54
~鈴木 哀~
「ただいま」
今日もいつも通りの日常が終わって家路につく。
佐藤さんと田中君との気兼ねない掛け合いに混ざりつつ自分があたかもその輪にいるかのように。
いつまでもこの時間が続けと願ってしまうのは悪いことなのだろうか。
いや、願わずにはいられないと言ったほうが正しいのだろう。あの二人と知り合ってからの時間は短いけれど、流れていく時間はとても充実していてそこにいるだけで幸せを感じることができるのだ。
誰だってそんな環境からわざわざ離れていきたい訳がないと思いたい。
そんな自己肯定感で自分を納得させていると鞄の中の携帯電話の振動に気が付く。
画面に映し出される相手の名前を確認すると「またか」とつい愚痴をこぼしてしまいたくなるものだ。
「もしもし哀です。お母さま」
最近は毎日のように電話がかかってくる相手に内心ため息を吐きながら電話に出る。
「もしもし哀さん、この前のお話は考えてくれてますか?」
これもいつものやり取りで定型文と化している。
それに私も定型文で返すのが流れとなっている。
「それにつきましては何度もお答えしています通り承諾しかねます」
ここでいつもは「そうですか、それではまたお電話しますね」と母からの返事で終わるはずだったのだが
「……そうですか。それではこちらも動かざるを得ませんね。近日中に連絡がいきますので準備はしておきなさい。それでは」
と、母の返答に頭がついていかず既に回線の切れた携帯電話に話しかけても返答はない。
急いで母に折り返そうとすると再び携帯が振動した。
「もしもしお母さま! 先ほどのお話はどういう意味でしょうか!」
頭の中が整理できていないまま電話先の相手に問いかけるも
「……もしもし哀ちゃん? 佐藤だけど今大丈夫?」
その声に一瞬思考が止まるもなんとか平静をお装い
「あっ、花っち。ごめんね、さっきまで母と話していたからその流れでつい」
「こ、こっちこそごめんね。なんか大事な話の最中だったみたいで」
「ううん。全然そんなんじゃないよ。ところでなにか用事でもあった?」
うまく誤魔化せただろうか。
そんな思考に支配されながら会話を続けていき「それじゃまた明日」と言う佐藤さんに「うん」とだけ答え、ふらふらともつれる足を動かし近くのソファへ重力に逆らわずに倒れこむ。
「ずるい」
無意識に出た言葉に自分自身も驚きつつも、するりとその言葉が体の中にしみこんでいくのがわかる。
「ずるいずるい! 佐藤さんはずるい! 田中くんの隣に居れてずるい。同じ世界の知識と貞操概念持っててずるい。家のことなんて考えずに恋愛できてずるい。私だってあなたみたいになりたい、なりたかった。好きな人の隣で笑っていられる毎日を過ごしたかった。 だけど!」
一度沈めていた思考を出してしまうとあとは濁流のようにいろいろな感情が溢れて止まらない。
「だけど私は鈴木家に生まれた。自由に恋愛出来るなんて思ってもいなかった。お母さまのいう通りの相手と結婚して子供を授かり、その子供にも同じ思いをさせていく……そんな人生でも良かったと思いながら死んでいく。そう思ってた。でも! 田中くんと出会ってしまった。初めて好きな人ができた。初めて心から笑えた。初めて嫉妬を覚えた。いろんな初めてを貰った。もう今更戻れないよ」
その後も奥底に溜まっていた泥を掻き出すように胸の内をさらけ出す。
そうして激しい感情の波も落ち着いたころ誰もいない部屋に自分の嗚咽だけがこだまする。
戻れない、そう自分に言い聞かすも実際は戻さないといけないのは自分でもわかっている。
家が決めた結婚相手との縁談が今こうして泣くことしかできない間にも進んでいるのだろう。
母が近日中と言ったのだ。早ければ明日かもしれないなどと自傷気味に笑っている自分に嫌気がさす。
ピンポーン
びくっと肩が跳ね上がる。
まさかお母さまが? いくらなんでも早すぎると動けずにいるともう一度チャイムが鳴る。
恐る恐る画面を除くとそこにはいたのは母ではなく佐藤さんが立っていた。




