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雪を解いて春を招(よ)べ  作者: 空烏 有架(カラクロ/アリカ)
2時限目 田舎娘は試験で賭ける
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23_“ナマズちゃん”の悪あがき③

 眩しさと恐怖とで、リェーチカは思わず目を瞑ってしまったが、次の瞬間に来るはずの激痛はなかった。


 あったのは、何かが燃える激しい音。それと、焦げたような臭い。どちらもすぐ傍に感じる。

 恐るおそる目を開けると、――中心に穴の空いた焔の壁が、眼の前にそそり立っていた。


『立ちな、リェーチカ……まだ負けちゃあいないだろ……』

「ユーニ!」

『アタシのこたぁいい、ッそいつを……アンタの手でぶっ飛ばすんだよ……!』


 今すぐ彼女の元に駆け寄りたい。それで試合を放り投げることになっても、もしユーニの身に何かあったとしたら、退学なんかよりずっとずっとつらい。

 でも、きっとユーニはそんなこと望まないだろう。


「石衣の紋、……ッ」

散蕾(さんらい)の紋ッ!」


 防護の術は、紋章ごとユーニに投げ渡す。せめてこれ以上は彼女が傷つかないように。

 自分自身は無防備なまま、続いて放たれた樹属性の術に吹き飛ばされる。幸い、まだわずかにユーニの焔壁が残っていたから、かなり威力は削がれていたが。

 それでも打ち身と擦り傷くらいは増えた。手や頬、肘や背中がずきずきと痛む。


 サペシュの紋章は、咄嗟に身体をまるめて死守していた。けれど衝撃のせいか時間の経過か、かすれて光が弱まっている。

 描き直す時間なんてギュークがくれるはずもない。


 だから、チャンスはあと一度だけ。


「――静寂に奉ろわぬ、無彩き者よ……」


 リェーチカは紋章を左腕で抱えて走り出した。

 空いた右手では、なるべく簡素な防御の紋章を素早く描く。できるかぎり立ち止まる時間を減らして、相手に攻撃の的を絞らせないように、直撃されないように。

 そしてその間あいだに、小声で招言詩を紡いでいく。


{汝の名は残響}


 光が途切れないように、


流閃(りゅうせん)の紋!」

木扇(もくせん)の紋……!」


 希望を失わないように。


 運良く水属性の攻撃を、相性の良い樹属性で受け流す。樹は水に育てられるもの。

 とはいえ精度の差でわずかに押し負け、盾には穴が空いてしまった。これはもう使えない、けれどこんなに水を出してくれたなら、リェーチカには別の術の用意がある。


{真なる影は、遠鳴の精霊にして}


「と……泡籃(ほうらん)の紋っ」

「チッ、そういやそれ使えんだったか! んじゃあ痺魚(ひぎょ)の紋ッ」

「ッあぁ……!」


 サペシュと契約したときにも使った、泡で作る防御の術だ。水を材料にするのが本来の使い方。

 けれどギュークはそこに雷属性の紋唱を落とす。魚、より具体的にはチョウチンアンコウの形をしたそれが水の中に潜り、逃げ場のないリェーチカを感電させた。

 減点されないようにかなり威力は抑えられているけれど、痛いものは痛い。


 でもそれだけでは、終わらせない。


『……痛ェエッ! おいギューク、何すんじゃコラァ!』

「ナルバこそ何巻き込まれてんだよ!?」

『見とらんかったんかい、こっちゃ泡に脚ィ巻き取られとったんじゃ!』

「はぁ〜? おめーのドジじゃねーか」


 そこまで狙ったわけではないのだが、防御のついでに動きを少しでも制限できないかとキツネザルにも泡を飛ばしておいたのだ。そのせいで彼も放電を受けたらしい。

 といっても防御できたらしく、リェーチカよりかなり軽く済んだようだが。


「〜っ……ぅ、う……」


 感電の瞬間、意識が飛びかけたせいで制御を外れた泡が、周りでぶしゅぶしゅと音を立てて爆ぜ崩れていく。

 まだ身体が震えていて、立ち上がるどころか半身を起こすので精一杯。ならば地面に指先を押しつけて滑らせる。

 描けさえすればどこだっていい。先生は無理をするなと言うけれど、リェーチカはここで粘らなかったら後がない身なのだ、……諦めたりできるはずがない。


「が……(がん)、ぺ……」


 防壁を壊されるたびに新しく作るのではいたちごっこになるし、それこそギュークの狙いだ。試合を引き伸ばし、サペシュを呼ぶ前に先生が止めるのを待っているに違いない。

 ……いや、でも……彼だって勝ちたいのではないか? 引き分けでは加点にならない。

 攻撃するのにわざわざ手加減したり、使う属性をバラけさせているのは、きっと得点を気にしているからだ。


 それなら……。

 きりきり痛むリェーチカの脳裏に、昔聞いたあることがぼんやり浮かぶ。今ならちょうどいい。


{黄昏を征く軍の喇叭}


「岩壁の、紋……」


 壁と呼ぶにはあまりに小さく低く弱々しいものがリェーチカの周りに隆起する。

 ほとんど彼女自身を隠せていないうえ、バランスも悪く、一見してわかるほど大きく内側に傾斜していた。もしかしたらドーム状に造りたかったのかもしれないが、それにしても高さが足りない。


 底が割れたお椀のような形のそれに絶望したように、少女は力なく倒れ伏す。けれどまだ肘は立っている。

 あくまで降参する気はないと見て、ギュークはゆっくりとリェーチカに近寄った。

 彼女から手袋(ぶき)を奪って、勝利を完全なものとするために。


 少年の手が伸びる。

 彼からは、――傾いた壁の内側のそれは見えない。


「――顕現すべし。雪銀(ゆきしらかね)の豹、サペシュ……!」

「ッ!?」


 その瞬間、すべての観衆は見た。

 伏せていたはずのリェーチカが最後の気力を振り絞って掲げた紋章。それが煌々ときらめいて、中心に開いた〈門〉から白い毛並みの獣が飛び出したのを。


 ユキヒョウは高らかに咆哮した。ヒト以外の生物のそれは、自身の紋章を奏でるための猛々しい旋律である。

 彼らの多くは器用な指を持たない。代わりに、吠声のみで紋唱を(おこ)せる。

 生まれ持った、たいていはただ一つだけの力を、恐ろしいほど自由自在に操って見せるのだ。


 サペシュの(うた)に震えた大気は、間近に突っ立っていた無防備な少年に直撃した。防ぎようのない音波は少し離れていたキツネザルをも巻き込んで跪かせる。


「ゔぉえぇッ!?」

『ギャッ……』


 誰の目にも明らかな、劇的な形勢逆転。

 音声遮断された結界の外側では、観戦していた生徒たちが歓声を上げていた。



 →

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