第92話 南部渓谷――揺れる風と、波の呼ぶ場所へ
セレノフラートの喧騒を離れ、南へ進むほど――
空気は重く、そして静かになっていった。
サクラは耳元の髪を押さえながらつぶやく。
「……風が強い……」
タケルも自然と肩をすくめていた。
まとわりつく湿気とは違う、鋭い“流れ”が肌を撫でていく。
アキラが険しい顔で周囲を見回す。
「……おい。風が強いってレベルじゃねぇぞ、これ。
町の人が言ってた“荒れてる”っての、こういうことか……?」
その時だった。
ふいに視界が開けた。
崖の上から、青と白が渦を巻く広大な空間が見える。
そしてタケルは気づく。
「……ここ……!」
アキラが先に叫んだ。
「これ、スクリーンに映ってた“あの渓谷”じゃねぇか!」
ミラリンピック決勝で映し出された、南部渓谷のステージ。
巨大な岩柱が乱立し、その間を複雑な風の道が走る。
だが、現地は映像よりもずっと――神秘的だった。
風が吹くたび、崖の陰から
鈴のような高い音 が響く。
サクラは思わず息を呑んだ。
「……きれい……でも、怖い……」
その時、アキラが静かに立ち尽くしていた。
風に揺れる前髪の奥。
眼鏡のレンズがかすかに光り、その下の瞳は――
感動で潤んでいた。
「アキラ……?」
サクラが小さく声をかける。
アキラは拳を握りしめ、震える声でつぶやいた。
「……俺も……
いつか、こういう場所で戦えるようになりてぇ……」
映像越しの憧れが、いま目の前の現実へ変わる。
その迫力は、胸を焼くほどだった。
その背中をぽん、とタケルが軽く叩く。
「なんだよアキラ、泣いてんのか?
風でゴミでも目に入ったか?」
「はぁ!? ちげーよ!!」
アキラが真っ赤になってタケルをにらむ。
サクラはクスクス笑った。
ルイはそんな三人を見て、やわらかく目を細めた。
「この渓谷は“風脈”が交差する場所なんだ。
音の正体は、岩肌が風に削られて共鳴しているんだよ」
タケルは目を閉じ、風と共に流れる“声のような揺らぎ”に耳を澄ませた。
そのたびに――腕のモンマスが、かすかに震える。
「……呼ばれてる気がする……」
タケルはそうつぶやいた。
✦✦✦
渓谷の奥へ進むと、空気がまた変わった。
風ではない。
音でもない。
胸の奥を“揺らす”ような波の気配。
そして――
崖の間に、ぽっかりと開いた巨大な石扉が姿を現した。
古代遺跡のように静まり返ったその扉には、
波紋の文様 が円状に刻まれている。
サクラの声が震えた。
「……動いてるみたい……波みたいに……」
タケルはモンマスを確認する。
《波長:強反応(高)》
画面の波が激しく揺れ、タケルの手を震わせた。
「……ここだ……
ルーの波が求めてた場所……!」
ルイがそっと扉へ近づき、手を伸ばす。
「試しに僕も――」
その瞬間。
ばちんッ!!
青白い光が弾け、ルイの手が強く跳ね返された。
風とも波ともつかない“衝撃の揺らぎ”が周囲に広がる。
サクラが思わず叫ぶ。
「ルイ君!!」
アキラも険しい顔で駆け寄る。
「大丈夫かよ!」
ルイは息を整えながら、苦笑を浮かべた。
「……これは……
“波長適正のない者”を拒む仕組みだ……」
アキラが眉をひそめる。
「つまり、ここから先は……入れねぇってことか?」
ルイは悔しさを押し隠すように、静かにうなずいた。
「ここから先は……タケル君とルー君だけが進める」
✦✦✦
タケルがゆっくりと扉へ近づく。
その瞬間、
タケルの腕で、モンマスがひときわ強く脈打った。
光が波のように広がり、扉の紋章へ吸い寄せられていく。
ゴォォォォォ……
扉の紋章が淡く光り、
波紋のような光輪が外側へ向けて広がっていく。
低く深い鳴動が――
風と音と波をひとつに混ぜたように響いた。
サクラが息を呑む。
「開く……!」
ルイも微笑む。
「やっぱり……扉は君たちを選んだんだね」
タケルはモンマスを胸に抱き、静かに目を閉じた。
(……ルー、行こう。
俺たちの波が……ここを開けるんだ)
そして――
石扉はゆっくりと“深い闇”へ向けて開き始めた。
その奥から、
声とも波ともつかない揺らぎ が、確かに響いた。
――その先に、“波層洞”がある。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ついに、ルーの波が求めていた場所へ辿り着きました。
タケルたちと一緒に、この景色や空気を感じてもらえていたら嬉しいです。
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