半分の地図
戸板に乗せられて運ばれてきたのはくたびれた旅装束を着た男だった。日焼けした肌に彫りの深い顔立ち。濃い髭と癖の強い黒い髪をしたその男はどこか無念そうな表情で横たわっている。
「街の門を潜る前に力尽きて死んじまったんだ。荷物も少なくて身元も分からない。連れがいないか探したがどうやら一人だったらしくてな」
かけられた布を胸元まで外して見分していたオリゴに運んできた門番の一人が書類を差し出した。
それを受け取りざっと目を通し、一番下に署名して突き返す。
「外傷無し、死因は心停止、魔力の痕跡は無し、死後二日経過」
「遅れて仲間や家族が到着する可能性もあるから二日は待ってたんだが、これ以上はさすがに」
頭を掻いている門番に仕方がないだろうと頷いて見せると、安心したかのように微笑んだ。
サインを確認した門番が続いて男の所持品を渡す。皮の背負い袋もやはりボロボロで、死んだ男が過酷な旅をしてここへとやって来たことを告げていた。
「じゃあそういうことで、後は頼んだ」
「問い合わせがあればここに埋葬したと伝えるから、誰か訪ねてきたら対応よろしく」
不愛想なドワーフの相手も湿っぽい墓場に長居もごめんだとばかりにそそくさと二人は帰って行く。なにやら小声で言いあった後で互いを小突き合っている様子は気安い間柄なのだろう思わせるものだった。
「あんたにもそういう相手がいたのか?」
物言わぬ死体に向かって問いかけ、もしそうならば最期に会いたかっただろうにと嘆息する。
だが感傷に浸っている場合ではない。
まずは男の身長や幅を計り、倉庫の中に準備しているいくつかの棺桶の中から適当なものを選ぶ。極端に太っているだとか、長身だとかではない限り一般的な大きさのものがあれば問題はない。
棺桶を荷車に乗せ引いて戻ると、戸板の傍に人影があり思わず足が止まった。
「こんにちは、オリゴ」
こちらを向いたアルがにこりと笑って挨拶をする。
「随分と驚いた顔をしているけど、もしかして死体が生き返ったと思ったりした?」
「あー、いや、まあ、実際無いこともないからな」
死んだと思って埋葬された人間が息を吹き返し棺桶の中で泣き叫んでると馴染みの幽霊が飛んできて教えてくれたことが一度きりだがあった。
あの時も相当驚いたが、それ以上に息を吹き返した方が取り乱していたため宥めるのに大層苦労したのを思い出す。
「だが、そんなひどい顔をしているか?」
顔を掌で撫でまわして唸るとアルが「目が真ん丸だったよ」とクスクスと笑い声をあげた。
「うん、もう大丈夫。いつものオリゴの顔だ」
「そりゃどうも」
下唇を突き出しつつ井戸へ移動し水を汲み上げ、近くに置いていた手桶の中へ入れる。一旦小屋に戻り綺麗な布を手に手桶を掴んで男の元へと向かった。
邪魔にならないようにとアルがすっと横に退ける。
「心残りはあるだろうが、少しずつ受け入れていって欲しい」
息を吸い、目を閉じて神への祈りを呟く。
低く、深く、喉の奥で声を響かせて。
男の表情が心情が少しでも安らいだものになるように。
それから手桶の中に布を浸して絞り、男の体を丁寧に拭っていく。器としての役割を終え冷たく固くなった体を労わる。その手元に不意に影が落ちた。顔を上げるとアルが神妙な面持ちでこちらを見ている。
「オリゴ、オレが手伝っても構わないならやりたい」
「酔狂なやつだな」
「う、ダメ、かな」
「いや。窓際の戸棚の中に布がある。それを取ってこい」
「ありがとう!」
断られるのだと思っていたアルのしょんぼりとした顔がぱあっと明るくなる。礼を言って走り出した軽い足音が、すぐに目的のものを手に帰ってきた。
普通なら見知らぬ死体に触れるなど誰もが嫌がるというのに、アルは手桶で布を湿らせ黙々と拭き始める。
垢や汚れで手指や服が汚れることも厭わずに。
「あれ?これ」
なんだろうと首を傾げて指さした先。左腿のズボンの合わせ目が解れそこから白茶けた何かが覗いていた。
指で触れると紙のような皮のような感触がある。合わせ目もよく見れば縫い目が荒い。解れた部分の糸をズボンが破れないように注意しながら広げて行くと隠しポケットのようになっており、そこに二つ折りにされた羊皮紙が入っていた。
「もしかしたら身元が分かるようなものかもしれない」
そう期待して広げた羊皮紙にはどこのものなのか分からない地図が書かれていた。しかも旅人が所持している国や都市の場所を記した地図ではない。
「なんだこれは」
「う~ん。どこかの地下迷宮の地図、みたいに見えるね。しかも、これ半分だけみたいだよ」
言われてみれば入り組んだいくつもの通路と部屋やなんらかを示す記号を辿っていくと、途中でぶつりと途絶えたようになっていた。強引に破かれたのだろう切れ端がくるりと歪んで曲がっている。
「この人、きっとこの迷宮を探してたんじゃないかな」
浪漫か。
それとも一攫千金か。
それ一枚では意味をなさない千切れた地図を後生大事に隠し持ち、まだ見ぬ迷宮を探してさすらって辿り着いたのがこの墓地とは。
「気の毒に」
思わす漏れた言葉にアルが不思議そうに「そうかな」と返した。
「オリゴに墓を作ってもらえるんだよ。なにが気の毒なもんか。それにここの幽霊たちは陽気で楽しいやつばっかりだしきっと気に入ってくれるよ」
「埋葬はするが、墓石を作るのは俺じゃないかもしれん」
「え?そうなの?」
そういえば話していなかったなと苦笑いして自分は本来の墓守りが留守の間の代理としていること、その墓守りが帰ってきたら故郷へと帰ることを伝える。
途端にへにゃりと泣きべそをかいて「オリゴいなくなっちゃうの?」と落ち込むものだから首の後ろを掻いて唸った。
「数年から数十年先の話だ。その間にお前も忙しくなってここへはこれなくなるだろ」
「どんなに忙しくなってもここには来るよ。だってオリゴは友だちなんだから」
「と、ともっ!?」
いつの間にそういうことになっていたのか。
動揺したオリゴをアルがじっとりとした瞳で睨んでくる。
「なに?違った?オレは友だちだって思ってたけど?」
「あー、いや、そのだな」
友だちだと言ってくれることは嬉しい。
だがその友が困っていたり、助けを求めていたりしてもオリゴは駆け付けることができない。
ただここからアルを案じ、幸せであれと祈るしかできないのに。
それに。
「お前は、俺より先に逝くだろう?」
「寿命で言えばそうだね。でもそれ以外の外因で命を落とすことはあるでしょ?オリゴにだって」
「俺はドワーフだぞ。そんなに軟な作りはしていない」
「そっか。でも種族が違ったら友だちになれないの?生きる時間の長さが違うってだけで仲良くなれないのは臆病者の言い訳にしか聞こえないけど」
「お前っ。なんで同じ人間相手には強く出られないのに俺にはそんなに生意気言えるんだっ」
ふふふっと楽しそうにアルが笑う。
「友だちだからだね」
「――――くそっ!」
翻弄されているという事実に苛立ちつつ、オリゴは作業に集中することにした。それ以上はアルもからかってこない。
男を身ぎれいにし、棺桶の中へと横たえる。預かっていた背負い袋も地図も一緒に入れて蓋をして釘を打つ。
いつかこの男の口から聞けるだろうか。
この半分の地図のことを。
ここで眠っている全ての者が霊体化するわけではない。そう分かってはいても願わずにはいられなかった。