思い出の中にどうやら引き込まれたようだ
朝目覚めて駅から電車に乗って会社へ向かい、キリがいいところで業務を終えて帰宅する。朝とは違い人影まばらな駅に降り立ち、改札を抜ける。毎日それ程変化のない繰り返しの行動だ。これを疑問に思う事もない。必要な事だと意思を持つような信念もない。ただ単に、そうしているだけだと思う。少し前にプレイしたファイナルファンタジーの事などすっかり忘れている。よく考えればあれも駅前にいたティナのコスプレをした人を見かけなければ無かった出来事だ。自分で何かを考えて行動する事など久しくないな。
なんだか俺自身、つまらない奴だな。こんな事もたまに思ったりもするが、思うだけで何か趣味を持とうとかそんな事もない。あの時もそうだった。ファイナルファンタジー6はバッドエンドのストーリー。ハッピーエンドに導きたい。そう思った事は確かだが、具体的にどうなればそうなるかまでは考えていない。
何となく、俺は立ち止まる。あの物語は、どうすれば幸せな結末を迎える事ができるのだろうか。
世界を破壊する前にケフカを倒すべきだとは思う。ケフカを倒す機会は幾度かあったが、仕留めきれてはいない。どこかで選択を間違えているのだ。正しい選択と行動が出来れば、世界の平和を守る事が出来たかもしれないのだ。
なぜ、急にこんな事を考え始めたか。そうなのだ、いるのだ。あの日と同じ、同じ場所に。そこにティナがいるのだ。俺は何かに背中を押されるように、少女の方へ歩き出していた。
「すごいですねティナのコスプレ。そっくりじゃないですか」
当たり障りのない感じで話しかけた。そのつもりだ。変な風に捉えられなければいいのだが。
しかし彼女の表情は虚ろなままで、こちらの問いかけを聞いているのかいないのか、返事はなくただぼんやりと俺の方を見ている。
何だか様子がおかしい。直感でそう思った。コスプレが趣味なんですか。ファイナルファンタジーがお好きなんですか。質問を繰り返すが返答はない。ひょっとして衣装だけでなく、素振りもティナを模しているのだろうか。ひょっとしたら周りに仲間がいて、いつまでこの様子のまま続けられるかみたいなチャレンジをしているとか。
だが辺りには誰もいない。時間も午後8時を過ぎている。話しかけたはいいが、どうしようかと俺が迷う。別に何か用事があって声を掛けた訳ではない。少女は俺から視線を外し、何処を見るでもなく彷徨わせる。ダメだな、こりゃ。俺が何か間違えたんだろう。そりゃあそうだ。いきなりこんなおっさんに声を掛けられた方が迷惑だ。無視を決め込まれても文句は言えない。
ごめんね。そう言い残し、俺は足早にその場を離れた。その時、背後から声が聞こえた。
「私、わからないの。自分がなぜここにいるのか」
俺は振り返る。
「記憶がないのか」
はずみで口から出た言葉に、少女は頷く。
「私はティナ。帝国の兵士」
表情は変わらず虚ろで視線も定まっていない。ああ、そうか。操りの輪の制御から解放されたばかりで、精神が安定していないのだ。
などと。まあ、ここは相手に合わせておこう。よく知らない界隈ではあるが、コスプレってのはここまで雰囲気を再現するものなのだろうか。
気分が悪いなら少しそこのベンチに腰掛けていて。暖かい飲み物を買ってくる。そう言って駅の中にある自動販売機でお茶を購入し、少女の元に戻る。渡された物を不思議そうに見るので、ああそうか。記憶が無い設定だったな。と思い返してペットボトルの蓋を開けてやる。
「ありがとう」
少し気分が落ち着いたのか、お茶を飲む表情は和らいで見える。
じゃ、これで。と言って家路へつこうとした瞬間、何となくその言葉を引っ込めた。
ここで帰ればそれきりだ。もちろんそれは当たり前の話で普通はそうする。だが、どうしても気になるのだ。この少女が。今日、ここで出会ってからずっと考えていた。この娘はどうも、普通じゃ無い。自らをティナと名乗る、この言動、雰囲気。変な事を考えているとは自分で思う。もしかしたら、ゲームの中から現実の世界に飛び込んで来たんじゃないか。そんなあり得ない空想をしてしまう。もしも今、この娘のペースに合わせたら、俺もゲームの世界に引き込まれるんじゃないか。そうなったら、もしそうなったらそれは、もの凄く楽しいことじゃないか。
俺は軽く息を飲み、大きく吐く。よし、決めた。
「記憶が無いと言ったが、ここまでどうやって来たのかも覚えていないのか」
俺の問いかけにティナは頷く。
「多分、指令を受けてこの地に来たんだと思うけれど、誰とどうやって来たのか、何をしたのか何をするのか、何もわからないの」
そうか、そいつは大変だな。
会話をしながら俺は思考を巡らせていた。もし、今この瞬間があのオープニングの後ならば、この状況で次に起こる出来事は何か。向かいのコンビニに停めてある車の影に、何かがいる気配を感じた。そこから声が上がるのと同時に、俺はティナの手を取っていた。
「居たぞ!帝国兵の生き残りだ!」
物かげから何人かの男が躍り出てくる。明らかにこちらへ向かってきている。俺は勢いそのままティナの手を掴んで走り出している。あいつらに捕まっては駄目だ。ティナは戸惑いの表情を見せながらも俺について来てくれている。
「どうして逃げるの?あれは誰?」
手を離しティナは並走する。やっぱり鍛えている兵士は違うぜ。運動不足の中年とは比較にもなりゃしねえ。
「奴らはこのナルシェのガードだ。ティナを追っている。何故だかは後で説明する。今は逃げるぞ」
わかったわ。ティナはすぐに理解してくれたが、果たして俺が逃げ切れるか。息が続かない。もう走れない。駅前から伸びる道路脇の歩道。こんなところを真っ直ぐ走った所で、一体どこまで逃げ切れるものか。50メートルも走らない内に、背後の追っ手との距離はどんどん詰まる。もう駄目だ、捕まる。観念し始めた時、前方の交差点の左脇から別のガードが姿を表す。ああ、囲まれた。足を止めて周りを見回す。駄目だ、脇に逃れる通路も無い。車道の向かいの歩道からもまた別の追っ手が駆けつけている。終わった。逃げられなかった。
「ごめん、ティナ。逃げられなかった」
隣に立つティナは、絶望に苛まれる俺の言葉など聞く素振りなど見せないかのように落ち着いている。ティナは辺りを見回しながら、手のひらを胸の前で向かい合わせ、小さな声で何かを呟き始める。俺は息を飲む。ひょっとしてこれは。
「ファイア」
軽やかに発せられた言葉と薙ぐように振りかざした腕。何も無い空間から突然燃え盛る炎が出現し、俺たちを囲むガード達に浴びせられる。
魔法だ。俺はただ震え上がった。こんなにも簡単に出来てしまうものなんだ。何人かのガードは火だるまになり立ち上がらない。他の奴らも警戒して間合いを取っている。
この世界、いや、もちろんゲームの世界の話なんだが、魔法を使える人間は皆無に等しい。生まれながらに魔道の力を持つ少女。そんな通り名を思い出した。ティナは再び魔法を放とうと両手を上げる。
ちょ、待って。思わず声が出る。やり過ぎじゃないか、と思ってしまった。余りに一方的過ぎる。
ティナはこちらを見るが、表情は無い。なぜ俺が止めようとするのか、理由が分からないのだろう。
いや、だって相手は人間じゃん。そんな道徳的な考えなんて、この世界じゃ不要なのか?
その時、何か足元に違和感を感じた。震えている?いや、俺じゃ無い。もっと下、地面が振動している。ティナもそれを感じ取ったようで、魔法の動作を中断する。その隙を見てガード達が俺たちに襲いかかろうとしたその瞬間、突然俺とティナの足元の地面がひび割れ、大きな穴が開いた。
マジかよ。ばたつく手は何を掴む事はない。一瞬息が止まる感覚を覚え、俺はなす術なく何処へ続くかも分からない地下へ落ちていく。
ふと目が覚めた。だが暗い。暗いが、ここは何処だ。意識が混濁している。が、ふとした拍子に記憶のピントが合う。そうだ、俺は落ちたのだ。急に地面に穴が開いて。ニュースとかでたまに見る道路陥没とかあんなのだろうか。確か液状化現象とかでアスファルトの下の地面が地下水とかで流れてしまって地盤が弱くなって…という理屈めいた事を考えてみたが、あまり意味はなさそうだ。暗がりに目が慣れてくると周囲は岩肌で覆われていることが分かった。そこまで広いとは言えないが立つ事は出来る。上を見上げるが、落ちてきた先は見えない。登って戻る事は出来そうにない。ああそうだ、俺は妙に納得した。これは洞窟だな。ゲームでよくあるやつだ。
「気が付いたのね。怪我はない?」
話しかけられた声に少し驚く。そうだった。彼女も一緒に落ちたのだ。俺は落ちる前の彼女の行動を思い返していた。
魔法か。俺は物事の捉え方を変える必要性に迫られていると感じていた。そろそろ今の状況を受け入れるべきなのかもしれない。例えば今、俺たちは帝国兵の残党を追うガード達に囲まれ突然開いた穴から階下に落下した。となると次はあれだ。俺はこの空間の先、見えない闇の方向に神経を尖らす。
やっぱり、人の声と足音がする。追っ手がここまで嗅ぎつけている。もちろん逃げる必要があるのだが、ここで多分、奴が現れる。
「おっとこんな所にいたか。もうすぐここにも追っ手がやってくるぜ」
俺たちが落ちてきた穴からだろうか。壁面伝いに男が一人、降ってくる。軽い身のこなしでティナの前に降り立つ。さあ、行くぜ。いきなりここから去る事を促すが、流石にティナは警戒を隠さない。
「あなたは誰?」
「俺の名はロック。通りすがりのトレジャーハンターさ。こいつも何かの縁だ。お前は俺が守ってやる」
何ともまあ胡散臭い言葉を吐くやつだぜ。苦笑いを浮かべる俺に初めて気づくようにロックはこちらを見る。何だ、おっさん。あんたも一緒に来るか。
「俺も守ってくれると有り難いんだがな」
やれやれ、俺はついでかよ。とにかくここに居たら奴らに捕まってしまう。俺は痛む身体にムチを打ってロックの誘導に従ってティナと一緒に洞窟を駆ける。狭い通路を抜けて外に出ると、辺りは一面の雪山だった。ああ、分かった。もうこれはそうなのだ。ここは鉱山都市ナルシェ。鉱山の奥に眠る氷漬けの幻獣を求めて侵攻してきた帝国兵の一人がティナだったという事だ。だからナルシェを守るガードの面々が帝国兵であるティナを追っている。そこにリターナーの一員であるこのロックという男が颯爽と現れる。
本人は偶然を装ってはいるが、ティナが生まれながらにして魔道の力を持つ少女だという事は織り込み済みのはずだ。
そうだ。ここはファイナルファンタジー6の世界。俺はどういう訳か、ゲームの中に引きずり込まれたらしい。夢だとは思う。だけれどこうやって感じる寒さや走り疲れた疲労など、現実の感覚と全く遜色がない。俺はこの境遇を受け入れるべきだと思った。大好きなゲームを体験できるなんて、やろうと思ってもできる事じゃあねえだろう。いつかは醒めるんだ。それまでは思い切りやってやろうじゃあねえか。
少なくとも今の時点では、そんな軽い気持ちだったと思う。




