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七五三田優奈の観察録  作者: 有馬 茶


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【閉ざされた楽屋】 進行表が語るもの

『閉ざされた楽屋』

第四章:中編①

 砧は、現場写真と進行表を何度も見比べていた。

 事故にしては、やはり不自然だ。

 だが不自然だからといって、それがすぐ犯行になるわけでもない。

 そこを埋めるのが、七五三田優奈の仕事だった。


「まず、真柴梓は“舞台袖へ行かせる理由”を作ってた」


 砧は言った。


「照明の確認、搬出の修正、進行表の変更。どれも銀次を動かす材料になってる」


「ええ」


 優奈は椅子に浅く腰掛け、資料をめくりながら答えた。


「でも、それだけじゃ弱い」


「そうだな」


「制作担当なら、進行表に触るのは当然だから」


「じゃあ、何を足せばいい」


「動機よ」


 砧は一冊の報告書を取り出した。

 そこには、劇団の資金が不自然に減っている記録がある。

 会計の一部が、曖昧な経費として落ちていた。

 そして、その管理を担っていたのが真柴梓だった。


「資金の流れが怪しい」


「横領?」


「断定はまだだが、銀次がそれを知っていた可能性が高い」


「脅してたのか」


「たぶんね」


 優奈はその言葉を聞いて、少しだけ目を細めた。


「霧島銀次は、舞台の上では人を惹きつけるけど、裏ではかなり雑そうね」


「雑というより、自信家で支配的だ」


「そういう人間は、下の人間を壊すのが早い」


 砧は息をついた。

 現場で感じた苛立ちが、今になって少し熱を持ってくる。

 銀次のやり方は、たしかに人を追い詰める類のものだった。


「真柴は、ずっと耐えていたんだろうか」


「ええ。でも、耐える人間は、ある日突然、耐えられず壊れる」


「……それが今回だったのか」


「かもしれない」


 優奈はそう言うが、まだ確信は口にしない。

 彼女は、誰かを犯人にする前に、必ず仕掛けを固める。


 その日の午後、二人は再び劇場へ向かった。

 今度は、銀次が転倒した舞台袖の導線を詳しく見るためだ。


「ここを見て」


 優奈は床の一角を指した。


「このケーブル、ほんの少しだけ端へ寄ってる」


「さっき現場でも見た」


「写真のほうが良くわかる。片付けが終わったあとで、誰かが動かした痕が残ってる」


「どれくらいの差だ」


「数センチ。だけど、数センチでも足は取られる」


 砧は床を見下ろす。

 たしかに、大きな罠ではない。

 ほんの少しのズレ。

 それだけで十分に人は転ぶ。


「事故を起こすには、壊すより保つほうが難しい」


「どういう意味だ」


「一度だけ動かすより、滑りやすい状態を維持するほうが手間がかかる。だから、現場をよく知ってる人間じゃないと無理」


「……真柴か」


「まだ決めつけない。でも、かなり近い」


 そのとき、篠原大悟がやってきた。

 どこか落ち着かない様子だった。


「あの……進行表のことですが」


「何だ」


 砧が聞く。


「真柴さんが、銀次さんの名前の横に、確認の印を入れていたんです。事故の前に」


「確認の印?」


「ええ。『本人確認済み』みたいな書き方で」


 砧は資料を受け取る。

 そこには、真柴の字に似た細い書き込みがある。

 銀次が舞台袖へ行くことを、彼女が“把握していた”証拠になるかもしれない。


「なぜ今まで出さなかった」


 砧が少し強めに言うと、篠原は言葉を詰まらせた。


「……真柴さんを疑いたくなかったので」


「気持ちはわかる。だが、事件では気持ちは証拠にならない」


 篠原は黙った。

 砧の声には、少しだけ怒りが混じっていた。

 理不尽な支配を見せつけてきた相手に対して、どうしても苛立ちが出る。


 優奈はその横顔を見て、薄く笑った。


「熱いわね」


「当たり前だ。こういうのは嫌いなんだ」


「そう。あなたは、そういうところは使える」


「褒めてるのか」


「半分だけね」


 優奈はそのまま、舞台袖から上へ視線を移した。

 照明が落ちる位置、袖に入る通路、片付けた道具の置き場。

 どれも単体では何でもない。

 だが、被害者の注意をほんの少し奪うには十分だ。


「銀次さんは、何を見て足を取られたんだろうな」


「照明か」


「それもある。でも、照明だけじゃない」


「何だ」


「“自分の指示で動いてる現場”を見たかったのよ」


 砧はその言葉を聞いて、はっとした。

 支配的な男は、自分が現場を動かしている感覚に酔う。

 その一瞬の油断を、誰かが狙ったのかもしれない。


「真柴が、銀次を安心させた?」


「たぶんね」


「どうやってだ」


「最初は普通に指示を出す。次に、急ぎの確認があると伝える。銀次は自分の立場を確認したくなって、袖へ向かう」


「そして、足元の状態はそのまま」


「そう。事故に見える準備だけが残る」


 砧はゆっくり頷いた。

 見えてきた。

 まだ完全ではないが、真柴梓がこの現場を一番よく知っていたことは、もう動かしようがない。


 そのあと、二人は控室の裏で朝比奈未来にも話を聞いた。

 彼女は口数が少ないが、事件の直前に銀次が真柴へ強い口調で何かを迫っていたことを認めた。


「何をだ」


「……お金の話です」


「お金?」


「たぶん、劇団の資金のことだと思います」


 砧はそこで、ほぼ確信する。

 資金。

 真柴。

 脅し。

 支配。

 すべてが繋がり始めている。


 優奈は控室を出たあと、静かに言った。


「かなりいい線まで来たわね」


「そうだな」


「でも、まだ自白までは遠い」


「だろうな」


「なら、次は“事故ではない理由”を崩す」


 砧はその言葉にうなずいた。

 現場に残る小さな違和感を、一つひとつ積み上げるしかない。

 それが、事件を殺人へ変える唯一の道だった。

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