割れる拝氷教
この地は古より氷に閉ざされていた。氷と冷気は作物を殺し動物を殺し我々を殺す。
されども氷を憎むなかれ、冷気を仇と思うなかれ。
我らは永久の氷の中でも生くる術を授かった、我らは冷気に耐える体を授かった。
これは祝福である。我らが神はここで生きよ言っているのだ。
雪のごとき肌と翡翠のごとき瞳がその証明である。
疑うならば空を見よ、まばゆき光帯が眼に写るだろう。
この光帯は瞳である、我らが神は光帯でもって我らを見守っている。
神はここで生きよと言っている。
氷は友である。冷気は家族である。
我らはここで生きるのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー拝氷教経典【聖氷記】序文より
拝氷教はニブル・ゴラドがその名で呼ばれるよりも遙か先に生まれた教えである。教祖は不明、しかしその経典には永久凍土の地で生きていくための知恵と思想があふれていた。
それ自体は悠久の時を超えてなお継承される価値があった、そのおかげで厳しいながらも生存できるだけの土壌が確保されたのだ。
しかし教えが正しくともそれを担う者までもが正しいとは限らない。
例えばそう、その教え以上の技術や考えが入ってきたときに人は堕落という甘いささやきに身をゆだねてしまうことになる。
由緒正しき拝氷教には教皇のような上位の聖職者は存在しなかった。それは全員が一丸とならねば生きることすら困難である為だ。
だが、異邦人……いや転生人がもたらした地球の知識は今までの生活にあった不合理や矛盾を見つけ出し効率化した。厳しい環境ではあっても以前とは段違いに生存率が上がった。
余裕がうまれた社会では生存以外を目的とした行動が可能となった。
そして、それらの行動を行うに当たって統率するものが必要となった。
ここで初めて拝氷教に氷皇という位が創られた。
当初ではそれは全体を管理し動かすリーダーとしての役割だけだった、しかしニブル・ゴラドが作りあげられ始祖が氷に自らを封じたときに氷皇は実質的な王としての役割を遂行することとなる。
初代氷皇 フスルノ・スカヤ
二代目氷皇 リューユ・ラコフ
正しき教えを維持していたのはここまでだった。
悪名高き暗君であり【雪崩】と呼ばれる三代目によってすべての破壊は始まった。
身分差別の定着、聖職者の特権化、税制度の激化、貢ぎ物の強要、教育の私物化。
あげていけばきりがないほどの悪法や暴虐によって今までの貯金を一代ですべて食いつぶし莫大な負の遺産を遺した。
それを継承した四代目こそが現氷皇のガルシュ・エホフである。
不幸にも三代目の後釜に据えられてしまった拝氷教唯一の女氷皇である。
彼女が選ばれたのは三代目時代からの側近が万が一にも傀儡政権が瓦解しない安全パイを選んだというだけである。
「あわわわわ……どうしましょう……お城はとられちゃいましたし……行く当てもないですよう……私なんてお飾りですから信者のみんなは話を聞いてくれないでしょうし……困りましたあ……」
しかしそれが幸いしてニブル・ゴラドが陥落したときに自室で昼寝をしていた彼女は危険性ゼロかつ拝氷教が破れたことの宣伝係として有用だということで生かされたのである。
今は首から自作の「拝氷教は負けました」と書かれた札を下げて、太陽崇拝に鞍替えした者にあざ笑われながら町中を練り歩いている。時には石を投げられることもあった。
彼女は確かにお飾りの氷皇である。
しかし、お飾りであることと人心は比例しないことが稀にあるのだ。
彼女はまさにその例であると言えよう。
「どうしたらいいのでしょう……」
「……氷皇様……こちらへ来てください」
「えっ!?誰ですか?」
彼女は見知らぬ男に手を引かれて裏路地へと連れて行かれた。
「やややめてください!?わたしはひんそうでちんまいですしたべてもおいしくないですよう!!」
「食べませんよ……」
連れ込まれた先の路地から一軒家へと入るとなぜか地下への階段があった
「あのう……これはいったい……?」
「先へ行けば分かりますよ」
言われた通りに階段を降りるとそこには広い空間があり人でひしめき合っていた。
「この人たちは……?」
「あなたの信者ですよ氷皇様」
「まさかぁ。そんなわけないですよう。私は信者さんたちになにもしてあげることができなかったんですから」
視線を落としたガルシュに声がかけられた
「なにいってんだよ!!」
「ひっ!?」
「俺たちは知ってるんだ、あのクソ司祭どもが好き勝手やってるなかで涙目になりながらと止めようとしている氷皇様のことを!!」
「そうよ。一人で町の教会で炊き出しをしていたりゴミ拾いをしたりしているのも見たわ」
「必死でお祭りを運営していたこともあったな」
お飾りゆえに町中での行動を制限されずにいたことでガルシュは精一杯の奉仕活動と暴走を止めるための必死の抵抗を行っていた。
それは拝氷教が統制していたころは決して評価されない行為、否、評価されてしまえば傀儡として不適格とみなされて最悪その日のうちに崩御となりかねないため民はその行動を見て見ぬふりをするしかなかった。拝氷教上部がそれを見て笑いものにしていることを知りながらもガルシュを無視するしかなかった。
「でもでも、私は司祭のことを止められませんでした。なにもできなかったんです!!」
声を荒げながらもガルシュの瞳からは止めどなく涙があふれている。それは今までの無力と罪の意識がたまりにたまったものである。
一人の女性が前に出てガルシュの手を取る。
「私たちは氷皇様の手をとることができませんでした。それがあなたを害することだと思って恐れてしまったから。でも今はその恐れはありません。氷皇様……いえガルシュ……あなたの力になりたいの。今更こんなことをいっても信じてもらえないかもしれないけれど……」
女性もまたガルシュに劣らず涙を流していた。無力をかみしめていたのはガルシュだけではなかったのだ。
「…………!!」
ガルシュは激しく首を横に振った
「わたしは……あなたたちにたすけをもとめてもいいのですか……?」
「良いんです。これからは手を取り合っても良いんです」
「う……うう……うわあああああああああああああああ!!!」
女性の胸に縋りつきながら声をあげて泣くガルシュを女性が優しく抱きしめた。
拝氷教に潜在的に生まれていた派閥。ガルシュ派の誕生の瞬間であった。
その後拝氷教は聖女と聖者という最大戦力を有する聖堂に助けを求める書状を飛ばすこととなる。
一方転生者に多くの人員を殺された従来の拝氷教の生き残りもまた地下に潜り機会を狙っていた。
「クソッ……!!あの化け物どもはどうやったら殺せるのだ!!」
「刺客がまた一人消されたようだぞ」
「我らに天罰が下ったのだろうか……?」
「馬鹿を言うな……それならば【雪崩】が老衰で死ぬわけなかろうが」
「そうだよねー、あの豚はだいぶひどいことやってたよね。もー、冬堂君ったら後始末ちゃんとしないまんま凍っちゃってたもんなー。そりゃあ三代目くらいで腐敗するよー」
「「「「っ!!」」」」
異物である少年が会話に参加したことで四人の幹部は瞬時に戦闘態勢を整えた。
腐っても拝氷教の僧はみな僧兵の訓練を受けている。戦闘も行えるが故の統制でもあったのだ。
「あ、もう良いよ。君らはもう終わってるから」パチッ
少年が指を弾くと四人の首が横にずり落ちた、不思議なことに血は出ない。
斬り口が凍っていた。
「うーん冬堂君の技使ってみたけど……慣れないね。本当なら首は落ちないのに。でもまあこれで乗っ取りは簡単にできるね」
少年の姿は先ほど殺した幹部のものとなっていた。




