01.自立への足音
「はっ、は……っ」
浅く荒くなる呼吸を一定になるよう意識しながら、重くなる脚を前へと進める。
ようやく見慣れてきた街並みを横目に、石畳の道を走り抜ける。
色とりどりの花々が外壁を飾る家並みの坂を駆け抜け、その先にある手入れが行き届いた気品ある装飾が施された鉄門を潜り、走る速度をそのままに綺麗に整えられた庭園を進んで行く。
弾む鼓動を落ち着かせながら、ゆっくりと走る速度を落として迎賓館『草風の館』の正面玄関へ。
乱れた呼吸を整えながら館に入り、豪華な階段を駆け上がり、早足で見慣れた廊下を進み、何日も過ごした部屋の扉を開いて中に入る。
扉が静かに閉まる音が、部屋に響く。
それを確認して、スッと深く息を吸い込む。
「完全復活!!」
この世界に来てからずっと不調不調ばかりだったけれど、やっと本調子に戻った!
あらかじめ決めていたコースを走り切った達成感も相まって、ルリアネは嬉しさのあまり両手を天井へ向けて突き上げる。
これでやっと、自分の足でこの世界に立つことができる。
グッと握り締めた拳を、確信を込めて見つめる。
「朝から姿が見えないと思ったら、走りに行っていたのか?」
「!」
不意に聞こえた声と、同時に感じた気配に、弾かれたように視線を窓辺へ移す。
そこに立っていた人物を認識した途端、渾身のガッツポーズを見られていたという事実に、顔が熱くなる。
「ヴァレン様……い、いつからそこに?」
「そなたが部屋に入る少し前だ。足音が聞こえたので、つい身を潜めてみたくなった」
「身を潜めてみたくなったって、女性の部屋に勝手に入るのは失礼ですよ」
「確かに──」
これは失礼したとヴァレンは悪びれる事なく歩み寄ると、慣れた手付きでルリアネの髪を一束掬い上げ、それに口付けを落とした。
ルリアネはその行動に驚き、さらに顔を赤らめ目を見開いて固まる。その様子を至近距離で見つめるヴァレンの瞳はどこか面白そうに細められていた。
──遊ばれている!
そう感じたルリアネは抗議の意思を込めてヴァレンを睨み返すのも、素知らぬ顔でヴァレンはルリアネの髪を放すと部屋の扉の方へと歩いて行く。
「準備が出来次第、翠光の間に来るように」
「……?わかり、ました」
部屋の扉が閉まる音が居室内に響く。
緑陰から戻ってきて以来、ヴァレン様はこうした軽いスキンシップが増えたような気がする。
ルリアネは火照る頬を落ち着かせながら、汗で濡れた服を脱いだ。
そしてシュミーズを着て、スカートとコルセットを着ける。
最初は着るのに少し手間取っていたけれど、やっと慣れてきた。
◇ ◇ ◇
「どうぞ」
「ありがとうございます。シェパード様、アルシェちゃん」
シェパードにエスコートされ、ルリアネは温室のテラス『翠光の間』もとい温室のテラスにて円卓を挟んでヴァレンと向かい合う形で席に着く。
壁際にはロウェリーとヴィセル、そしてシェパードとお茶を用意し終えたアルシェが控えた。
改まった空気に少し物怖じしてしまいそうになるも、今から話される内容に察しがついているので、背筋を伸ばし、真っ直ぐにヴァレンを見据える。
その堂々としたルリアネの態度にヴァレンは目がわずかに細められる。
「その様子だと、大体の察しが付いているようだな」
「はい。先程ご覧いただいた通り体調も万全になったので、そろそろ自立する時期だと」
「自立か……。その場合、緑陰に居を構えると」
「はい。ちょうど明日、装備などが出来上がる予定なので、明日ここを出ようと思います」
膝の上、右手首のバングルに視線を落とす。
黒色の魔石が静かに輝きを放っていた。
正直不安なことが多いけれど、流石にこれ以上彼らの厚意に甘え続けるわけにはいかないから。
「そうか。私も明日には帝都へ戻らねばならないから、そなたもここを立つと言うなら、丁度いい頃合いだな」
「え?」
──帝都へ、戻る?
予想外の言葉に、ルリアネは思わず顔を上げる。
「……そう、ですか。では明日でお別れ……なんですね」
喉の奥が少しだけ熱くなった。
少しの沈黙の後、出た言葉はこれだけだった。
どうしてか、ヴァレン様と離れることを拒絶する自分がいる。
だけどそれは、この世界に来てからずっとこの人が傍にいてくれたからだと思う一方、この人と別れるのは初めての筈なのに、見に覚えのある様な不思議な感覚に囚われる。
──きっとこれはあの夢のせいだ。
緑陰から戻って以来、あの夢に変化が起きた。
いつもなら、あの夢に出てくる人達の顔は霧が掛かった様な状態で、髪の色や顔以外の容姿や雰囲気だけが記憶に残っていたのに、その顔の霧が夢を見る度に薄まり出し、夢の中の場面も変わり出してきて、その全てが目が覚めた後も記憶に残っている状態。
正直、このままだと夢と現実の記憶の区別が付かなくなってしまいそうで怖い。
そして昨日見た夢に、ヴァレン様と同じ背格好で同じ瞳の色をした人が出て来て、その人に別れを告げる様な場面で目が覚めたから。
だからヴァレン様と別れたくないと思ってしまうのかな──
思考を落ち着かせようとカップを手に取り、ゆっくりと口にする。
この世界は元の世界と違い、魔法や魔獣と違うものもあるけれど、どうしてか元の世界と同じ名前の似た様なものが存在する。
今口にした物もアルシェちゃんは紅茶と言っていたけれど、確かに元の世界と同じ紅茶の味がした。
馴染みのある味に小さく息を吐く。
「ヴァレン様は普段は帝都で暮らしているのですか?」
「ああ。フローレンには今回、視察と所用で来ていたんだ」
「そう、ですか。……あの、フローレンは以前はセレスティア王国に属していたのですよね、どうしてグラウデュース帝国の領地になったのですか?」
以前、図書館で得られなかった真実。
何も感じなければ、単なる国家間の問題が起きてその解決の為にセレスティア王国に属していたフローレンが、グラウデュース帝国のものになる事で解決しただけだと割り切るだけだったけれど、どうしても気になってしまう。
そしてフローレンを統治していた『フィオネス家』が消えた理由。
それを考えるだけで、なぜかとてつもない喪失感に襲われる。
ルリアネはぎゅっと唇を噛み、無意識に胸元に当てた左手首を握り締める。
ヴァレン様はフローレンに視察に来るほどだから、何があったのか、詳しく知っている筈。
「……真実か。それを知ってどうする?」
「わかりません。だけど、何も知らないのは嫌なんです。自分の名前や生い立ちがわからないよりも、フィオネス家に何があったのか知らなければいけない気がするんです。……だからお願いします。最後にフィオネス家で何が起きたのか、教えてください」
グッと左手首を握り締めて、ヴァレンに頭を下げる。
本来ならフィオネス家の邸宅で暮らしているシェパード様に聞くべきなのかもしれない。
けれど、どうしてかヴァレン様の口から聞かなければいけない気がした。
頭を下げるルリアネにヴァレンは少し眉を顰め、静寂が凍りつくような重圧となって周囲を支配する。
その緊張感に壁際で待機していたロウェリーは戸惑い表情を強張らせ、ヴィセルは無機質な瞳で2人を見守る。
そしてシェパードはルリアネの所作に目を見開き、何かを否定するような苦渋の表情を浮かべ、隣に立つアルシェは震える手でぎゅっとシェパードの燕尾服の裾を握り締め、ルリアネをただ一心に見つめていた。
ヴァレンから放たれる無言の圧と冷たい視線にルリアネは緊張と恐怖で震えそうになるも、ここで怯えて引いたらもう二度と『フィオネス家』について聞けなくなると、唇をぎゅっと噛み、頭を上げ背筋を伸ばしてヴァレンを真っ直ぐ見据える。
「お願いします。今の私には、必要なことなんです」
冷徹なヴァレンの視線と交差する。
張り詰めた緊張の中、ヴァレンはルリアネの手の仕草に視線を落とした。そして一度シェパードへと視線を向けると、シェパードはそれに頷き、ヴァレンは観念したように目元をグッと指で押さえた。
やがて、重く静かな声が放たれる。
「フィオネス家は5年前にすでに途絶えている。その理由は──」




