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第九話 選択 前編


その夜は、静かすぎた。


工業都市セクターは、眠らない。


炉は燃え続け、導管は脈打ち、機構は絶えず唸っている。

それが、この都市の常だった。


だが今夜は違う。

音はある。

だが、それらはどこか抑えられている。


まるで都市そのものが、呼吸を浅くしているかのように。


――来る。

誰もが、それを知っていた。


闇の中で影が流れる。


壁面を、屋根を、配管の隙間を。

人の通るべきでない経路を、迷いなく進む。


足音はない。気配もない。

あるのは、確実な移動だけ。

その先頭にいる男――ソベクは、手を上げた。


瞬時に、全員が停止する。

合図一つで統制される動き。

無駄が、一切ない。


(……侵入成功)


視線が、都市内部をなぞる。

監視網。巡回経路。光源配置。

すべて、事前情報と一致。


いや――

(想定よりも甘い)


わずかな違和感。

だが、誤差の範囲内。


「進む」


囁きにも満たない声。

部隊が、再び動き出す。

彼らは軍ではない。

侵入し、破壊し、消える。

そのためだけに最適化された存在。


ダークエルフ軍特殊浸透工作部隊。

その中核を担うのが、ソベクだった。

選抜された少数精鋭。

身体能力。感覚。判断速度。

すべてが基準を超えた者のみ。


さらにその装備。


光を吸収する繊維装甲。

音を殺す関節機構。

魔力反応を抑制する暗器。


すべてが視認されないために設計されている。


(目標――メインゲート制御区画)


ソベクの思考は、簡潔だ。

侵入。制御掌握。ゲート開放。

それだけでいい。都市は、おのずと内側から崩れるのだ。


数分後。

彼らは到達していた。

メインゲート。その巨大な構造体の内部。

通常であれば、厳重な警備が敷かれているはずの中枢。


だが――

(……いない)


人影がない。

警備が、薄い。

不自然なほどに。


一瞬。部隊の動きが止まる。

ソベクは、目を細めた。


(罠か?)


可能性は高いが。


(問題ない)


任務は変わらない。


「続行」


短く命じる。

部下たちは、躊躇しない。

装置へ取り付く。


制御系の解錠。

魔術ロックの解除。

物理的干渉。


すべてが、訓練通りに進む。

時間にして――数十秒。


「……開く」


低い報告。次の瞬間。

重い音が、都市に響いた。

メインゲートが、ゆっくりと開き始める。

夜の静寂を引き裂く、巨大な金属音。


(任務完了)


ソベクは、外を見る。闇の向こう。

そこには――待機しているはずの、本隊。

その瞬間だった。


「――来るぞ」


誰かが、呟いた。地面が、震える。

低い、重い振動。外ではない。内側から。

広間の奥。影の中から。


二つの巨大な質量が、滑り出す。


音を立てずに。

だが、圧倒的な存在感で。


――ホバータンク。


セクター防衛軍の新兵器。

浮遊機構によって地面を滑走し、重装甲と大出力砲を併せ持つ戦闘機構。

それが、二両。メインゲート前の広間に躍り出る。


その多数の砲門が、静かにこちらを向く。


(……誘導されたか)


ソベクは、即座に理解した。

侵入。開門。そのすべてが――


「予定調和」


低く呟く。

部下たちに動揺はない。


「撤退準備」


判断は早い。

ここは、突破点ではなく引き金だ。



その頃。


遠く離れた前線。

セルケトは、目を閉じていた。

雷が、微かに指先で弾ける。

情報はすでに届いている。


侵入成功。

ゲート開放。

敵防衛兵器出現。

すべて、想定内。


「……やはり、そう来るか」


静かに、呟く。

絡め手は通じない。ならば――


「全軍、進軍開始」


その一言で、空気が変わる。

背後に控えていた軍勢。

ダークエルフ兵。そして統御されし魔物。

それらが、一斉に動き出す。


大地が、鳴る。


「ソベク隊は撤退」


続ける。


「役目は果たした」


冷徹な判断。

切り捨てではない。信頼と経験に基づく適切な運用。

雷が、強く輝く。


「ここからは――正面から叩き潰す」



再び、セクター正門。

ホバータンクの砲門が、光を帯びる。

ソベクは、振り返らない。


「離脱」


その一言で、部隊は散開する。

影が、再び闇に溶ける。


次の瞬間。光が、広間を焼いた。

轟音。爆発。


だが、その中心に――彼らは既にいない。

残されたのは開かれたままの、メインゲート。

その向こうから、ついに姿を現す。

闇を押し分けるように進む、大軍勢が。


雷光が、夜を裂く。

戦いは次の段階へと移行した。



爆炎の余波が、まだ広間に残っている頃。影はすでに消えていた。


――否。消えたように見せかけただけだった。

暗い水路。濁流が、低く唸る。その中を音もなく進む影。ソベクとその部下たち。


(追撃、なし)


背後を確認する。

ホバータンクによる制圧は激しかったが、追撃は来ない。


(……想定通り)


あれは排除ではない。単なる押し戻し。

つまり、防衛線は外側に集中している。


内側は――薄い。

ソベクの口元が、わずかに歪む。


そのとき。小さな振動。

腕部装置に、暗号通信が届く。

発信源――セルケト。

短く簡潔な伝文。

相変わらず無駄がない。


『新規任務。対象:ラテア。排除せよ』


一行。それだけ。だが、十分だった。


(……最優先対象の更新)


クロアではない。ラテア。

理由は明示されない。だが、推測は可能だ。


(クロアの意思決定に影響を与える因子)


ならば――排除は合理的だろう。


「目標変更」


ソベクが低く告げる。


「ラテアの位置を追跡し、最短経路で接近する」


部下たちは即座に頷く。迷いはない。


「経路――下水網を使用」


地図が共有される。複雑に張り巡らされた都市基盤。その裏側。


「……狩りだ」


誰かが呟いた。その比喩をソベクは否定しない。ただ、前を見て進み出した。



その頃。セクター前線。


大地が、再び震えていた。

ダークエルフ軍本隊、進軍開始。

魔物の群れが、先行する。

その後方に、整然とした隊列。

雷光が、夜闇を裂く。

それに対し、セクター側も動く。


「第一陣、出るぞ!」


号令。そして。二つの影が、滑り出す。

ホバータンク。

地面すれすれを浮遊しながら、一気に加速する。機先を制する砲撃。

魔物の前列が、吹き飛ぶ。続けざまに衝突。


質量と速度による、強引な突破。

だが、浮遊する威容はそこまでで止まる。深追いはしない。


「離脱!」


即座に反転。ホバー機構特有の高速で後退。魔物たちが追う。――その瞬間。

第二射。

追撃してきた個体群を、まとめて薙ぎ払う。


ヒット・アンド・アウェイ。徹底した削り。


(……厄介だな)


前線後方。

セルケトが、その動きを観察する。無駄がない敵軍の用兵。

だが、決定打にも欠けることを見抜く。


「消耗戦か」


それは、望むところではない。

ダークエルフの用兵思想――消耗抑制。

最小の損失で、最大の成果を。


(……しかし、あれは様子が違う)


視線が別の方向へ向く。そこにクロアがいた。

前線、その最前列。

通常であれば指揮官が立つべき位置ではない。


(……自ら出てくるか)


セルケトの目が、わずかに細まる。

クロアの背面で展開される兵装。見慣れぬ形状だった。


(新兵装……)


解析が走る。

その目前でクロアが動いた。


「前線突破、開始」


短い宣言。

その瞬間、クロアの周囲に構造体が展開する。

ストラクチャーゲルが流動し、形成されるのは――銃。

いや、それは機関砲だった。


古代の遺物。それが復元され、複製され最適化された兵器。

クロアの機体と完全に同期した、拡張武装。


「射撃開始」


戦場の音が変わった。連続する終わらない轟音。

鋭利な風切り音を絶やさない弾幕の嵐。

中距離を制圧する圧倒的な火線。

魔物の群れが、削られる。接近すら許さない。


(……火力が異常だ、それでいて面制圧なのか)


セルケトの思考が、加速する。その間にもクロアは単体で戦線を押し返している。


これは――

「……楔か」


クロアが突き進む。その後ろに、道ができる。


「第二隊、突入」


人界の部隊が、その突破口へ流れ込む。


「左翼、展開。包囲準備」


クロアの動きは、単独ではない。複数地点で同時の帯同が見られる。

同様の突破が、戦場の所々で発生している。


(分散突破……からの)

「反転包囲までが狙いか」


セルケトが、結論に至る。


「……やるな」


わずかに、口元が歪む。これは、消耗戦ではない。

戦局の再構築である。クロアは、戦場そのものを設計し直しているのだ。



同刻。地下下水道。

ソベクは、進んでいた。

上では、大規模な戦闘が始まっている。

だが、それは関係ない。任務は別にあるからだ。


(位置が近い)


ラテアの所在。上層区画。防衛線からやや後方。


(護衛もあり)


当然だ。しかし。


(問題ない)


音もなく、水路から這い上がる。

暗闇の中で、刃がわずかに光る。


「……接敵まで、あと三分」


静かな声。誰も答える者はない。その必要がないからだ。

既に、全員が同じ終点を見ている。



地上では。クロアがさらに一歩踏み込む。弾幕が道を切り開く。

その先に――ダークエルフ本隊。そして、セルケト。


雷撃が迸り、弾ける。半包囲に動き出しているセクターの兵団を牽制していく。

光と雷が再び交差しようとしていた。

そして、その裏で。誰にも知られず。

もう一つの戦いが、始まろうとしていた――ラテアのすぐ近くで。



空気が、わずかに揺れた。


ラテアはそれを鋭敏に察知し、歩みを止める。

通路は静かだった。

前線からは距離があるはずなのに、どこか張り詰めている。


「……どうした?」


護衛の一人が問いかける。ラテアは、答えない。代わりに目を閉じる。


(……何かがいる)


音はない。気配も、ほとんどない。

だが――空間の歪みだけが、確かに存在している。

景観の流れが、不自然に切れているのをラテアは見逃さない。


「全員、下がれ」


小さく、しかし強く言う。


「え?」


「早くしろ!」


その一言に、空気が変わる。ただ事ではない。

護衛たちが距離を取る。その瞬間。来た。


影が、剥がれる。

壁から。天井から。床から。一斉に刃が閃く。


伸縮する異形の武器。

魔力を帯びた短剣。

音もなく撃ち込まれる銃弾。


完全な奇襲。それが回避不能の角度と密度で迫る。


だが――「遅い」


ラテアの目が見開かれた。既に全てを掌握して。

剣が、空間を縦横無尽に走る。一閃。

金属が断たれる。伸びた刃が、途中で消される。二閃。

弾丸が、弾かれる。軌道を逸らし、壁に突き刺さる。三閃。

接近していた影の腕が、斬り落とされる。音が、遅れて追いつく。


「――ッ!?」


初めて無感動な暗殺者たちに揺らぎが生まれた。


(見えている……だと?)


ソベクの思考が、一瞬だけ止まる。

あり得ない。

気配は完全に殺していた。奇襲の動きも同期させていた。


(違う……こいつは)


察知しているのではない。先んじて次の戦況に思考を進め、その全てを把握している。

まるで空間そのものを掌握するかの如く。


ラテアは、一歩踏み込む。間合いが、消える。

近い。いや――既に斬撃の中にいる。


剣が、閃く。

だがそれは、速さではない。

無駄のなさ。洗練された最短。最適解の剣だ。

一切の逡巡がない。


ダガーが迫る。毒の妖しく光る刃。

だが、その軌道はすでに確定している。

半歩ずらすだけでいい。

同時に、反撃の斬撃を見舞う。

敵の手首が、宙を舞う。

血が飛ぶ前に、次の一撃。


「――っ!」


背後からの銃声。

振り返らず、剣を傾けて射線上に置いておく。

弾丸が刃に当たり、おのずと逸れる。

その反動を利用して、体を回す。

回転。斬撃。


二人目。三人目。次々と緻密な攻勢が崩れていく。


(……なんだ、この精度は)


ソベクは、後退しながら観察する。

これは単純な剣技ではない。

戦況は一方的な処理にさえ似てきている。

入力に対して、最適解を出力し続けている。

およそ人間技ではない。


(……あの機兵とはまるで違う)


クロアとは違う。そこにあるのは――不屈の意志だ。


「来ないなら、こっちから行くぞ」


ラテアが静かに告げる。しかし、その声には確かな芯と熱があった。


大きく踏み込む。加速。一瞬で距離が消える。

ソベクが迎撃に出る。刃が伸びる。

変形する武器に不規則な攻撃軌道。読ませない動き。


「それはもう見切った」


剣が、内側に入り込む。構造の隙間。

変形の起点を的確に断つ。暗殺者の武器が、機能停止する。


「――!」


初めてソベクの表情が動き、即座に距離を取り追撃を躱す。流石に判断が早い。


(……勝てない)


この時点で結論は出ていた。この場、この条件では勝算が薄すぎる。


「全員、離脱」


低く命じる。ラテアが、もう一歩踏み込む。

逃がさない。その意志が、剣に乗る。


「……これまでだ」


ソベクが、煙幕弾を投げる。視界が完全に潰れる。

それと同時に、全員が散開。完璧な撤退動作。


ラテアは追わない。

剣を構えたまま、その場に静止する。


(……深追いは罠か)


警戒しつつ呼吸を整えていると、煙が晴れてきた。

そこにはもう、誰の影もない。

静寂が戻る。遅れて、護衛たちが駆け寄る。


「ラテアさん、今のは――」


「大丈夫だ」


短く答え、両手剣をゆっくりと下ろす。


「……クロアには負けていられないからな」


軽く笑う女傑。

だが、その目はまだ鋭い。

襲撃がまだ完全には終わっていないと理解している。


(……また来るだろうな)


これは、前哨戦だ。本命ではない。

それでも、自衛できることは証明した。


遠く暗闇の中、ソベクは止まる。

部下の損耗を手早く確認した。最小限の損害で済んではいる。


(目標、排除失敗)


当然だ。あの剣技の冴えは、まさしく想定外。


「……剣聖か」


低く呟く。そして。


「次は、殺す」


その声に、感情はない。

ただ、更新された事実と暗い殺意だけがあった。


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