八話
「い、いってええええええっ!!」
俺は消毒液のあまりの凶悪さに叫ぶ。麻痺していた左肩の痛覚が戻りつつあり、泣き叫びたくなる。
もう少し丁寧に扱っときゃよかった左肩!
「いってえ、じゃないっ! 我慢して!」
ベッドの上の少女が、けたたましく怒鳴り散らす。
うわあ、怒ってらっしゃる。めちゃくちゃ怒ってらっしゃる。
コイツは例の俺の妹、異無 美唯だ。
現在、自宅。妹の部屋。俺はベットに腰を掛け、穴の空いた左肩を、美唯に治療してもらっている。
美唯には昔から、いつもこうやって治療してもらっていた。高等部に進学してから治療してもらうのは今回が始めてだが、昔は本当に酷かった。
小さい頃から俺はいつもケガだらけで、その度に美唯の世話になり、おかげで美唯の治療能力は非常に高い。年齢が上がるにつれ俺のケガは酷くなり、それに伴い美唯の実力も段階的に向上していったのだ。
というか元々医者の才能があったらしく、寝たきりになる前までは天才医少女などと呼ばれていたのだから凄い。医師免許だって持っているのだから、なんというか、インフレ。
なにせこいつは才能ゼロの俺とは違い、学園でも数人しかいない治癒系“超”能力者の一人だったのだ。
能力名『念末念糸』。糸状の念粒子と粉末状の念粒子を操り人体を縫合、再生させることの出来る能力。
大晦日に俺が適当に名付けてやっただけというのは内緒の話。天才医能力者の能力名が、実は“年末年始”から来ていると知る者は数少ない。ちなみに治癒系能力者を、異能力者ならぬ医能力者と呼んだりする。
「ていうかどうやったらこんなことになるの!? やっと兄貴も落ち着いてきて平和に青春送ってると思ったら……左肩に穴!? はあ!? びっくりだよっ!」
ある事件依頼、俺がケガして帰ってくることがなくなったため、しばらく大人しかった美唯だが、今日は久々にキーキーと元気である。
「だから階段踏み外しただけだって言ってんだろ?」
「アホな嘘つかないの!」
「嘘じゃないぞ。階段の下に巨大なトゲが落ちてたんだ。誰の落し物だろうなー、あのトゲ」
「意味分からないよ!」
「あっはっは俺も意味分からん」
「何を開き直ってるの……」
ううむ、ご機嫌麗しくない。
美唯は、今でこそ寝たきりで医療能力が落ちているが、それでもそこいらの医者よりかは何倍も腕が良い。
ぐちぐち文句を言いながらも、相変わらずの手際の良さで左肩の傷口を治療していく美唯。
念粒子と薬剤を混合し、特殊に加工した粉末を傷口にまぶす。
癒着効果のあるもの、麻酔効果のあるもの、浄化作用のあるもの、細胞代替として使えるもの、様々な化合粉末をテキパキと、最適の量で使い分けている。これ一つまみで耳を疑いたくなる値段がしたりするのだから目に悪い。
「まあまあ、機嫌直せよ。ほら、お土産にアイス買ってきたんだぜ?」
ビニル袋からハーゲンダッツを取り出し、ベットに取り付けられた食事用の台に置く。美唯鎮圧のための取っておきだ。
「肩に穴空いてるのに暢気にアイスなんか買ってたの!? 頭わいてるでしょっ!」
おかしい。余計怒りを買ってしまった。
「お気に召さなかったか。ストロベリー味探すのに二件回ったのに」
「……まず頭の治療してあげようか?」
俺を見る視線が痛い。なんというか、本気で心配げに言っているのが余計痛い。少しおふざけが過ぎたかも知れない。
呆れながらも、治療スピードは全く緩めず、傷口を念糸で縫合していく。これも粉末同様、特殊加工がされていて、赤の念糸、青の念糸、黄の念糸、色によって効果が違うものを数種使っている。
それにしても、本当に凄い。さすが超能力者にして天才医少女、通常では何時間も掛けなければならない重症がみるみる内に治療されていく。治療というか再生のレベルだなこれ。おそらく神経が切れてただろうに、麻酔で感覚は無いが、指先もちゃんと動く。
仕上げに包帯を巻き、
「はい、終わったよ。放っとけばすぐ直るけど、あんま動かさないでね」
治療開始から五分も経っていない。それでこの仕上がりなのだから、なんとも超能力者である。
「どれぐらいで動かしてもいいようになる?」
「今日安静にしてれば、明日には問題なく動かせるようになるよ。さすがに激しい運動したら痛むけどね」
「おう、サンキュー」
「まったく……治療はさせておいて事情は聞くなって、都合良いねまったく」
その通りだ。
だからと言って、魔獣に襲われました、なんて言えるはずがない。余計過ぎる心配を掛けてしまうことになる。
魔獣を倒し、白い少女が現れ、あの後、俺は全速力であの場を去り、帰宅した。それから肩の応急処置をし、ある程度経ってから現場に戻ったのだが、嘘のように元通りになっていた。
穴の開いていた地面は綺麗に塞がれていて、掘り返された瓦礫は欠片も残っておらず、魔獣の残骸は消え失せていた。あの出来事が幻だったかのように、全部夢だったと言われれば信じてしまいそうなほどに、完璧に元通りだった。
だが肩の傷がそれを否定する。何もかも現実のものだったのだと、包帯に巻かれた左肩が物語っている。
神屠学園が証拠隠滅に動いたのか、彦星の言っていた『烏合の衆』とやらが動いたのか、はたまた別の組織かは分からないが。とにかく、あの現場に証拠隠滅するだけの秘匿性があったということだけは分かる。
『世界政府』か『協会教徒』の仕業とも考えられる。魔界を管理している連中だからだ。必然、魔物関連の事柄には深く関わってくる。
もちろん、彦星、篤木、白い少女の姿はなかった。あの後どうなったかは知らないが、まだ彦星の首がくっついていることを祈る。そういえば救援を呼んでいたから、篤木は今頃『烏合の衆』とやらのアジトで治療を受けていることだろう。あの真っ白い女に刺され、命を絶っていなければだが。
というか奈々乃が消えていた。
そんなわけで俺は、現場確認後、急いで自宅に戻ってきた。連絡網を頼りに奈々乃が家に帰っているかどうか確かめるためだ。勧誘がどうとか言っていたから、彦星達の組織に連れ去られてしまったのかも知れない。そういえば、あの二人と奈々乃が一緒に帰っていた理由はスカウトのためだったのか。彦星の通信中にもチョロッとそんなような話が聞こえたし。
で、奈々乃の自宅に電話を掛けようとしたところで、妹の美唯に見付かってしまい、こうして治療をしてもらったのである。
ちなみに、美唯は念糸を伸縮自在、自由自在に操れるため、遠くの物でも器用に動かせる。寝たままでも家内の状況を把握することだってできる。介護人も居ないのに家で一人でやっていけてるのはこれのおかげだ。
「信じらんないよ。そんなケガで行ったり来たりしてたんだから」
美唯は、とある事件による後遺症で下半身の自由が利かない。更に心的にも酷い傷を負わされていて、神屠学園に近寄ることが出来ない。見ただけでも気が動転し発作を起こしてしまう。
俺は神屠学園が嫌いだ。大嫌いだ。美唯をこんな身体にした、あのイカレ野郎どもを今でも血祭りに上げてやりたい。それが簡単に出来れば苦労しないのだが。
そもそも、決めたのだ、もう危ないことには今後一切関わらないと。例え学園の手中に甘んじようとも。せめて残された美唯の笑顔は失いたくない。
「……兄貴、また危ないことやってるの?」
怒り心頭だった美唯の表情が一転、心配気な、泣きそうな顔になる。なんだかんだ言っても、常に相手のことを気にしているやつなのだ。
「いや、それは大丈夫。今回はほんと、ちょっと巻き込まれただけだ。俺から何か手出ししたわけじゃない」
「何に誓う?」
「婆ちゃんに誓おう」
「なんでそんな微妙な」
「お? なんだお前、婆ちゃんなめんなよ? すげえんだぞ、何でも入ってんだぞ、婆ちゃんの知恵袋」
「別になめてないよっ」
「それより溶けるぞハーゲンダッツ。いらないなら食っちまうぞ?」
台に置いたハーゲンダッツを手に取り、美唯の手の届かない位置まで遠ざける。
「あっ、あっ、食べる食べる、かえしてって」
両手を伸ばして必死に中空をあおぐ美唯。……おもしれえ。
「ほれほれ、こっちだこっち」
なんだか楽しくなってきたので、アイスを右に左に移動させる。ちなみに、小学生が女子にちょっかい出している図だということに気付いたのは、しばらく後のことである。
「ていっ」
パシッ、
「おっ?」
伸ばした念糸で絡め取られてしまった。小賢しいな小娘め。
「うわあ、少し溶けてる」
文句を言いつつも、めちゃくちゃ美味そうに食う美唯。
「うまうま」
「……」
「……何? ほしいの? 少しいる?」
しぶしぶといった顔で、小さなプラスチックのスプーンを差し出されてしまう。ううむ……。
「遠慮しておく。それはちょっとまずい」
「別にまずくないよ。めっちゃ美味しいよ」
いやいや、お嬢さん、そういう意味のまずいではなくてだね?
「いや、ほしいほしくないで言えば、どちらかと言えばほしいが、いや、遠慮させて下さい。ここでそのスプーンと無垢さに甘んじてしまったらなんだか引き返せない気がする」
「? 変な兄貴ですねー?」
小首を傾げ、おどけたように言う妹。正しく妹。妹なのである。
だめだこいつ。根本的なところが小学生だ。ちなみに今こいつの実年齢は中三。一個下だ。
妹、美唯。クラスメイト、奈々乃。美唯のそっくりさん、奈々乃。奈々乃のそっくりさん、美唯。
美唯が変な丁寧語を使ったので、つい奈々乃のことを連想してしまった。
こうして見ると、やはり瓜二つだ。生き別れの姉妹か何かなんじゃないかと本気で疑ってしまうぐらい。……いやそれはないと思うが。
「っと、そうだそうだ、奈々乃だ。電話だ電話」
マイファミリーとの邂逅ですっかり忘れてしまうところだった。あいつの家に電話するために急いで戻って来たのではなかったか。
「奈々乃?」
「ああ。クラスメイトの女子だ。ちょっと聞きたいことあるから電話するだけだよ」
「……お、女の子? ……兄貴が、女の、人の、家に、電話?」
めちゃくちゃ疑わしげに言われてしまう。何を疑ってるんだこいつ。
「その人、実は男なんじゃないの?」
「何で行地と同じようなこと言うんだお前はっ。俺だって傷つくんだぞっ」
「ええ……。なんかごめん」
「いいんだ。別に」
どうせ俺はクラスでも敬遠されてますよ。昔からそうですよ。女なんかそうそう寄って来ないですよ。別に悔しくなんかないったらば。
まあ、そんなことは置いといて、電話だ電話。
一旦、美唯の部屋から出て、リビングにある家電の受話器を取る。壁に貼り付けてある連絡網で奈々乃の電話番号を見ながら、ピピピと押す。どうでもいいが、高校生にもなって連絡網て。
プルルルと二回ほど呼び出し音が鳴り、ガチャ、
『は、はい、もしもしっ。こちら電話を承りました奈々乃 美羽でございますっ』
ああ、これは確実に奈々乃だ。いや、声がどうとかじゃなくて、受け答えのテンパり方が実にあいつらしい。
ほっと安堵の溜息をつき、
「おう、奈々乃か? 俺だよ俺。俺俺。俺だってばさ」
『え、ええと、あの、……、はい、あなた様ですかっ』
「久しぶりだなー」
『え、ええ? あの、はい、お久しぶりですっ。ええとええと、いつ以来でしたっけ、お話するのは』
「今朝ぶりだぜ」
『今朝!? 今朝ですか! ……、はい、今朝、お話しましたね、確かに。そんな気もしますね。だ、大丈夫ですよっ。忘れてたりなんかしませんよっ。本当はあなたの名前が出てこないなんてことありませんよっ』
「そうか。もちろん分かっていると思うが、俺は異無だからな?」
『ああっ! ……、はい、異無さんでしたかっ。異無さんですよね。大丈夫ですよ、知ったかぶりとかじゃないですよ』
こいつ簡単に詐欺師に引っ掛かるんだろうな。冗談のつもりでオレオレ詐欺やったのに、まさか成功してしまうとは。これがアホな子クオリティか。
『それであの、どういったご用件ですか?』
「お前の母親が交通事故に遭った。このままだと死んじまう。病院にいるんだが、治療費が必要だ。今から言う口座番号に金を振り込んでくれ」
『は、はわわわわ』
「はわわじゃねえ。嘘に決まってんだろ」
こいつは焦ると何故はわはわ言い出すのか。変な生き物である。
『え、そう、ですか。あはは、あんまり変な冗談はやめて下さいようっ』
「さすがにこれは騙される方が悪いと思うが……」
『す、すみません』
「別にどうでもいいけど」
『すみません……。それで、ご用件とは何でしょうか?』
「いや……なんか気い抜けちまった。まあ、全然無事っぽくて何よりだ」
『は、はあ。よく分かりませんが、それは何よりです』
「それでお前、あの後どうしたんだ? ちゃんと病院行ったのか? 足怪我してたろ」
『あの後、ですか? ええと、すみません、何のことでしょうか……』
「はあ? 何のことでしょうかって、そりゃあ」
どういうことだ? 奈々乃は忘れている? 覚えていない?
いや、これはもしかして、
「お前、さっきまで何やってた?」
『さっきまでですか? ……そうですね、何をしていたかと言われれば、強いて言うならお昼寝してました。なんだか家に帰ってからいつの間に寝てしまったみたいなんです』
「下校中、何か変わったことはなかったか?」
『下校中ですか? ええと、特に変わったことはなかったと思いますが、何でしょう、なにかもやもやします』
「そうか。普通に下校して、家帰ったらいつの間に寝てて、今起きたのか」
『はい、異無さんからの電話で目が覚めたところですよ』
「足に何か異常は無いか? 酷く痛むとか。それか頭部にケガしてるとか」
『? ないですよ?』
「なるほど、分かった。ならいい。邪魔したな、もう電話切るぞ」
『あ、はい、また明日です』
「また明日」
ガチャリと。受話器を置く。
ふうむ。
これはあれだ。奈々乃のやつ、記憶を消されている。しかも瓦礫に挟まれた足も、切った眉間も完治しているらしい。
おそらく、あの後彦星に勧誘され、断ったがために記憶を消されたのだろう。
ちゃんと治療はしてくれたみたいだから、そんなに悪いやつらじゃないのかも知れない……いや、ケガも証拠の内だ。隠滅するための治療か。
彦星と篤木が所属している組織、『烏合の衆』、か。
白い少女。妹似の少女。
能力の暴走した悪友。三角錐の魔獣。
神屠学園。魔界。魔物。協会教徒。世界政府。
異能力者。超能力者。無能力者。
特別クラス、十五組。
俺。妹。
何か、何か悪いことが起きているような気がする。
とても、悪いこと。
なんだろう。
なんだろう。
歯車が、歯車する。
回転が、回転する。
運命が、運命する。
得体の知れない何かの、得体が知れない。
何かが、何か。
ばらばらのパズルが、ばらばらにくっつき、気持ちの悪い山を成す。
それぞれの断片が、断片的にくっつき、吐き気のする山を成す。
成した山は更に成り。
成した山は更に増え。
成した山は更に伸び。
崩れ去る。
時計を見る。
もう、夕飯の時間だ。
まあ、考えるのは後ででいいか。いや、別に考える必要もないか。
そんなことより、飯を美唯のところに運んでやらないと。確か、昨日の余りがまだ残っていたはずだ。
異無家は二人暮しだ。飯の時間は、俺が美唯の部屋にお邪魔し、適当に談笑しながら食うのが日課だ。
なんか久々に一騒動あった気がするが、まあ、なんだ。別になんでもいいか。
俺には関係ない。
俺は平和に暮らしたい。
俺は首を突っ込まない。
だからそちらさんも首を突っこんでくるな。
無能力者は平和に暮らしたい。




