13:勇者、帰郷
王城が震動している。
ボー・ブルは、下から突き上げるような衝撃に、跳ね起きた。
「な、なんや!?」
椅子に座っての居眠りのさなかのことで、危うく転げ落ちるところだったが、咄嗟に机にしがみつくことで難を逃れた。
最初ほどの揺れではないが、律動は間断なく連続しており、
「姫様!」
ゾーイ・バーリ以下が血相を変えて飛び込んできたのに、ボーは少し落ち着きを取り戻した。
そして気づいた。
この震動を、かつて一度経験したことがある、ということに。
「これは、確か、勇者召喚の時の……」
口にした瞬間、一つの映像が脳裏に閃く。
それは、魔王と決着をつけた際の、勇者が纏った虹色の輝きであり、
「ウチのアホゥ!」
椅子を蹴倒しながら立ち上がってボーはゾーイに怒鳴る。
「魔石を確認せぇ!」
唐突な命令にも拘わらず、ゾーイは淀みなく動いた。本棚の隠し金庫をすぐさま開き、
「そんな!」
悲痛な声をあげた。
「ほとんどの魔石が紛失しております!」
ボーは、自分の推測を確信の色を交えつつ、問う。
「残っとるのは〈天眼石〉と〈英雄石〉の半分か!?」
「それと〈烈風石〉もです!」
意外な返答ではあったが、それはボーの推測を覆すほどのものではなかった。
「クソったれぇ!」
机に両拳を叩きつけながら怒鳴る。
「同一存在の別名称や! 何で気づかんかった! ゾーイ、背中を貸せ、地下の召喚の間に向かうで!」
いかなる動揺の中ですら、ゾーイの忠誠は命を確実にすることを妨げない。
すぐさまボーを背負って走り出しながら、問いかけてくる。
「どういうことでしょうか、姫様!」
「ゾーイも見たやろ、勇者はんの虹色の姿。あれ、勇者召喚の時の女神教の巫女と同じなんや!」
「そういえば……!」
「ウチらの信仰する女神と、勇者はんの信仰する精霊も同じもんなんや! おそらくやが勇者はんは、召喚術を使える。それやったら送還術――帰還も自身で可能なはずや! それを黙って隠しとっやんや!」
原始的な部族の中で、長が祭司を兼ねることは珍しいことではない。
「それは……しかし、何故でしょう?」
「分からん。けど、一部の魔石だけが残っとって、召喚の間が起動しとる。そこに勇者はんがおんのは確実や!」
ボー自身が得た〈天眼石〉と、なるほど思い返してみればボーに託されたと思えなくもない〈烈風石〉。そして協力して倒したが故に、魔王の残した〈英雄石〉を、わざわざ半分にして持って行った辺りに、勇者の律義さを感じるが、そのボー達三人しか理解できない選別が、この犯行の担い手が勇者であることを雄弁に物語っていた。
――まさか魔石ぶんどってとんずらするつもりか……?
魔石が自分達にのみ価値があると考えるのは浅薄だ。
勇者にとっても、垂涎に資源だったとしてもおかしくない。
黙って盗っていった理由は分からないが、ボーが執着していたことは明白だっただろうから、最後に奪うほうが話が早いと考えたのかもしれない。
ボーほどに状況の推測を得ていた者は他にいないだろう。だが、この異変が召喚の間に発していると気づいた者は少なくなかった。
貴族、官僚、騎士など、地位ある面々が地下に走り、途中ボーを背負うゾーイに遭遇しては、慌てた様子で辞宜を送ってきたりする。
それに一々ねぎらいの言葉をなげかけつつ、先頭切ったゾーイの背に乗って、ボーは召喚の間にたどり着いた。
元より荘厳に誂えられたそこは、今や虹色の輝きに満ち満ちて神聖な空気に満ちていた。
最奥に設けられた女神像を飾る祭壇の前には、見知った矮躯の背中があり、今まさに両の掌を天に掲げ、叫ぶ。
「謌代?∵悍繧?縲∫イセ髴翫?∝酔譛九?∝小蝟!」
白亜の床に描かれた複雑な幾何学模様に、縦横の輝線が走った。
「勇者はん!」
呼びかけの言葉に振り返った素顔の勇者の見せた表情には、苦渋の色が見て取れた。そのことが却ってボーの身を竦ませた。
――なんや叱られた子供みたいな顔してからに!
自分でも意外な程に、勇者に対する怒りなどまるで抱いていなかったのを知った。
そして、「召喚の儀」が完成を迎える。
一際激しい光が召喚の間を白く染め上げ、視界が晴れた後には――、
「どこ?」
「森、違う?」
「長、いる!」
「長! 長!」
わちゃわちゃと、勇者そっくりの矮躯の骨兜達があそこにも、ここにも――召喚陣の床を埋め尽くし、それだけではおさまらず何重にも重なっていた。
総勢でどれほどか。ざっと五百人は下るまい。
ぎゃーぎゃー騒がしいその人塊は、その不安定な状態を維持できずに雪崩を起こして召喚の間全体に流れ転がる。
ボーの前に雪崩れてきたのは、勇者よりも二回りは小さい、どうやら子供のような個体で、床に着いた拍子に脱げて転がった兜がゾーイの足にあたって止まった。。
慌てて起き上がった子は、兜の行く先見て恐れるように動きを止め、怯えをにじませる顔でこちらを仰ぎ見た。
「姫様、これは……」
呆然とした様子のゾーイから降り、足元の兜を拾う。
勇者が装着してきたものよりもずっと小さく、角もないつるりとした頭骨だった。
それを子に笑いかけながら放り渡しつつ、渾沌たる全体を見渡した。
――なんとまあ。
帰還するどころか、
「同朋を呼び寄せよせたんかいな」
まさかこうなるとは、予想外にも程がある。
「悪い、通してくれへんか! 勇者はんと話がしたいんや!」
ボーが声を張り上げると、
「開け、道!」
勇者の応じる声が響いた。
そして、ボーの前の骨群れが左右に分かたれ、一筋の道ができた。
その先に勇者の姿があった。
勇者は、どうやら同朋から新たな骨兜を渡されたらしく、もうその表情は分からなかった。
互いに歩み寄り、手を伸ばせば触れられる位置まで近づき、問うた。
「さぁて、どうゆうことか、聞かせてもらえるか?」
「我ら、故郷、為る、冬、長い、夏、寒い! 森、枯れる! 獲物、減る! 我ら、飢える! 子供、死ぬ! 年寄、死ぬ! 女、孕まぬ! 男、痩せる!
我ら、祈る、精霊! 求める、助け!
精霊、言う! 我、勇者! 我、戦う、強者! 我、護る、弱者! 我、得る、新たな森! 我ら、皆、移住!」
――そういうわけか。
気候変動によって棲息地の環境が致命的に悪化したのだ。そして、部族が窮乏し全滅にすら瀕した。それに手を差し伸べたのが精霊だったのだ。
それは同時に女神でもある超存在であり、こちらの願いとあちらの願い、双方を取り持つ形で、勇者召喚が実現した。
そして見事勝利をおさめ、新たな森――大森林地帯を手に入れたのだ。
「なんや、言うてくれたらよかったのに」
「お前、石、大切! お前、悲しむ、失う、石!」
「それはまあ、そうやけどなぁ」
「我、騙す、お前! 我、罪! 罰! 炎! 捧ぐ、精霊! 命!!」
「何アホなこといぅてんねん」
ボーは一笑に付した。
「ウチがいかに金に細かいドケチやからいうて、勇者はんの一族のために魔石の千や二千、ケチる女とちゃうで? 第一、元より全部勇者はんが戦って得たモンやし?」
「お前、ない、怒る?」
「それどころか」
――この結果、万の魔石にも値するわい!
弾む気持ちを押し殺しながら、ボーは片膝をついて視線を勇者に合わせた。
「ウチは勇者はんのことを尊敬しとる。得がたい戦友やと思うとる。何より、ウチらのために命はって戦ってくれた勇者はんには、感謝してもしきれんわい。
そんなウチが勇者はんに望むことがあるとすれば――そうやな、これからも末長ぅ仲良ぅして欲しい、それだけや」
何でもないことのように告げるボーの心臓は、しかし興奮に高鳴っている。
――こい! こいっ! こい――っ!
しばらくボーを骨兜の奥からじっと見詰めていた勇者は、こくりと頷いた。
「お前、弱者。でもお前、勇敢。我、敬意、お前。我、お前、戦友。我、望む、友好、永続!」
――おっしゃきた――! ウチの逆転大勝利やんけ――――っ!!
ボーと勇者は、どちらからということもなく手を伸ばし、硬く握りしめ合った。
そのまま、ボーははっきりと綴った、今後を決定付けることになるであろう、その言葉を。朗々と、歌うように。
「もうすぐウチの戴冠――ホントの長になる儀式を執り行うんやわ。それには是非、勇者はんと勇者はんの家族、そうここにいるみんなにも出席して欲しいんやわ」
「是! 我、約束! 我ら、来る、必ず!」
「おおきにやで」
囲んでいるのは勇者部族ばかりだが、後方に集まったホーフランツの重鎮達にも、間違いなく届いたであろう言葉に、今のところ反応はない。
そしてボーと勇者は今日の別れの言葉を告げ合い、
「我ら、帰る、新しい故郷!」
わっと歓声が沸き、骨の武器を突き上げてガンガンと前後左右と叩き合わせた骨兜達に勇者は両腕を広げ、
「皆、続く、我!」
叫喚のごとき号令。猛然と走り出した勇者を追って、骨兜達は口々に雄叫びをあげながら、疾風のように召喚の間を駆け抜けていった。
狂騒が過ぎ去り、打って変わった静けさの中に残されたボーは、召喚陣の中央で、踵を返す。
いまだ呆然から抜けきらない面々に一巡り視線を回した後、
「ゾーイ・コーイ。儀典官と文書官をすぐさま招集し戴冠の準備を始めさせなさい。それと卜占官に直近の吉日を占わせるように」
「承知致し――」
「お待ち下され!」
ゾーイが口にした拝命の言葉に押し被せるように、一つの老い寂びた、しかし確固たる意志を伴なった声がボーに届く。
大賢者カス・ボスの、日ごろ聞くことのない大声だった
人垣をかき分けるようにして前に出てきたカスの双眸にははっきりと咎めるような光が宿っていた。
「殿下、よもやお忘れではありますまい! 『男子継承は――』」
「『初王の祖法』。無論、存じておりますとも」
「ならば定められし法と先例を破る意味も重々御承知で御座いましょう!」
「確かに」
カスの言葉に首肯した上で、世間話のように問いかけた。
「我が国の誇る大賢者様に、一つ御教授願いますわ。『ブル女伯爵』は、かつていかほどいらっしゃったのでしょうね?」
「それは――」
カスの長い白眉が一瞬大きく上がり、一つの咳払いの後、答えが返ってくる。
「十一代のうち、四代と、そう記憶して御座います」
「過半に届かぬとはいえ、決して珍しい存在ではなかったと言えますわね」
「往古の事はいざ知らず、現在の法は――」
「果たして変わらぬものが、あるでしょうか?」
ただ独り言ででもあるかのように、疑問を宙に溶かした。そして、やはり独り言のように声を繋ぐ。
「祖法とて、かつての法を改めたもの。
ではそのかつての法は、最初からその形であったのでしょうか?
きっと、そんなことはなかったでしょう。
では最初とは、いつのことで、どんな形であったのでしょう?
蛮族にとて法はあります。我々もかつては蛮族であったことでしょう。なのに、もはや我々は、その頃の法の在り方を忘れてしまっておりますわ。
そう、わたくしは、こう思うのです。あらゆる法も先例も、更にその以前を破った後にあるのだと。
故に、わたくしは、こう言おうと思います。
私の作る新たな法が、未来の先例になるのだ、と」
凛然と言い放ったボーに、カスは言葉をなくしたように立ちすくんだ。
賢明なカスであれば、ボーが何故このような「暴挙」に出たか理解していることだろう。
ボー自身、諦めに陥りかけていたその道へと一歩を進ませたのは、他ならぬ勇者なのである。
魔王に勝る武威を誇る勇者が帰還せずに、その部族とともにこの国の隣接地域に居住地を定めた。
その勇者と、最も友好的な関係を持っているのがボー・ブルだ。ボーを排除することが、どういう結果を招くか、誰もが分からない。ボー自身ですら。
この状況下では、「初王の祖法」ですら妨げにならない。
先例を盾にしたところで、勇者の武威を背景にしたボーの敵ではない。
場に集まった貴族高官達。王国の支配階層のほんの一部に過ぎないが、その中でも重要な役割を占める人々だ。
彼らはいまだ、不安げな沈黙に支配されている。
果たして皆、ボーの決断と、その背景をどれほど正しく理解しているものだろうか。
不満があるならば聞こう、疑念があるならば答えようと、ボーはもう一度ぐるりと周囲に集まった王国の重鎮を見渡し、言った。
「さあ! 皆、言いたいことおありでしょう? 何であれ、誰であれ、この場にてこのボー・ブルが応じましょう! 大賢者に続いて私に直諫なさるのはどなた!?」
その問いかけに応じる声は――
これで完結です。
お読み下さってありがとうございました。




