら木と木を擦りあわせて、その火種を燃えやすいものにくるんで発火させるって方法もある。
けど、擦りあわせている間に手が離れるだろうしやってみると難しいらしい。
つまりやったことはないけど、どうもやる気にはなれないってこと。
結局火がつかなかったら同じことだし。
「………こうやって手を擦りあわせて火が発生したら楽なんだけどな」
自分の親指と人差し指を擦りあわせてみる………けどそんなことが出来るわけはなく、ただ指同士を擦りあう音が鳴るだけ。
面と向かってそんなことしてて恥ずかしくないのといわれたら、即答できるレベル。
いくらなんでも手を擦りあわせて火が発生するってどんなアニメの世界だよ………
とりあえずこのあたりでボケるのはやめよう。やっててむなしくなる。
「やっぱりこれしか無いのか………」
木と木を擦りあわせて……ってやつをやるしか無さそうだ。
重たい腰をあげ、もう一度木を探そうとした時だった。
「いてっ!」
後ろに固い何か、それも複数のものがドカドカと降ってきた。
あまりの不意打ちだったために、回避が遅れて全ての衝撃を受けるはめに。
下敷きになることはなかったけど、固いものか当たったら痛い。頭を押さえながら落ちてきた方を見る。
「おー! 釣れてる釣れてる! やるじゃない飛鳥♪」
「………孫策?」
ベッタリと俺にくっつきながらニコニコと笑う。散歩から帰ってきたみたいだ。………ふと、自分にぶつけられたものが俺の視界に入る。
これって………
「果物か?」
「そ♪ 散歩がてらにね」
無駄に散歩に行っていた訳ではないらしい。俺の回りには散歩途中に集められたであろう多くの果物が転がっていた。
果物散策に行くのならそう行ってくれればと思いつつ、俺は再び立ち上がろうとする。
「どうしたの?」
「火が無くてな。どうやって起こそうかと……」
「火? それなら私に任せなさい♪」
「え?」
孫策はそう言うと近くにある植物から火種を集めていく。そして火種をを集めたのかそれを片手に持ち、利き腕で南海覇王を引き抜いた。
………南海覇王?
おい、一体何をやろうと………
「見てなさい」
その抜いた南海覇王を二度三度、石にぶつける。
石と刀がぶつかり合う甲高い音。その接触部分に火花が発生する。孫策はその火花の発生部分に火種を近付け、うまく火種に引火させた。
パチパチと勢い良く燃え広がる火種を、焚き火の上に置いた。
「凄いな」
「でしょ? 昔から火を起こすのは得意なの」
自分の武器………というか家宝を石にぶつけるのはどうかと思うけど、火を起こす手際のよさは見事としか言いようがなかった。
焚き火に燃え移り、火はどんどん燃え広がっていく。
ここまで燃え広がれば当分火が消えることはないだろう。
焚き火の回りに一丁前に串をさした魚を並べる。そして孫策が持ってきた米と水が入った竹筒も並べて行く。
綺麗に全部ならび終えたところで、後は待つだけとなった。
――――…
「火を起こすのがここまで大変だとはな」
「私は割と火を起こすのは得意よ?」
「しれっと自慢されている気がするけど………こっちはこんな火の起こし方はしなかったんだよ」
「あら、じゃあどうやって起こしていたの?」
「ライターとかマッチとかだな」
「らいたぁ? まっち?」
「ああ。ライターは箱みたいな形をしてて………」
使い方を身ぶり手振りで伝えていくけど、これが伝わっているのかどうか。当たり前のことになっているために、その当たり前のことを説明するのが難しい。
例えば携帯電話とかも全く知らない人にこと細かく教えるのは大変。
多分通話とか言っても『何それ?』くらいの反応しか戻ってこないような気がする。
いや、実際返ってこないんだろうけど。
つまりはライターとは燃料が入っていてそれを吸い上げて、小さな火打ち石ででた火花を着火させるという説明くらいしか出来ない。
アルコールも分からないだろうし。てかアルコールはいつも飲んでるんだけどな、孫策も皆も。
ひとまず説明が終わる。どうだろうか、どこまで伝わったのか心配だ。
「へぇ~! ねぇねぇ、それって作れないかな?」
「作れなくはない。ただ完全な再現はやっぱり無理だな」
「むー。飛鳥の世界のものって、あんまり役立たないものばかりね」
「そこは仕方ないさ。ものがこっちには無いし」
「………何とかならないのかしら?」
「ふーむ………」
今度頼んでみようか………
正直不安材料しかないが多分それっぽいものは出来るハズ。
出来たとしても本当にそれっぽいものだけど。
喜んでくれたらくれたで実物を知っている者としてはちょっと……というものがある。
失敗するリスクのほうが高いしな。
「考えてみるか」
「やった♪」
「………さて、そろそろ魚も良いんじゃないか?」
「そうね、食べましょう」
やるだけやってみよう。それで孫策や皆の笑顔が見れるなら、それはそれで悪くない。
「………いただきます」
焼き上がった魚を手に取り、それを口に持っていく。普段の生活ではほとんどなかった取れたての魚をその場で調理するということ。
その魚を一口噛み締める。生臭さというものはほとんどなく、中からは肉汁が溢れてくる。
間違いなくうまい。
今まで何回も食べてきた魚だが、やはり取れたての鮮度は別格。現世で食べていた魚とは比べるまでもない。
…………何かグルメリポーターみたいだなこれ。
「………本当にうまい」
「でしょ? でも、飛鳥の居たところってもっと美味しいものがあったんじゃないの?」
「………まぁな。でもこんな感じて取れたてを食べることなんてあんまり無いよ。大体俺らが食べていたのは加工品だったし」
「へぇ~」
「天の国にも悪い面っていうのがあるんだよ。必ずしも皆が皆住みやすいって訳じゃない」
実際地球の全部が住みやすい環境ではないし、日本でも住みにくいってところはある。
大戦に敗れてから平和国になったけど、結局表面上だけだ。裏を見られ汚い所は無くしきれないほど存在する。
むしろ汚さで言うならこっちよりも上だ。
だから一概に住みやすいとは言えないし言いたくない。
「はい飛鳥、これご飯ね」
「ん……ありがと」
孫策から炊き上がったご飯を渡される。朝御飯としては上々すぎるほど豪華だ。
ご飯と焼き魚。何てこと無いどこにでもありそうな朝食。
ここに味噌汁が付いたら本当に完璧だと思う。
でもこの朝食は高級料理なんかよりも全然豪華に見えた。
………程無くして朝食が終わり、孫策が取ってきた果物を食べていた。
食後のゆったりとしたこの時間が堪らなく心地良い。別に騒がしいのが嫌いってわけじゃない、たまにはうるさいことがあってもそれはそれでいい。
「でもこうやって朝食を食べるのって、久しぶりだなぁ」
「そうなのか? 割と定期的にやってそうだけど」
「ううん、ここ数年はやってないわ。国のことも忙しかったしね」
「………いつもは周瑜とか?」
「ええ。小さい頃から冥琳が魚釣り担当で、私が果物担当」
孫策はしみじみと昔のことを語り始める。それこそ俺なんかが知らないのは当たり前で、母親だった孫堅や黄蓋さえも知らない思い出を。
「ここは私と冥琳の思い出の場所でね。それこそ母様と喧嘩した時とかもここに来たわ。」
冥琳を巻き添えにしてね、とはにかみながら話す。ただやはり自分の母親の話だからか、その表情はどこか寂しそうだ。
「昔からやんちゃだったんだな」
「まぁね。冥琳も何だかんだ言っていつも一緒にいてくれたし」
「なるほどな。だから孫策はこんなに甘えん坊になったと」
「甘えてないもん」
「冗談だよ。拗ねるなって」
プクッと頬を膨らませる孫策を宥める。孫策も本気で拗ねてるわけじゃないだろうから、ある程度構うとすぐに機嫌を直してくれる。
良い意味で喜怒哀楽がはっきりしているから、親しみやすい。
現に仲間にはこれ以上無い親しみを見せてる。孫策にとって仲間は家族同然、そして自分の側近にいる人間には更なる愛情を。
…………孫策らしい。
だからこそ、俺は彼女にあまり血を浴びてほしくないっていう本心がある。立場上、どうしようもないことだけど。
「飛鳥も変わったよね」
「俺が?」
「うん。すごく明るくなったし、もっと優しくなった」
「俺って優しかったのか?」
「ええ。貴方に自覚がないっていうのが偽善じゃないって証拠よ?」
「???」
孫策の言ったことがどうにも理解できなかった。でも誉めてくれているってことで良いんだよな?
「でも………」
「でも?」
あれ、やっぱり何かあるのか? アメとムチじゃないけど、上げて落とすってパターンだったりするのか。
「ちょっと意地悪になったかな」
「………なんだそれ」
「何となく♪」
ものの見事に答えをはぐらかされてしまったわけだけども………まぁ、良いか。そこまで気にすることでもないし。
むしろ今気になるのは――――
「…………」
「飛鳥?」
「…………」
「ねぇ、どうしたの?」
「いや………」
こんな時にこの話は不粋。そんな思考が俺の言葉を止めた。
別段必要な話でもないからする必要すらない。
ただ………
「何でもない」
「………」
納得が行かない。そんな表情をされる。
別に大したことじゃない。何かが起こると決定したわけじゃない。
でも――――
"何か嫌な予感がする"
何の確証もないのにこんなことを安易に言うわけにはいかなかった。
「………抱え込まないでね?」
「え?」
肩に手を置かれる。怒っているという表情ではなく、むしろ慈愛に満ちた表情か。一体何が………
「今の飛鳥、凄く怖い顔してた」
「…………」
元から無愛想な顔だから仕方ない。そう言い返す気にはならないあたり、自分でも何となく今の表情が分かっているのだろう。
ただ何かの確証があるわけではない。
言うならば勘。
神掛かり的な的中率を誇っている訳でもない。
だからこそ孫策を不安にさせるようなことを言うわけにはいかなかった。
「ああ、本当に大丈夫だから」
「本当に?」
「おう」
頭を撫でてやる。顔を赤らめながらも、それ以上詮索してくることはなかった。
「子供扱いして………」
「子供じゃなくても頭を撫でたくなる時はあるよ」
「………もう」
――――言いたくないこと。
それは誰にでもある。いわゆる秘密と言われるものだ。
俺が知られたくないこと。そのうちの一つは知られてしまっている。
突発的に起こるあの症状。特に戦いや一定の感情が限界を振り切った時、それは起こる。
もう一つ、俺が元々は殺し屋だったということ。
そしてこの杞憂。
あの時も孫策や皆にかなりの迷惑をかけてしまった。だからもうこれ以上、皆に迷惑をかけるわけにはいかない。
皆は絶対に守ってみせる。
――――焚き火はすでに消えていた。
後はもう館に戻るだけ。
でもあともう少し、二人でゆっくりしててもバチは当たるまい。
"何か嫌な予感がする。"
孫策には大丈夫だと言っても、やはり俺の中でこの予感というものは振り切れそうにはなかった。




