第97話 貴族の晩餐と、静かに揺れた波
港の喧騒から離れ、石畳の坂道を上っていく。
海からの風は少しひんやりとし、
夕日が水面をオレンジ色に染めていた。
「ここは、貴族街に近いエリアなんだ」
ルイに続いて歩いていると、周りの建物が少しずつ変わっていく。
さっきまでの活気ある市場とは違い――
白い壁と、赤い三角屋根の建物が整然と並ぶ。
窓には花の鉢植えが並び、緑の蔦が壁を優しく覆っている。
控えめな香草の匂いが、風に乗って漂ってきた。
「なんか……絵本とかアニメで見る“高級住宅街”って感じだな」
タケルがぽつりと言うと、アキラがすかさず突っ込む。
「“って感じ”じゃなくて、実際そうなんだよここは。
俺たち、服のレベル合ってなくない?」
サクラは少し頬を紅くしながら、辺りを見回す。
「でも……素敵。
ミラリアって、本当にいろんな景色があるんだね」
ルイが立ち止まった。
海を見渡せる高台に、古い洋館のような建物が一軒だけ建っている。
入口には、控えめな看板。
《海風亭》
その横に、小さく貴族紋章が刻まれていた。
「ここだよ。
南都で、僕が一番好きな店なんだ」
ルイがそう言って扉を押し開けると、
香草と焼きたてのパンの匂いがふわりとあふれ出した。
✦✦✦
店内は、思ったよりも静かだった。
天井は高く、木の梁が見えている。
壁には海と風を描いた絵がいくつもかかっていた。
窓際の席では、ドレス姿の夫人たちが談笑している。
店の奥には、仕立ての良さそうなスーツの男性がワインを傾けていた。
(うわ……マジで貴族の世界って感じだ……)
タケルが固まっていると、ルイが小さく笑う。
「大丈夫。今日は僕の招待客だから、胸を張って座っていいよ」
そのときだった。
奥の席から、ひとりの少女が立ち上がった。
黒に近い焦げ茶の髪を、肩で切りそろえている。
目は、静かな湖面みたいな色をしていた。
ドレスでも制服でもない、シンプルなワンピース姿。
なのに、彼女の周りだけ空気がすこし、違って見えた。
タケルたちの横を通り過ぎる瞬間――
(……ん?)
足もとで“空気が揺れた”気がした。
風でもない。
体が押される感じでもない。
ただ、彼女の一歩ごとに、床のあたりで
水面に指を入れたときみたいな“輪”が、すうっと広がっていく。
(今の……何の感じだ……?)
思わず振り返ろうとしたところで、ルイが小声でつぶやいた。
「……珍しいな。
南都で“波長調律”の人たちを見るなんて」
「波長……調律?」
タケルが聞き返すと、ルイは首を横に振る。
「気にしなくていいよ。
ミラモンの“心の波”を整える専門の人たちさ。
でも、まだ関係ない。今日は休む日だ」
少女は店を出て行き、扉の鈴が小さく鳴った。
(“心の波”を整える人……?)
タケルの胸に、小さな疑問の種だけが残った。
✦✦✦
「お待たせしました。レーヴェルト様、特別コースでよろしいでしょうか」
給仕がメニューを持ってくると、ルイは軽く頷いた。
「うん。僕はいつもの。
それから、彼らには“初めての人用”のやつをお願い」
「承りました」
しばらくして――
テーブルの上に、次々と料理が運ばれてきた。
香草とレモンで蒸した白身魚。
殻ごと焼かれた巨大なエビに、ほんのり甘いソース。
南国の果物を散らしたサラダ。
スープからは、海とハーブの匂いが立ち上る。
「う、うわ……」
タケルの喉が自然と鳴る。
箸を持つ手が震えて、サクラがくすっと笑った。
「タケル、よだれ……」
「出てねぇよ!いやちょっとだけだよ!」
タケルは緊張した顔で周りをキョロキョロ見回す。
「ナイフとフォーク多すぎじゃない!?
これどれから使うんだよ……」
「外側から順番に、だよ」
ルイがさらっと言いながら、自然な動きでナイフとフォークを手に取る。
タケルも見よう見まねでフォークを握り、魚を口に運んだ。
「……っ」
一瞬、言葉が出なかった。
ふわふわの身が舌の上でほどける。
レモンの酸味と香草の香りが、海の塩気と一緒に広がっていく。
「なにこれ……めちゃくちゃうまい……!」
一口食べるたびに、さっきまでの疲れが溶けていくようだった。
モンマスの画面端に、小さな文字が表示される。
《状態:疲労 軽減》
(……食って回復って、ゲームかよ……)
タケルは思わず笑ってしまう。
アキラは巨大エビにかぶりつきながら、半泣きになっていた。
「うまい……うまいけど……緊張で味が半分しか分かんねぇ……!」
サクラはスープを一口飲んで、ほっと息をついた。
「……あったかい……。
タケルの波が落ち着いたからかな……胸の奥が、すっと軽くなってきた……」
ルイはそんな三人を見つめながら、満足そうに微笑んだ。
「気に入ってもらえたなら、何よりだよ」
タケルは魚を飲み込みながら、にやっと笑う。
「ルイ、マジでありがとう!
これ食べるために、もう一回波層洞行ってもいいくらいだわ!」
「それはやめたほうがいいと思うけどね」
四人の笑い声が、温かい食卓に重なっていく。
✦✦✦
食事のあと。
店を出ると、空はすっかり夜の色に変わっていた。
海の向こうには、月が大きく浮かんでいる。
波が光を砕き、キラキラと反射していた。
「少しだけ、丘の上を歩こうか」
ルイの提案で、四人は店の裏手にある小道を登った。
丘の上は、町の灯りと海の光が一望できる場所だった。
「……すげぇ……」
タケルは思わず息を呑む。
吹いてくる風は、渓谷のそれとは違い、柔らかくてあたたかかった。
しばらく無言で景色を眺めたあと――
ルイが口を開く。
「タケル」
「ん?」
「今日の君とルーを見て、確信したよ。
君たちは、“もっと先”まで行くって」
「もっと先……?」
タケルが聞き返すと、ルイは夜空を見上げたまま続ける。
「ミラリアの“波”はね、少しずつ変わり始めているんだ。
南部の渓谷だけじゃない。
海の向こうの大地でも、きっと」
「海の向こう……」
タケルの頭に、一瞬だけ“まだ見たことのない大地”のイメージがよぎった。
けれど――
「でも、それは今じゃない。
君たちはまず、学院で学ぶべきことがたくさんある」
ルイはタケルの方を向き、まっすぐに言葉を重ねる。
「波の理屈。ミラモンの歴史。
そして、自分の“適道”の意味。
……そこで君の“波”は、きっともっと面白くなる」
タケルは一瞬だけ迷った顔をして、それから笑った。
「よく分かんねぇけど……
ルーと一緒に面白くなるなら、なんでもありだな」
「きゅっ!」
ルーが胸を張るように鳴いた。
ルイはその様子を見て、小さく笑う。
「その返事ができるなら、大丈夫。
――また、学院で会おう。
次に会うとき、君たちがどんな波をしているか、楽しみにしてる」
夜風が吹き、ルイの金色の髪がふわりと揺れた。
✦✦✦
宿に戻る道すがら。
タケルはふと、モンマスの画面を開いた。
《ルー 波長:安定(高)》
《状態:良好》
いつもと同じ表示――
……の、はずだった。
「……ん?」
画面の端に、見慣れない文字が一瞬、ぽん、と浮かぶ。
《新項目:共鳴度 1》
「……きょう……めいど?」
タケルが声に出したとたん、文字はすっと消えた。
「あれ、今の……」
もう一度スワイプしても、同じ項目は出てこない。
「見間違い……か?」
首をかしげるタケルの腕に、ルーがぴょんと飛び乗った。
「きゅ!」
「ま、いっか。
どうせ、大したことないだろう」
タケルは笑って、モンマスの画面を閉じた。
夜空を見上げると、
南都セレノフラートの上に浮かぶ星々が、どこかいつもより近く感じた。
――波層洞攻略、完了。
タケルとルーの波は静かに落ち着きを取り戻し、
その揺らぎは、今日よりも少しだけ強く、温かかった。
だが――この整えた波が向かう先は、まだ誰にも分からない。
次に待つのは、喜びか、不合格か。
いよいよ――運命の《合格発表》の日を迎える。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
波層洞を越えて、少しだけ穏やかな時間が流れました。
でも、物語はまだこの先へ続いていきます。
ここまで一緒に歩いてくださって、本当にありがとうございます。
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