第48話 疾風の再戦 ―ミコンの木まで―
風が鳴った。
朝霧がほどけ、土の匂いが濃くなる。
「ところで勝負って、何するんだ?」タケルが問いかける。
青い風のリボンを揺らしながら、ララは顔をむけた。
「ここからまっすぐ五百メートルくらい先、見える? あの丸いもみの木。ミコンの木って言って、人間の世界でいう“ミカン”みたいな果実がなるの。あの木から実を一つ取って早く戻ってきたほうが勝ち。シンプルでしょ?」
「分かりやすい」アキラがうなずく。「それでいい」
「では、拙者も――」
サクラの腕のモンマスがぱっと光った。
「ちょっ、出ちゃダメって言ったでしょ!」
光の輪から、尻尾をふさふさ揺らす影が飛び出す。
「面白そうでござるな! 拙者も混ぜてくだされ!」
「お前、空気読めよ!」タケルのツッコミがはいる。
ララは目を細め、どこか楽しげに笑った。
「気に入ったわ。その子は罰なしでいい。参加は自由、遊びは公平にね」
「む……サクラ殿、これで文句はないでごじゃるな」
「はぁ……もう、負けたら食料なくなるところだったんだからね」サクラは額を押さえた。
「始めようか」アキラが腕を払うようにして構える。
「アクセス! クロウルガー!」
犬獣の影が土煙の中から躍り出る。低い唸りとともに四肢を地に刻み、獣影が風を裂いた。
ララは素早く半歩下がり、踵で地を軽く叩く。霧がその一点からしゅるりと巻き上がり、耳飾りの風のリボンが弧を描く。
「ララ、クロウルガーに乗ってもいいか?」
「ええ構わないわ。人間が増えた分だけ不利よ」
「このほうが的確に指示が出せる」
「ルールはそれだけ。合図でスタートよ」
「合図はどうする?」タケルが聞くと、チヨが胸を張った。
「影しっぽ忍法・花火合図!」
――ぽふっ。
しっぽの影が三つに分かれ、ぱらぱらと紙吹雪のような光の火花が弾ける。
「地味〜!」タケルの悲鳴を置き去りに、ララが笑った。
「じゃ、よーい……風!」
ビュッ――!
砂塵が爆ぜ、三つの影が一斉に跳んだ。クロウルガーが地を蹴るたび、土がえぐれ、風の帯が尾を引く。
ララは残像を二重、三重に置き去りにして、枝と枝のあいだを糸のように通り抜ける。
「見えない……速すぎる!」サクラが息を呑む。
「まるで風そのものだ……!」タケルは肩をのけぞらせた。
チヨは――やや遅れてぴょこぴょこ。
「むむむ、かなり速いでごじゃるな。二人が次元違いでござる……!」
⸻
ミコンの木は、岩の丘のてっぺんに立っていた。
赤い果実がいくつも実り、朝日に照らされてきらきら光っている。
その手前には、風がぶつかって渦を巻く地帯があった。
草が逆向きにそよぎ、砂が宙に舞う。まるで見えない壁があるみたいだ。
(気流が乱れてる……!)
アキラはクロウルガーの背で風の流れを読む。
真っすぐ行けば吹き飛ばされる――なら、風を利用するしかない。
「右から回り込むぞ、クロウルガー!」
「ガォン!」
アキラの手の中で、成長する刃がうなった。
風を切るたび、刀身が少しずつ伸びていく。まるで風そのものを喰らって成長しているようだった。
そのとき――。
ララの姿がふっと消えた。
「……ッ!」
視界の右上で、青い光が閃く。
風がアキラの頬を切り、髪が宙に舞った。
ララは風の渦の中を跳ねている。
普通なら押し戻されるはずの風を、彼女は足場にして軽々と走っていた。
「あなた、速いけど――“心”がまだ追いついてないわね」
耳元で囁く声。
アキラが顔を上げたとき、もうララの姿は背後にあった。
(目で追えるのに、届かない……!)
クロウルガーが地面を蹴り、アキラが風を裂く。
刃が石を弾き、キィンと音を立てて火花を散らす。
だけど――ほんの一瞬のズレ。ララの足が半歩先を走っていた。
「……速ぇ!」
青い残像が宙を舞う。
ララはそのままミコンの木へと跳び、枝先でふわりと一回転。
そして、赤い果実をひとつ――指先で軽く弾くように摘み取った。
アキラもすぐに刃を振り下ろす。
けれど、吹き荒れる風がまるで透明の壁みたいに、動きをわずかに遅らせた。
「くっ……!」
その一瞬の差。
ララはすでに地面に着地して、こちらへ向かって走り出していた。
⸻
帰路。
ララは斜面の岩肌を滑るように降りる。空気が細い管になって彼女を押し出し、草葉が音もなく寝返りを打つ。
アキラは最短を切り捨てて、最速の線を拾う。クロウルガーの背筋がたわみ、成長する刃の影が地に長く伸びた。
土煙のトンネルを抜ける――ゴールの霧の門。
風の衝突音が重なって爆ぜた。
先に霧を破ったのは、青い風のリボン。
「……勝者、ララ!」
途中で引き返してきたチヨが両手(前足?)を上げて宣言したところで、自分が最後尾なのを思い出し、そっと手を下げた。
「みんな、速すぎるでごじゃる……」
アキラは静かに息を吐き、成長する刃を収める。
ララがミコンの実を指先で弄びながら微笑んだ。
「残念。スピードは悪くなかった。でも“迷い”がある限り、風にはなれない。」
アキラは苦笑する。
「完敗だ。……約束は守る。食料は――」
「半分でいいわ」
「この前、リオって子からも結構もらっちゃったし。この先に進むのに最低限は必要でしょ?」
「お、おぉ……負けたのにすまない」
アキラは肩をがっくり落としつつも、どこかホッとした顔。
ララは青い風のリボンを指先で弾いた。
「それと。中央都市へ行くなら、夜明け前に“風溜まり”を抜けること。
霧が薄くなる瞬間、風の筋が一本、南東に走るの。そこを通れば、盗賊の見張りにもノラミラモンの群れにもぶつかりにくいわ」
サクラが目を丸くする。
「それ、すごく役立つ情報なんだけど……敵に塩を送ってない?」
「勝負はもう終わったもの。次に速いほうが、未来を先に掴む――それだけよ」
ふっと、ララは背を向けた。
「またね、人間。次は“心”も一緒に走らせて」
青い残光が霧に溶け、静けさが戻る。
「ララって悪い子ではなかったわね」サクラがぽつりとつぶやいた。
⸻
夜。
小さな焚き火がぱちぱちと鳴り、オレンジの灯りが三人の顔を揺らす。
半分になった食料袋から、タケルが硬めのパンをちぎって差し出した。
「――腹、減ったろ? 残り半分な」
「すまない」アキラが受け取る。
サクラは火ばさみで炎を整えながら、柔らかく笑った。
「勝ち負けも大事だけど、無事で帰るのが一番よ。今日はそれで十分」
アキラはしばし炎を見つめ、それから小さくうなずく。
「……次は、勝つ。絶対に」
風が、木立の隙間を通っていく。
心の中で、風の音がまだ止まなかった。
「で、チヨ。お前なんで参戦したんだよ」タケルが横目で睨む。
「いやぁ、影しっぽ忍法・分身で三倍速を狙ったでごじゃるが、本体が三倍息切れしたでごじゃる」
「理屈が雑!」
焚き火の輪に、くすくす笑いが広がる。
半分になった食料。けれど、道筋は増えた。
明け方の風を掴むために、三人は眠りを浅く分け合い、順番に火の番を続けた。
夜空の高みで、星がひとつ流れる。
――中央都市グランディアへ。ログアウト不可地帯の、その先へ。
風は、もう“次の試合開始”の合図を鳴らしている。
「推薦申込書の提出まで、残り八日!」




