赤髪美女と死闘する
さっきまでの年頃の男女の甘い一時は忘れ去られ、オアシスでは二匹の修羅がお互いを喰い合っていた。
氷踊を舞う。
グリゴリーがエヴァの首を抑え、エヴァがグリゴリーの首を抑えている。
お互いの膝蹴りが、交互に相手へ刺さる。足を上下するたびに砂が上がった。
汗に塗れ、悲鳴と怒鳴りが奏でるワルツを踊る。
「だぁ!」
組合いながら腕を縮めて、グリゴリーは尖らせた肘でエヴァの右胸を打った。
乳房などもう意識していない。
隙があるのならばひたすら、そこを狙う。
動きが止まったのを見て、グリゴリーは今度は右膝で脇を貫いた。
渾身の感触。
思わずほくそ笑むと、
「うらぁ!」
鬼と錯覚しかねない叫び声をあげ、即座にエヴァは膝をグリゴリーのみぞおちへ返した。
息が出来なくなったグリゴリー。
エヴァは膝と肘を乱打する。
影の時と違って、ナグボイジョンを隠していない。つまり今回こそがエヴァの全力だった。
グリゴリーは耐えると、片手でエヴァの腕を掴む。そして腰を回して、地面へ投げた。
本来は下が氷の時に使う技だ。
下がさらさらの細かい砂のため威力はないが、ラッシュからの脱出はした。
「くっ」
「まだだ!」
横に倒れているエヴァへグリゴリーは足を踏み落とした。
エヴァは逃げずに迫ってくる足を横殴りする。弾かれ、グリゴリーの足は砂のほうへ落ちた。
グリゴリーがバランスを失っている間にエヴァは立ち上がると、零距離で拳を打ってきた。
グリゴリーも応戦する。
(よし。いける)
打ち合いの最中、グリゴリーは勝利といゴールへ自分が着実に進んでいるのを理解する。
ここまで戦って分かったが、肉弾戦に関しては自分のほうが上だ。
エヴァのナグボイジョンは綺麗すぎるあまり予測しやすい。次の攻撃が読みやすく、寸でのところで外せたりする。
唯一、拳での差し合いは負けるが、それでもミドルレンジでの蹴りに集中してれば拳の距離にはされにくい。またもし近づかれても今度は密着して、氷踊にすれば問題はなかった。
ダンッ。ダンッ。
左右の下段蹴りで、エヴァの両足を痛めつける。
グリゴリーは足を奪って、動きを鈍くさせることで、接近戦に持ち込まれる確率を低くする。
このままではグリゴリーが勝つだろう。
しかし大将軍の一人娘で懐刀でもあるエヴァは、そう一筋縄ではいく相手ではなかった。
シュッ。
伸びるエヴァの左拳。手打ちで距離も無理に伸ばしたそれに威力は無く、左下段蹴り中のグリゴリーはセオリー通りに左腕で弾こうとした。
腕の外側が拳を叩いた瞬間に、異変が起こった。
グリゴリーは猛熱を感じて、態勢を崩した。火国の環境によるものではない。エヴァの拳に触ったはずの腕を見ると、火傷していた。
すぐさまエヴァの拳へ視線を移すと、すぐにその原因が分かった。
「火の拳だと」
エヴァの両拳が火を纏っていた。
今さら気付いたのかと言わんばかりに、意地悪な笑みをエヴァは浮かべた。
「コンティスションは接近戦では使えないのは知ってるな?」
「ああ。コンティスションでものを生み出すには、多大な集中力がいる。右手で絵を描きながら、左手で別の絵を描けないのとは同じ。他のことをしていては、使えないはずだ」
「――私は、それを可能にした」
エヴァは構えを変えた。
拳を胸元ぐらいの高さにして、足をリズミカルに動かす。
「新技――火斑。ここで貴様の四肢の自由を奪って、永遠に私の元に置いてやる。あの女のところには行かせん」
グリゴリーの元に軽快かつ高速の足さばきで接近すると、エヴァは拳を見舞う。
「お断りだ!」
上半身を後退させて躱すグリゴリー。
すぐさま攻撃直後の隙を狙って反撃を仕掛ける。
ブンッ。
「ちっ!」
しかしエヴァの拳が先程よりも素早い。
構えを拳に特化させたことによる現象だ。
視界の死角からの振り上げを顔面スレスレでグリゴリーは躱す。
炎が目前を通り過ぎる。
鼻や唇に熱が宿った。
ヒリヒリする皮膚の痛みを我慢して、グリゴリーは下がりながら下段蹴りを叩きつける。
バシン!
直撃する右足の甲。
マーシャは構えを変化させたことで拳以外へのガードが緩くなっていた。
グリゴリーは拳が届かない距離を維持しながら蹴りを連打する。
(技に溺れたな! いくら強力な技でも、弱点はある!)
面白いように当たる蹴り技。
やがて力尽きたのか、マーシャの膝がガクンと揺れた。
「今だ!」
グリゴリーは垂直に近い角度で蹴りを振り降ろした。地面と挟まれることで衝撃が逃れず、普通の下段蹴りよりも威力が劇的に向上する。
モロに受けたエヴァもさすがにこれには地面へ膝を付いた。
さらなる追撃をかましてグリゴリーは止めを刺そうとしたが、途中で動きが止まった。
「うっ」
歯を食いしばった迫真の形相で、たらりと大粒の汗をかくグリゴリー。
反対に攻撃をもらったはずのエヴァはニヤリとした。
「本当によく罠にかかるな貴様は」
エヴァは燃える手で、グリゴリーの右足首を掴んでいた。
パチパチと悲鳴をあげて焼けていく皮膚。中の血が沸騰して、骨まで熱くなっていく。肉の焦げる匂いが鼻腔の奥までゆらゆらと昇ってきた。
「離せ!」
「ぐふっ」
殴りながら、グリゴリーはなんとか右足を外した。
エヴァはゆらゆらとおぼつかない足取りで立ち上がる。どうやらさっきの下段蹴りが効いて骨が折れたりしたのか、左脚の動作が鈍かった。
グリゴリーを追うエヴァの速度ははっきりと遅くなった。
これで逃げきれる――と思いきや、そうでもなかった。
握られたグリゴリーの右足も火傷が激しく、充分に動かせなくなっていた。
「――」
暑いはずなのに、氷柱に貫かれたようにグリゴリーの背筋に寒気が走る。
足の負傷はお互い様で条件は五分のように見えるが、さっきまでのエヴァの攻撃はほとんど拳によるものだが、グリゴリーの攻撃は蹴りだ。足の負担を考えると、グリゴリーは完全に戦闘手段を半分失ったと言ってもいい事態だ。
対するエヴァの戦力ダウンはそこまでじゃない。
しかもなんと、エヴァは攻撃方法を拳から掌に入れ替えた。
「貴様は本当に馬鹿だな! 勝負とは常に行動から計算され、その結果で成り立っている!」
「うぐ」
拳よりも面積の大きい掌によって弾幕が貼られる。
握られればお終いのプレッシャーと増していく空間の熱に、グリゴリーの焦燥が駆られていく。
(折るしかない)
掌になったことで伸ばされた五本の指。それさえ迎撃で破壊して使えなくしまえばエヴァの戦力も半減する。
足捌きがゆるんでも、まだ普段通りの体捌きで躱しながらエヴァの攻撃をグリゴリーは見極めていく。
右掌による直線の張り手。
それに合わせて、グリゴリーは左拳を振り降ろした。
ガシッ。
「ふふふっ」
エヴァの右手はグリゴリーの拳に合わせて、角度を変化させていた。
こうくることを読んでいたのだ。
エヴァはもう離さないといわんばかりにグリゴリーの拳を全力で握った。
「――」
抵抗の末、グリゴリーはなんとか逃れた。それまでにかかった時間は五秒。
たったそれだけで、拳が炭の塊になっていた。
「はあ……はあ……」
「さて足と手を一つずつ奪った。あと二つの内、次はどちらの自由を奪おうか」
グリゴリーに残っている四肢は右拳と左脚。
当然、頭みたいに一発アウトな部位もある。
大きくなる精神的プレッシャー。またエヴァもグリゴリーの戦闘手段が減ったことで、さらに攻めてきて強い圧力をかけてくる。
グリゴリーは防御に専念する。
けれど同程度のナグボイジョンの技量のエヴァにそれが通用するわけもなく、ついには捕まった。
今度は、右の手首が握りしめられた。
――これが決まれば、勝ちは目前。
決定打を確信したエヴァは、コンティスションの出力を高めた。
「何っ?」
いつの間にか、エヴァの手から火が失われていた。
馬鹿な。コンティスションはしっかり発動しているのに。
しかしいつまで経っても、エヴァの手から火が生み出されることはなかった。現実と自身の感覚に狂いが起こっている。
その理由は何だと思案していると、グリゴリーの手首がすっかり動いていないことに思い至った。
「おかしい。これまでだったら強引にでも解いていたはず……まさか!?」
顔を上げて、グリゴリーを見ようとするエヴァ。
彼女の鼻っ面にグリゴリーの左肘が衝突した。
「火がなくなった! 集中が切れたな!」
手首からエヴァの手が離れると、立て続けにグリゴリーは右の膝蹴りをエヴァにぶつけた。軸足さえ無事ならば、多少の損傷は問題ない。
果敢に攻めるグリゴリー。
エヴァはボコボコにされながらも立て直し、再度、掌に火を灯した。
そのままカウンターでグリゴリーの肩に触れた。
するとまた火がエヴァの手から消えてしまった。
「貴様やはりコンティスションを」
「よく分かったな」
先日までの修業によってグリゴリーは視界内だけじゃなく、視界の外でも己の肉体に密接しているならコンティスションを消せるようになった。
グリゴリーの反撃を、今度はエヴァが避け続ける。
「だけど戦いながらはやはり難しかった。修行中でも成功したの秒にも満たないほんの短い時間で、しかも回数としてはたった三回程度だ」
「戦闘中の覚醒。やはり英雄の血。父上がいつも言っていたよ。貴様の父親は自分みたいな凡人と違っていつも土壇場で進化して、それで窮地を切り抜けてたって」
「ああそうだ。俺は――氷国の英雄と枯死の魔女の息子だ!」
ブラダィヨーとの問答が、グリゴリーの頭によぎった。
グリゴリーは離れたエヴァに中段蹴りを決める。
するとエヴァは反対側から右拳でグリゴリーの顔面正面を捉えた。
「火斑が使えなくなったところで、まだこちらの両手は無事だぞ!」
「上等だこのアマ!」
コンティスションが互いに使えなくなったところで、純粋なナグボイジョンの勝負となった。
汗が飛び散り、皮膚が破れ、肉は潰れ、骨が折れる。
弧を描くエヴァの拳が当たる直前で、グリゴリーの前蹴りが腹に当たりエヴァは跳ぶように後退させられた。
「どうだこのやろう!」
勝ち誇るグリゴリー。前蹴りには、それほどの感触があった。
実際、エヴァは立ったままだが、そこからもう動けなさそうだった。
彼女は今にも崩れ落ちそうな二本足を意地で維持すると、
「ああ。本当にかっこいいなグリゴリーは」
唐突に子供のような笑顔でこんなことを言った
毒気が抜かれるような言葉に、グリゴリーも思わず緊張の糸が切れて倒れそうになった。
「何だ急に!?」
「多分、興奮しちゃってブレーキが効いていないから思ったことをそのまま言っている。あと、もう告白したからいいかなって」
「阿保みたいなこと言っているんじゃないよ」
「私が阿保なら、お前は大馬鹿だ。このチビ!」
「いま関係ないだろそれは!」
グリゴリーがビックリしたようにそう言うと、
「ふふふ。そうだな」
エヴァは心の底から喜んだ。
今のやり取り、いつもの俺たちみたいだったな。
グリゴリーは思い返して、そう思った。
それからどちらからともなく、言葉が二人のいる空間内に紡がれた。
「やるしかないようだな」
「そうだな」
二人の間にあった独特だが暖かな空気が霧散した。静寂が漂い始める。張り詰まった、気を抜いた瞬間に倒れてしまいそうな空間だった。
そこで両者はともに動かない。
すり足でにじり寄ることもせずに、ただ立ち続けている。
湖面に映る月が、風によって元の形を崩した。
グリゴリーから踏み込んだ。力強い一歩。一気に間合いまで走り込むつもりだ。
反対に、エヴァは動かなかった。
構えを解き、手を合わせた。
合わさった両手から、氷神のあの白い息吹が噴出された。
本来は透明である息吹。通るとき近くにある大気を氷結させることで、周囲を白く染めてしまう。その冷たさはたとえ刹那で中を抜けようが、途中で止まって、凍り付いた瞬間に命を奪われる。
(時も、世界も、グリゴリーと一緒にいる空間の全てが永遠に凍ってしまえ)
この強力な力は、エヴァ自身のコンティスションではない。
氷神の力の一部を付与されたものだ。
神からの贈り物――ギフト。
人間が唯一、神の力を行使できる手段だった。サンタクロース暗殺を命じられた際、火国の軍服と一緒に渡されたものだった。
以前のように手加減して放ったものではない。エヴァの全身全霊で噴出されたこれは氷神から放たれたものに匹敵していた。
この一発の直後に倒れるほどの疲労とはいえ、エヴァは氷神をここに顕現させていた。
白い息吹は、隣接していた湖を凍らせながら進む。向こう岸まで氷になったところで、グリゴリーのいた場所を包んだ。一つの氷像が今、息吹の間にいることが予測された。
しかしエヴァは見逃さなかった。グリゴリーは息吹の上に跳躍していた。
「はあああああ!」
エヴァは噴出孔を上方向へ転換させる。離れた場所まで伸び続ける息吹は、その冷気を中間にいる相手に捉えることが可能だった。
動けないはずの空中で、グリゴリーは鷲のように猛速度で降下してきた。
その背中から火が天上へ向けて噴いている。
グリゴリーのコンティスションはただ生み出したものを消滅させているわけではない。相手の能力を奪い取っていたのだ。
枯死の魔女。
視界にある万物を枯れさせる彼女と似ているが違った力で、ただの劣化というわけでもなかった。
先程までの戦闘で奪った火を元に加速する。エヴァから伸びている白い息吹の上を超えて、彼女の喉をグリゴリーは貫手で突いた。
エヴァが倒れると息吹は消え、靄は散っていく。
「じゃあな……」
グリゴリーは気絶したエヴァをそこに置いて、立ち去った。




