第19話 主と従
「アリカは何も分かってないの……だから皆様、あの子を許してあげて!」
オフィーリアは兵士たちにそんなことを言っているが、砕けてへしゃげたブレスレットの残骸を集めながら護衛する兵士たちは、明らかな敵対心をわたくしに向けていた。
そう思わせておけばいい。
兵士たちがこんな中で優先するのは、わたくしの帰国ではなく、“魔女”が、また“聖女”に襲いかかってこないか警戒すること。
これで彼らの頭は、“聖女”を逃がすことでいっぱいでしょう。
他の兵士は“聖女”の持ち物を運び出し、この館から逃げる準備をしている。
「はーい、とっとと帰ってくださいましー」
待つのも暇なので、手を叩いて催促していると、耳元で男の声が囁いた。
「君、オフィーリアに何したの?」
振り向くと、長い金髪を襟元で束ねた男、さっき、オフィーリアにマントをかけていた兵士。
背後に立たれるまで気付かなかった。
それなのになのに、振り返った瞬間に魔力の気配を感じた——。
——あの優男だ。
マリーに追わせたのに、見失ったと言っていた。
この城の中で、あの子が取り逃すようなミスをするとは思えない。
……だとすれば、認識阻害の魔術具を持っているのかしら。
「聖女様が、わたくしに何したのか、と訊ねるべきではなくて?」
ふんと鼻で笑う男。
わたくしの服も髪も、カフェラテを浴びてベタベタですわ。
こんな姿の女を前にして、心配もせず、どちらが悪いか最初から決めつけているとは。
余程、“聖女様の兵士”というのは、観察眼に乏しいのですわね。
「オフィーリアの妹だから大目に見てるけど——彼女を怒らせるなら容赦しない」
声が一層低くなり、高身長な男が見下ろすように距離を詰めてくる。
とは言え、この程度の脅しで怯む必要もない。
「まあ、どちら様かは存じませんが、恐ろしいことをおっしゃいますのね。肝に銘じておきますわ」
演劇のような言葉遣いで、シッシと手を振ると、癇に障ったのでしょう。
扉の枠にダンと手を突いた。
「姉妹そろって欲しかったけど、君はナシだね。せっかく面白い子だと期待したのに、可愛くない」
「気が合いますわね、わたくしも同じ評価ですわ。早く聖女様の護衛にお戻り下さいましな」
館の外へ手の平を向けて笑顔で案内すると、優男は不機嫌に舌打ちをした。
「本当に可愛くないな」
「もし次がありましたら、カフェラテを浴びていない姿でお会いしたいですわ。無いと思いますけれど」
「何かあったか?」
クラウス様がわたくしの後ろに立って、優男を静かに睨んだ。
先程まであんなに威圧的に吠えていたのに、クラウス様の隣では随分と小さく見えた。
いつもの猫背気味の姿とは違い、背筋を伸ばして立つと、いつもよりお顔が遠い。
背丈があるだけでも威厳があって羨ましいと見上げた。
優男は視線を逸らし舌打ちを残すと、“聖女”や他の兵士たちのいる外へ出て行った。
もちろん、馬車は出していない。
憐れな“聖女”は、妹を連れ帰すこともできないまま。
来るよりも速い船が海を戻っていくのかと思うと——清々する。
「あの男に何か言われたか?」
「口説かれたかと思えば、喧嘩を売られましたわね。取るに足らぬ言葉ばかりの、つまらない男ですわ」
一体何だったのかと思い出すだけで腹が立つ。
勝手に近付いてきて、従わない女と見れば貶める。
よくある話だから、余計に嫌だ。
「……髪が目に入りそうだ」
ぐちゃぐちゃに乱れ、カフェラテで顔に貼りついている前髪を指で払われた。
さっきまで背筋を伸ばしておられたのに、また猫背に戻っていたから、視界から覗かれるクラウス様の顔は近かった。
「ありがとうございま——すッ!?」
アランが無造作にタオルを頭に被せてきたから、視界が真っ白になった。
せめて一言あってもいいでしょうに、なんですの!
驚きつつも、まあ濡れているからタオルは有難いので頭と服を拭った。
黒い服だからシミは目立たないけど、コーヒーとミルクの臭いは取れるかしら。
あと部屋に飛び散った分も掃除しなきゃならない。
「それとクラウス様なら気付かれたかと思いますが、先ほどの兵士に魔力を感じました。認識阻害の魔術具を持っていたのかと」
わたくしがそう言うと、クラウス様は少し考えるように一瞬視線を逸らした。
そして、わたくしに教えることを決めたように見据えた。
「あの者が誰かは見当がついている。ギルデンの王太子アステリオスだ」
「は?どうして一国の王太子がここに?」
ギルデン国でも、ここは魔族の住む「怪物の島」として恐れられているキャリバン島だ。
次期王のアステリオスが、危険を冒す意味が分かりませんわ。
「内情視察か分からんが、魔術具で変装し、いくつもの防御魔術を張っていた。
おそらく、あの“聖女”にも隠していたのだろう。知っていれば、露呈するリスクが上がる。
危険を避けるため、認識阻害魔法で秘密裏に潜入したと推測するが……その程度の小細工が通じると思っていたのなら、見通しが甘い」
「なぜ王太子とお分かりに?」
「ギルデンの新聞を集めた時に似絵が載っていた。特徴的な長髪に目元のほくろ、間違いなくこの顔だったと思うが?」
アランが出した新聞の一面を指さした先には、長髪に目元の二つのほくろの優男。
確かにあの男とそっくりの似絵があった。
認識阻害していようと、“この人だ”と確信して特徴を見ていけば思い出せる。
「確かに王太子ですわね」
ギルデンの王太子アステリオスは、黄金の巻き毛に金の眼を持つ美男子で、“完璧な王子”と呼ばれているらしい。
でも、王太子アステリオスと知った今でもナシですわ。
何が“完璧な王子”よ。
魅了の呪具に頼って他人を操ろうとする小賢しい男が、いずれ国を継ぐ王の器には見えない。
少なくとも、わたくしは仕えたいとは思えない。
一応、元ギルデンの人間として頭が痛い。
「何を企んでいたかは知らないが、だとして、追究して事を荒立てる必要も無いから黙っていた」
「アリカ嬢に余計な気を回させたくないと黙っていたのに、ちゃんと気付いたのが嬉しいんですよ」
アランが言葉を補足してきた。
背を向けられたクラウス様の表情は見えないが、わたくしが王太子と知れば騒ぎ立てると思われたのだろうか。
「わたくし試されていたんですの?」
「気遣っていたんですよ。貴女、聖女のことで限界だったでしょう」
それもそうだ。
姉との問題が重大で、余裕があったわけじゃない。
余裕があったなら、わたくしが直接動向を探る判断をしていたのに、マリーに頼んだくらいなのだから。
「それに、あの王太子は魅了の呪具も持っていたからですよね?」
アランの大声に、クラウス様が肩をすくめ首が横に傾いた。
呆れてものが言えないという空気に、アランの言葉は嘘ではないと分かる。
「はあ?ぜんっぜん掛かりませんでしたわ。その呪具、壊れているのではなくて?」
確かに口説いてきたのが、そういう目的なら分かり易い。
わたくしの意思でクラウス様を見限ったと思わせ、取り込みたかったのでしょう。
その意図の可能性は、わたくしにも分かりますわ。
でも魅了の呪具を持っているなら、精神に影響があるはずなのに、全くそんな感じがしない。
むしろマイナス印象としか抱かなかったのだから、いっそ呪具が可哀想ですわ。
「壊れていた可能性もありますが、あの程度なら、先に呪いが掛かっている相手には通じないですからね」
「わたくしの意志が勝ったというわけですわね」
魅了だろうが、呪いだろうが、所詮は他人を思い通りに動かしたいという願望と意志だ。
それを弾いたということは、わたくしの意志の方が強かったということ。
きっとそういう意味ですわ。
グッと両手を握りしめ、勝利に得意気な顔をしたが、アランは眉を八の字にして吹き出した。
「あー、そうですね、大体合ってます」
その苦笑に引っかかりはしたが、言う気が無さそうだった。
それよりも、あの王太子の安い魅了に屈しなかったことに、少し胸を張りたい。
「……それで、あのブレスレットは壊してしまったのか?」
「わたくしが魔術具を壊すなんて非道なマネはいたしませんわ」
少し残念そうな声をして振り返ったクラウス様に、懐からブレスレットを得意顔で取り出し、見せつけた。
「昨日、工房でそっくりな偽物を作りましたの。それをすり替えて、壊して見せただけですわ」
念入りに壊したから、残骸を持って帰った彼らも、偽物だと気付かないでしょう。
そっくりな偽物を作るため、クラウス様の持っていた聖女の肖像画が役に立ちましたわ。
最初から壊すと決めていたからこそ、準備も整えられた。
これも諦めさせる手段とは言え、心が痛い……なんて、思ってもないですけれど。
本物のブレスレットを自分の手首につけ直すと、他の装身具と重なってカチャリと音を立てた。
「やはりその色は、“聖女”よりアリカ嬢に似合う」
確かに、わたくしの目の色と同じ色の石ですし、わたくしの好みに作っているから、似合うのも当然ですわね。
とは言え、作ったことも忘れるほど、子供の頃に作った物ですけども。
「それよりクラウス様、わたくしの独断で決めてしまってよろしかったのですか?」
「レディが選んだことを間違いだとは思わない。君が出来ることはやり切ってくれた。十分に評価している。後は私が引き受けよう」
もう家族姉妹で解決する問題ではなくなってしまった。
家を捨て、この島まで来れば縁が切れると考えていたのが甘かった。
これから先は、どうしても国家間の問題になる。
“聖女”に従わず、帰らないと選んだ以上、その先の責任は、わたくしだけではどうにもならない。
クラウス様に委ねるしかない。
わたくしに出来ることは、他に無かったかしら……本当にすべて尽くせたのかしら……。
「解放されるはずだった魔術師十人には、悪いことをしましたわ……」
「それは気に病むことではない。不確実な取引きに応じるよりはよい。まだ期ではなかったのだ」
どうせギルデンでは“聖女”の失態は無かったことにされる。
だとしても、向こうが失態を犯したからには、こちらから取引きを蹴るよりはマシになった。
とは言え、助けられたかもしれない人を見捨てる決断は、クラウス様にとっても不名誉なことでしょう。
わたくしの意志を尊重してくれたのは、嬉しい。
クラウス様がそう仰って下さるなら救われる。
それでも——自身の自由を選ぶために見捨てたのは心残りでもある。
——いつか機会が来れば、その時は残った借りを返しますわ。
「それから、クラウス様がわたくしを“レディ・アリカ”と呼んで下さるのが嬉しかったので、わたくし“厄介者のリンドグレン”改め“レディ・アリカ”と名乗ることにいたしますわ!」
“厄介者”と呼ばれることは別によかった。
厄介者であるとも認めていたし、家名で呼ばれるのは嫌いなものに泥を塗ることと、卑屈な感情さえあった。
今となってはお笑い草だけれども。
だからリンドグレン家の娘として家名で呼ばれるより、わたくしの呼び名が欲しかった。
「私が否定するのも違うだろう。好きに名乗ればいい」
「いいんじゃないですか。俺はどうでもいいので」
二人の反応に、このくらいに関心が無い方がどれだけ楽でしょうと思う。
肩の力を抜いて、ようやくわたくし自身として笑えた。
「それにしても、よく魔力が切れずに使えたわね。わたくしですら魔力に気付かない程度のクズ石ですのに。意外と持ちが良いのかしら?」
腕に着けたさっきのブレスレットを見て、違和感を口にした。
魔石は純度次第で、込められる魔力量も、術の精度や威力も変わる。
その中でも、このブレスレットの石は低級の粗悪品だ。
その割には、わたくしが魔力を込め直していないのに、オフィーリアが“聖女”と呼ばれるまで使えていたのは、少し不思議ではあった。
「ふ~ん、そうですね……このブレスレット、少し借りてもいいですか? 明日にはお返しします」
しげしげと、ブレスレットをのぞいていたアランがそう言った。
人に物を借りようとするなんて珍しい。
と言うか、こんなオモチャのような水が出るだけの魔術具に何の興味があるのか。
でも自分が忘れていたくらいだから、貸し渋る物でもないかと、手首から外して、差し出されたアランのハンカチの上に置いた。
「これで何か調べられるの?」
「さあ?」
目を細めて片方の口角を上げるアランの顔は、これ以上言う気がないようだ。
まあ、信頼しているから悪いようにはしないでしょう。
そんな情報を整理していると、マリーが心配そうに駆けてきた。
「アリカ様、早く湯殿へ」
緊張感のある声、さらに頭から被せたタオルはアランと違って、他人にカフェラテを浴びせられた姿を見せたくないという意図が感じられる。
マリーは、わたくしの背に手を添えて、風呂場に向かう。
あの会議とは言い難い騒ぎの間、お風呂の準備をしてくれていた。
脱衣所の鍵を閉めたマリーは、覚悟を決めたように息を吐いて、わたくしに振り返った。
「流石に今回のことは、邪魔にならないようにと我慢しておりましたが、終わったからには私も一言言いたいことがあります。
あまりにも、あまりにもです。誰も言わないから私が言わなければなりません」
初めてみるマリーの怒気が想定外で、たじろいでしまった。
「でも、わたくしは残れましたし、使節団も帰せたから……」
「帰せたから良かったもののです。アリカ様の策が成功することは祈っておりましたし、それに従いました。
しかし、アリカ様が傷付けられるのを含めた成功を見ていろと言うのはあんまりです」
マリーはつぶらな瞳からポロポロと涙を流して怒っていた。
これ以上の策が思い付かなかったとは言え、主人が侮辱されるのを織り込まれていた策に従わなければならないというのは、酷なことをしたのだと気付いてハッとした。
「一介の使用人が出過ぎたことを言っているとは分かっているのです。
ですが、このようなやり方には納得致しません。手伝いはいたしましたが納得はしません。
この策より良い策を思い付けず、主人を守れなかった自分にも腹が立っています。
だから今回のことを、心から褒められません。
感謝をしていても、恩義を感じていても、私は今回のことを認められません。
もうそんなご自身を傷付ける選択をしないでください」
わたくしは、自分をすり減らして傷付くことにも慣れてしまっていた。
だから出来てしまったけれど、当然ではなかったわね。
白いエプロンの裾を小さな手で握りしめ、声を震わせながら訴える彼女のいじらしさ。
こういう子を「良い子」と言うべきなのでしょう。
綺麗な言葉ばかりを並べて胡麻を擦るばかりではなく、保身を捨てて主を想って逆らうのは、本当に誠意がないと出来ない。
わたくしは主従関係を結びたかったわけではなかった。
なぜなら、マリーの自由を縛ることになると思っていたから。
でも、マリーにとっては、わたくしを大切な主人として認めて怒ってくれていたのだ。
だったら、この子の想いに報いなければ。
マリーの両手を握る。
「わたくしのために思い詰めさせてしまったのね。ごめんなさい。本当なら、もうしないと言うべきなのも分かっているわ。でも約束はできないわ」
「………」
「だから少しだけ待って下さる? 自分を粗末にしなくてもよくなるまで、わたくしの傍で叱って頂戴」
「……アリカ様、こんな、主人に逆らったメイドを、解雇なさらないのですか?」
不安気に問うマリーが愛おしくて、ふわふわな羽毛の頭を撫でた。
「勿論よ、マリーほどのメイドを解雇するなんて見る目が無いことしないわ。例えアランがさせようとしても、わたくしが許さないから」
「勝手に俺を悪者にしないでくれませんかぁ?」
扉一枚挟んだ先から、アランの声が聞こえた。
聞き耳を立てていたらしい想定外の声に、マリーと二人で顔を見合わせて、吹き出した。




