十四話
三話目の内容を少しだけ書き換えました。
爆発音。
粉塵が舞う。
沈黙。
だが、すぐに沈黙を破る声。
「……うあ……ぁ、なんで」
倉庫から出てきた行地だ。
全身をガタガタと振るわせる悪友が、良人の斜め後ろの倉庫から姿を現す。ひどく怯えた表情で、脂汗を垂らしながら。
それは、二日前ほどではないにしても、能力暴走直後に行地が見せた表情。トラウマが刺激され、恐怖に支配された姿。
それが意味するところは、つまり行地の能力が暴走したということ。
だからあれだけ強力な火炎弾を放つことが出来た。行地の異能力『いい火減』の通常時の威力は百円ライターほどしかないのにも関わらず。
勿論、行地自身もそれは承知の上で能力を発動した。蝋燭に点火することが精一杯の低級能力ではあるが、“感情の昂ぶりにより威力が増加する”という特性を生かして。奈々乃が狙われたことと、狂人にバレてはいけないという緊張感により火炎の威力が増加することを予測して。狂人にある程度のダメージは与えられるだろう、と、運良く体育倉庫に隠れられたことに乗じて不意打ちを決行した。
が、能力は暴走し、“巨大化した火炎弾は良人に向かって放たれた”。
能力試験の時と同じように。その軌道は行地の意思に反し、狂人ではなく良人を狙って軌道を変更したのだ。
それは良人の計算の内である。
良人は半分確信していた、試験の時と同じように、行地の能力は自分に向かって軌道を変更するのだと。だからこそ、良人は“自分と倉庫を線で結んだ先を見据えた”のだ。そこに伏兵である行地が姿を隠しているのだと、狂人に思わせるため。見据えた先に狂人が特攻することを予測し、そこに暴走した行地の火炎弾が向かうよう。実際は、訓練場の倉庫の窓は、人が通れるような大きいものではないということを知っていたため、行地が倉庫の中に隠れているのは知っていた。
背後から向かってくる火炎弾を避けなければならないリスクがあったが、だが作戦は成功した。良人はギリギリで身をかわし、外れた火炎弾はそのまま突き進み、策に嵌った狂人の着弾点と重なった。まんまと閃光の狂人を欺いた。
確実性に欠けた、作戦と呼ぶにはいささか歪な策ではあるが。
まず、狂人が良人の思い通りに動かなければならないが、良人は狂人の目の動きから逆に思考を読み取っていた。だから作戦を決行した。それでも、あくまで予測の範疇を出ない。
そして半ば確信していたとはいえ、行地の能力が暴走するとも限らない。行地自身は策のことなど何も知らず、普通に狂人を狙っていたのだから、正常に発動していれば狂人の思い通り奈々乃に直撃していたのだ。
一応、失敗した時の対策も考えていたのだが、通常の戦闘で使うにはお粗末なものである。
が、成功した。
むしろ成功させるしかなかった。
こんな愚策に賭けなければ、超能力者と対等に渡り合うことは出来ないからだ。運に頼ってこそ、始めて絶望的な力量差は埋めることが出来る。
といっても、それはほんの一瞬のことで。
越えられない壁と背比べが成り立ったのは、ほんの一瞬のことで。
超能力者の優位は覆らない。
――――やったか?
――――いや、アレがそう簡単に、
「仕方ねェ」
狂人の声。
だが、ついさっきまでの声音とは比べ物にならない重みがある。
「いやァ、実際は任務のついでにお前ら皆殺しにするつもりで来たんだがァ」
眩い光。エネルギーを溜める音。
まだ狂人の姿は粉塵に包まれ視認出来ない。
「そう簡単にはイかねェみたイだなァ」
対し、落ち着き払った良人。
「お前が勝手に自滅したんだろ」
「アッはァ。そウだなァ、慣れねェ頭脳動労なんぞするもんじゃねェなァ」
狂人の右半身が弾ける。着ていた赤い制服の右半分だけが、弾け飛ぶ。
直後、場内をより強い光が照らす。
ギギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ、
光源は狂人の右半身だった。右半身だけが、強く強く輝いている。
いや、違う。それは到底、右半“身”と呼べるものではなかった。
今まで赤い制服に隠されていた生身。人の身体がなければならない場所。右腕、右足、右の半身。
膨大な力の放出によって消失し片側のみになった征服。さらけ出された半身。そこにあったものは、ただ冷たく輝く鋼だった。
右腕が無い。代わりに鉄製の義手がある。
右足が無い。代わりに鉄製の義足がある。
右半身が無い。代わりに鉄製の義身がある。
怪しく輝く鋼鉄の右半身には、直径五センチ前後の穴が等間隔で空いている。そこから光は放たれていた。それは光、なのだろうか。
触れた物体を消滅させてしまうまでに凝縮された、強すぎる光量。
狂人を未だ視認することが出来るのは、光が全て一箇所に圧縮されているからだ。
――――なんだあの化け物は……。
良人の背中に寒いものが走る。
何をしたらあんなおぞましい姿になれるのか。何を“されたら”あんなおぞましい姿になってしまうのか。
人体実験。学園の裏。
――――ぼくァね、大っ嫌イなんだよ、“右”ってやつがァ。
良人はその言葉を、頭の中で反芻する。
気が狂ってしまっても無理は無いのかも知れない、と。
「さァ照らし出そウ、てめェらの汚ねえ屍を」
キイィ……ン、
音が遅れてやって来た。
音がする前に、既に行動は終わっていた。
反応、どころではない。
どうやったって間に合うはずがない。
視覚とは、物体が反射した光を捉え初めて状況を認知することの出来るものなのだから。
もし、光と同じスピードで動く人間がいるとしたら。
そんなものは瞬間移動と変わらない。
実際、狂人は瞬間移動していた。
奈々乃の元へ。
狂人が、瓦礫に埋もれた奈々乃の頭に右手をかざしていた。
「こ……と無、さん」
「アッはァ、一人目ゲエエェット!」
駆ける。
無我夢中で駆ける。
全身の筋肉を爆発させ、全エネルギーを込めて床を踏みしめる良人。
考えている余裕などない。思考なんて出来ない。頭よりも先に筋肉が直接反応する。神経伝達を無視して行動する。
距離にして十メートル。
遠い、遠すぎる、余りにも遠い。十メートル、それは永遠と同義だ。
せっかく守れたのに。
いつかの魔物とは比べ物にならない化け物によって訪れた絶望。
――――間に合え間に合え間に合え追いつけ追いつけ追いつけ、
最期に奈々乃は笑っていたように思う。
キィン……、
音が遅れてやってくる。
結果が遅れてやってくる。
全てが光の前では停止する。
距離という概念を、抵抗という概念を、時間という概念を無視して動く物体。狂った謎の超能力者。偽物の右半身を持つ狂人。
半身を代償に手に入れたのであろう、何もかもをゼロに帰す究極の速度。右半身から莫大な光量を放出し光速移動を可能にする、文字通り最高速の異能力者。
間に合う道理がない。
気が付いた時には、奈々乃の姿はどこにも無かった。
先ほど見知った顔があった場所には、更に形が崩れた無残な瓦礫があるばかりで。
妹似の少女は、チリ一つ残さず掻き消えいた。
思考が停止する。
感情がショートする。
脳内を駆け巡っていた電気信号が活動を止めた。
「――――は? おい奈々、」
乃、と言い切る前に。
場内が光る。
キ……ィン、
音が遅れてやってくる。
結果が遅れてやってくる。
何もかもが光の前では停止する。
「二匹目ゲエェットオォ!」
振り向く。
カチカチガチガチと、機械仕掛けのように良人の首が後ろを向く。
そこには、未だ過去の傷に囚われたままの悪友が居た。
ぶつぶつと要領の得ない言葉を羅列する行地と、顔面を笑みと涙でぐちゃぐちゃにした狂人が共に居た。
右半身を輝かせ、狂人の嘲笑が場内に轟く。
「や、めろ――――」
キィ、ン……、
音が遅れてやってくる。
結末が遅れてやってくる。
超能力者の前には、チリ一つ残らない。
瞬間、消え去る行地。
後ろの倉庫もろとも。
縦横共に幅数メートルの光の柱が、辺り一面を消し尽くす。
光学兵器というものがある。それは余りにチープで馬鹿げた殺戮兵器。誰もが知っていて、誰もが一笑に付す、単純で分かり易い強大な光線。
狂人が行地の目の前で放ったのは、まさにそれだった。
有り体に言えば超特大ビーム。
それが狂人の掌から放たれた。
馬鹿げている。
そんな終わっている能力があるならば、わざわざ行地の目の前まで移動せずとも離れた場所から良人もろとも消滅させればいい。
だが狂人はそれをしなかった。
絶対的優位を、圧倒的差を、見せ付けるために。良人の反応を楽しむために。
わざと派手に、嘲笑うように、ひけらかすように過剰な演出を行って見せた。
とんだ茶番だ。
こんなもの戦闘でもなんでもない。
ただの殺戮。
意味の無い惨殺。
悲劇と喜劇をないまぜにし台無しにしてしまった狂気。
命乞いも遺言もあったものじゃない。
消されるがままに消されてしまった。
消されてしまった。
消されてしまった?
――――本当にそうなのか?
――――こんなに簡単に消えちまっていいのか?
――――行地だぞ? あのしつこいだけが取り柄の納豆みたいなやつだぜ?
――――奈々乃だぞ? せっかく仲良くなれた天然美少女だぜ?
――――それが何? 消された? 死んだ? こんな簡単に? はあ? 意味が分からない。意味が分からない。こんな気持ち悪いポッと出に瞬殺? 意味が分からない。意味が分からない意味が分からない! ふざけんなふざけんなふざけんな!
――――ふざけんな!!
だが現実は覆らない。
眼前を覆う粉塵が晴れていく。
少しずつ、少しずつ事実を照らし出すかのように。
屍を照らし出すかのように。
死を照らし出すかのように。
靄が晴れていく。
現実を見ろ、と。
悪夢を見ろ、と。
やがて薄っすらと月明かりが差す。
壁とともに消失した天上から、不気味な青白い月明かりが差す。
良人は見る。
先ほど行地が居た辺り。
照らし出されたそれを。
照らし出された、
それは、
誰かの、
左腕。
「おい行地?」
返事は無い。
「奈々乃?」
返事は無い。
「は?」
返事は、ない。
全身の細胞が呼吸を辞めた。
全身の筋肉が収縮を辞めた。
全身の血液が循環を辞めた。
全身の機能がズレていく。
呼吸を辞めた細胞が循環を始める。
収縮を辞めた筋肉が呼吸を始める。
循環を辞めた血液が収縮を始める。
人間であるための機能がぐるぐる入れ替わる。
入れ替わり入れ替わり、別の何かが紛れ込む。
終いに全身を人間以外の何かが覆い尽くす。
化け物に紛れていた人間性が、化け物に覆われ尽くされる。
目の前が灰色になる。
灰色が目の前になる。
黒でもない、白でもない、人間にも化け物にもなれなかった出来損ないの灰色へと、身体が変異する。
世界と曖昧が入れ替わる。
どこを見渡しても正しく歪んでいる。
ここは世界の狭間。
外でもない、中でもない、あるようでない、ないようでない、世界でもない、取り柄のない、ただの狭間。
目付きの悪い少年が言う。
“久しぶりだな、現”
謎の物体が答える。
“久しぶりだね、無能力者君”
“なぜ今頃になって出てきた? 現”
“何のこと?”
“魔物の時は何とかなったから構わない。だが今回は納得出来ない。なぜ手遅れになってから出て来た? 俺はずっとお前を呼んでいたんだぞ!?”
“出る必要が無かったからね”
“ふっざけんな!! お前の力があればなんとかなったんだ! 『負価壊』さえ使えれば! あんなキチガイ野郎どうとでもなった! お前が意味も無くもったいぶるからっ! 奈々乃が! 行地がっ!!”
“うるさいな、やめてくれよ責任転嫁は。僕はただ何もしなかっただけだよ? 別に敵の加勢をしたわけでも、君の邪魔をしたわけでもない。君はあれかい? 犯罪に巻き込まれて、なぜ助けてくれなかったんだって野次馬に対して怒るの? これだから人間は。汚くて醜くておこがましい。自己中心で救えない。僕の力を自分の力だと勘違いしている。むしろ昔あれだけ力を貸してあげたんだから、君は僕に感謝してもしきれないぐらいの恩を感じるべきなのに”
“黙ってろ人外風情が! 自分の周りの世界さえ守れれば後はどうだっていい! 俺は汚くて醜くておこがましくて自己中心で救えなくていい! だから力を貸せ、今すぐ貸せ!”
“やだよ。何で?”
“肉片にしなければならないやつが居る。今すぐ微塵にしてやりたいやつが居る”
“完全に君個人の私情じゃないか。それはただの破壊衝動でしょ? 守るもなにもない。そんなバッチィ動機のために僕が動くとでも?”
“ほざけ、お前ほど汚れ好きなやつが他にいるのか?”
“面白いことを言うね。僕が汚れ好きなんじゃない。僕が愛してやまない“その世”自体が汚れなんだよ”
“ならいい。どうでもいい。いいから力を寄越せ”
“うん。いやだ。そんなの全然面白くない”
“あ?”
“今は使い時じゃないって言ってるの。それに『負価壊』が無くったって、君にはとても特殊な体質があるじゃないか。便利で理不尽な体質が”
“……あれは駄目だ”
“何で? 使うのが怖いの? 自分が人間じゃないって再認識するのが怖いの? なんだ、口ではあれこれそれっぽいこと言うくせに、いざ嫌な目に遭いそうになると保身かい。汚いとか間違ったこと言って悪かったよ、謝まる。今の君を表す言葉は一つだけだ。不愉快。それだけ”
“……”
“そろそろさよならの時間だよ”
“……待て”
“安心していいよ、どうせ近い内にまた会うんだから。今回はダウナーな君とちょっとジャレたくて出てきただけなんだ”
“待て!”
“ちなみに、君は何か勘違いをしているようだけど……行地君は生きてるよ。というか死ぬはずがない。物語はまだ序章なんだから。ああ、でももう一人の女の子は確実に死んだよ、細胞一つ残すことなくね。実は生きてた、みたいな展開は絶対に無いから安心して”
“な、にを、言って――”
“ふふ、とても見苦しくて歪な展開だ。あの超能力者が襲ってきた本当の目的も知らないで、君は愚直に仲間の死を悲しんでいる。アレの目的に気付きつつも、君は愚直に目を逸らしている。これだから人間は。汚くて醜くておこがましい。自己中心で救えない。素敵だなあ”
“っ――――”
“またね”
目の前が白色になる。
白色が目の前になる。
黒でもない、灰でもない、秩序が腐敗した世界へと吐き戻される。
曖昧と世界が交替する。
どこを見渡しても汚く腐正解。
ここは間違いだだけの現世。
外でもない、狭間でもない、ないようである、あるようである、掴み所の無い、ただの世界。
良人の意識が戻る。
ゼロ秒間失っていた魂が身体に帰還する。
視覚と聴覚が戻る。
発狂し、ギャハギャハうるさい馬鹿を認識する。
触覚が戻る。
重たく淀んだ空気を肌に感じる。
声帯が役目を思い出す。
鋭く冷たい音が大気を震わす。
「ただの破壊衝動、か。いいぜ、やってやる」
記憶が役目を思い出す。
現の言葉を思い出す。
“何で? 使うのが怖いの? 自分が人間じゃないって再認識するのが怖いの? なんだ、口ではあれこれそれっぽいこと言うくせに、いざ嫌な目に遭いそうになると保身かい。
「その通りだ。俺は自分が人間じゃないと認識するのが怖くて仕方ない。目の前で友達が殺されたのに、それなのにまだ保身を気にしている。人間でいたいとあがく。不愉快極まりない口先男」
怒りが役目を思い出す。
恨みが役目を思い出す。
現は、行地は死んでいないと言った。死ぬはずがない、と。だがそんな言葉は関係ない。目の前で悪友が掻き消える様はこの目ではっきりと見ているのだ。目の前で親友をいいようにされたのだ。
それどことか奈々乃を手に掛けた。
殴り殺さずにいられるか。
保身なんか忘れろ。
化け物でいい。
この感情を吐き出せるなら人間でなくていい。
憎い憎い憎い。
殺せ殺せ殺せ。
消せ消せ消せ。
イライラする、イライラする。
腹が立つ。
だから消してやる。
ドスッ、
落ちてたガラスの破片で、自らの右肩を貫く音。
良人の右腕がブラリと垂れる。
止め処なく溢れる血流が二の腕を伝い、肘を伝い、手の平を伝い、ポタポタと地面を赤く濁らせる。
「……何だァ? 気でも狂ったかァ?」
狂人がとても滑稽なことをほざく。
そんなつまらない声は耳に入らない。
ドチュッ、ザシュ、グチュッ、ビシュッ、
もう片方の肩を裂く。両太ももを裂く。最期に眉間を軽く裂く。
ダラダラと溢れる血。
頭からつま先まで血塗れになる。
「『血姿武器』、解除」
呟くと同時に、良人の血液が真っ黒に染まる。
ドス黒い、というよりは穴のような黒。触れば奈落の底へ落ちてしまいそうな、危険な色。
血飛沫。血姿武器。血の姿の、武器。
それは、その姿は、かつて学園の研究者達を恐怖のどん底に陥れた、悪魔。
何をかもを等しく平等に“無”にする“能力者”。
最強の“無能力者”。
◆◇◆◇