3 基本、100%悪い
身上書を見て真っ青になっている尚香に、章は横から説明する。
「快便ってところがミソでしょ?」
「………」
「今、セロリジュース頼んだからもっと良くなる。金本さん便秘?」
「は?」
「便秘がちなお姉さんと違って、運周りも良さそうじゃない?」
「??そんなこと聞いてないんだけど!」
「失礼します」と、野菜ジュースとティラミスを持って来た店員は、品を置いて早々にこの場を離れた。
「金本さん、怒らないでよ。怖いなあ……。便秘のツボ教えようか?」
「やめて!」
「待って、俺も知らないから今調べる……」
ドンっと少し机を叩いてしまう。
「やめてくれます?」
「金本さん……。ここ星付きホテルだよ?」
「………」
この男に言われたくない。
「あの後、僕。最悪だったんだよ?騒ぎだしたの俺らじゃないのに俺のせいになるし、床拭いたの俺と和歌さんだし。お客さんみんなに詫びて、なぜか俺が全員にワンドリンクサービスしたし。」
「??」
「残念!もう少しいたら、ワンドリンク無料で飲めたのにね!」
「………今、お見合いの延長なんですけど、なんのつもりですか?」
「え?金本さんこそ、若い男に喜ぶタイプじゃなさそうだし……興味半分?」
「……その年であなたよりしっかりしている人はいくらでもいます………」
「ええぇ……お見合いで他の男褒める?」
「山名瀬さんこそ、そんなんで結婚以前に将来大丈夫なんですか??」
健康そうなのに年収100万あるかの男である。
「……ひどい……。それって過剰な指摘じゃ………」
「ひどいのはあなたです……。」
「じゃあどうすればいいの?」
「将来計画どういうふうに立ててるんですか!」
「将来?普通は20歳で結婚。子供は4人で、35年ローンでマイホームに住む。円満に定年退職して年金月27万円ゲット。習い事と登山の悠々ライフ。孫に囲まれて98歳で終身。お墓はいりませんと生前に断っておく。」
「………冗談で言ってるの?バカにしてるの?本気で言ってるの?」
そういう意味で言ってるのではないし、なんにしても許しがたい。四大卒でも今や敵わない未来図を、この男が言うのか。しかも、この男は知りもしない相手にこんな話をするのか。ここはお見合いの場だ。
「……知らない。そういうのが普通かなあと思って。」
「そのための将来計画です!夢の話はしていません!!20歳なの?」
「理想の話!そういうことじゃないの??夢も見ないの?」
「っ?……」
この男、プランナーに会わせてあげたい。そもそも何の話をしていたのか。
「大学は?行ってないの?」
「僕は行ってないけど?20歳で卒業じゃないの?大学卒業って何歳?」
「……四大なら全部ストレートで満22歳。」
話したいことから話がズレていく。
「ストレート?……ふーん。じゃあ、結婚は22歳になるの?」
大卒イコール案定職や年金ゲットでもないのに、就職後結婚でもないのに、この男は何を考えているのだろう。しかも27万円とか、そこそこの企業に勤めていた尚香の父世代の年金額で微妙にリアルだ。誰かに聞いたのか。
「……さあ……」
としか、答えられない。
「将来計画って言うから、真面目に答えたのに。」
と、大の男のくせに口を膨らませている。
「………」
世界にこんな強敵がいるのかと、あんぐりしてしまう。
「でも、金本さんこそ、そんな若作りして、もしかして一生懸命22歳の俺に合わせてくれたの?」
「っな!……」
と、あまりに常識はずれな言い様。しかもその歳で大学にも行ってなさそうで、定職もないのに結婚する気とは。それに22なら、最初の結婚計画は既に未達成である。一言物申そうとしたが、さらに気が付く。
「………2じゅう…………22歳?」
「え?俺ってそれくらいじゃん?」
「………」
身上書を見ると、清書の方はどう考えても26と書いてある。
「………」
もう一度この男の顔を見てみる。
「何年生まれ?」
身上書には生年月日や細かい住所までは書かれていない。
「秘密!」
「!?」
関係が一段落するまで、お互いの詳細は明かさない。
非常に苛立つ対応である。
「本当に詐欺!」
「違うよ。僕、金本さんに送られた内容知らないし。清書した人に言って。」
「………」
そして、じっと尚香の髪型を眺めた。
「………」
やたら真剣で背筋がゾクゾクする。
「……その髪型もそんなアップにするより………流した方がいいよ。……成人式?っていうか七五三?そのハネはいらないっしょ。」
「っ?!」
「固めたの?」
と、信じられないことに、サイドを触ろうとする。
というところで、遂に尚香は切れてしまった。
絶対に触られたくない。
どばっと、グラスからこぼれるジュース。
「え?」
尚香がこの男の顔にぶちまけたセロリの野菜ジュースは、章の白い服にまで染み渡っていった。
少し涙目の尚香に、唖然とする周囲の客。
章は、また鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「最低。」
それだけ言って、尚香はこの席を後にした。
「………」
取り残される章と、どうしようか迷っている先の店員。心配半分、怖いもの見たさ半分だろうか。床が絨毯でなくて幸いであった。
「……今日は糖度入りか……」
章はジュースを舐めて考えながら、タオルを出そうとカバンを触る。そして垂れたジュースで二次被害を受けるカバンの中。
「しまった……与根の楽譜が濡れてしまった………」
と、他の店員が持って来た布巾を渡される章であった。
***
「お母さん。あの二人そろそろ終わったかな……。」
道は時計を見上げる。
「電話してみます?」
「そうねえ……」
その時、駐車場の音がするので、待ってみるとガラガラっと玄関が開いた。
「尚香ちゃんかしら?」
「尚香!」
二人は慌てて玄関に行く……
も、尚香のテンションはひどく低い。いつもは「ただいまー」か、誰かいれば「こんにちはー!」と入って来るのに、と思うと、尚香は母の顔も見ずに駆け出して2階の自室にこもってしまった。
「…え?」
嫌な予感がする道。
失礼しますと2階に上がって静かに戸を叩く。
「尚香ちゃん?」
………ドアの向こうは無反応だ。
「尚香ちゃん?!」
「尚香ーー?」
と、お母さんも1階から娘を呼ぶ。
反応のないドアに少しだけ耳を当てると、うぅ………とすすり泣く声が聞こえて来た。
真っ青になる道。
あの子だ……
早速電話を掛けるも相手は受け取らない。
またやったんだ……。今日こそは信じてたのに………
ドア越しに声をかける。
「尚香ちゃん!もしかして章のせい?!尚香ちゃん?」
すると、弱々しく引き戸の向こうから声がする。
「……山名瀬……もしかして、道さんの名字って……山名瀬なんですか………?」
道は親の3人目の家政婦。2人は経歴を確認したけれど、知り合いの紹介状もあり、みんないい人でそこからの紹介だったので、道さんと呼ばれる彼女はもう両親に任せていたのだ。紹介を受けたのは直接会った口答で。そう言えばヤマナセだったと思い出す。思えばたくさん居る名字でもない。
「……そう…。尚香ちゃん、ごめんなさい!うちの息子です!」
ドアの向こうの反応が分からない。
「……………」
慌てて下に降りる。
「お母さん、ごめんなさいっ。章がやらかしたみたい……、どうしよう!」
「道さん……。大丈夫……」
お母さんはゆっくり階段を上って尚香の部屋に向かった。
***
都内のスタジオ。
「はー、最悪。」
とこぼして、章はドアを開け挨拶をする。
「おはようございまーーーす!」
「おお!!来た来た!」
「今日はどうだった??」
「お前とお見合いとか、相手が可哀そうすぎる!!」
「絶対、付き添い要るだろ!」
「この時代、見合いに付き添いってどうかしてるだろ。」
「いやいや、この時代だからこそ。」
「道さん同席の方が勝算上がるし。」
「つーか、何で濡れてんの?」
「それ、なんか被ってんだろ!」
「やっべーー!またやらかしたのか?」
周囲はガヤガヤ騒ぐも、章はいつもの位置に荷物を置いて座り込む。
「最悪も何も、あの時水を掛けた女だった。」
………。
一同、止まる。
「え?マジ?」
「あの背の低い女。」
嫌そうに答える。
「はー?そんな事あるのか?」
「………」
章はむすっと黙り込んだ。
「まじか!?」
「もうそれ、運命じゃね?」
「しかも、今日は野菜ジュース掛けられた。ごめん。」
と、少しジュースを吸った楽譜を与根に渡す。
「バカか!俺の!」
そこにズカズカ現れる、ミニスカのツイストハーフアップ女子。
「何その女!ひっどーい!!うちの功に2度もジュースを掛けるなんて!!
どんな女なの?見てみたいわっ。」
「2回水で1回ジュースだ。」
正直、今まで何度も人を怒らせてきたので、水を掛けられるくらいそこまでダメージはない。
「しかも叱られる。なぜか。」
「見合いで怒らせるならともかく、叱られるなよ!」
「……」
納得いかない。向こうも悪いのに。
「俺は99%功が悪いと思う。」
「いや、100%だろ。」
「普通ジュースなんてかけないでしょ!女が悪い!!」
「相手が悪かろうが、功が100%悪い。」
「お前というだけで、お前が悪い。」
「掛けざるおえないようなことをしたんだろ。」
「なんで、俺の評価そんなに悪いんだ?だいたい最初の店で騒ぎ出したのはあいつらだろ?」
他のバンドメンバーだ。いつも空気を読めないと言われるから、場の空気に合わせたのにと思う。何なら怖いお姉さんに囲まれた、女子大生バイトを庇ってあげたのに。
そこに、与根のスマホが鳴った。
「功!道さんから。」
「俺?」
と、受け取る。
「何?道さん。俺の仕事の邪魔しないでくれる?」
と、言ってみる。偉そうにと周りに言われるが、今は創造の時間なのだ。こういう腑に落ちない出来事が、次のアイデアにつながる。
しかし、道さんはそんなどころではなかった。
『章!今日、何したの!!?』
「……?何って?」
『尚香ちゃん!!』
「…お見合いした人?約束の時間まではちゃんと頑張ったけど?」
ロビーで別れるまでだ。
『お母さんの、仕事先のお嬢さんだって言ったでしょ!!!』
「へ?」
唖然としてしまう章と、聞き耳を立てる周囲。
「もしかして……やっぱり金本おじいちゃんとこの子?」
『尚香ちゃん、今泣いて帰って来たんだよ!!!』
「え?」
周りは状況判断をしようと、こそこそ話し合っている。
『金本なんて珍しい名字、普通分かるでしょ!!』
「………しまった……。珍しいの?おじいちゃん金本なの?」
『何がしまったなの?誰に対しても、変なこと言わないでっていつも言ってるのに!!』
「え?誰にでもなく、言ったのは尚香さんにだけだから。」
『章!!』
「……ごめんなさい……。でも、道さんが付いて来てくれないから……。でも、こんな人生の分岐点ぐらい…」
『いつまでも親に横であれこれ言われて生きるの??』
「……違います………。ごめんなさい……。」
『何言ってるの!私でなく、尚香ちゃんに謝りなさい!!』
「……仕事……」
と、言ったところで周囲が押す。
「行ってこい。」
「え?でも俺、要るだろ?」
「昨日会議サボった奴が何を言っている。」
「はあ………」
と、ため息をつくも、すぐに行くと返事をした。
会社の水道でザっと頭と顔を流し、腕も拭く。会社に置いてあったTシャツに着替え、またため息をついた。
「与根も一緒に行こ?」
「一人で行ってこい。」
「……また失敗しちゃうよ。」
「まりがついて行ってあげる!!」
先のハーフアップ女子だ。
「真理ちゃんはダメ!」
と、他のスタッフに止められる。
「なんでーーーー?!!」
と、叫ぶ真理を置いて、章はまたスタジオを出た。