第15話 地面
草が生えているところから、ひとまず、土の露出した部分に戻る。
俺とうさみんはともかく、カーレイルとリリーさんはVRに慣れるまで時間がかかるかな? と思ってたんだけど、まああれだけ動けてるなら大丈夫でしょう。
いざ、ナメクジの出る場所へ向かって、街から離れる方角へと進んでいく。
VRを使ったゲームの難点のひとつは、こうした移動が面倒なことだ。
いや、正確に言えば、どんなハードのゲームでも面倒なのは変わらないけれど、VRだと、新しいところに行くたびにハイキングとか登山とかを体験することになっちゃうから。街の門まで出てきてから、回復薬を買い忘れていたことに気付いた時の徒労感が、ディスプレイゲームの当社比2倍くらい、のしかかってくるのだ。
リアル感ゆえの不便だから、仕方ないっちゃ仕方ないんだけど。
まあ、とはいえ、話し込むにしては短い距離なわけで。
自然、みんな、特に口を開かずに歩いている。
次に戦うナメクジ、正確には「レッサースラッグ」だっけか? 社名が「Travail Slugs」なのと、一応関係あるんだろうけれど。
「あのさ、うさみん。『Travail Slugs』ってどういう意味?」
「は?」
湧き出てきた疑問をうさみんにぶつけると、何言ってんだこいつ、という目を向けられてしまった。
「運営の会社の名前だろ」
あ、そういうことを聞いてるんじゃなくて。
「いや、そうじゃなくて、スラッグスは『ナメクジ』って意味なんだろ? トラバーユってどういう意味?」
最初からこう聞けばよかった。
「ああ、そんなことか。昔、『とらばーゆ』って雑誌があったらしいんだよ。就職情報誌」
へー。
「だから、『トラバーユ』は仕事って意味だ、仕事するナメクジ。わけわかんないよな」
いや、俺に言われても。確かにわけわかんないよな。
「Travail Slugs、仕事するナメクジ、ですか……」
俺たちの会話を聞いていたカーレイルが、口の中で単語を転がしている。
「どうして、運営会社の皆さんはそのような諱にしたのでしょうか?」
自問自答するような発言に対して、うさみんも半ば独り言のような意見を返す。
「確かに、適当に考えたにしてはデタラメすぎるよなあ」
うーん、どうしてだろう。
何かを考える時、俺はペンを持ち、目の前に広げた紙に書き出したくなる。
右手がうずうずし始めている。
文字が、書きたい。
紙は買っていないから、書くとしたら地面になる。
草が生えている部分は無理だが、今歩いている、土が露出している道なら可能だろう。
「ごめん、ちょっと止まってもいいか?」
パーティのメンバーに一言断ってしゃがみこみ、右手の人差し指を地面に触れさせる。
えっと、とりあえず社名は「Travail Slugs」だから……
そう思いつつ、「T」の横画を書いて、次に縦画を書いていくと。
確かに書いたはずの横線が、消えた。
は?
地面に残っているのは、縦棒1本だけ。まさに「1」が残っている。
恐る恐る、指を土から離すと、その縦棒も、一瞬で消えてしまった。
えええええ?
「ん? 文字書いてんのか? メモ機能使えよ、メニューにあるぞ」
まったく、人の気持ちも知らないでこいつは。
「書こうとしたら書けないの。すぐ消えちゃう」
「当たり前だ。道に敷いた土の粒の処理を全部やってたらそれだけでサーバー固まるわ」
「ん? どういうこと?」
「地面の地形の変化は一時的に俺らのVRギア側で処理しておいて、サーバーでの地形情報は変えないの。だから地面に何かしても、すぐに元に戻るようになってるんだ」
「足跡が残っていないのは、そのためだったのですね」
リリーさんは気付いていたようだ。なるほど確かに、振り返ってみると、俺たちの歩いてきた道は真っ平らで、跡ひとつない。
えー。
いや、地面に文字書けないのはおかしいでしょ。
俺が認めない、というか、スタッフのうち一人くらいはいるはずの手書き派の人間が、そんな仕様を認めるわけがない。
文字を習ってから初めて公園に遊びに行った時、落ちていた木の枝で自分の名前を砂場に刻んだ時のあの高揚感を忘れる人なんて、いないと信じている。
ん?
木の枝? 落ちてた木の枝?
さっき、俺、木の枝を拾ったような。
アイテムウィンドウを操作して、「木の枝」を取り出す。
武器としては使えないにしても、文字を書くのだったら、もしかして。
「ほら、諦めろ。運営の名前が気になるならメモ欄使えばいいじゃないか」
早く進みたそうなうさみんが俺を急かす中、俺は木の枝を地面に突き立てて、ゆっくりと横に動かした。
表面の土が削れて、奥から、まだ湿っていて少し黒っぽい土が顔を見せる。
木の枝を、恐る恐る、地面から離す。
「ほら、もう置いてくぞナンコウ……って、えええ!?」
地面には、くっきりと、一本の線が残っていた。
うさみんから見えてるってことは、ちゃんとサーバー側に反映されているってことだよな。
刻んだ横画に続けて、「Travail Slugs」と、しっかりと地面に綴っていく。
「いまどき手書きなんて使わないよ……こんなこと誰もβじゃ試さなかったし……
うさみんが何かごちゃごちゃ言っているけど、無視して思考を進める。
最初に見た時から、どうも違和感があったんだよ、この文字列。
sが2個あって、aも2個で、tだのvだのがあって。
gだけが、この中で唯一下に突き出ていて、妙に目についた。
gか。「glass」って単語が作れるな。とりあえず、書き留める。
えっと、残りは、t,r,a,v,i,u,l?
……なんだ、アレが作れるじゃないかよ。
「glass」の左側に、ほどほどに心を込めて「virtual」と書き記した。
これを見たうさみんが、
「なるほどね。主力商品の『Virtual Glass』のアナグラムだったってわけか」
「どうだ? たまには手書きもいいもんだろ?」
「ああ、ちょっと悔しいけど、認めないわけにはいかないわ」
こんな世界でも、いや、こんな世界だからこそ、手書きが役に立つのだということを示せた俺は、ちょっとだけ鼻が高かったのだった。




