最終話:気づかないまま
夕方の店内は、 いつもと同じ明るさだった。
特別忙しいわけでもなく、 暇すぎるわけでもない。
レジに立ちながら、 流れていく人たちを見送っていた。
商品を選び、 会計をして、 店を出ていく。
それだけの繰り返し。
名前も知らない。 覚える必要もない。
それで困ることはなかった。
自動ドアが開く。
見慣れた足取りで入ってくる。
あの人だった。
もう、 「いつも来る人」と思っている自分に、 気づいていた。
棚の前で少し立ち止まり、 缶コーヒーを手に取る。
迷いはない。
以前より、 動きが自然に見えた。
レジに商品が置かれる。
バーコードを読み取る。
いつも通りの音。
レシートが印字される。
レシートを、 差し出した、その瞬間。
「——今日も、悪くない日でした」
小さな声だった。
独り言のようにも、 挨拶のようにも聞こえた。
ほんの少しだけ間を置いて、 軽く頷いた。
「ありがとうございます」
それ以上の言葉は出てこなかった。
客はそのまま店を出ていく。
自動ドアが開き、 閉まる。
それで終わりだった。
特別なことは、 何も起きていない。
それなのに、 なぜか印象に残った。
レジの前に立ったまま考える。
名前も知らない。
どこで働いているのかも、 どんな毎日を過ごしているのかも知らない。
けれど、 たぶん。
この人の毎日は、 少しだけ変わったんだろう。
理由は分からない。
きっかけも知らない。
自分が関係しているのかどうかも、 分からない。
ただ、 そう思った。
次の客が並ぶ。
「いらっしゃいませ」
いつもの声。
いつもの店。
世界は、 何も変わっていない。
——たぶん、 気づかないまま、 少しずつ変わっていく。
それでいいのかもしれない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
特別な出来事はなくても、
人は知らないうちに誰かの日常の中に残っているのかもしれません。
名前も知らないまま交差する時間が、
少しだけ優しいものであったなら嬉しいです。
また次の章でお会いできたら幸いです。




