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第1話 ララカ村-1 惟識暦655年


「なんだ、これ……」


 日暮れに合わせて帰路に就くと、なぜか村が無色透明な群晶に囲まれていた。


 視界いっぱいに広がる、無数に連なってできた水晶の壁。それは、旅人はおろか、数時間ばかり釣りをしに出掛けていただけの村民すらも受け入れようとはしてくれない。


 呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしていてもしようがないので、いったん人差し指の先で触れてみる。


「あっつ!!」


 これは――ただのクォーツなんかではない。反射的に耳たぶを触ってしまうほどの熱を持っている。


 じゃあ、やっぱり…………。でも、そうだとして、いったい誰が…………。


 帰宅を阻む壁の向こう側からは、これまたどういうわけか人の声が一切しない。夕方なら、帰宅を惜しむ遊び盛りの子どもの声がひとつくらい聞こえてきてもいいはずなのに。


 ふと、いくつかの考えが巡る。それは、やや速まっている鼓動を落ち着かせる推量もあれば、首回りの緊張を促すものもあった。


 とはいっても、しょせんは考え事。直接この目で確かめるのが一番だ。


 しばらく歩いたのち、足を止める。村の周囲に生えている中では特に背が高い木の根元。

 やたらと太い亜主枝は、かろうじて水晶の壁の上に伸びていた。


「よし」


 俺は手に持っていた木の釣り竿(ざお)を捨てる。


 8年前の7歳の頃は、この木に登れるようになることが最大の目標だったこともあって、足の掛け方に手こずることも、落下する心配を抱くこともなかった。


 そうして、ある程度の高さまで登ると、不安がひとつ解消される。この水晶は村を囲うだけにとどまらず、村一帯を埋め尽くしてしまっているのではないか、という。さすがに悲観的すぎたか。


 それに、壁の厚さも思っていたよりは薄い。これならば、一番近くの家の屋根に余裕で飛び移れる。


「んっ! と」


 自分の身軽さを呪ったことはない。身は軽ければ軽いほどいい。


 俺は肥満体型にはとても真似できないであろう軽快な身のこなしで屋根から地面へと段々と下りていき、最後は豪快な着地を決めた。


 左は行き止まりのため、自然と視線は右へ。その先。家の角。人の足が見えた。

 おそらくこの家の主であるポンジュおじさんのものだろう。


 口を開けば「自分が独り身なのはこの村にろくな女がいないからだ」と愚痴をこぼすかわいそうなおじさん。

 でも、昔から子どもにだけは優しい、いいおじさんだ。


 間違っても水晶の壁に触れないように気をつけながら近づいていく。


 はて、両方の靴の裏が見えているのはなぜだろうか。落とし物でも捜しているのかな……?


「ポンジュおじさん……?」


 その瞬間、息が詰まった。思わず後ずさる。俺の呼び掛けに応えてくれなかったのは、一心不乱に落とし物を捜していたからではない。彼は警鐘を鳴らしていたのだ。

 


 ――首のない体を(さら)け出して。


「うっ…………」


 咄嗟(とっさ)に目を(つぶ)ってしまったせいで、真っ赤な光景が脳の隅々まで行き渡る。


 地面に伏せていた老体。見間違えであってほしい。見間違えだと誰かが言葉で教えてほしい。勇気を出しても、逃げ出しても、血なまぐさい事実が一向に変わらなくて怖い。


 呼吸がしづらい。まっすぐ立てている感じがしない。誰でもいいから、誰か、誰か、誰か…………そう、だ。


 口元にある手をゆっくりと離す。(あふ)れんばかりに付着している唾液など今はどうでもいい。

 

「父さん、母さん……ミノリルっ!」


 視野は急激に狭まり、たった3人の安否まで絞られる。

 すかさず食道を逆流してきていた汚物を送り返し、固まった足に神経を集中させる。


「早く……早く……」


 最後にもう一度だけ、ポンジュおじさんと(おぼ)しき死体を横目で見る。

 あの首の切断面からして、自然災害によるものではないことは確かだ。だとすると……。


 状況を推し量ってしまったせいなのか、次に目に入った老婆の死体はその辺の石ころと同義と化した。


 ⭐︎


 なだらかな傾斜の道を動かしづらい足に(むち)を打って進んでいく。

 村の入り口からそう遠くない、外壁の汚れまでもが目に焼きついているあのポストミルの向こう側。


 会いたくないと思っても会える、会いたいと言わなくても会える存在なのだから、至るところに伸びている赤い足跡なんかには(おび)えなくてもいいはずだ。


 そして、地面を蹴る音はしなくなり、激しい息遣いだけが残る。


 半開きになった木製の扉。強い衝撃が加わったためか漆喰(しっくい)()ぎ落ち、中の石が()き出しになった外壁。

 そのすぐそば。

 

 俺にはわかる。ひとりの少女を抱いている細身の女性が自分の母親だと。

 俺にはわかる。その手前で仰向けに倒れている筋肉質の男性が自分の父親だと。

 俺にはわかる。両親に庇護(ひご)された目元にほくろのある少女が8歳になったばかりの妹のミノリルだと。


 生気は感じない。感じられるわけがない。身を寄せ合った3人の体には無惨にも無数の穴が空いているのだから。

 上げたであろう断末魔の叫びはきっととうの昔のことで、残っているのは(うつ)ろな目と赤黒い血だけ。


「……あ……あ、あ………………」


 声がうまく出せない。唾もうまく飲み込めない。


 家を出る前、ミノリルが母さんに料理を教えてもらうと言っていたのを(おぼ)えている。花嫁修業だとかませたことを付け加えて。


 包丁で指を切ったりしなかったかな……。最近よくおかわりしてるから、きっと必要以上に味見をしたんだろうな……。ああ、ミノリルが初めて作った料理、食べてみたかったなあ……。


 そっと、おかえりと言ってくれない家族の前に膝を突く。と、そのときだった。後方から大きな音がした。まるで高所から落ちてきた巨石が荷車を押し潰したかのような破壊音。

 村の中心部のほうからだ。


 俺は父さんと母さん、そして、ミノリルのまぶたを()で下ろす。


「…………待ってて……」


 (かたき)をとってくるから――。


 ドロっと湧き出た活力を糧に立ち上がる。自責の念を抱くのはすべてを終わらせた(・・・・・・・・・)あとでいい。


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