第一話 再起動
>>>惑星管理観測系 起動状態:安定
恒星活動:正常範囲内
生態系維持指数:許容域
文明活動干渉率:低
新規演算要素を検知。
分類不能。
既存体系に該当項目なし。
暫定識別:変数。
影響予測を開始する。
……再帰演算に微細な遅延を確認<<<――
――湖面は凪いでいた。
ところどころ苔むして、朽ちた構造体は半ば泥に沈んでいる。
「……これか」
天啓は曖昧だった。
座標も理由も示さない。
ただ“ここだ”という確信だけがあった。
ラテアは手袋を外す。
指先に淡い光が灯る。
「【リペア】」
それが彼女のギフト――修復。
ひび割れた装甲が、音もなく再構築される。
失われた回路が、光を帯び延伸していく。
——起動信号を検知。
湖面がわずかに揺れた。
再び生まれ落ちた異形が、ゆっくりと立ち上がる。
人型を模していながら、頭部のない四脚。
装甲に覆われた重厚な機体は、兵器そのものの威圧感を放っていた。
——惑星防衛自律機構 試作型
——対外宙脅威応答待機
——戦術AI 初期化
——感情モジュール:未実装
四脚の内部で低い振動音が生まれる。
装甲の継ぎ目が、微かに発光する。
そして。
胴体中央の碧い単眼が、ゆっくりと開く。
「……起動完了。」
——環境分析
——大気組成:安全
——脅威反応:無し
——生命体検知:1
——脅威度:測定中
胸部と一体化した眼部が初めて瞬き、碧く深い光を湛えた大きな単眼がこちらを見据えてくる。
——近接生命体
——戦闘経験値:高
——脅威度:不明
それは、私の倍近い高さまでゆっくりと持ち上がった。
見上げるしかない巨体だった。
いささか恐怖を感じさせるほどに、計り知れない暴威の影を纏っていた。
「環境、確認。」
「近接生命体。識別名を要求する。」
「……名を名乗ればいいのか?ならば、ラテア、それが私の名だ」
数秒の沈黙。その裏で怜悧に進行し続ける演算。
「……起動者、登録完了。」
いちいち仰々しいやつだな、などと益体もないことを考え、知らず僅かに警戒を解き始めていた自分を律する。その時だった。
「ラテア。」
こいつは確かに私の名を呼んだ。いや、単純に復唱したのかもしれない。その硬質でありながら奥深さも感じさせる独特の声質に、今確かに意思のようなものが生じたかのような、そんな感覚を覚えた。
——近接生命体再検知
——脅威度算出
——行動履歴:未取得
——敵対性評価:不能
——保護優先度:未定義
——分類:判定不能
——処理:観測対象へ設定
「近接生命体。判定不能。」
「観測を開始する。」
ラテアは武骨で愛嬌の欠片もない機構の反応に、少し眉をひそめる。
「……随分と失礼な機械だな。」
「観測する。」
「いやそれは聞こえてるって」
しばしの沈黙が両者の間を支配する。
「ところでお前、そんな鈍重そうな図体で動けるのか?」
「少し歩いてみろ。さっきまで壊れてたんだ、無理はするなよ」
数瞬の沈黙。
四脚の前肢が、ゆっくりと持ち上がる。
軋みはない。ただ、重さだけがあった。
——踏み下ろされる。
地面がわずかに震え、碧い単眼が一拍遅れて明滅した。
その瞬間、湖畔の空気が変わった。
まるで何かが世界との接続を取り戻したかのような、場所が場所ならば儀式的な光景にさえ映りそうな気がした。
「……姿勢制御、再構築完了。」
「バランサー調整、正常。」
「移動機構、最適化処理開始。」
「周辺地形データ、更新。」
「個体識別名、ラテア。」
「命令入力更新まで、暫定自律行動の許可を要請する。」
「自律行動か……いいだろう。私に協働する気があるなら、可能な限り便宜は図ろう」
「だが、私を裏切るならば、必ず相応の報いを受けさせる」
言い切ると、ラテアは背を向けて歩き出す。
湖畔の小石が、彼女の足元で乾いた音を立てた。
数歩進んでから振り返る。
「来ないのか?」
碧い単眼は、わずかに明滅した。
四脚は動かない。
——観測対象:ラテア。
——行動解析、継続。
その数秒が、奇妙に長かった。
——裏切り:定義照合
——報い:未登録感情語
——処理優先度:上昇
湖面を渡る風が、ラテアの銀糸の髪を揺らす。
——観測対象:ラテア。
——行動予測:離脱。
——追従時の戦術的利点:中。
——非追従時のデータ損失率:上昇。
数秒。
四脚が、静かに持ち上がる。
重い踏音が、遅れて湖畔に響いた。
>>>変数導入完了。
経過観測進行中。<<<
▲▽▲―――▲▽▲
湖畔を離れると、森はすぐに深くなった。
ラテアは迷いなく歩く。
獣道を選び、足音を消し、水場の匂いを避ける。
——行動解析
——移動効率:高
——戦術経験:推定上級
「……何だ、その目は」
背後から追従してくる碧い単眼の視線を感じ取り、ラテアは振り返った。
クロアは心なしか駆動音を抑え、隠密を試みているらしい挙動だった。
だが巨体は容赦なく枝葉を薙ぎ、草木に触れるたびガサガサと派手な音を立てている。
「観測中。」
機械的な応答に、ラテアは小さく息を吐いた。
「……随分と賑やかな観測だな」
そう言いつつ、道幅の広い獣道を選ぶよう進路を変える。
やがてラテアは不意に立ち止まった。
地面に黒い染みがある。
血だ。
乾きかけているが、まだ新しい。
その横には、折れた槍。
——血液成分分析
——ヒト族
——死亡推定:3〜5時間前
ラテアも同じ結論に至ったらしく、舌打ちする。
「……オークか」
「説明を要請」
「人型でデカい魔物だ。群れで動く。人を見れば攫うか殺すか」
ラテアは周囲を警戒するよう視線を巡らせた。
「この辺りまで降りてきてるなら、街道も危ないな」
——新規脅威分類
——人型大型生物
——戦闘能力:推定高
その時だった。
森の奥で枝が折れる。
機械と人の視線が同時にその方向へ向いた。
地面を踏み鳴らす重い足音。
一つではない。
——生命反応
——数:複数
——接近中
ラテアは静かに両手剣を抜いた。
「……来るぞ」
森の奥から姿を現したのは、
人間より二回りは大きい影だった。
灰緑色の皮膚。
剥き出しの牙。
濁った黄色の眼。
オークだ。
しかも五体。
それだけ分かれば十分だった。
ラテアは既に動いていた。
最前列の個体へ一直線に踏み込む。
振り上げられた巨大な棍棒。
それをラテアの両手剣が下からすくい上げる。
鋼と木が激突する。
棍棒は軌道を逸らされ、空を切る。
返す刃。
遠心力を乗せた一撃がオークの胴へ深々と突き立った。
刃を引き抜く。
血が噴き上がる。
オークは数歩よろめき、そのまま倒れた。
「お前は手を出すな」
ラテアは剣を構え直す。
「こいつらは私の獲物だ」
その言葉を挑発と受け取ったのか、残る四体のオークが咆哮を上げる。
巨体が一斉にラテアへ殺到した。
戦闘開始から、四脚の機構はまだ動かない。
ただ観測している。
——戦闘技能:卓越
——敵戦力:低減
——戦闘疲労蓄積:大
「薄汚い豚頭どもが!かかってこい!」
——戦術不利:数的劣勢
——「お前」の定義範囲を再解釈
——命令対象:本機除外
——介入タイミング:検討中
また一体のオークが倒れた。
だが残る三体は連携を強める。
巨大な棍棒が連続して振り下ろされ、ラテアの防御を揺さぶる。
剣で受け、かわし、切り返す。
それでも徐々に押されていく。
気付けば背後には大木の幹。
退路が消えた。
三体のオークが同時に武器を振り上げる。
その瞬間。
——介入判断:成立
ドゴォッ
衝撃が森に炸裂した。
振り下ろされるはずだった棍棒の軌道が、突然横へ弾き飛ばされる。
オークの巨体が宙に浮いた。
機械兵の前脚だった。
いつ動いたのか、ラテアには見えなかった。
——戦闘介入開始
——脅威排除プロセス起動
四脚の背部装甲がわずかに開く。
内部で何かが脈動した。
次の瞬間。
黒銀の流体が噴き出した。
それは液体のように流れながら、空中で急速に形状を固定する。
刃。
長大な刃だった。
ストラクチャーゲルによる高速武装生成。
瞬時に生成された兵装が、機械兵の前脚から伸びる。
一体のオークが咆哮する。
反射的に棍棒を振り上げた。
遅い。
刃が一閃した。
巨体の胸部が、斜めに切断される。
骨も、筋肉も、鎧も。
抵抗はほとんどなかった。
オークは何が起きたのか理解する間もなく、上半身と下半身がずれて崩れ落ちた。
——敵戦力:減少
残る一体が怒号を上げる。
巨大な体躯で突進してくる。
機械兵の単眼がわずかに明滅した。
——運動軌道予測:完了
オークが棍棒を振り下ろす。
その瞬間。
機械兵の背部から再び黒銀の流体が噴き出した。
今度は刃ではない。
細い杭。
高速で硬化したストラクチャーゲルが、弾丸のように射出された。
三本。
胸部。喉。右眼。
音は小さい。
だが貫通していた。
オークの巨体が二歩、三歩と前へ進み――
膝から崩れる。
完全に沈黙した。
——抵抗値:急減
戦闘時間。
三秒未満。
森は再び静まり返った。
そして残った最後の一体のオークが、膝をついていた。
腹部を深く裂かれ、濁った血を吐きながらも、完全には倒れない。
巨体はなお地面に剣を突き立て、それを杖のようにして踏みとどまっていた。
荒い呼吸が森に響く。
「……ぐ、……」
やがてオークは顔を上げる。
その小さな瞳には、まだ戦士の火が残っていた。
「……我ら……誇り高きガリア氏族……」
ラテアは黙ってそれを見ていた。
戦場では珍しくない光景だ。
死にゆく戦士が、
己の名や誇りを最後に刻もうとする瞬間。
オークは血を吐きながら笑う。
「その戦士の矜持において……必ずや復讐を――」
——復讐:定義照合中
——誇り:未登録概念
言葉は最後まで紡がれなかった。
重い衝撃音が地面を叩く。
機械兵の前脚が振り下ろされていた。
三メートルの機械兵の質量が、
そのままオークの頭部へ叩き込まれる。
骨が砕ける音。
泥と血が散る。
頭部は地面に押し潰され、
もはや原形を留めていなかった。
森が静まり返る。
数瞬の後、機械兵の碧い単眼が淡く明滅した。
「……抵抗値、安全圏まで減衰」
機械的な報告。
そこには勝利も、怒りも、侮蔑もない。
ただ、
排除対象が処理されたという結果だけがあった。
ラテアは思わず一歩だけ足を止める。
戦場では躊躇は死を招く。
だから敵を容赦なく殺すことに、彼女自身ためらいはない。
だが――
今のそれは、
戦闘というより
処理だった。
「……」
ラテアは無言で機械兵を見上げる。
装甲に覆われた巨体は微動だにせず、
ただ碧い単眼だけが静かに周囲を観測している。
まるで先ほど潰した命など、
記録の一行にすぎないと言わんばかりに。
その冷徹さに、
歴戦のラテアですら――
ほんの一瞬だけ、たじろいだ。
——この血で汚れた装甲は、本当に味方なのか。
「――周辺脅威反応、消失。安全圏を確立」
どこまでも冷徹な機械音声に、不意を突かれて我に返る。
「推奨:作戦指揮継続」
「……お前には、感情がないんだな」
思わず口をついて出た言葉だった。
だが今を逃せば、もう二度と問いただせない気がした。
「命を奪ったのなら、その存在を忘れるな」
足元のオークの死体へ視線を落とす。
「少なくとも私は、そうして生き残ってきた」
碧い単眼が、正面からラテアを見つめていた。
凪いだ湖面のような光。
だがその奥で、ほんの一瞬だけ揺らぎが生じた気がした。
「出血量増大。治療を推奨」
そう言われて初めて、左腕から血が流れていることに気づく。
戦闘の最中についた傷だろう。
それすら意識の外に追いやるほど、先ほどの光景は衝撃だった。
「……随分と気が利くな」
「任務遂行確率の維持を優先」
私は小さく鼻を鳴らした。
「そういう時は“心配だ”とでも言っておけ、頭でっかちが」
機械兵は私の軽口を理解した様子もなく、しばし沈黙したまま立っていた。
やがて単眼がゆっくりと周囲を走査する。
「周辺地形を再評価」
「……何だ?」
「休息推奨地点を発見」
確かに、この森でこれ以上うろつく理由もない。
私は肩を回し、血の付いた剣を振って汚れを払った。
「少し歩くぞ。ここは臭いがきつい」
オークの死体を顎で示す。
「やがて腐臭が漂う。夜になれば獣も寄る」
「了解」
機械兵が静かに後ろについた。
森の奥へ、再び足を踏み入れる。
戦闘の熱が引いた森は、驚くほど静かだった。
やがて小さく開けた場所に出る。
古い倒木があり、風も弱い。
「ここでいい」
私は膝をつき、枯れ枝を集め始めた。
しばらくして火が灯る。
焚火の炎が、暗くなり始めた森を橙色に染めていた。
四脚の機構は少し離れた位置で、静かに佇んでいる。
その単眼が、炎を観測するように揺れていた。
私は干し肉を噛みながら言う。
「……お前は食わないのか?」
「不要。当機の作戦遂行能力に影響なし」
「ってことは、食べること自体は可能なわけだ」
「戦術補給は継続中。エネルギー残量に問題なし」
ラテアは干し肉を噛みながら、小さく肩をすくめた。
「そうか。だがな」
火の爆ぜる音が、夜の森に響く。
「例え粗末なものであっても、食事は安らぎをもたらす」
「当機の機能目的に該当しない」
「……つまらんやつだな」
しばらく沈黙が流れる。
やがてラテアが焚火をつつきながら、ふと思い出したように言った。
「暇なときは何をして過ごすんだ?」
「待機」
「それは暇とは言わないな」
ラテアは苦笑した。
「暇っていうのはな、あらゆる創造の母たる時間のことだ」
「もっと自由に考えていい」
単眼が静かに明滅する。
「解析不能」
「……だろうな」
ラテアは干し肉を飲み込み、空を見上げた。
「眠らないのか?」
「低エネルギーモードによる擬装潜伏が可能」
「それは多分“寝てない”な」
焚火の光が、彼女の横顔を揺らす。
「精神と身体を休める技術は、戦士の資質だ」
「覚えておけ」
「……了解」
機械兵の単眼が、わずかに炎を追った。
――睡眠:定義照合
――休息:戦闘効率向上要素
――観測対象:ラテア
処理を保留。
「……見張りは任せたぞ、私は寝る」
焚火の炎は、本来夜の闇に溶けていく観測対象に過ぎない。
だが今、その揺らぎは機械に新たな演算をもたらしていた。
やがて月明りは雲間に隠れ、焚火が息絶えた。
森は暗闇に沈み、ただ一つ、碧い単眼だけが夜を観測していた。
>>>惑星管理観測系
新規観測対象:防衛ユニットプロトタイプ
行動変数:増加傾向
感情模倣反応
発生確率:微増
……興味深い。
変数、経過観測中<<<
次回更新は4/21(火)の夕方予定です。




