第20章 地下研究室の秘密
螺旋階段は、まるで終わりがないかのように下へ下へと続いていた。
レオンは魔法杖を掲げ、光で前方を照らした。届く範囲はせいぜい三メートル。石壁には古い符文が刻まれており、魔法の光を受けて淡く明滅している。まるで呼吸しているかのように。
空気が冷たくなっていく。湿気も増している。
そして——周囲の魔力濃度が、明らかに上昇していた。
おかしい。
普通の地下空間に、これほど濃密な魔力が集まるはずがない。
さらに五十段ほど降りたところで、ようやく平地が見えた。
通路の突き当たりに、青銅色の巨大な扉が立ちはだかっている。
取っ手はない。鍵穴もない。
あるのは、円形の窪みだけ。その中央には、セレストーム家の紋章が刻まれていた——荊棘に囲まれた六芒星。
レオンは扉に近づき、窪みを観察した。
大きさと形が、手の中の鍵に嵌まっている星導石と完全に一致している。
彼は鍵から青い宝石を外し、窪みに押し込んだ。
カチリ。
宝石が完璧に嵌まった瞬間、紋章が光り始めた。
魔力の波紋が中心から外へと広がり、扉に刻まれた紋様を辿って流れていく。やがて、完全な魔法陣が浮かび上がった。
ゴゴゴゴゴ……
重厚な青銅の扉が、左右にゆっくりと開いていく。
古く、そして強大な魔力の奔流が押し寄せてきた。
レオンは思わず一歩後退した。
扉の向こうには、巨大な地下空間が広がっていた。
足を踏み入れる。魔法杖の光が、この空間の中ではあまりにも小さく見えた。
レオンは杖を天井に向け、光弾を放った。
「ルクス・マキシマ!」
強烈な光が空中で炸裂し、部屋全体を照らし出す。
レオンは息を呑んだ。
——なんだ、これは。
円形の大広間。直径は少なくとも三十メートル。天井の高さは十メートルに達する。
そしてその天井には、完全な星図が描かれていた。
だが、母の書斎にあった星図とは違う。
ここの星図は立体だった。
一つ一つの星が魔法宝石で象嵌されており、今もなお微かな光を放っている。まるで本物の夜空を見上げているかのようだ。
大広間の中央には、巨大な魔法陣。
無数の精密な符文と幾何学模様で構成されており、レオンがこれまで見たどの魔法陣よりも複雑だった。
魔法陣の外周には十二本の石柱が立ち、それぞれの頂上には異なる色の水晶が載っている。十二星座に対応しているのだろう。
そして魔法陣の中心には——
透明な水晶球が浮遊していた。
人の頭ほどの大きさ。内部では銀色の光が渦を巻いている。
「これは……」
レオンは呆然と呟いた。
この部屋だけで、一体どれほどの価値がある?
もしこの場所の存在が外部に漏れたら——帝国中の魔法師が奪い合うだろう。いや、国家レベルの争奪戦になってもおかしくない。
母は、これほどのものを隠していたのか。
レオンは魔法陣を避けながら、大広間の周囲を歩いた。
壁一面に書架が並んでいる。古い魔法書、実験記録、分厚い論文の束。
さらに精密な錬金装置、魔法計測器、そして——標本。
ガラス容器の中に浸けられた魔法生物の器官。棚に陳列された結晶化した魔力結晶。壁一面に掛けられた、様々な魔法材料のサンプル。
レオンは足を止めた。
これは、ただの隠し部屋じゃない。
完全な魔法研究施設だ。
長机の前で立ち止まる。
机の上には羊皮紙が散乱している。魔法公式や実験データがびっしりと書き込まれていた。
彼は一枚を手に取り、魔法の光で照らした。
——母の筆跡だ。
優雅で整った文字。間違いない。
だが、内容を読み進めるうちに、レオンの表情が曇っていった。
『なぜ? なぜレオンの魔力は減少し続けるの?』
『魔法回路を検査した。損傷はない。帝国最高の治療師に相談した。誰も答えを出せなかった……』
『あらゆる方法を試した。治療魔法、回復薬剤、禁忌とされる血脈活性術まで……』
『全て無駄だった。彼の魔力は、まだ消え続けている……』
レオンの手が震え始めた。
ページをめくる。
記録は徐々に乱れていき、日付は母が亡くなった時期に近づいていく。
『私の体にも異変が起きている。魔力が衰退している……』
『おかしい。何か見落としているはず……』
最後のページ。
日付は、母が亡くなる二日前。
文字は既に歪み、弱々しくなっていた。
『全ての資料をここに移した』
『レオン、もしいつかこの場所を見つけたなら——』
『答えを探し続けて』
『ママはあなたに謝らなければならない……』
記録はそこで途切れていた。
最後の数文字の上で、インクが滲んでいる。
まるで、涙が落ちた痕のように。
レオンは羊皮紙を机に置いた。
目を閉じる。
深く、深く息を吸った。
七年間、自分は「出来損ない」だと思っていた。
才能がない。努力が足りない。セレストーム家の恥。
そう言われ続けてきた。
そう、自分でも信じていた。
だが——
母さんは、ずっと戦っていたんだ。
俺のために。答えを探すために。
最後まで、諦めなかった。
レオンは目を開けた。
その瞳に、新たな光が宿っていた。
なら、俺も諦めない。
母さんが見つけられなかった答えを、俺が見つける。
視線が大広間を巡った。
ふと、隅にある展示台が目に入った。
古い木箱が置かれている。縦横それぞれ三十センチほど。表面には銀色の符文が象嵌されており、微かな魔力を放っていた。
レオンは近づいた。
箱に鍵はない。だが、開けようとした瞬間、無形の力が彼を押し返した。
魔法封印。
彼は封印の紋様を観察した。
これは普通の魔法錠ではない。特定の条件を満たさなければ解除できないタイプだ。
——血脈認証。
迷いはなかった。
短剣で指を切り、一滴の血を錠前に垂らす。
ブゥン——
封印の符文が輝き、そして消えていく。
カチャリ。
箱の蓋が自動で開いた。
中には、銀色の円盤状の法器が収まっていた。
直径は約十センチ。表面には複雑な錬金陣が刻まれている。
レオンは慎重にそれを手に取った。
見た目より遥かに重い。そして、古い魔力の気配を纏っている。
円盤の中央には窪みがあった。大きさは——星導石がちょうど収まるほど。
レオンは胸元のペンダントに触れた。
数日前、このペンダントを詳しく調べたことがある。
内部に小さな空洞があり、液体のようなものが入っていた。銀青色で、光に当てると微かに輝く。
あの時、実験をした。
兎を一羽捕まえ、その液体を一滴垂らした。
結果——
兎は即死した。
あまりにも純粋で、あまりにも濃縮された魔力。生物の魔法回路が耐えられず、内臓が破裂したのだ。
だが、同じ液体を普通の薬草に垂らすと——
薬草は数時間で狂ったように成長し、通常なら数年かかる成熟度に達した。
しかも、微かな魔力を放ち始めた。
普通の草が、低級の魔力薬草に変化したのだ。
あの時、レオンは理解した。
この銀青色の液体は、ただの物質ではない。
何らかの形で高度に濃縮された魔力だ。
そして今、その源を見つけようとしている。
レオンはペンダントを外し、法器中央の窪みに嵌め込んだ。
カチリ。
完璧に合致した。
瞬間、法器が光を放ち始めた。
銀色の符文が一つずつ点灯し、円盤の表面に複雑な魔法陣の紋様が浮かび上がる。
ペンダント内部の銀青色の液体が、魔法陣の作用でゆっくりと流動し始めた。
やがて、円盤の上に透明な投影が現れた。
——数字だ。
『7.3』
レオンは眉をひそめた。
7.3?
何を意味している?
その時だった。
法器が激しく振動し始めた。
円盤から、半透明の人影が浮かび上がる。
痩せた老人だった。
色褪せた錬金術師のローブを纏い、髪も髭も雪のように白く、ほとんど地面に届きそうなほど長い。
そして、その目——
片方は濁った灰色。
もう片方は、不自然な金色に輝いていた。
「ヒッヒッヒ、小僧。ようやく見つけたか」
老人の声は、枯れ木のようにしわがれていた。
レオンは咄嗟に後退し、魔法杖を構えた。
「誰だ?!」
「ヒッヒッヒ、そう警戒するな」
老人はニヤニヤとレオンを見た。
「なかなか肝が据わっているな。それに——」
金色の瞳が、意味深に細められた。
「もう実験もしたようだな? あの可哀想な兎」
レオンの瞳孔が収縮した。
「なぜそれを——」
「この装置はワシが作ったからな」
老人は長い髭を撫でた。
「ペンダントに感知の糸を仕込んでおいた。誰かが魔力精華を抽出しようとすれば、ワシに伝わる仕組みだ」
「お前は誰だ」
レオンは驚愕を押し殺し、低い声で問うた。
「なぜこの法器の中にいる」
「ワシが誰かは、まあ後回しだ」
老人は笑った。
「それより、お前の顔を見れば分かる。もう大体察しているだろう?」
レオンは沈黙した。
数秒の間。
そして、低い声で言った。
「……あんたが作ったのか」
「この星導石のペンダントを」
「周囲の魔力を吸収して、濃縮する装置を仕込んだのも」
「——俺がこの七年間で失った魔力は、全部この中に集められていた」
「あの液体——魔力精華——は純度が高すぎて、生物は直接吸収できない」
「だが、魔力薬草の成長を促進することはできる」
老人の目に、感心の色が浮かんだ。
「賢いな。魂の強度が基準を満たしているだけでなく、頭も悪くない」
「なぜだ」
レオンの声に、抑えた怒りが滲んだ。
「なぜこんなことをした」
「なぜ?」
老人はカラカラと笑った。
「これはワシが発明した修練法だからだ!」
「いいか、普通の魔法師は、日常生活の中で魔力を少しずつ外に漏らしている。無駄に垂れ流しているんだ」
「だがワシの装置は、その漏れ出た魔力を全て回収し、精製し、濃縮する!」
「お前のペンダントの中にある銀青色の液体——それが七年分の蓄積だ!」
老人は指を一本立てた。
「あの数字、7.3というのは、7.3ミリリットルという意味だ。少なく見えるかもしれんが、純度が桁違いに高い!」
「生物が直接吸収できないのは、お前が発見した通りだ。だが魔力薬草の育成に使えば——」
「魔力精華で促進した薬草は、成長速度が速いだけでなく、品質も自然成長のものを遥かに超える!」
「その薬草で魔力回復薬剤を調合すれば、効果は普通の薬剤の数倍だ!」
レオンの顔が険しくなった。
「……つまり、俺を実験台にしたのか」
「ヒッヒッヒ、そう悪く言うな」
老人は手を振った。
「ワシは適切な器を必要としていただけだ。そしてお前は、十分に強い魂を持っていた」
「それに、お前を害したわけじゃないだろう?」
老人はニヤリと笑った。
「失った魔力は全部ペンダントの中にある。直接飲むことはできんが、薬草を育てて、その薬草で自分の実力を上げればいい」
「7.3ミリリットルの魔力精華があれば、莫大な価値の薬草を育てられるぞ?」
レオンは深く息を吸った。
強制的に自分を落ち着かせる。
七年。
七年の屈辱。七年の嘲笑。七年の絶望。
全ては、この老人の「実験」のせいだった。
だが——
認めたくないが、もしこの老人の言葉が本当なら。
ペンダントの中の魔力精華は、確かに逆転の鍵になり得る。
直接使えなくても、薬草を育てれば——
レオンの心臓が速く鳴った。
「……本当のことだと、どうやって証明する」
レオンは冷たい声で問うた。
「お前自身がもう証明しただろう?」
老人は笑った。
「あの促進した薬草、まだ部屋に置いてあるはずだ。錬金術師に鑑定させてみろ。その価値が分かる」
レオンは沈黙した。
確かに、あの薬草はまだ自室にある。
「……お前は何者だ」
「ワシか?」
老人はニヤリと笑った。
しわだらけの顔に、不気味な笑みが広がる。
「ワシは——」
老人は大げさに一礼した。
「——錬金術師だ」
レオンは眉をひそめた。
錬金術師。
ルーナ帝国の十一大魔法流派の中で、最も地位が低いとされる流派。
戦闘力がなく、金ばかりかかる、貴族の道楽——そう揶揄される分野だ。
レオンの落胆が、顔に出たのだろう。
老人の目が、スッと細くなった。
「ほう」
しわがれた声に、妙な圧が混じった。
「その顔。錬金術師を見下しているな?」
「いや、俺は——」
「隠さんでいい」
老人は手を振った。
「よくある反応だ。錬金系は弱い、錬金系は役立たず、錬金系は金持ちの暇潰し——」
金色の瞳が、不気味に輝いた。
「そう思っているんだろう?」
レオンは答えなかった。
だが、その沈黙が答えだった。
老人は数秒間、レオンを見つめていた。
そして——
「ヒッヒッヒ」
突然、カラカラと笑い出した。
「いいだろう、小僧」
「錬金術師とは何か、教えてやる」
老人の投影が、一歩前に踏み出した。
「——お前が想像もつかないような、な」
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