第十一話 婚約の理由
静寂が流れる。怖くて頭が上げられない。
攻略対象の筆頭、第一王子アレクサンド・リヒハイム。彼はその柔らかな笑みと物腰で老若男女を虜にする天才だ。言動も優しく、相手への気遣いを忘れない姿はとても上に立つものとは思えない。しかし、それは彼の本心でもあり作戦でもある。
誰もが彼に感謝し、優しい態度に気を許し親密になろうとするだろう。そこで得た情報をきちんと政治に生かすだけの頭脳が彼にはあった。人の相談に乗り情報を集め、悪いことや問題はしっかりと収める。それが彼のやり方だ。
嘘くさい、二重人格だ、裏表がある。そう影で揶揄する人間もいるが、そんな態度を取ることは決して彼の本心に反しているわけでは無い。ゲームをプレイしていたから分かる。常に人に優しく接していたいと思うのは、まぎれもない彼の本心だ。
そんな彼に直接頼めば、きっと話を聞いてもらえる。それが今日の狙いだった。
「うん」
そう聞こえて、あまりにあっさりした答えに驚いてしまう。思わず一瞬顔を上げそうになるが、続いた言葉にすぐにまた頭は下がった。
「無理だね」
***
「とりあえず、顔を上げてくれないかな?」
言われた通り顔を上げる。必死に取り繕おうとするが、ちょっと拗ねた表情なのが見て分かったらしい。彼は困ったように眉をひそめた。
「そんな表情をされると、願いを聞いてあげたくもなるけれど。事情が事情なんでね。無理なんだよ。僕にはどうしようもない」
そこまで言われてしまうと、それ以上何も言えない。少し愚痴を言いたくなるのをこらえて唇を噛み締めていると、彼は私に椅子を示した。立ち上がるとこちらまで来て椅子を引いてくれる。
促されて座ると、ふわりと彼の香水の香りが鼻をくすぐる。華やかな薔薇の香りだ。その美貌と地位に優しい態度が合わされれば、普通のご令嬢ならすぐに彼に惚れてしまうだろう。
「まずは落ち着いて話をしようか。時間ならあるから」
「……はい」
正面に戻り紅茶を一口飲んだ彼は、また優し気な微笑でこちらを見た。余裕のある態度に尻込みしそうになる。
おかしいな? 私の方が精神年齢上のはずなのに!
「改めてはじめまして。アレクサンド・リヒハイム。気軽にアレクと呼んでくれて良いからね」
「はい。アレク様」
「僕はリリアンナ嬢、と呼ばせてもらうね」
好きな物はある? 気にせず食べていいから、とテーブルの上に並んだお菓子を勧められる。さすが王宮。明らかにお抱えパティシエが作りました、といったお菓子が並んでいた。焼き菓子だけでも5種類。ケーキも果物を変えて4種類はあり、タルトまで揃っている。
華やかなお菓子に目がくらみ、私は思わず手近にあった桃のタルトを引き寄せた。一口食べれば甘い桃の香りがすぐに鼻腔に届き、噛み締めればじゅわっと果汁が噴き出してくる。果汁がタルトを濡らさないようコーティングされており、その下のクリームは桃の甘さを後押しする程度の程よい甘みだ。しつこくなく何個も食べられそう。
あまりの美味しさに目を輝かせていると、目の前のアレクサンドがくすりと笑った。
「良かった。緊張が解けたようで」
「すみません。本当に、凄く美味しいです」
「シェフにもそう言っておくよ。きっと喜ぶ。余った物は持ち帰って良いからね」
その言葉にシヴァにも食べて欲しい、と一瞬彼の顔が浮かぶ。でもその前には現状を何とかして仲直りしないと、という思考が頭を支配した。感情が暗く沈んでいくが、ふと顔を上げれば目の前のアレクサンドが視界に入る。にこにこと笑う彼に毒気が抜かれてしまう。そういうキャラだと分かっていたはずだが、改めて目の前にしてみるとその威力は凄まじい。
「リリアンナ嬢は、婚約をしたくないんだったね。でも、それが出来ない明確な理由があるんだ。近代史は勉強したかい?」
「いえ。古代史から順番に習っているので、近代はまだ」
「そうか。じゃあ、始めから説明するね?」
そう前置きし、アレクサンドは語り出す。
ここリヒハイム王国は近隣から見ても大きい国だ。資源は豊富で争いも少なく、気候も安定していて過ごしやすい。そんなこの国の隣には、ソプレスという小国があった。隣の大国とリヒハイム王国に挟まれたこの国は、リヒハイム王国の友好国であり昔から行き来が激しく祭典を共に行うこともあったという。
それが5年ほど前のこと。世界的にも大規模な飢饉が発生した。原因不明の大量発生した害虫が各所に飛び回り、その群れが主食である麦を食い荒らしたのだ。リヒハイム王国を含め多数の国は貯蓄してあった麦を解放したり、幸い被害のなかった地域の麦を平等に国内に流通させることで何とかしていた。しかし、その害虫の群れの移動ルートに直撃してしまった小国は完全に麦を失ってしまい、おまけに運悪く直前に川の氾濫があり野菜や果物までもが流されてしまう。国全体を賄うだけの大した備蓄があるわけもなく、害虫の害を逃れた地域は国内でもわずか数パーセント。主食も野菜も果物も失ってしまうという、どうしようもない事態だった。
対策として、まずは害虫被害の少なかった隣の大国に援助を申し出た。しかし、大国は小国の使いをそのまま突き返してしまう。リヒハイム王国も余裕がないと分かっていながら小国はすがってきたが、まずは王国の民の安全が大事だと断らざるを得なかった。そうこうしている内に小国内では戦争をして他国から食料を奪おうという側、国を諦めてリヒハイム王国の下に下ろうという側で意見が二分。大規模な内乱が起き、国王夫妻は殺されそのまま滅んでしまった。
「そこでソプレス王国を統合しリヒハイム王国が治めることになった。でも問題が残っていたんだ」
国を諦めきれず戦争を仕掛けようとしていた過激派と、国が滅んだのはリヒハイム王国に見捨てられたせいだと恨みを持つ者達が集まり反抗を始めたのだ。武力で何とか治め表向きは平静を装ったものの、その火種はまだあちこちに残っている。
「そこで、モンリーズ家に王家は目を付けた」
両国は友好の印ということで、定期的に王家の者同士での結婚が交わされていた。しかし、お父様のお爺様である2代前の公爵の時代。再び婚姻を結ぼうとしていた時期に、たまたまお互いに丁度良い年頃の男女が生まれなかったのだ。年が近くても女同士や男同士ばかり。
そんな状況に困っていた時、モンリーズ家の公爵は身分も年頃も丁度良いとの理由で特例で末の姫を嫁にもらった。そのため、モンリーズ家には小国の王族の血が流れている。
「王族の血が流れた娘と結婚すれば、再び両国の絆が結ばれたと民に示せる。そんな国王夫妻が定期的に元王国の地を慰問したりすれば、より民にも安心感を与えることが出来るだろう」
これで分かってもらえたかな? そう言って、アレクサンドは小首を傾げる。しっかり話を理解した私は頷いた。
そんな政治的な事情があれば、断れるわけがない。亡き王国と繋がりがあったのは王家とモンリーズ家のみで、そのモンリーズ家には私しか子供がいない。これでは断れないはずだ。
「事情は、分かりました。確かに、その状況では無理ですよね」
「本当に申し訳ないと思っているよ。政略結婚が当たり前とは言え、その相手すら選ぶ権利を与えないというのは」
「いえ。悪いのは、アレク様では、ありませんから」
そう、悪いのは彼ではない。強いて言うなら運が悪かった。そうとしか言いようがない。
ならば、どうする? シヴァとの未来を諦める?そんなこと出来ない。
シヴァの少しからかったような笑みを思い出す。一緒に魔法訓練をした日々も、あの図書館での時間も、頼りにしてくれて良いと胸を張っていた姿も。私を助けるために抱きしめてくれた時の力強さも、繋いだ手の温かさも。
様々な記憶と想いが脳内で交差していき、どうすれば良いか分からなくなり視界が滲んだ。膝の上で握っていた手をさらに強く握りしめる。零れそうな涙を耐えていると、目の前のアレクサンドはこちらまで来て優しくハンカチを差し出してくれた。
「きっとお父様にも反対されて、どうしようもなかったんだよね」
渡されたハンカチで涙を拭いながら、その言葉に小さく頷く。
「僕らは婚約して、いずれは夫婦になるんだ」
私のすぐ傍にある顔は慰めるように優しく微笑んでいる。その紳士的で優しい言葉と態度に、かつての親友の言葉を思い出した。
『どんな時も優しく紳士的でスマートで、傍に寄り添ってくれるんだよ? 惚れないわけないじゃん。将来は良い旦那様になりそうだよね!』
優子ちゃんが一目惚れをした、ゲームを買うきっかけになったのが彼だった。プレイをしてから猶更この包み込むような優しさに惚れて、晴れてアレクサンドは彼女の最推しに昇格していた。
そうだね、優子ちゃん。
確かにこれは惚れちゃうよ。
まあ、私が好きなのはシヴァだけど。そう内心考えただけで、少し笑えてしまう。私の表情が少し和らいだのを見て、彼は言葉を続けた。
「もし良かったら、教えてくれないか? リリアンナ嬢がそこまで婚約を断ろうとしている理由を」