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30、ベッドの上で… 再び

 フローリングを歩く音。料理のいい香り。目を閉じていても感じる人の気配。

 一人暮らしを始めてからすっかり縁遠くなった、朝の風景──ってあれ?


 自宅の寝具より柔らかくて気持ちいい寝床から、わたしはがばっと身体を起こす。


 ここどこ? いや、覚えてるんだけどね。ここは国館社長の寝室だ。オフホワイトの壁にブルーグレーで統一された家具。極めつけに、ベッドはキングサイズ。社長は百九十センチはありそうな長身だから、これくらいベッドが大きくなくちゃ足がはみ出ちゃう。──ってそれはともかくとして。何でわたし、ここにいるの?

 酔っても記憶を失くさないわたしだけど、寝起きはさすがにぼんやりする。ええっと、昨夜は何があったんだっけ? こめかみに人差し指を当てて考え込むと、記憶がわーっとよみがえってくる。

 覚えてましたよ。何もかもぜーんぶ。その上素っ裸だし、何よりイタシテシマッタカンガゴザイマスシ。


 でも。

「え……えええ!?」

 何であんな話の流れになったの? 最初別れ話してたよね? で、なかなかわかってもらえないから、別の過去話を持ち出して。それがトラウマの話にすり変わっちゃって。

 覚えてる。覚えてるよ。社長が何て言って、わたしが何て答えたか。

 ──嬉しい……。

 なんて恥ずかしいこと言っちゃったの、わたし!


 ベッドの上でうずくまって悶えていると、とすとすと靴下を履いた足で歩く音が近づいてくる。わたしは身体を起こし、上掛けを胸元まで引き上げた。

 それとほぼ同時に、薄く開いていた扉が開かれ、社長が顔を覗かせる。


 見つめ合うこと数瞬。


「お、おはようございます……」

 沈黙がつらくてとりあえず挨拶をすると、社長はベッドの足もとで膝をついた。

 起き抜けから既視感続きだったけど、これもまた既視感。確か、前回はベッドの上で正座したかと。

「粕谷さん」

「は、はい!」

 改まった様子に緊張したわたしは、言われる前にベッドの上で正座する。上掛けに隠さなきゃならないから見えないけど、気分の問題ってことで。


 お互い動きを止めてからまた数秒。


 今度は息を詰めて見守っていたら、社長は深く頭を下げた。

「申し訳ありません」

 様子からしてそうくるかなとは感じてたけど、何で?

「あの……わたし、謝られるようなことを何かされましたでしょうか?」

 おそるおそる訊ねると、社長は苦悩のにじんだ表情をして話し始める。

「昨夜は話の勢いでその……粕谷さんと深い関係にならせていただいてしまいましたが、粕谷さんが酔ってたことを考えれば、手を出すべきではありませんでした。申し訳ありません」

 そう言って、また深く頭を下げる。


 つまりあれだ。

 昨夜は場の勢いに押されて関係を持ってしまったけど、一晩明けたらいけないことをしてしまったんじゃないかと思えてきて反省してる、と。

 社長らしい考えだけど、困ってしまう。合意の上だったのに謝られちゃうと、こっちの立つ瀬がないじゃない? 社長がわたしと深い仲になったことを後悔してるとまでは思わないけど。


 どうしたもんかな……。


 少し考えた後、わたしは訊ねてみた。

「あの……念のためお聞きしますけど、社長はわたしとその……しちゃったことを、後悔してますか?」

 社長は勢いよく顔を上げて、首を横に振る。

「とんでもない! 念願叶って嬉しかったというか……ですが、粕谷さんは酔っていて合意の上とは言えず……」

 言い淀む社長に、わたしは苦笑しながら言った。

「社長がOKだったんなら、問題ないですよ。そもそも誘ったのはわたしのほうですし。その……嬉しかったんです。社長がわたしのことを、嫌いにならなかったことが」


 酔いはすっかり醒めてしまったのに、昨日予想していたような激しい胸の痛みは感じない。

 それどころか今までこだわっていた何もかもが、どうでもよくなっちゃって。


 社長のためを思えば──ってずっと思ってたけど、社長自身がいいって言ってくれるなら、無理に拒むことないんじゃないかなって。


 でも、念のため再確認したい。

「あの、お伺いしてもいいでしょうか?」

「何でしょう?」

 社長は居住まいを正して、質問を待ちかまえる。わたしのほうは上掛けの下はアレという、何とも締まりない格好だけど、それでも姿勢を正して気を引き締めて訊ねた。

「社長は本当にわたしと付き合っていいんですか? 一応脅しましたけど、荒倉さんがわたしの悪い噂をバラまくかもしれません。そうしたら、国館建材さんの業績に悪影響が出るかもしれませんよ? それでもいいんですか?」

「もちろんです!」

 社長は意気込んで答えてくれる。わたしは質問を重ねた。

「そのうち昔のわたしを知ってる人と出くわして、ひどい言葉を投げかけられることがあるかもしれません。社長はその中傷に耐える覚悟はありますか?」

 社長は一瞬言葉に詰まる。付き合うことを躊躇ったのかと思ったけれど、そうでないことはすぐにわかった。

「耐えなければならないものは耐えましょう。あなたを貶めるためのものでしたら戦いましょう。あなたと付き合うことは僕自身の望みですから、誰に何と言われようとあなたを諦めるつもりはありませんし、ましてや後ろ暗いこともやましいことも何もないんです」

 ちゃんと考えて口にしてくれた言葉に、わたしの胸は熱くなる。


 この人となら大丈夫。この先何があっても、きっと乗り越えていける。


 わたしは胸元に引き上げた上掛けを押さえ直し、ちょっと照れくさく思いながら頭を下げた。

「そこまで言ってくださってありがとうございます。そ、それじゃあ改めて、よろしくお願いします」

「よかったです。わかっていただけて。こちらこそよろしくお願いします」

 社長もベッドの下で正座をしたまま頭を下げる。

 改まってこういうことを言うのって、何だか恥ずかしい。照れた顔を上げられずにいると、ベッドがかすかな音を立てて大きく揺れた。質のいいベッドみたいで、乗っかって大きく揺らしても、あんまり音が立たないのよね──って!?

「あ、あの、社長?」

 何でベッドに上がってくるの?

 膝を使ってにじり寄りながら、社長はにっこり笑った。

「めでたくつき合いを続けていくことが決まったところで、昨晩のやり直しをさせてください」

「ちょ、ちょっと待ってください」

 慌てて止めようとすると、社長はちょっと悲しげに表情を曇らせた。

「嫌、ですか?」

 嫌というわけではないけど、戸惑ってしまう。えっと、社長ってこういう人だっけ?

「あなたは酔っててあのあとすぐ寝てしまったし、僕はさんざん待たされたしで、昨晩くらいじゃ足りないんです。──駄目なら駄目と言ってください」

 駄目ともOKとも言わないうちに、社長はのし掛かってくる。


 社長! キャラ違いすぎますー!


 という叫びは、社長の唇の中に吸い込まれていった。



おわり

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