聖者の謀
【王国暦124年11月2日 8:20】
「お呼び立てして申し訳ありません。聖教会本部に所属しております、私、ネイハムと申します」
「はぁ」
朝早くから聖教会ポートマット支部に呼び出されたオダは、金髪碧眼でニッコリと笑う神父と正対していた。その偽善的な笑みに、オダは何となく女王陛下を思い出していた。
教会から呼び出される用件などに心当たりはなく、もちろん知り合いは……クールシスターことカミラくらいで、総本山たる本部にもいるはずがなかった。
「実は、勇者である貴方にお願いがあってきたのです」
一応は騎士籍にあるオダに対して、ネイハムは丁寧な口調で接している。身分制度上は問題がなさそうではある。が、ネイハムが放つオーラというか聖気は絶対上位者のそれで、一皮剥いたら真綿で締め付けてくる相手である、というのは一見してオダも気付いていた。
有無を言わせぬ『お願い』なんだろうな、と内心で嘆息しつつ、相手の気合いに負けないよう、オダは真っ直ぐにネイハムに向き直り、その青い瞳を見据えた。
「どういった用件でしょうか?」
オダが訊くと、ネイハムは話が早い、とばかりに眼を細めた。
「はい。ドワーフ村をご存じでしょうか?」
「王都の北にある……。名前だけは」
「はい。実は、そこに大変迷惑な大精霊が鎮座しておりまして。火の精霊、と言われていますが、周辺の気温を無節操に上げて、地域を分断しているのです」
「精霊?」
「はい。意思を持った……魔力、と一説には言われております」
「魔力が意思を持つ……。そんなことがありえるんですか?」
オダは愚直に問う。
ネイハムは嬉しそうに言葉を継いだ。
「ありえますとも。大精霊と戦って勝つと、精霊側から使役の権利を持ちかけられます。俗に契約、と言っています。勇者オダ、貴方には、大精霊と契約をしていただきたいのです」
「契約、ですか。それほどまでに頭のいい存在なんですか?」
「ええ。王都にある魔術師ギルドはご存じですか?」
「ええ、まあ、名前だけは。一時期、王都騎士団の魔術指導にも呼ばれていたと聞き及んでいますが」
「はい、今は少し組織が変わってしまったようですが……。魔術師ギルドの研究によれば、強大な精霊は意思を持ち、契約者を補佐するようになるそうです。一般に言われている『魔法』は、『精霊魔法』を模倣したものだ、というのはご存じですか?」
これでもオダは王都騎士団で訓練を受けていた。魔法には『精霊魔法』と『疑似魔法』がある、というのは知識として得ていた。ただ、実際の現象の結果としては、どちらも変わりないのだと。
「はあ、まあ」
オダは曖昧に返答した。魔術師ギルドのギルドマスターというのは宰相であるマッコーキンデール卿のことで、姫様の生活保護などで少なからず世話になったこともある。組織が変わった、というのはどういうことだろうか。
詳細を訊いてしまうと、泥沼から抜け出せなくなる――――。そんな気がして、オダは口を噤んだ。
「魔術師ギルドのマッコーキンデール卿をご存じですか?」
「ええ、まあ」
話の流れから、その名前が出るのは不自然ではない……。が、内心の焦りが手の汗として噴出する。
「実は、勇者として貴方を召喚したのは、そのマッコーキンデール卿なのです」
「は……? え……?」
何を言っているのかわからず、頭の中でネイハムの言葉を反芻する。
「さる方から指示があり、マッコーキンデール卿は、その指示に従ったに過ぎません。私もその指示を聞いておりましたし、サポートもしました」
理解を追いつかせようと、オダは脳味噌をフル回転させた。
「召喚を指示した他に者がいる……ということですか?」
「その通りです。我々のような下賤の者を導いて下さる、高貴な存在の方です」
「あの、それは王様……というわけではなく?」
今の女王ではない、スチュワート王ではないのか、と訊いて、自分でも違うのだろう、と当たりをつけながら問う。
「当時のスチュワートではありませんし、同時の宰相ダグラスでもありません。そうですね、人間よりも上位の存在、と言った方が適切でしょうか」
敬称を付けずに王の名前を呼んだことに、ネイハムに対する、オダの疑念は膨らむ。まだ、肝心の『お願い』とやらには話が触れていないのだ。前置きの長い話ほど怪しいものはない。
その前置きは、自分がこの世界にやってきた――――召喚――――についての話に推移しつつある。
ネイハムは何かに自分を引き込もうとしている。それも、きっと、良いことではなく、一般的な観念では悪に類することに。
それが感じられるのに、自分が何者であるのか――――という問いに答えてくれそうな展開になっては、明確な拒否ができない。誰だって、知りたいと思うだろう。
オダは『突然、異世界から呼ばれてきた』という出自を持つ存在だ。だから、これはオダを釣るのに最も蠱惑的な餌であると言えた。
「上位の存在、ですか?」
食い付いた、とネイハムはさらに目を細めた。それは聖者の微笑みとは性質の違う、他者を陥れようとする笑みだった。
「そうです。その上位存在を……仮に『使徒』としておきましょう。勇者オダよ、貴方は『使徒』によって選ばれたのです」
「俺が……選ばれた?」
「そうです。『使徒』は世界の安定、安寧のために日々、天から地上を見守っています。しかし、『使徒』は直接、力を行使することは難しいのです。そこで――――勇者を召喚し、世界平和を代わりに守ってもらう――――正義の剣となって」
熱に浮かされたようなネイハム司教を見て、オダはゴクリと唾を飲み込んだ。正義の剣である勇者…………それこそ、オダが心の奥底で望んでいる、自分自身の姿だった。
召喚直後に、姫からはどんな説明を受けていたのか? オダは遠くなりつつある記憶を掘り起こしてみる。
「貴方が王城から逃亡した経緯も存じ上げておりますよ。オーガスタ姫とヴェロニカ姫に説得されたのですよね? このまま、王城にいれば殺されてしまう、と」
そうだ、そう言われて、毛布を被せられて、馬車に乗せられて――――。
「果たして、貴方は殺された。邪悪な剣によって」
そうだ、俺は殺された。首を落とされて――――。
「『使徒』のなされることに反発する勢力が存在するのです。俗に『ラーヴァ』と呼ばれているようですが」
そうだ! ラーヴァ! 俺を! 殺した!
オダの瞳は思い出し怒りに黒く染まった。
「『ラーヴァ』が何者なのか、その正体については騎士団が秘匿していて正確なところはわかりません」
確かに、王都騎士団では『ラーヴァ』の情報をひた隠しにしていた。その存在や行動は、結果として王都騎士団を貶めているから、という理由は納得できるものだ。それでも噂は一人歩きしていて、騎士団を手玉に取り、勇者を狩っていく存在がいる、というのは市井に広まっている。
オダを当の殺された勇者だと知らずに、酒場でも、街中でも、噂を直接聞いたことさえあった。
「む……」
しかし、その正体を知ったところで、どうすればいいのだろう?
オダは唸った。
召喚当時のオダと、騎士団で鍛えた現在では、もちろん隔絶した実力差がある。
しかし、それをもってしても『ラーヴァ』に勝てるかどうかわからない。噂では特級冒険者『陰影』のブリジットをも退けた、と聞いていた。
オダは自分の脳内でシミュレーションを繰り返すと、少し冷静になった。
絶対に勝てる、とは言い切れない。だが、一矢を報いることは可能だろう。何しろ、自分には『不死』の体がある――――。
いや、『不死』も絶対ではない。次回も復活できる保証はないのだ。
自分が死んだら、姫様はどう思ってくれるだろうか。親身になってくれる人だって、小さい親方を始め、数え切れないほどいる。
そう考えた時、オダは初めて死ぬことに恐怖して、ネイハムの顔を見上げた。
「『黒魔女』をご存じですか?」
「っ」
これは話を誘導されているのか、それとも心を読まれているのか。恩人の名前が出て、オダは困惑で眉根を寄せる。
正直に言えば、一番可能性の高い人物だろう。
似た背格好でしかないのに。
『ラーヴァ』は金髪エルフの短剣使いで、『黒魔女』はオレンジ髪ドワーフの魔術師だというのに。
恩人を疑いたくない――――。
しかし、心のどこかで、『黒魔女』こそが『ラーヴァ』であると。同一人物であると疑っている。
疑いを持っている自分の心根が疎ましい。
いっそ本人に訊いて、自分が持つ疑念を払拭したい……いや、だめだ。やはり恩人に向けて直接訊くなんて、失礼なことはできない。
「今回の依頼は、彼女も同行し、貴方の補佐をすることになります。グリテン最強の魔術師がいれば心強いでしょう?」
ニヤリ、とネイハムは笑みを漏らした。オダが思い浮かべたことを見透かしているかのように。
ネイハムは『黒魔女』と『ラーヴァ』が同一人物である、と仄めかして、オダの心情を誘導しようとしている。
鈍いオダでさえ、それには気付いていて、そして対処できないでいた。そもそも何故、聖教の司教様が、勇者に向けて暗殺者の正体を知らせなければならないのか。
「ええ、まあ」
力関係、戦力を考えれば、自分が補佐に回るのだろう。ということは、この聖者が与えてくれる機会というのは、棚からぼた餅を得る機会ということになる。それが果たして、勇者たる実績になるのか――――。
オダは渋面を隠せなかった。
「ネームヴァリューからすれば彼女がメインになるでしょうが、なに、どちらが主で、どちらが従かなどと、この際関係ありますまい。貴方は成すべきを成し、名声と実績を手に入れればいいのです。勇者様の実績作りとして、迷惑な大精霊の討伐は申し分のない案件かと」
些細なことだ、割り切って考えろ、とネイハムは言う。
「勇者としての実績……」
あまりにも甘い飴だった。
ちゃんとした実績を作る機会はそう多くない。
姫様に、真の意味で応えられる男になりたい。
常々そう考えているオダは、もはや、この依頼を拒否はできなかった。
「…………つまり……『黒魔女』の助けを借りて、迷惑な大精霊を従えればいいのですね?」
「その通りです。如何ですかな?」
ネイハムは聖者の笑みで、嬉しそうに言った。
「…………お受けします」
「おお、そうですか! 感謝いたします、勇者オダ!」
ネイハムはオダの手を取って、力強く握り、ゆっくりと振った。聖者の仮面の奥に、邪な思惑を隠しながら。
なお、謀が根底から覆されてネイハムが慌てるのは、わずか二日後のことである。
※ネイハム司教が語っている内容には嘘が混じっております。重要なことも言っていません。別に催眠術などを使っているわけではなく、単に誘導が上手いだけなんですね。




