↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かの道は遠し  作者: 藤原時照


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/5

第5話 呪(しゅ)

 駅前に来て、昨夜のことを警察に届け出ておくべきかもしれない、という考えが頭に浮かんだ。

 ひょっとしたら、自分以外にも、同じような被害を受けている人がいるかもしれない。

 自分は解放されたが、そうでない人がいたとしたら――

 駅に近づくにつれ、そんな思いが強くなった。

 しかし、彼には警察に対する苦手意識がある。

 必然的に、交番に近づくにつれ、足取りは重くなっていく。

 それでも、彼は義務感から交番に向かった。

 しかし、着いてみると、その交番には誰もいなかった。

 通常ならあるはずの不在時連絡先も表示されていない。

 これでは昨夜の事件について届け出ておくことはできない。

 本来なら、助けが得られないことに気落ちするところだろうが、彼は、その状態にほっとしていた。

 そもそも彼は警察には何も期待していない。

 ただ、義務感から交番を訪れただけなのだ。

 これで、少なくとも、建前上は義務を果たした。

 彼はそんな気持ちで交番をあとにした。

 

 彼はある種のご近所トラブルで警察に相談したことがある。

 最初は県警本部の電話相談窓口で相談し、その指示にしたがって所轄署に行った。

 県警本部の指示は、警察官にトラブルの相手宅に行ってもらえというもの。

 その問題は、所轄の警察官が調整してくれるはずだと。

 だが、所轄署では、警察の仕事に関する認識が県警本部とは大きくちがっていた。

 所轄署に行ってみれば、そんなことは警察の仕事ではないと拒絶された。

 県警本部の意向を示したうえで説得を続けた結果、まず確認するから、トラブルが起きている最中に110番通報しろ、ということになった。

 だが、警察の腐敗は、彼の想像を超えていた。

「こんなことで呼ぶんじゃねえ。こんなもん警察の仕事じゃねえんだよ」

 到着した巡査は、身分証明書さえ見せず、一方的に、十分以上に渡って大声で喚き散らした。

 ちょっとした彼なりの「教育」が正当化されそうなレベルで。


 こうした経緯で、彼は、警察に正義があるとは思わなくなっている。

 おまけに、始終報道される県警の不祥事が、彼の考えをさらに強くしていく。

 だから彼は交番が留守でほっとしたのだ。

 警察はどうせ何もしないのだ。


 しかし、ほっとした一方で、あの怪奇現象は収まる気配がない。

 怪奇現象――あの「かげり」である。

 家への道すがら、彼はあの「かげり」を何度も目にすることになった。

 そのうえ、何度も観察することで、その実態が、さらに観えるようになっていく。

 状況と色を合わせて考えるに、あれは人から漏れ出る呪詛の一種だろう。

 彼はそう考えるようになった。

 

 いまの彼には、それぞれの「かげり」に色がついて見えている。

 その色は、それぞれの状況から見るに、抱く劣情の種類によるものだろう。

 電車の動きに応じて隣の中年女の身体がもたれかかるたびに、脂ぎったサラリーマンから黒ずんだコーラルピンクが煙のように湧き出ている。

 吊革につかまる定年間近と思しきスーツ姿の男からは、ずっと赤黒い何かが放射されている。

 近寄りたくないと生理的嫌悪を覚える人たちは、ドブ色であったり、糞便の色であったり、印象と一致するような色を纏っている。

 こうした経緯で、彼は、見えているのは、呪詛あるいは呪力だと結論づけた。

 

 しかし、観察をつづけると、そうとも言い切れないケースが存在することに気づいた。

 稀に微かなきらめきを見かけることもあるのだ。

 サファイヤのような青。

 エメラルドのような緑。

 それら美しい色は、呪力ではありえない。

 目にした瞬間、彼はそう直感した。

 間違いなく、それは何か尊いものだ。

 もっとも、それらはすぐに消えてしまう。

 いま見えているものが、心から生ずる何かだとすれば、きれいな光はきれいな心と考えられる。

 しかし、それは極めて稀で、すぐ消えてしまうようだ。

 彼は最初の呪詛説を否定し、見えている現象は、根源的な何かだと考えはじめた。

 そして、かつて読んだ安倍晴明について描いた小説を思い出し、「呪(しゅ)」と呼ぶことにした。

 

 帰宅してすぐ、彼は呪(しゅ)の実験をはじめた。

 鏡を見ながら昔の嫌な思い出を呼び起こす。

 その状態で自分の周りに陰りが生じるのか見定めるのだ。

 だが、何も見えない。

 彼の中に疑問がわく。

 そもそも呪は鏡に映るものなのか?

 わからないことに苛立ちがつのる。

 自分にへんな術をかけてくれた誰かへの怒りが沸き上がる。

 すると、帰り道で感じた、原初の衝動が膨れ上がってきた。

 いま、鏡に映る自分から、鮮やかなルビー色をした何かが蒸気のように湧き出ている。

 電車の中では見なかった色だ。

 そう考えた途端、彼の中で膨れ上がっていた何かが霧散し、ルビー色の何かも見えなくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。