第53話 再び、風の道へ ―中央都市への旅立ち― ログアウト不可区域 PART5
――風が、やさしく撫でていった。
“風の巣”の外れ。
朝の光は細い糸になって木々の隙間を縫い、薄く残った霧を金色に染めていた。
鳥の声は遠く、地面の露はまだ冷たい。
昨日の緊張は、焚き火の灰といっしょに、静かに鎮まっていた。
「……生きてる風の音がするな」
タケルが胸いっぱいに空気を吸い、肩をぐるりと回す。
「うん。あったかい音」
サクラはモチを抱き上げ、頬に当てたぷるぷるの感触に目を細めた。
ララが小さく笑った。
「“風の巣”を騒がせたくないの。行きましょう、中央都市へ」
そして続ける。
「ここからはミラモンだけじゃなく、盗賊団の動きにも注意してね。疲れ切った冒険者を狙う卑劣な連中よ」
灰を砂で覆い、三人は身支度を整えた。
風は背中を軽く押す。――出発の合図みたいに。
◇
ララが先頭を歩く。
獣道は細く、草の匂いが濃い。
サクラは足取りを合わせ、アキラは周囲に目を配る。
タケルは……時々モチと競走しては、ゼェゼェ言っていた。
「中央都市って、どんなところなんだ?」
タケルが息を整えつつ訊く。
「風の交差点よ」ララが答える。
「商人、冒険者、学者……いろんな“風”が集まってくる。
強い者は名で風を変え、賢い者は言葉で風を動かす。
そういう場所」
「要するに、オレのカリスマが試されるってことだな!」
「まずは体力な」アキラが即答する。
「ぐ……」
チヨが張り切って先頭に踊り出る。
「拙者が先導するでござるー!」
数分後。
きれいに来た道へ戻ってきた。
「ここ、さっき通ってない?」
サクラが笑いを堪える。
「影しっぽ忍法・迷路破りの術のリハーサルでござる!」
「それは迷ってからやってくれ」
小鳥も鳴かない。
森の“BGM”が一枚、剥がれた。
そんな軽口の最中、ララが立ち止まる。
「……ノラミラモンが少ない。普段なら、もっと賑やかなのに」
耳飾りが風を受け、ピクリと震えた。
「何かが……起きる前触れかもしれない」
「気のせいじゃない? もう怖いのは勘弁だぜ」
タケルは苦笑した。
「でも、風が変わってきてる」
サクラが空を見上げる。
「確かに……“死んでた風”が戻ってきた感じだな」
アキラが短く呟く。
「気圧が落ちてる。……午後、ひと荒れありそうだ」
「自然なら夕立。……自然じゃないなら、厄介なやつ」
ララの耳がピクリと動く。
「街道に出れば安全度は上がるけど、見つかりやすくもなる。
黒影盗団は“風上”を獲る。匂いが風に乗った瞬間、位置を読まれるの」
「じゃ、タケルの足の匂いで即バレだ」アキラ。
「おい、昨日ちゃんと洗ったよ!」
サクラが吹き出した。
「それ気にしてたんだ」
笑い声が風に混じり、少しだけ緊張がほどけた。
◇
正午前。
獣道がやがて土の街道に合流する。
遠く、薄青い地平線の上に、切り絵のような壁と塔の影が見え隠れしていた。
「……見えた?」サクラが目を細める。
「あれが中央都市の外郭だな。まだ距離はあるが、風が匂いを運んでくる」
アキラは鼻先を指で叩く。
「人、鉄、油、パン、紙……いろんな匂いが混ざってる」
「パン!」タケルの瞳が輝いた。
「ニンジン!」ララの耳がぴんと立つ。
「はいはい、ご褒美は街に着いてから」
サクラが笑って二人をなだめた。
――その時、風が変わった。
ぴたり、と止む。
草が同じ方向を向き、葉の裏がいっせいに白を見せる。
空の色が、ゆっくりと濃くなっていく。
《警告:気象異常。風脈の乱れを検出》
《注意:局所的な逆流発生》
「……風が引き戻されてる」アキラの声が低く響く。
地平の向こうで空が歪んだ。
黒雲が“内側へ”吸い込まれ、光が音を追い越して走る。
雷鳴が遅れて響いた。
――ゴウッ(風が地面を削る)。
――ピシャアッ(光が音を追い越す)。
――ザー……(雨が景色を溶かす)。
音が、順番を無視して重なっていく。
風、雷、雨。
まるで生き物のように襲いかかってくる。
「……テンペスト・スコール!」
ララの声が跳ねた。
「ログアウト不可地帯の“自然の魔物”よ。暴風・落雷・豪雨――その全てが敵になる!」
「テンペスト・スコール⁉︎」タケルが叫ぶ。
「歩けば命が削られる。最悪、持っていかれるわ」
「そんなの嫌……!」サクラが唇を噛む。
「朝から感じてた違和感、これだったのね」
ララの表情が引き締まった。
「ララ、どうすればいい!?」アキラが尋ねる。
「建物に避難するしかない。でも……この辺りにあるのは――」
ララが言いかけて、目を上げた。
「“風の塔”。この地域の風を安定させる管理塔があるわ。そこなら防げるかもしれない」
「よし、決まりだ! 風の塔へ!」タケルが即答する。
「待って」ララの声が硬くなる。
「黒影盗団に見つかる可能性もある。
あそこは、あいつらが“風脈の取引”をしてる拠点の一つなの」
「えっ、黒影盗団? うわー、究極の二択じゃん!」
タケルが頭を抱える。
「ここまで来てそんな……」サクラが小さくため息をつく。
アキラは短く息を吸い、全員を見た。
「――よし、決めた」
「風上を獲る。塔まで、一気に」
その瞬間、稲光が空を裂いた。
遠目の地平に、縦に走る風紋の塔。
吸って、吐く。――巨大な“肺”のように。
風が鳴った。
それは、次なる試練の幕開けを告げる音だった。




