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21、囲い込み

 リフォームの案内は、火曜日の夜に配らせてもらった。テナントビルは社長の部屋の近くにあるし、郵便受けに投かんするだけなんだから、社長の部屋を訪ねる機会を利用しない手はないもんね。なので、次に国館建設さんのオフィスを訪れたのは金曜日だった。


 この週、社長は毎日欠かさず迎えに来て手料理をごちそうしてくれた。よく続くなぁと感心するけど、だからといって絆されるわけにはいかない。

 ──毎日こんなことしてて、お仕事は大丈夫なんですか?

 ──新規の取引先ができた時は、いろいろ決めなければならないことがあるのでばたばたしますが、それ以外の時は比較的時間が取れるんですよ。

 事業が順調みたいだから、そんなに暇じゃないでしょうに。家事の手際と一緒で、やりくり上手なんだろうな。



 きっかり一週間ぶりに訪れた国館建材さんのオフィスで、溝口さんが嬉しそうに迎えてくれた。

「美樹ちゃん、久しぶり! 元気だった?」

「はい、おかげさまで」

「聞いてるわよ。国館さんと毎日会ってるんですって?」

 さらっと会話に混ぜてくる溝口さんに、わたしもさらっと返す。

「はい。毎日アパートまで送っていただいて、すごく助かってます」

 予想通り、溝口さんはわたしの反応にがっかりしたようだった。「う~ん、まだまだか」とぶつぶつ言ってる。


 わたしはこっそり肩をすくめてから、一緒に来た業者さんたちを紹介した。今日はリユースに回す家具の運び出しをする予定になっていたので、さっそく作業にかかってもらう。リユースそのものは専門の業者さんにお願いするけど、運搬はリフォームを施工してくれる業者さんにお任せ。リユース施工を終えた家具の搬入も受け持ってくれる。


 家具の運び出しが始まり、社長と溝口さんがリフォームについて責任者さんから説明を受けている間に、田端部長がこっそり近づいてきた。

「壮一の部屋で毎晩会ってるんでしょ? なのにホント何もないの?」

 耳打ちしてくる田端部長に、わたしはとぼけて言う。

「お夕飯をごちそうになってますよ? 社長ってお料理上手ですよね」

 おまけにレパートリーも広いの。ロールキャベツ、春野菜のパスタ、今年収穫の筍を使った酢豚……この調子で毎日ごちそうになってると確実に太るわ、わたし。

「美味しい飯食ってるとさ、“こういう料理が作れる人と付き合えたら幸せなんじゃないかしら?”とか思ったりしない?」

 さらにつついてこようとするので、わたしは反撃に出てみる。

「そういう部長は、社長の料理を毎日食べれたら幸せだろうなぁって思わないんですか? お付き合いが長いそうですから、社長の手料理をごちそうになったことありますよね?」

 部長は噴き出した。

「えぇ!? そっちに来る? 俺と壮一はそういう関係じゃないから──って冗談は置いといて。ホント、壮一とは何もないの?」

「ありませんよ」


 即答したけど、自然に言えた自信がない。

 表面上は確かに何もない。会社帰りに迎えに来てもらって、夕食をごちそうになって、送ってもらう。その繰り返し。国館社長は、約束通り指一本触れてこない。

 でも、わたしの頭の中は違う。押したり引いたりする社長の言動に大きく揺り動かされている。

 昨日だって家カレーの話になって、しばらく食べてないから懐かしいと話したら、“明日は粕谷さんの家のレシピで作った家カレーにしましょうか?”と言った社長の笑顔にどきどきして……。


 不意に頬が熱くなるのを感じて、わたしはそれを隠そうとそっぽを向く。その動作が、部長の興味を引いてしまった。

「あれ? やっぱり何かあったの?」

「いえ、何もないです」

「やっぱりあったんだ。なになに?」

 困ったなぁ……。

 どうやってごまかそうかと思案していると、溝口さんが近づいてきて部長の耳を引っ張った。

「何話してんの? 余計なことしてないでしょうね?」

「痛て! 痛いって! おまえ俺の耳を引っ張るの、癖になってるだろ!?」

「そういうあんたは、わたしに耳を引っ張られるようなことをするのが癖になってるみたいね」

 こっちの騒ぎに気付いてか、業者さんの説明が止まってしまっている。それに気付いて、溝口さんが頭を下げて謝った。

「うるさくしちゃってすみません」

「いや、話はもう終わりましたから」

 年輩の業者さんが、笑いながら答える。

 え? もう終わったの? いつもと変わらない説明だっただろうけど、ほとんど聞いてなくて悪いことしちゃった。


 重ねて謝る溝口さんに「いいよいいよ」と言ってから、業者さんはわたしに声をかけてきた。

「それでさ、粕谷さん。国館さんが会社まで送るって言ってくれてるけどどうする?」

「は?」

 何故そんな話に? 間抜けた声を出してしまうと、社長が近づいてきて言った。

「この後、会社に戻るだけだそうですね。ここに来るのも電車だったそうじゃないですか。帰りは送りますよ」

 誘われる申し出だけど、わたしはきっぱり言った。

「そのようなことをしていただくわけにはいきません。電車での移動もわたしの仕事の一環なので、気になさらないでください」


 一応愛想よく言ったけど、これは社長への牽制だ。“わたしたちの関係をほのめかすような言動はやめてください”と。ビジネスライクな話し方をすれば、業者さんたちに知られたくないとわかってくれるはず。


 でもすでに手遅れだった。

 業者さんたちは陽気に笑い出す。

「粕谷さん、しっかりしてるなぁ。いい嫁さんになりそうだ」

「は?」

 またもや間抜けた声を出してしまう。唖然としたわたしを放っておいて、業者さんたちは盛り上がった。

「綿谷さんから聞いてるよ。国館さん、粕谷さんを口説いてるとこだって?」

「いい子に目をつけたよな。応援してるから頑張れ」

「粕谷さん、黙っててあげるから送ってもらいなよ」


 綿谷所長、業者さんたちにその話をする必要がどこにあったの?


 できることなら、この場にへたり込んでしまいたい……。

 相当間抜けた顔をしてしまったのだろう。業者さんたちだけでなく田端部長や溝口さんにも笑われた。

 ……わたし、牛や羊みたいに囲い込みされてる気分なんですが、あながち的外れなイメージではないですよね?



 ──・──・──



 駅まで送っていくという申し出まで断られてしまったので、僕は仕方なくオフィスで粕谷さんを見送った。慰めになるのは、業者さんたちが僕と粕谷さんの仲を好意的に受け止めてくれたことだ。若くて粕谷さんとお似合いの年齢の人もいたけれど、あの人たちの裏のない笑顔を見て、僕は内心ほっとしていた。

 何故なのか知らないけど、綿谷所長は僕が粕谷さんと付き合うことを応援してくれている。なりふり構ってられずに粕谷さんを怯えさせてしまうこともあるけれど、僕はいつだって退いてしまいそうになる自分と戦っている。人の性格はそうそう変わるものじゃない。ライバルなど現れたら、僕などあっさり負けてしまうだろう。そんな僕にとって、綿谷所長の援護はとてもありがたかった。


 どのみち、今夜も粕谷さんと会える。自分にそう言い聞かせて、私物の置き忘れがないか応接室の最終チェックをしていると、大した物を持ち込んでなかった和弥がにやにやしながら入ってきた。

「あれ? 追っていかないのかよ?」

 からかう気満々な和弥の様子に、僕は小さくため息をつく。

「粕谷さんにあれだけ遠慮されちゃ、追いかけていってまで送るわけにはいかないだろ」

「さびしいねぇ。よしよし、昼は慰めてやろう。一緒にメシ食いに行かないか?」

 僕は冷ややかに答えた。

「断る。どうせ慰めるんじゃなくて、からかう気なんだろ」


 僕は和弥に遠慮することはない。長年の付き合いがあるせいか、和弥に遠慮してもしかたないとわかっていた。

 和弥は遠慮がないように見えて、他人に合わせることに長けていると思う。誰とも上手く馴染めなかった僕も、高校時代は和弥のおかげでそこそこ友達付き合いできた。仕事にありつくことができたのも和弥のおかげだ。それらのことには感謝してる。


 だが、これはそれとは別だ。

「言っとくけど、一緒にメシ食ったって何も話さないからな」

 恩人とも言える相手にこの態度は辛辣かもしれないが、和弥とはいつもこんな感じだ。

 和弥も僕の返事を予想してたのか、愉快そうに笑った。

「美樹ちゃんも手強いけど、おまえも手強いよな」

「……ずっと聞きそびれてたけど、おまえ何で粕谷さんのことを名前で呼んでるんだ?」

 我慢できなくなって訊ねれば、案の定和弥はにやにやした。

「何でって、美樹ちゃんにダメだって言われないから? やきもち焼くくらいなら、お前も名前を呼べばいいのに。美樹ちゃん、おまえに結構脈があるんじゃないのか? “美樹”って呼び捨てにすると、案外あっさり落ちるかもよ?」

 そんな単純な話があるか。僕は呆れ返って、ついついお大きな声を出してしまう。

「おまえなぁ!」


 ちょうどその時、溝口さんが応接室に入ってきて、僕の考えを代弁してくれた。

「そんなに簡単にいくなら、国館さんも苦労してないわよ」

「そりゃそうか」

 溝口さんの言葉だったからか、和弥はあっさり同意する。そんな和弥からすぐに注意を逸らして、溝口さんは僕に話しかけてきた。

「国館さん、向こうの忘れ物チェック終わりました。再確認させていただきますけど、これから再来週の月曜日まで自宅勤務ということでいいですね? 業務連絡はPCメールに送らせていただきます。緊急時はスマホに連絡させていただきますね」

「はい、そのようにお願いします」


 業務上の確認が終わると、和弥はドアに向かいながら言った。

「忘れ物がないなら、そろそろ出るか。壮一、さっきのは冗談として一緒にメシ食いに行かないか? これから一週間、顔を合わせる機会も少なくなるだろうしさ」

 今度はまともな誘いらしい。なので僕もまともに返事した。

「いや、遠慮するよ。昼にやりたいこともあるし」

「夕飯の支度か? 甲斐甲斐しいねぇ」

 和弥のからかいを聞き流しながら事務所を抜けてオフィスから出ようとすると、廊下に続くドアがノックされる音がした。

「あれ? 美樹ちゃんか? 何か忘れ物をしたとか?」

「それらしいものはなかったから違うと思うけど。──はい、どうぞ」

 溝口さんの返事を聞いてから、ドアがゆっくりと開かれる。

 入ってきたのは、粕谷さんじゃなかった。

 ブランド物と思われるスーツを着こなした、ロングヘアの女性だった。切れ長の目をした美人で、赤い口紅がよく似合う。


 過去に引き戻されたような感覚に、僕は一瞬めまいを覚えた。


 四年ぶりに合うその女性は、ブランクを感じさせない親しげな笑みを浮かべて話しかけてきた。

「久しぶり。偶然近くに来たから、寄ってみたの。壮一、お昼がまだだったら一緒にどう?」

 僕を守るように、和弥が僕の前に立つ。

「てめぇ、一体何しに来た?」

 たった今までにこやかだった彼女の顔に、蔑みが浮かぶ。

「あなたには関係ないことでしょ?」

 和弥の肩が動揺して強ばる。彼女の言い方はきつかったけど、普段この程度のことで和弥は動揺したりしない。


 古傷が開いたんだ。


 和弥の側に彼女を置いてはおけないと思い、僕は和弥の肩を掴んで溝口さんのほうへ押した。

「僕はこのまま出ます。消灯と施錠をお願いします」

「はい、わかりました……」

 事情を知らない溝口さんは、釈然としないながらも僕に話を合わせてくれる。僕は女性に「行きましょう」と小さく告げ、オフィスをあとにした。



 ──・──・──



 俺がどれだけひどい顔をしているのか、俺の彼女──溝口夕歩が教えてくれた。

「和弥、今の誰?」

 心配そうに声をかけてくる。


 立ち直ったと思ってた。乗り越えることができたと。

 でも違ったらしい。心の奥底にしまい込んだだけで、何の解決もしていない。


 倒れそうだと思ったのか、夕歩は俺を壁にもたれさせた。両腕で俺を囲うようにして、俺の顔をのぞき込んでくる。

 あの女が出てきては、夕歩に隠そうとしても無駄だろう。隠そうとすればするほど、暴き立てられ踏みにじられる。


 話すしかない。あの女にすべてをめちゃくちゃにされる前に。


 俺はできるだけ平静であろうと努めながら答えた。

「四年前まで壮一と付き合ってた、たちの悪い女だ」

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