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第40話 廃屋敷-3


 転ばぬ先の(つえ)。俺は日中の屋敷探索で見つけた蝋燭(ろうそく)手燭(てしょく)台を懐に忍ばせていた。

 

 ただ、そんな功を奏したことによって生まれた喜びは、俺を勇気づける材料になりえはしない。この屋敷にいる限り、あるいは太陽の光が差し込まない限りは、警戒に(ふん)した(おび)えをやめられないだろう。


 平常心、平常心。言い聞かせるだけでもきっと効果はある。


 さて、まずは――そう踏み出した矢先、背後から肩を(つか)まれた。なんとなくの感触からして女の幽霊だ。あーいや、信じてないって。


 思い切ってバッと振り返ると、そこには極限まで身をすくませたフィンフィエがいた。


「なにしてるの?」

「フィンフィエこそなんでいるの?」

「私は……目が覚めたらライノがいなくて、それでドランビィさんにどこに行ったのかを訊いて……」


 あいつ、そこはうまくごまかしておいてくれよ。


「フィンフィエは戻ったほうがいいよ。俺はエアリスの言ってたお化けが本当にいるのかどうかを調べるつもりだからさ」


 と、言うと、フィンフィエの顔のパーツがギュンと中心に集まった。


「ら、ライノ、勇気あるね。怖くないの……?」

「そりゃあもちろん怖いけど、でも、もしそれが幽霊じゃなくて生きてる人間だったら、このあと安心して寝られなくなるだろうし」


 理由はもうひとつある――むしろ本命はそっち。


「大丈夫だよ。私がちゃんと警戒しとくから」

「いや、そうじゃなくて……ほら、軽く調べたらすぐ戻るからさ、フィンフィエはエアリスたちのところに――」

「私も行く」


 はあ……そう言うと思ったよ。

 俺は角に追いやられる前に、空いているほうの手を彼女に向けて差し出した。

 

「……怖がりのくせに」

「うん、すっごく怖がり。だから――」


 フィンフィエはその手を見えていないかのように無視し、そして、俺の腕にぎゅっと絡みついてきた。

 

「こっちでもいい?」

「い、いいけど、両手が塞がるから、なにかあったときはフィンフィエがなんとかしてよ?」

「わかった、任せて」


 まったく……断れよな俺……。

 

 こんな場所で、こんなときに、彼女の胸が当たるとかどうとかなんて考えていられないので、俺は左腕を一切の躊躇(ためら)いもなしに切り落とした(・・・・・・)


「じゃあ、エアリスたちが最後に入っていた部屋に行ってみようか」

「…………うん」


 遅すぎるフィンフィエの返事。

 

「ふっ、もしかして足が震えて動けない?」

「ち、違うよ! もうっ早く進んで」


 もうひとからかいしたいところではあったが、仕方なく諦めて移動を開始する。


 森閑とした屋敷内というのは、どうしても俺たちの話し声が響いてしまう。まあ、恐怖心ゆえに声量が普段より増しているせいもあるが。


 ちなみに会話の内容はまったく頭に入ってこない。エアリスの髪の毛がうんたらかんたら、俺とフィンフィエの身長差がうんたらかんたら――。

 この瞬間だけは笑えるほど脳みそが小さいダチョウのことをバカにはできない。


「たしか、ここだったかな」


 俺はそう(つぶや)き、ドアノブに手を掛ける。


「え、待って。まだ心の準備が……」

「3、2、1、ゴー」


 そこそこ大きな声で「ねえーええ!」と発した臆病者は、決断の速い探索者に無理やり連れられて、部屋に踏み入ってしまう。

 若干かわいそうではあるが、離れまいと絡みついてきているのは向こうの意志だ。俺のせいにされても困る。


 なにはともあれ、事は進んだ。肝心のお化け、ないしはそれに準ずるものの気配は今のところ感じない。


 どうかバカエアリスの勘違いであってくれ――と願い、さらに1歩、2歩中へ。


 フィンフィエは――ああ、目をつぶっていらっしゃる。


「どうする? 目を開けたら、腕を組んでる相手が俺じゃなくて幽霊だったら」

「やめて」


 俺の冗談は、ペシッではなくバシッと(はた)かれる。わかったよ、もうしないよ。


「んー、一応両隣の部屋も見ておくか」

「それ見たら戻る?」

「ま、まあ」


 視覚情報を遮断するというのはむしろ恐怖を増幅させるのでは? そんな疑問とともに部屋を出ようとしたそのとき、目の前の、部屋と廊下を隔てる扉が勢いよく吹っ飛んだ。


「えっ……」


 風はほとんど吹いていなかったはず。よって考えられるのは背後からの攻撃。しかし、なにかを投擲(とうてき)してきたにしては物が見受けられない。まさか――。


 すぐさま後方を振り返る。すると、今しがたまで注ぎ先のなかった視線は一点に。


 全体像は陽炎(かげろう)(ごと)くゆらゆらと揺らめき、色彩は暗く濁った灰色に、遊色効果のような輝きが垣間見える。大きさは俺がギリギリ抱きかかえられるくらい。

 部屋の中央に浮いていたのは、そんな理解に苦しむなにか。


 お化け、幽霊。そう表現するのが現状一番納得できるが、今の破壊力はいったい――。


「フィンフィエ、走れる……?」


 俺は声を極限まで抑えて訊く。こうなってしまった以上、いったん退くほかない。


 軽度の過呼吸と手の震え。先ほどの衝撃音に反応してフィンフィエも見てしまったのだろう。ただ、そういった状態でありながらも、彼女は小さく(うなず)いてくれた。


『かエセェ……』

 

 意思疎通が図れ、心の余裕がわずかに生まれたのも束の間、潰れた喉から無理やり絞り出したかのような声が聞こえた。

 当然ギョッとし、戸惑う。


 しかし、それが恐怖ゆえの幻聴かどうかを精査する時間はこれっぽっちもなかった。

 俺は壁に衝突した痛みをもってして知る。先ほどの扉とまったく一緒の軌道と勢いで吹っ飛ばされてしまったことを。


「ライノっ!!」


 フィンフィエの声。が、間髪入れずに――。


『ふィンフィエ……ふィンフィエ……』


 エアリスの言っていたとおりだ。確かに俺のそばで膝を折った彼女の名前が呼ばれている。


「なに、なんなの……。どうして、私の名前が……」


 とにかく、なんとしてでもここから出よう。そう言葉を発するための振動は許可されず、停滞。首を強く絞められる感覚。俺の体は宙に浮いた。


 そして、2回目の衝撃。


『ちカヨるナ……』


 目には見えない攻撃が立て続けに俺を襲う。


『かエセェ……』

 

 途中、「イバラ」で反撃を試みたが、あえなく不発に終わる。


『ちカヨるナ……ちカヨるナ……』


 高速に流れる視界。次第に空間が把握できなくなっていく。

 

『ふィンフィエ……ふィンフィエ……』


 やばい……意識が……。


「やめてっ!!」


 少女の叫び声が響いたと同時に目の前に現れた円盤状の黒い魔法。それは俺を守護しただけでなく、あの思念体のようなものに向けて、無形の攻撃を(はじ)き返したように見えた。


 ふらふらと揺れ動く霊的な存在。


『ふィンフィエ……なンデ……オれだヨ……』

「うるさいうるさい! 勝手に私の名前を呼ばないでっ!!」


 ひょっとして……いや、そんなことあるわけがない。


『そいツハ……ニセもノ……ダから……はナレテ……」

「なにを言ってるのか全然わかんない……。でも、幽霊だろうとなんだろうと、ライノのことを傷つけるのだけは許さない!」


 嫌だ……考えたくない。


『……おマエダ……おマエダ……おマエガ、ふィンフィエを、おレを、おカシクさせタンダ……」


 間もなくして、周囲の空気が吸い込まれるように流れだす。行き着く先は、俺への殺意をいっそう強めたであろう「もの」のもとへ。


 小さな瓦礫(がれき)塵埃(じんあい)等は、その場に留まることができず、舞い上がり、吸い寄せられ、雑然とした塊を成していく。


 おそらく、あれは俺を散々痛めつけていた見えない攻撃の出力を極限まで高めたもの。

 

 間接的に可視化できるようになったものの、だからといって()けられるのかどうかに関しては、正直まったく自信が湧かない。


 そっとフィンフィエの横顔を見る。俺の魔法が効かない以上、この状況をどうにかできるのは彼女だけ。でも……。


 俺の視線に気づいたようすのフィンフィエとやがて目が合う。


「大丈夫だよ。さっき見たでしょ、私なら跳ね返せる」

「フィンフィエ……違う、そうじゃなくて……」


 生きるか死ぬかの瀬戸際であるのにもかかわらず、俺は頭の中にある推測を説明しようとした。でも、できなかった。

 たぶん彼女からしたら、不安で不安で(たま)らないように見えてしまったんだ。


 フィンフィエは俺の後頭部に手を回すと、ゆっくりと自分の胸元にそれを引き寄せた。


「今回は私に守らせて……いい?」


 返事はしなかった。俺が唯一したのは、彼女の細くて柔らかくて甘い体をぎゅっと抱きしめることだけ。さもそれが返事の代わりかのように。


 ――俺は逃げた。人として最期を迎えるために向き合わなければいけない問題から目を背けたのだ。もう、あとは推測が当たっていないことを祈るのみ。


 それから程ないうちに、とてつもない音と、(かす)れに掠れたうめき声のようなものが後方からしたけれど、俺はただただ(すが)るように彼女の心臓の鼓動だけを聴いていた。


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