003 ネットゲームの即席パーティー
曾根田恩子は役所が苦手だった。同様に銀行・病院も苦手だった。
共通点は待ち時間である。
別に悪いことをしたわけではないのに、待っている間にどんどん緊張してきて、なぜだか不安になるあの雰囲気が苦手なのだ。
(だのに…私はなぜ、また待ち時間にドギマギして待っていなければならないの…)
向こう側で受付の女性が「次の方ー」と声を張り上げている。はた目にもわかる営業対応然とした職員の態度に、どこの世界も変わらないものだと感心する。
並べられたベンチに縮こまって座り、緊張のあまり膝の上でそろえている両手が震え、肩が張り上がっている恩子。顔を赤くして、周りの好奇の視線と目を合わせないよう、キョロキョロと瞳を泳がせている。
一度外の空気を吸ってこよう…そう思った矢先。
「次の方ー。ソネ…ソーネ?ソーネ・ダ・オンコ?様?どうぞー」
(誰よそれ。おもしろすぎよ)
ただでさえシンと静まり返った雰囲気の場所で笑いの沸点が下がっているのに、自分の名前をおもしろおかしく言われて吹き出しそうになる。
まずい。もう息を整えている時間などない。意を決するべし。
「は、はぁ~い…」
自分でも引くくらい低い声が出た。しかも中途半端に愛想笑いでニヤけていたせいで、かなり薄ら暗くて気持ち悪い感じになってしまった。
「…」
「へ、へへへ…ひひ」
受付のお姉さんも引きつった顔をしていた。
(うう…こんなのひとりで無理よぉ…何もわからないのに…ああ、ルッタちゃん…恨めしいわ…)
「…では、事前にお渡しした記入用紙の提出をお願いします」
「はい…」
恩子は待ち時間の間にすっかり書き終わっていた書類を提出した。そこには見知らぬ文字で『冒険者ギルド入会届』と書かれていた。なぜだか読める。
「それではまず、あなたのランクを査定していきます」
審査が始まった。
(どうしてこんなことに…)
肩を落として猫背になった恩子は、ここまでに至る経緯を思い出していた。
あの運命の晩。
恩子は燃え尽きるスライムを見届けてから、ドサリとその場に倒れてしまった。おそらくは何らかの"力"を行使したせいで、極度の疲労状態になってしまったのだろう。
「ちょ、ちょいとお姉さん!お姉さんってば!」
ルッタは急いで恩子の身を抱き起して生死を確認した。
「…っほ。生きてらっしゃいますよ、この御仁は」
小さすぎる寝息をたてる恩子に安心したルッタ。そして彼女はその後、傭兵ギルドのメンバーの遺品数点を持って、恩子を何とか担いで数キロ離れた街道まで出ると、通りがかった馬車に手間賃を払って相乗りさせてもらい、最寄りの街まで逃げ延びたのだった。
恩子が目を覚ましたのはきっかり12時間が経った午前10時頃。とは言え、この世界には精密な時計がないので、それが何時だったのかは恩子の知るところではない。
目覚めと共に冷静さを取り戻した恩子はひどく狼狽した。
(ここっ…どこ…っ!どうして私、こ、ここにいるの…!?それに私…胸を…)
場所の確認も大してせずに、人がいないのあけを確認して胸を見る。
「何とも、ない…」
穴どころか切り傷ひとつなかった。でも、あの熱くて生々しい感覚はたしかに…。
気を取り直して周りを見回した。
木製の床と壁。窓にはガラスがはめられていた。外には他の建物が見えるがどれもこれも東京のそれとは全く違っていた。
「よ、よーろっぱ…?」
行動力皆無を地で行く恩子のこと、海外旅行の経験がないのは自明の理である。漠然とヨーロッパと考えたのも仕方ないだろう。
そんな折であった。
バタン!
「ヒィ!?」
勢いよく開かれた扉を抜けて人影が現れた。
「チクショウ、あのクソオヤジめ。病人担ぎこんでんだ、ちったぁ人情見せてマけやがれってんだこのスットコドッコイ!!…おやぁ?」
「うう…っ」
怯える恩子。
相手はおヘソを出した軽装に枝毛の目立つ赤茶色の髪を結わえた、小柄ながらも引き締まった体の少女だ。
にへら~っと笑いながら、その少女…ルッタが後ろ手に扉を閉じた。
「ど、どうして扉を閉めるの…っ」
「どうしてってそりゃ、閉まってたモン開けて入ってきたんだから閉めるでしょうや」
「へ、変なことしないでしょうね…」
「へへへ、そいつぁお姉さん次第でございますよ」
背中に背負っていた大荷物を床におろしながら、ルッタはベッドに腰かけながら自分の胸を指さした。
「ケガは大丈夫なんで?」
「え、ええ…なんともないわね…おかげ様で…」
社交辞令だが、ルッタはそれを聞いてニヘラっと笑った。
彼女はまだ状況のつかめない恩子の前に立ちはだかった。ビクリと跳ねる恩子をよそに、自分勝手に名乗りをあげる。
「この度はお助けいただけありがとうございましたぁ!!自分、南西はタリファンの砂漠を抜けた先にそびえる大商国家"ラマニスカス王国"が連合商会の末席を汚す商人の端くれ、リオ・ルッタと申します。お国柄と同じかは存じませんが、当国と同じく姓苗がリオ、名がルッタにございます。どうぞ、気軽にルッタとお呼び下さいやし!」
「ご、ご丁寧に…じゃなくて!」
「ほえ?」
「ここは一体どこなの!わ、私をどうする気!」
「…こりゃあ大分混乱してますなぁ。どれひとつ、どっから説明したもんか…」
ルッタは糸目になりながら猫のような口をして頭を掻く。そんな仕草を一通り終えると、彼女はまっすぐに恩子を見て、手をぱんと叩き合わせて言った。
「まぁまずは自己紹介でしょう!ルッタも名乗ったことですし!」
「そ、そうね…確かにそうだわ」
恩子は己が名乗っていなかったことにようやっと気づいた。先刻、相手の名乗りは聞いたというのに、だ。
「私はそ…曾根田恩子。東京で普通に働いていたわ…いたのだけど…その…」
困った。名乗れるほどに情報がない。そもそもここがどこで、どうして自分がここに来てしまったのかも分からないのだ。
怪訝な顔をして見やってくるルッタ。何か言わねばまずそうだ。
「と、特技は呪い…じゃなくて!その…ま、まじない?」
まじないを感じで書けば"呪い"になる。まずいと思って呪いと言わなかったのに、これでは元の木阿弥だ。
しかし、ルッタの反応は意外だった。
「まじない…?ってぇのが何なのかわからんスけども、トーキョーって地名は存じねぇですね。ソネダオンコーって名前も何だか珍しいや。かなり遠くから来ましたんで?」
「わ、私…申し訳ないのだけど、あなたの故郷の…ら、ら…?」
「ラマニスカス王国でございやす」
「らまにすかす王国も知らないの…今まで聞いたことがなくて…」
「あいや名折れ!我が父祖共々に商人としては名を馳せてきたもんですがコレ…このような場所にまでも知らぬお方がおられようとは!全く恥ずかしい限りでございます!」
「…無知を恥じるのは、私の方だわ…私、何もわからない…」
「…どうやら訳アリのようですな。よござんしょっ。ここはこのルッタめがひと肌脱ぎやしょう!」
「そ、それよりここがどこかの説明を…」
控え目に言う恩子を顧みず、ルッタは彼女の背後に回って背中をぐいぐいと押して、部屋の外まで来てしまった。
「おっといけねぇ」
そう言って部屋に戻ると、先ほどおろしたばかりの背負子を背負ってまた現れた。
「説明は歩きながらいたしやしょう!今はまずお手前の身分を保証せにゃ」
「身分?」
「へい。まぁそれも歩きながらでよござんしょ。さぁ行きまっせ!お天道さんがこんなにお仕事してんのに、外を歩かにゃバチが当たりましょうや!」
通りに出て再確認する。
ここは日本ではない。どこかもっと遠くの国なのだ。そして、街全体が協力してルッタが自分を騙していないのだとすると…。
「日本じゃない…のよね」
「ニホンとは何のことで?」
「…いいえ。気にしないで」
誰がどう見ても海外、否、ひいては異世界である。
往来を行き交う人々は見慣れない服装をしているし、堂々と帯剣している者もあれば、巨大な斧をこれ見よがしに肩にかけて歩く者もいる。かと思えば、スイーっと空中を移動する人間が横を通りがかる。今の人はなぜに浮けるのやら、恩子には計り知れないことばかりであった。
店頭も何やら妙だ。果物や肉・魚を売っているのはもちろん、鍛冶屋や道具屋、雑貨屋、得体のしれない美しい球体のようなもの、瓶に入った謎の液体を売る店など、それはあまりにも突飛な風体だった。
どうもゲームのような世界だ。そう思って見ていると、とある店先で剣を持った男性が店員の女性にそれを預けて、何やら取引をしている。そうこうしていると、たちまちのうちに女性の手が鈍く光り、剣が赤色の光をまとって元の変哲無き業物に戻っていった。
それを珍しそうに見ているのがルッタに知れたのだろう。彼女は恩子に耳打ちして教えてくれた。
「あれはエンチャント屋ですよ。武器や防具なんかにエンチャントをしてくれるんでさぁ」
「えんちゃんと?」
「特殊効果みたいなものを付随させるんですよ。今のは火の魔法を剣にまとわせたんでしょうなぁ。…あんときの傭兵共も、火のエンチャントがされた武器でも持っていりゃあね」
「…やっぱり、あのとき…」
「はい?」
「い、いいえ。それより、その…なぜそんなことが出来るの?科学のようには見えなかったのだけど…」
「そりゃあもちろん魔法でございますよ」
「…魔法…」
「魔法もご存知ない?」
「いいえ…そういうものの概念は知っているけれど…」
「そりゃあ重畳!エンチャント屋もランクが高くなると値段も高くなりやしてね。まぁ低ランクの連中がS評価武器を生成することもあるらしいんですが、まぁそこは賭けでしょうな。ヘタクソなエンチャントだと効果は薄いし、長持ちもしやしねぇんですから」
そう言ってルッタは先に歩き出してしまった。恩子も急いでそのあとを追う。
(魔法がある世界…やっぱり私は…)
異世界に来てしまった。
今までの不条理・理不尽も、そう考えれば得心がいく。おかしな話しだが、恩子は妙に納得していた。そうならば全て異常ではなく尋常の範囲内なのだ、と。
「ここはウェルザール王国。近隣諸国の中でもひときわ歴史の古い国でございますがね。まぁ経済にゃぁあまり関心の無さそうなお方の多い国ですわな。ルッタも行きがけの駄賃にグラスウルフの毛皮をちょいとばかし仕入れようとしてあのザマでございますれば…いやはや、こんなところにまであんな大物がいるもんですから、もう」
恩子は記憶に新しいあの化け物を思い出していた。レジェンダリー級のスライム。あんなものを、確かに自分がこの手で始末した。どういう原理かは理解しきれていないが、それでもやるべきことはわかっていたように思う。
ルッタは続ける。
「お姉さんはどうやら社会的な知識に疎いようでございますね」
「ええ…知らないものばかりだわ」
「となれば必然、この国のお人ではないんでしょ?」
「…そうね」
「そうとなりゃ、いの一番にやるべきことはココでございましょ!」
いつの間にか目的地に到着していたらしい。そこには見知らぬ文字で大きな看板が掲げられていた。
「…冒険者ギルド?」
なぜか読めた。
そもそも恩子はルッタたちの言葉も理解できている。町ゆく人々の言葉も理解できているのだ。
不可思議は多いが、そんな恩子を気に留めずにルッタは話しを続ける。
「そうです。ここ冒険者ギルドは他のギルドとは大きく性質が異なっておりましてね。冒険者はその名の通り世界を股にかける渡り鳥、ひとところに留まりません。ですから、国の境を取っ払った冒険者支援のためのギルドが存在するんです。そうしたギルドでは入会・入隊の手続きをもって身元保証にするんでございますよ。何かあれば国のご厄介になるんでなく、ギルドから制裁が下る手はずになっております」
「せ、制裁?」
「おっと怖がらせやしたかね?ご安心!そうしたお沙汰を受けるのは悪人だけでございます。お姉さんのような人畜無害そうなお方なら何の心配もございませんよ。故郷に帰るまでの間、ちょいとギルドの力を拝借する程度のお気持ちで大丈夫!それどころか、お姉さんの扱っていた魔法の力があれば一攫千金も待ったなしですぞ!」
「私が魔法を?」
「お使いになっていたでしょう?」
そんなものは知らない。
確かに藁人形を用いておかしなことはできた。しかし、あれが自分の力だったのかどうかも定かではない。前途の通り、体が勝手に動いただけの話だ。
「ともかくですね、入会さえ認められてしまえばギルドはお金の掛からない恩恵だらけの措置なんでございます。…身元保証はできますかね?」
「無理、ね」
「じゃあ急ぎやしょうや!」
そして冒頭に至る。
面倒なことになってしまったようだった。
さりとて、恩子にとってルッタはありがたい存在だった。悪人に拾われていたならば、もっとおかしな場所に連れていかれてたかもしれない。それが、こうした公的機関に誘われたのは行幸だったと言えよう。
「…魔術知識や戦闘の経験がないとのことですが」
受付の女性に問われる。というか、普通に日本語で筆記したはずなのに、この女性は読めるらしい。
「え、ええ…できることと言えば会計経理とか、書類整理とか、そんな程度なので…」
「…」
ならなぜここに来たのだ、と言われそうだ。
「ええと、でしたら、他に何かのご経験はございますか?王級や公爵家、もしくは大規模ギルドや学院等での職務経験など…」
「ちゅ、中小企業で働いてました…あと、短期大学を卒業していまして…」
「大学校を短期で卒業なされたのですか!?」
「え、いや、あの」
「それでしたらなぜ記入欄にお書きにならないのですか!飛び級で大学校を出ているとなればかなり明晰な頭脳をお持ちのはず」
「え、えと、違っ」
「よく見れば趣味備考の欄には読書と…なるほど、魔導学者の先生でしたか!」
「は、あ、ええ?」
勝手に何かを勘違いして、受付の女性は手をぱちりと叩き合わせてほほ笑んだ。
「たしかに学者先生は長い間を図書館で過ごすと聞きます。それならば対人スキルが低いのも納得ですね」
対人スキル?コミュ障とでも言いたいのだろうか?嘲笑しおって。
何気に馬鹿にされながらだが、どうやらギルドの会員としてくれるらしい。
恩子はほっと胸を撫でおろしていた。会員になる、ならないの選択肢も与えられずにここに連れてこられたのがそもそも微妙な気持ちなのだが、それを避けていてはこの世界で生きていけそうにないのも事実だった。
異常事態だが受け入れるしかない。そのためには早々と必要な手続きを終えてしまうのが吉と見ていた。
受付女性が何がしかの書類にいろいろと記入し、ゴソゴソとデスクで手続きをしていた。
(…っほ。どうやらこれで終わりみたい)
つい表情が緩む恩子。ふっと顔を上げた受付女性と目が合い、お互いに朗らかに笑った。今度は恩子もうまく笑えている。
「それでは実地試験のためにギルド所有のダンジョンを攻略してきて下さい。ちょうどあなたで定員の5名が埋まりましたから、本日受け付けていた他の入会候補の方々を招集しますね」
「…は、え?」
これで終わりじゃないの?
そう聞き返そうと思った矢先、背後に人の気配がした。
恐る恐る振り返ってみると、そこには若い男女が4人立っていた。
「それではクエストのクリア報告をお待ちしております。行ってらっしゃい、学者様」
背後から跳ねるような受付女性の声。
眼前には恩子を品定めするかのような男女。
曾根田恩子。
当然のごとくコミュ障である。
受付女性の嘲笑は、実際のところ本当であった。
(ああ…恨めしい…)
恩子にとって初めてのパーティーは、まるでネットゲームの即席パーティーのような気まずさを称えたものだった。




