姫様の覚醒
【王国暦124年11月2日 14:00】
ホテル・トーマス内で営業しているレストランは、昼時の混雑でも有名だ。
そのため、席の予約は十四時過ぎにならなければ受け付けていない。
「予約したオダです」
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
ウェイターに案内されつつ、オダはオーガスタをエスコートする。
未だランチタイムの残滓で店内は喧噪に満ちていた。元々、このレストランにはドレスコードはなかった。紳士淑女の店ではなかったのだ。
しかし、料理の価格帯は高めで、それもあって徐々に高級店という認識がされるようになった。店内にいる客は、たとえ冒険者であっても、稼いでいる勝ち組と言えた。
「こちらのお席でございます」
「ありがとう」
椅子を引いてもらい、オーガスタが着席する。オダは自分で椅子に座った。
「お願いしていたものを」
「かしこまりました」
オダが注文を終えて、ウェイターが去っていくと、オーガスタは訝しげにオダを見た。
「今日はいったいどうしたのかしら?」
席に着くまで、オダはオーガスタに何も説明していなかった。ただ、真新しいドレスを渡して、着付けをメイドにお願いして、レストランに連れてきた。自分も鎧こそ着用していないが、王都騎士団の礼服を着ていた。
「よくお似合いですね、姫様」
「このドレスも……」
新しい緑色のドレスは、シンプルな形状で、ほっそりしたオーガスタによく似合っていた。見方によっては質素だ、と言われるかもしれないが、今のオーガスタに華美な服装は似合わない。
「それは、王都にいるレックスくんに頼んでいたものなんです。サイズとか、特に伝えてなかったんですが」
言外には間に合ってよかった、というニュアンスがあった。
「ピッタリで怖いわ」
オーガスタがはにかんだ。
「それはまあ、レックスくんですから。姫様がもし健康的に太ったら、直してもらいますよ」
「あら、女性に太れだなんて」
「俺は姫様に健康的でいてほしいだけですよ」
オダが肩を竦める。
本来、このレストランは重い話をするには向かない。しかし、オダが知っている、一番高級なレストランはここだったのだ。
「それで――――。今日は本当にどうしたの?」
なかなか本題に入らないオダを促すように、オーガスタが首を傾げた。
「はい。実は――――」
【王国暦124年11月2日 14:12】
「まあっ、勇者のお仕事ですって?」
オーガスタは、テーブルを挟んで正対する勇者に向かって、驚いた声を出した。
軽く化粧もして、髪も梳いて、普段よりも三割増しで美しくなっている、とオダはドキドキしている心臓を押さえつけて、平静を保った。
「そうなんです。悪い精霊を退治してきます」
オダは努めて明るく、嬉しそうに笑った。その作った笑みは、先の聖者と似たものだった。
「戦うのね? 危険ではないの?」
「大丈夫ですよ。『黒魔女』殿がサポートに就いて下さるそうです」
どちらが主でどちらが従かは、ネイハムが言うようにどうでもいい。
「『黒魔女がお強いとは伺ってるわ。でも……」
「なあに、ちょっとお手伝いをして、精霊を従えてきますよ」
オダはわざと軽く言った。
「オダがご馳走してくれるというから何事かと……」
良い事ではないのだろう、という想像が的中してしまった、と言わんばかりの苦笑がオーガスタから溢れ出る。
「姫様は……反対なのですか……?」
何となく、オーガスタに反対されるのではないか、とオダは不安だった。オーガスタの表情を見て、思わず内心を吐露してしまう。
「そうではないの。そうではないのよ。ただ……心配です、心配なのですよ……」
オーガスタも、その胸の内を打ち明ける。
眉根を寄せて目は潤み、口はへの字になり、おおよそお姫様の表情には相応しくない。喧噪に満ちた公共の場で、恥も外聞もないが、そんなことはオーガスタにはどうでもよかった。
もはや自分は、粗末な作業着を着て、日々農作物と草花を世話する、病弱な園芸家だ――――という自覚があるからだ。
そんな自分を、未だオダは姫と呼んでくれて、慕ってくれて……。
「姫様……」
「オダ……」
今、オダを失ったら、自分はどうなってしまうのか。支えてくれる者がいなくなったら………………。女の打算がオダを手元に留めておきたい、と声高に叫ぶ。
「俺は、もちろん、姫様の従者として恥ずかしくない男になろう、と常々思っています。ですが、その一方では……勇者として、ではなく……一人の男として、姫様のことだけを第一に考えています。これまでも、そしてこれからも」
「…………」
オーガスタを真っ直ぐ見つめるオダ。
オダを見つめ返すオーガスタ。
オダの瞳には、自分が映っていて……………。
その姿にオーガスタは慄然とした。
なんと自己中心的で醜い女だろう!
オダが自分のために頑張ってくれるというのに!
自分は…………オダに頼ることばかり考えているではないか!
恥じ入るオーガスタは目を逸らそうとするも、オダの目力によるものなのか、視線を外せずにいた。
当の、見つめたままのオダの顔は、段々と真っ赤になっていった。
自身が発した言葉が、まるでプロポーズだったことに気付いたから。
遅れて気付いたオーガスタも顔を赤くした。
オダが素の男として語っているのであれば、それに対しては女として答えるべきだ。
その一方で、勇者としての矜恃を見せるのであれば、彼の期待通り、姫として振る舞うべきだ。
そうか、オダは自分に二つのことを求めているのか。
そこに合点がいくと、オーガスタは心の中のモヤモヤが晴れたかのような気分になった。
時に演じ、時に素を見せればいいのだ。
普通の平民が、人間が、普段からそうしているように。
だから、今は演じよう。
この忠実で頼りになる勇者に向けて。
「オダ。危険なことや困難なことがあるやもしれません。ですが、ちゃんと帰ってくるのですよ?」
「姫様…………」
「『黒魔女』殿のお役に立って……精霊ですか? を討伐するのですよ。しっかりやってきなさい」
「はい、姫様。男を上げて……必ず帰ってきます」
「オダ……貴方に神のご加護がありますように」
オーガスタの口は、ゴッド・ブレス・ユー、と開いているように見えた。
オダの心は震えた。
そして、オーガスタはオダの手を取って、口づけをした。
「ひっ、姫様……!」
赤かった勇者は、更に赤くなった。
「無事に帰ってきて下さい、私の勇者様」
「はい、必ず」
見つめ合う潤んだ瞳。
視線と視線が絡み合う。
手と手も絡み合う。
ああ、二人の間を挟む、テーブルの距離がもどかしい!
強引に顔を近づける。
そして、唇が触れた。
触れるだけのキスは初々しく、出がけにオーガスタが飲んでいた、ハーブティーの味がした。
完成した二人だけの世界。
今の二人に必要なのは――――周囲の視線を感じる力だったのかもしれない。
なお、ラブラブな会話に割り込むことができず、あまつさえキスまで目の前でされて、注文されたオムライスを両手に持ったウェイターが痺れを切らすのは、十秒後のことである。
※オダの活躍(?)につきましては本編をご覧下さいませ……。




