第十話 選択 後編
雷撃が、地を裂いた。
次の瞬間には――そこに誰もいない。
セルケトの姿は、常に残像だけを残して消える。
「――遅い」
声が背後から迫る。
それと同時に、衝撃。
雷を纏った刃が、クロアの側面に叩き込まれる。
火花が散り、装甲が軋む。しかし。
「捕捉完了」
クロアは振り返らないまま無感動に告げる。
その肘が、僅かに動き機関砲の射線を通す。
その射線上に――既にセルケトがいる。
そのまま至近距離で発砲。
セルケトは左腕の鉄爪で斜めに受け流す。
直後に衝突。金属と雷が、空間を引き裂くような轟音を轟かせる。
「ほう」
セルケトの口元が、わずかに歪む。
「追いつくか」
彼女は止まらない。それどころか加速していく。
再び捕捉されることなく、姿が掻き消える。
「【迅雷】」
それは空間を跳ぶのではなく、極限まで圧縮され完成された移動法であった。
同時に認識の隙間を縫う、連続加速。
前、後、上。
三方向からの同時斬撃が見舞われる。
「無効化」
クロアの周囲に弾幕が張られる。
機関砲の斉射。中距離制圧用のはずのそれを、至近距離での面制圧に即興で応用する。
弾丸が壁を作り、雷がそれを突き破る。
瞬時に突破と接近を両立する雷術士。
セルケトが、獰猛に笑う。
「いいな、それでこそ兵器だ」
黒い片手剣が振り下ろされ、連動して雷が爆ぜる。
クロアの肩部装甲が裂ける。
内部構造が、一部露出する。
「損傷、軽微」
しかし即座に修復が走る。
ストラクチャーゲルが、傷口に流れ込む。
装甲の急速な再構築が見る間に進んだ。
(……異常だな)
それを直接目にしてセルケトの思考が冷える。
速度では勝っている。打撃も通っている。
だが、決定的に何かが足りない。
「容易には落ちないか」
距離を取る。一瞬だけ、再評価のために。
クロアはそれを敢えて追わない。
ただ、照準を合わせるのみ。
その視線が、わずかに戦況の深層を映し出す。
(……解析完了)
セルケトの動き。加速パターン。着地の癖。攻撃の優先順位。
すべての微細な戦術情報が、高速で蓄積分析されていく。
「……ならば」
セルケトが、再び踏み込む。
さらに速度を上げる。
【迅雷】に込める魔力密度を高め、その位階を一つ上げる。
空間が歪む。雷光が一直線に尾を引く。
鉄爪が纏う雷撃が、空間を引き裂く。
もはや視認不能。――そのはずだった。
「捕捉完了」
クロアが、引き金を引く。一点。何もない空間へ。
だが、そこにセルケトが現れる。弾丸と雷が交差し、直撃した。
セルケトの体が、わずかに逸れる。
戦闘開始後、初めての明確な被弾だった。
「……当てたか、つくづく面白い」
低く呟くその目が細められる。
そして次の瞬間にはもう動いている。
セルケトの傷は浅いが、攻撃が通用することは証明された。
「出力制限、解除」
クロアが静かに告げる。
戦場の音が、一瞬だけ遠のいた。
「並立空間エネルギー抽出端末――20%稼働」
古の機構が息を吹き返した瞬間、空気が重くなる。
四脚の黒き機兵の圧が、明確に増す。
見えない何かが、そのコアブロックへと流れ込んでくる。
クロアの周囲に歪みが発生していた。
そこでは光さえもわずかに遅れる。
「……それが」
セルケトが構え直す。
帯雷が強く唸る。
「お前の本気か」
クロアは答えない。
その動きが、変わっていく。
数瞬後、四脚の踏み込み――それが視界から消える。
今度はクロアがセルケトの速度を明白に上回った瞬間である。
「――!」
超反応。それでようやく防御が間に合う。
鉄爪で咄嗟に受け止められた黒き大剣は、尋常ではなく重い一撃を生んでいた。
明らかに、さっきまでとは動きの質からして違う。
「出力上昇、抽出端末再調整」
クロアの無機質な機械音声が、耳元で響く。
機関砲が至近距離で唸る。弾幕の密度が、倍化している。
「チッ……!」
セルケトが思わず後退する。クロアは勝機を逃さず追い縋る。
雷撃の群れと弾丸が交錯する。
爆発と衝撃が瞬時に走る。
両者ともに止まらない。
斬撃、応撃、打撃。
怪物同士の完全な白兵戦。
「――いいな!貴様!」
セルケトが獰猛に、本気で笑う。
「これだ……これでなければ奪う価値はない!」
雷勢がさらに強まる。
しかしクロアは一歩も揺るがない。
「戦闘継続、エネルギー充填率健常値」
その声は変わらず無機質だったが、ほんの僅かに熱を帯びていた。
その遠方で。ホバータンクが再突撃をかける。
魔物の軍勢が着実に削られていく。
戦線が次第に、けれど確実に歪む。
この混沌の中心で。
クロアとセルケト。
二つの異常戦力が、衝突し続ける。
勝敗はまだ決まらない。
だが戦局は、片時も止まらずに動いていた。
やがて雷撃が黒い装甲に弾かれた。
その直後に衝突するクロアの一撃が、ついにセルケトを押し込む。
装甲が軋み、地面が砕ける中、セルケトが半歩後退する。
(……優勢)
クロアの怜悧な演算が、結論を出す。
――並立空間エネルギー抽出端末出力20%。
――戦闘継続時間、残存余裕あり。
――敵損耗、増加傾向。
(制圧可能)
次の一手を――選択しようとした、その瞬間だった。
「――動くな」
低い声。
戦場の音がわずかに遠のく。
クロアの視線が声の方向、横へ動く。
そこに――ソベクがいた。
その腕の中に、ラテア。
「……っ」
ラテアの体は、力が抜けている。動けないようだが呼吸はある。
その瞳はクロアを一心に見つめていた。
「痺れ毒だ」
ソベクが、淡々と言う。
「即死性ではない。だが、次の日が昇るまでは抵抗は不可能だろう」
刃が、ラテアの喉元に触れている。
ほんのわずかでも動けば――全てが終わる距離。
「武装を解除しろ、クロア」
静かに告げる。
「投降しろ」
戦場が、完全に止まる。
雷も、砲撃も、静止する。
一瞬だけ、戦い自体が意味の在りかを失う。
クロアは動かない。
演算だけが冷静に走る。
無数の選択肢の分岐が即座に提示されていく。
攻撃継続――成功率低。ラテア死亡率極大。
投降――戦局崩壊確定。人界損耗、致命的。
(……解、なし)
初めてだった。クロアの極めて明晰な演算回路は、完全な袋小路に閉ざされた。
「……クロア」
かすれた声。ラテアが紡いだものだ。
わずかに顔が上がり、視線が再び合う。
彼女の目に迷いはない。
「聞こえるか……?」
クロアは未だ聞いていないはずの新たな指令の内容を悟りながらも、応答しない。
それでいて視線は外さない。
「……いいか?」
ラテアが、息を整えた。
毒で震える身体を、無理やり意志の力で制御する。
「この状況、最悪だな」
ソベクの刃がわずかに食い込む。血が、一筋首を伝う。
それでも、全く怯まずに続ける。
「だが……選択肢は、ある」
クロアの演算が大きく揺さぶられる。
(……発言内容、予測不能)
「クロア」
その名前を呼ぶ。はっきりと。
「ラテアが命令する」
その一言で、空気が一変する。
マスター権限。それはクロアの中で、最優先命令として処理されるのを、この世界で彼女だけが知っている。
「――この戦場ごと、ぶっ壊せ」
静寂。
ソベクの目がわずかに細まる。
セルケトも動かない。
クロアの中で。
すべてが、停止する。
(命令受領)
ラテアの生還率――ほぼゼロ。
戦場破壊――敵味方双方に甚大な損害。
戦局――優位確保可能。
(……矛盾)
――最優先目標:ラテアの生存。
だが。ラテア自身が、それを否定する命令を出した。
(優先順位、衝突)
演算がループして解が出ない。
高度に洗練されたシステム内にノイズが増える。
その中で一つだけ、存在感を強固にするものがあった。
かつてのラテアの言葉。
“自分で勝ち取れ”
“与えられるものではなく”
“自ら選んだものを信じて突き進め”
(……選択)
クロアは、震える数列の中で理解する。
これは最適解の問題ではない。
何を切り捨て、何を繋いでいくのか。
その決断の問題なのだと。
「……了解」
呟いた。小さくても、確定的に。
次の瞬間。クロアの内部機構出力が、爆発的に跳ね上がる。
「出力限界――」
さらに上昇させる。限界へ、その先へ。
空間が歪む。地面が軋む。
「――解放」
その瞬間。尋常ならざる危険を察知したソベクが迅速に動く。
ラテアごと戦場を離脱しようとする。
しかしそれでも遅かった。遅すぎた。
クロアの攻撃は、すでに発生していたのだ。
空間ごと圧し潰すような巨大な一撃。
閃光がすべてを呑み込む。
轟音と爆発、それに伴う衝撃波が戦場を薙ぎ払う。
雷も。炎も。叫びも。
そのすべてが白に塗り潰される。
「【亜空間爆縮】」
数分後。
ようやく煙が晴れる。
大地が大きく抉れ、爆心地には広大なクレーターができていた。
その中に、クロアが立っている。
損傷しているものの、静かに立ち尽くしている。
その視線が下へ、地中へと向く。
(……)
ラテアの反応を懸命に探知し、やがて微弱な生体反応を検知した。
極めて低い確率を、掴み取れるかもしれない。
ソベクの姿は――ない。
逃げたのか、爆縮に巻き込まれたのか、それは判らない。
セルケトは大きく距離を取っていた。
その半身に避けられなかった火傷を負いながら。
その目はクロアを捉えている。
「……なるほどな。選択を覚えたか」
低く呟き、評価を更新する。その紅蓮の瞳がクロアを諦める気配はなかった。
クロアは、無言で荒廃した戦場を探し歩く。
そうして迅速に、発見したラテアの反応の元へ向かう。
その歩みは、変わらず機械的で――だが明確な意志を帯びて速かった。
光が、満ちていた。
工業都市セクター中央大講堂。
かつて決起集会が開かれた場所は、今や完全なる聖域へと変貌している。
幾何学模様の光輪。
天井を巡る発光導管。
整然と並ぶ拝兵と信徒。
その数は――万を超える。
そのすべての人々が、ただ一つの瞬間を待ち望んでいた。
「――本日、我らは再び奇跡を目の当たりにする」
オースの声が静かに、しかし確実に響く。
その声には、かつて以上の確信があった。
「死は終わりではない」
ざわめき。
「信仰がある限り、主神の御業は尽きることはない」
光が強まる。
「見よ」
一拍。
「預言者の帰還を」
壇上の奥。光の中から、一つの影が現れる。
静かに。ゆっくりと、歩み出る。
その姿が露わになる。
「……っ」
誰かが、息を呑んだ。
ラテア。確かに、ラテアだった。
戦場での消息不明から実に一か月も経過している。
「おお……」
「奇跡だ……」
「主神の御業……!」
群衆が膝をつく。
祈りが波のように広がる。
ラテアはそれを眺めていた。
表情は静かそのもの。何も言わないが、わずかに視線が揺れる。
その時だった。
群衆のざわめき、その最奥。
熱狂と祈声の波が届かぬ場所に、ただ一つの影が立っていた。
――クロア。
微動だにしない。
碧い単眼だけが、壇上を見据えている。
そして。ラテアが、顔を上げた。
視線が交わる。刹那。
クロアの内部で、説明不能の揺らぎが発生する。
(……誤差)
演算不能。
分類不能。
既存の論理体系に該当項目なし。
だが――それは確かに、そこにあった。
「……クロア」
ラテアが呟く。
かすれるほど小さな声。
それでも、寸分違わず届いた。
変わっていない。その声も、姿も。
オースが一歩前へ進み出る。
黒衣を翻し、両手を掲げた。
「見よ!」
その声は講堂の隅々まで響き渡る。
「主神は、彼女を見捨てなかった!」
歓声が爆ぜる。
祈りが重なり、熱狂が渦を巻く。
「死の淵より引き上げられし者――預言者ラテア!」
地鳴りのような喝采。
信仰は、今まさに絶頂へ達しようとしていた。
ラテアは笑わなかった。
歓呼にも、祝福にも応えず、ただ静かにそこへ立っている。
その瞳が見つめる先には、ただ一体の機械兵だけがいた。
クロアが、歩き出す。
群衆は言葉もなく左右へ割れた。
誰に命じられるでもなく。
使徒が進む道を、自然と開けるように。
重い脚音が響く。
一歩、また一歩。
やがて壇上へ。
ラテアもまた、歩み出る。
二人の距離が、ゆっくりと縮まっていく。
誰一人、声を発しない。
その一瞬だけは、
世界そのものが息を止めていた。
「……生きていたか」
先に口を開いたのはラテアだった。
かすかに笑う。
だが、その笑みには隠しきれぬ疲労が滲んでいる。
「それもそうか。お前は、しぶといからな」
いつも通りの軽口。
あまりにも見慣れた調子。
けれど。クロアは答えない。
ただ、見つめている。
失われたと判断した存在を。
再び、この視界の中に捉えて。
「……どうしたんだ?」
ラテアが眉を寄せる。
「まさか、本当に私が死んだと思ったか?」
沈黙。わずかな間。
その空白を埋めるように、クロアが告げる。
「……死亡判定は、一度下している」
クロアの声音は平坦だ。
いつもと変わらぬ機械的音声。
だが、その沈黙だけが何より雄弁だった。
「なるほどな」
ラテアは目を細める。
「で、どう思った?」
軽く投げられた問い。
しかしその実、内容はあまりにも重い。
クロアは停止する。
それは演算ではない。
命令処理でもない。
選択だった。
「……戦闘継続に支障が出ると判断した」
一瞬の静寂のあと。ラテアが吹き出した。
「はは……そっちか」
肩を揺らして笑う。
その笑い声は、どこか震えていた。
「……まあ、いい」
視線をわずかに逸らす。
その奥底に、言葉にならぬ安堵が確かに滲んでいた。
オースは、その一部始終を見つめていた。
仮面の奥で、静かに呟く。
(……完成した)
使徒。
預言者。
奇跡。
すべての駒は揃った。
物語は、これ以上なく美しく整えられた。
あとは――広めるだけだ。
「なぁ、クロア」
ラテアが呼ぶ。
「これから、もっと面倒なことになるぞ」
苦笑。
されど、その瞳には少しの揺らぎもない。
クロアは即座に答えた。
「問題ない」
一切の逡巡なく。
それが当然であるかのように。
その言葉に。
ラテアは、ほんの少しだけ――笑みを深くした。




