第十三話 知性体 後編
刃と刃が噛み合い、圧力が拮抗し火花が散る。
クロアとゲブ。戦場の中心で二つの“核”が衝突していた。
「……いいな」
ゲブの声は低く揺るがない。その瞳はすでに見極めた色を帯びている。
「だからこそ貴様は――ここで折らねばならん」
評価と同時の決断。大剣がゆっくりと引かれる。構えではない、深く鋭利な溜め。
(……警戒値上昇、未確認行動)
クロアの演算が即座に危険域へ振れる。だが遅かった。ゲブの足が地を踏む。深く、重く、大地そのものに繋ぐように。
「――【アースランパート】」
大剣が叩きつけられた瞬間、轟音とともに地面が鳴く。揺れをもたらす打撃。短く強い震動が扇状に広がり、瞬く間に戦場の奥へと到達する。
次の瞬間、地面が裂け隆起し、無数の岩塊がせり上がった。盾のような巨大な壁が乱立し、視界を遮り進路を断ち、陣形を分断する。
「なっ……陣形が!?」
「前が見えない、隊列が崩れる!」
叫びが各所で上がるが、もう遅い。戦線が一瞬で消えたのだ。
横の繋がりは断たれ、縦の連携は崩れ、各隊は孤立する。
(……陣形崩壊、被分断完了)
クロアの演算が冷酷に現実を示す。
(……戦場改変)
ただの一撃ではない。地形そのものが敵のものとなった。
ゲブが大剣を引き抜く。その周囲だけ揺れが収まっている。中心こそが、地形改変の制御点。
「――来い」
再びの呼びかけ。しかし先ほどとは意味が違う。
背後の戦場で動く影。ホブゴブリンが岩陰を滑り、死角から飛び出す。
暗器が投げ込まれ、火が走り、混乱が拡大する。
さらにフェリカトゥスが岩塊を足場に跳躍し、次の瞬間には別の岩へと連続移動する。
「にゃはは、足場がいっぱいにゃ!」
ネフティスの声が上から降る。戦場は立体化し、平面は消えた。
だが彼女たちにとっては遊び場に過ぎない。上から、横から、死角から鉄爪が振るわれ、悲鳴が連鎖する。
(……戦場優位、完全移行。このままでは崩壊する)
この事実はもはや否定不能だ。それでもクロアは止まらない。視線はゲブを捉え続ける。
(……中核、未だ健在。断てば流れは戻る)
確信ではないが、選択は定まっている。
「状況は悪いな」
ラテアの声は静かで揺らがない。
「……マスターラテアに同意する」
クロアの応答も短い。
次の瞬間、四脚が踏み込む。
岩塊の間を縫い、跳ねるように進む。
最短ではない、最適解の軌道。狙いはただ一つ――ゲブ。
戦場が崩れようと優位が変わろうと、この戦いの核はそこにある。
波紋が広がる。静かな湖面に落ちた一滴の雫が円を描き、やがて別の波紋と重なり形を崩すように。
イデア奪還軍の後方、補給部隊の末端。本来ならまだ戦場ではない場所だった。
「……っ、もう無理だ……」
一人の兵士が震えていた。手にあるはずの武器がない。
視線を落とすと、創世教の御守りが泥にまみれて転がっている。
「……なんでだよ……」
声が掠れる。目の前の現実と耳に入る音が繋がらない。
前線は押していたはずだった。勝つはずだった。導かれているはずだった。
それなのに断末魔の叫びは途切れず、悲鳴は近づき、味方が逃げてくる。血に濡れた顔で、振り返りもせずに。
「――もうダメだ!」
兵士が叫ぶ。
「撤退だ!こんなの戦いじゃない!」
声が裏返る。理性でも反射でもない、純然たる恐怖。
「命が大事なら撤退するんだ!俺は一人でも逃げるぞ!犬死には嫌だぁ!」
足が動く。命令でも判断でもない逃走。それが選ばれる。
それを見た者がいる。一人、二人、三人。視線が揺れ、足が半歩下がる。
そしてその半歩で十分だった。波紋が広がる。
「……撤退、だと?」
「いや、待て、まだ――」
否定は弱く、声は届かない。
過酷な現実が目の前にあるからだ。
逃げている、崩れている、死んでいる。
信仰ではもう覆いきれない。
そして一人が走る。それで足りた。
負の連鎖。後方から一斉に崩れる。
補給部隊が散り、護衛が離れ、指揮が途切れる。
「退け!退けぇ!」
「無理だ、無理だ無理だ!」
叫びが増えて方向を失い、統制が消える。
誰もが自分の命だけを見る。その崩壊は前線へと伝播している。
(……崩壊開始。後方より連鎖的瓦解。再構築、不可能)
結論は明確だった。
(……敗北)
その瞬間、戦場の音が変わる。
逃げる音、踏み荒らす音、潰される音、そして追う音。
魔族連合軍が勢いを増す。ゲブの大剣がさらに深く食い込み、ザガルの弩が逃走経路を潰し、ホブゴブリンが退路を焼く。
「にゃはは、逃げてくのにゃ〜!」
ネフティスの声が背後から迫る。逃げる者ほど狩られ、立ち止まる者ほど潰される。選択肢はない。
ここで組織的戦いは終わった。いや――戦いですらなくなっていた。
(……趨勢、確定)
クロアの単眼が戦場全体を捉える。崩れている。逃げている。壊れている。
もう戻らない。イデア奪還軍は敗走していた。
逃げる音が遠ざかり、叫びが途切れていく。
やがて静寂が降りる。戦場に残るのはわずかな音だけ。
刃と刃がぶつかる音が二つ――クロアとラテア、そしてその対面に立つゲブ。
他に誰もいない。だが無数の魔族に囲まれている。オーク、ホブゴブリン、フェリカトゥス。
だが誰も踏み込まない。ただ見ている。神聖さすら帯び始めた戦いがそこにあるからだ。
クロアもラテアも、一歩も退かない。
(……最優先護衛対象、存命。任務、継続中)
理由はそれだけだった。信仰ではない。勇気でもない。
使命を果たし続ける機能がある。だから戦う。
刃が走り、ゲブの大剣と交錯する。
重い。だが読める。
ラテアの剣が重なる。正確で無駄がない。
二人で一つ。
やがて一撃がわずかに届くが、浅い。ゲブもまた半歩たりとも退かない。
「……よく残った」
低く静かな声。
「だが、それだけだ」
振り下ろしをクロアが受け、ラテアが逸らす。連携は保たれている。だが疲労が色濃く見える。
一体いつから何時間戦い続けているのか、判然としない。
ラテアの呼吸がわずかに乱れ、踏み込みが僅かに遅れる。
(……消耗、進行)
もう持たない。それでも。
(……任務、継続)
その時だった。
「……そろそろ終わりにゃ?」
軽い声。場違いなほどに軽い。ネフティスだ。
いつの間にか、そこにいた。否、ずっと見ていた。
退屈そうにあくびを一つ。
「いい勝負だけどにゃ〜」
猫耳が鋭く尖り、一歩踏み出す。
(……介入確認。優先排除対象、追加)
だが遅い。ネフティスが動くとき、彼女はただ速いのではない。
最短でも最速でもなく、最適を的確に選び取る嗅覚に秀でているのだ。
ラテアの死角。その一瞬に生まれた致命的な隙。
そこに鉄爪が触れる。斬らない。貫かない。しかし確実に自由を奪う。
次の瞬間、ラテアの身体が宙に浮いた。
無傷のまま、完全に制圧されている。
「――っ」
初めてクロアの動きが止まる。
遅れて刃を振るう。だが届かない。
ネフティスはすでに後方へ退き、軽やかに着地している。
「動くと、この子が危ないにゃ」
軽い口調。だが冷酷な事実だった。
ラテアの喉元に鉄爪が添えられている。
ほんのわずか。それだけで全てが終わる距離に。
暫しの静寂。誰も動かない。
(……最優先護衛対象、被拘束。任務――)
そこで止まる。続きが出ない。勝利条件が消失している。
守るべき対象は捕らえられた。もはや戦う理由は――
(……失敗)
クロアは動かない。ただ刃を下ろす。
戦場の空気がわずかに緩んだ。
ゲブが一歩だけ近づく。その目は静かだった。
「……よく戦った、敵にしておくには惜しい戦士よ」
率直な評価だ。それ以上でもそれ以下でもない。
ネフティスがくすりと笑う。
「にゃはは、やっと終わりにゃ」
ラテアは何も言わず、ただクロアを見ている。
その視線の意味を、クロアは解釈しない。必要がないからだ。
戦いは終わった。
残ったのは――存在する理由を失った機兵だけだった。




