金髪美女、氷神と対面する
神殿内部は、実に神秘的な光景に溢れていた。
天井、壁、床。空間を形成する全てが氷でできている。
その室内温度は外よりも寒く、大陸で一番寒い場所と言われていた。
グリゴリーとマーシャは特別な防寒服をもらって、それを着込んで廊下を歩いていた。
「さ、寒い」
「よ、よく震えないよねエヴァさんは」
「慣れれば平気だ」
鎧を着たエヴァが二人を案内していた。
カツーンと氷の道を歩きながら三人は話す。
「神様ってどんな方なんだ?」
「人間では及ばない方だ。寿命がなく、創世から鍛えられたその力と蓄えられた知識は人の一生ごときでは届きもしない。たった五柱で大陸を管理し続け、治めている土地を自分と同じ特質に変えてしまうほどいるだけで環境に影響を与えてしまう」
「じゃ、じゃあここの神様は氷や雪の神様ってこと?」
「名前通りな」
「氷神様自体はどんな神様なんだ? 真面目、それとも以外に穏やかか?」
「……」
淡々と返事をしていたエヴァだが、このときだけ回答が遅れた。
しばらくそこに立ち止まり、グリゴリーたちが伏せた顔を伺おうとしたところで、ゆっくりと答えた。
「人間の私たち如きでは理解も出来ない存在だ。ただ私個人の感想を言わせてもらうと――とてもお優しい方だ」
いつもの無表情でそう言ってから、エヴァは先へ歩くことを再開した。
少々戸惑いつつも、何も疑問に思うことなくグリゴリーたちはついていく。
奥へ行くと、そこには扉があった。
これも巨大な氷だ。扉の氷はよほど密度が高いのか、他と違ってほとんど向こう側が透けて見えなかった。
小声で何かを言うエヴァ。
すると他に何もしてないはずなのに扉が開いた。
「さあ行こう。マーシャさん」
「俺は?」
「勝手にしろ。何だったら帰っていいぞ」
退去を促されるものの、グリゴリーはマーシャの後ろについていく。
そもそも彼自身、この場所に呼ばれていたのだった。
扉を潜って中に入った。
そこにはとうてい理解できないのものがいた。
雪か。
氷か。
水か。
いや、雪崩。
氷山。
氷河。
雪山。
それらのどれかのように見えもするが、明らかに違う存在。脳が受け付けない。本気でこのものを理解しようというのならば、先にこちらの心が尽きて死ぬ。
氷神は部屋の奥にただずんでいた。
他にも兵士たちが壁に並んでいて、氷神に最も近い位置にミハイルがいた。
エヴァに教えられ、膝をつく二人。
この姿勢でいれば、この理解できない何かを視界には入れずに済むからだ。見えていないはずなのに、氷神が口を動かしたのが伝わってきた。
「ようこそ英雄と魔女の子よ」
霧のようなものが顔に当たるのをグリゴリーは感じた。
「久しい顔つきだ。あの二人の面影がある」
氷神は懐かしむように言った。グリゴリーを連れて来たのはどうやらこのためだったらしい。
満足したのか、霧は去っていった。
「ふう」
グリゴリーは初めて、恐怖から抜け出した安心というものを覚えた。
知識では知っていたが、氷神がここまで圧倒的な存在だとは思えなかった。もし今挑んでも、いやこれから成長して挑んでも手が届かないことが確信できた。
こんなものがこの世にいたのか、グリゴリーは感動していた。
次に、霧はマーシャを包んだ。氷神の声が伝わってきた。
「しかしあやつがこの女を保護するとは偶然なのか。それとも運命なのか。いささか面白いものがあるな」
氷神がそう言うと、マーシャは体に寒気を覚えた。
次の瞬間、床から氷柱に顔面を持ち上げられる。
「女」
動けない。
いや動く気が起きない。
逃げようとすると、まるで心が凍ったように何もする気が無くなる。もしや精神までその冷たさを及ぼせるというのか神という存在は。
「我を見よ」
マーシャは氷神を目に入れさせ続けられた。
目から入ったものが内側から体を凍らせてい感覚を覚える。
喉が、胸が、腹が、股が。
足が。
そして頭が。体全てが氷そのものになった。
氷になった体が、氷槌で砕かれた。
「あぁああああああああああ!」
マーシャは絶叫して倒れた。
先ほどまでの幻覚で、現実の体は無事だった。
だが衝撃は大きかったようで、頭を抱えて暴れている。
氷神はそれを見下ろす。
「どうやら思い出したようだな。自分がどういう存在かを」
何が起きたのか分からず、助けようと動こうとしたグリゴリーはその言葉で止まった。
どういうことだ?
疑問が頭に浮かぶと、耳の中に氷柱が入ったような気がした。
「無事生きたままこの女をここまで連れて来たのだ。礼に、この女について教えてやろう。最悪心臓だけでも良かったのだが、やはりそれでは力が足りない。生きて連れてきたのは最高の結果だ。英雄と魔女の子よ、感謝する」
ここにきて、グリゴリーは何か決定的な間違いを犯してしまったような気がした。
周囲を横目で覗くが、ミハイルもエヴァも兵士たち誰一人として動じていなかった。
どうやらこの事態が起こることを知っていたようだ。
意識を戻すと、氷神自身がマーシャの正体について語った。
「この女の本当の名前は――サンタクロース。クリスマスの日にこの地の空を飛び回る魔女だ」
「何!?」
驚くが、同時にグリゴリーは違和感を覚えた。
サンタクロースに出会ったのは十年以上前だ。
正確な年齢は分からないが、当時子供だった自分と違って彼女は大人であった。ならば現時点で、マーシャのような同世代の人間だということは有り得ない。
「不老の魔女。二百年を生き、ただ一年の内に一日だけ子供にプレゼントを与えるという数奇なことをし続ける魔女だ」
ならばなぜ、今マーシャを狙う?
グリゴリーの心の疑問に、氷神は答えた。
やはり思考が読み取られていてるようだ。
「この魔女のコンスティションだ。力が持つかぎり、この魔女はいくらでも知識にあるものを想像できる――これさえあれば、この国が救える」
氷神は最後の言葉の訳を語った。
「我が国には、徹底的に糧が足らないのだ。この寒冷とした大地では何もかもが生み出せない。育たない。そのせいで民は厳しい生活を強いられ、より豊かになるために戦争を仕掛けても敗北してきた。我を慕う民たちが死んでいく。民たちが苦しんでいく。その状況を我は奪回したかった……ゆえにこの魔女の能力を利用して資源を無尽蔵に生み出し、欠点を補ってあまりあろうものとするのだ。そうすれば氷国はこの大陸を支配できる。外からの脅威に怯えず、民たちが笑顔になれる」
「しかし勝っても五神契約で資源を返さなきゃいけばならないのだろう?」
「返すのは、最低限の国力の分までだ。その後は強国を維持できる。我が民も、ようやく幸せになれる」
全てを聞いたうえで、グリゴリーには無茶な計画としか思えなかった。
コンスティションは人間の力だ。
無限のように見えても、必ず限界がある。
突然、グリゴリーの頭の中に映像が現れた。
機械だ。
六角形の氷の結晶に緑色の水が入っている。そしてその中に針が取り付けられた長い管があった。
「脳の意識を奪い、強引にエネルギーを補給し続けて、永遠にコンスティションを発生させる装置だ。欠点として使用者は起動時点で死に至る」
説明されて、グリゴリーは恐怖した。
人の命を犠牲に他の何かを得る。
人間の生命をまるで炭や油としてしか考えていないような発想に狂気を感じつつも、あまりに違う価値観にこれが神なのかと畏怖する。
禍々しい道具を前に、ついにグリゴリーの膝が折れた。。
その後ろで、マーシャが立ち上がった。どれほどの消耗をよぎなくされたのか、顔はやつれ、水を浴びたように汗を垂らしていた。氷神は彼女に語りかけた。
「どうやら回復したようだな……それでどうだ? この装置は他に欠点があり、使用者の感情でかなり効率が変動してしまうのだ。だから自分から受け入れてくれるのが一番いいのだが」
「……」
マーシャは無言で霧を払った。そして氷神を見て、言った。
「ふざけないで! ぼくがこんな力は持って生まれたのは悲しんでいる子供たちを笑顔にするため! だからこの力で生み出すものは世界の子供たちのためのもの――人を血に濡れさせる道具なんかには絶対にさせない!」
マーシャは自らのコンスティションを発動した。背後に極大な鉄塊が出現する。
「雷国特製――門砲。発射!」
最も化学が発達した雷国おいて制作された大人数がいて初めて運べる砲弾を用いた大砲。
一部に固定される分、重さの制限が少なく、強烈な火力を誇っている。その威力は、撃てばそれだけで戦場が変わる。
火を創造して火薬を爆発させる。
自らの全体像よりも大きい砲弾が氷神に飛来した。
砲弾は空中で凍った。
次に大砲が凍結され、砕かれた。
「ひっ!」
恐怖する間に、白い息吹がマーシャへ襲いかかった。
氷神は受け入れられることを諦め、強引に行うことにしたのだ。
マーシャは絶望して膝を折った。
大陸最強の兵器が、あそこまで簡単に防がれるのはあまりに衝撃的だったようだ。神の偉大さに人間はひれ伏すしかないのかと、諦めて氷にされることを待った。
――マーシャは横から突き飛ばされた。息吹はグリゴリーを包みこんだ。
息吹が消えると、マーシャは自分が元いた位置を見た。人型の氷がそこにあった。手を伸ばし、空を浮いていて、相当急いでいたということが伝わってきた。
涙が、目元から流れた。
「いやぁあああああ!」
マーシャは目の前の現実を否定しようとした。
滝のように涙を流して、頭が痛くなるほど叫び続ける。
それでも突きつけられる現実に、どうすればいいのかと必死に考えた。
首に寒気を感じた。
「話がある。サンタクロース――おまえが提案を受け入れる代わりに、氷を元に戻すというのはどうだ?」
マーシャは唇を震わせながら、冷気を呑んだ。
欲しかったプレゼントをもらって喜ぶ子供たち。武器に突き刺される子供たち。プレゼントを楽しむ子供たち。飢えていく子供たち。
コクリ。
逡巡の末、マーシャは縦に頷いた。
「よろしい。では信じてもらうために、先に解放しよう」
氷神は初めて聞く言語を唱え始めた。言語が部屋に響いていくと、徐々に氷から煙が湧きだした。煙は徐々に上へ伸び、天井に着くころになると氷は人間の姿に戻っていた。
マーシャはせめて最後のお別れをしようと、声をかけようとした。
「があああああ」
元に戻った瞬間、グリゴリーはとんでもない動きをした。まるで獣のように跳躍し、マーシャをさらって部屋から出て行った。
兵士たちは誰もが唖然としていた。
氷神は、自身が気を抜いた瞬間に起こった出来事に咆えた。
「あの男ぉおおお!」
氷神は激情した。すでに氷だったはずの部屋が凍りだし、扉の外にまで影響を与え始める。
ある兵士が、氷神の前に声をあげて立った。
「氷神様。これでは神殿どころか、帝都の一部まで凍ってしまいます。それでは民間人に被害が……」
「我に意見するなぁあああ!」
兵士が息吹の餌食になった。それでも氷神の怒りは尽きていない。このままでは本当に兵士が言った通りになってしまうであろう。
兵士たちの誰もが悩んでいるそのとき、ミハイルが氷神の前に出た。
「考えがあるのですが、よろしいでしょうか。氷神様」
「ミハイル! 何の用だ!?」
「サンタクロース。グリゴリー。両名共に今帝都に残っている氷国の軍全てで、両名を捕らえます。ですからしばしの間、お怒りを沈め下さい。必ずや大将軍の名の下、あの二人を氷神様の前へお出しします」
「……おまえがそこまで言うならば、任せた」
氷神は怒りをひとまず胸の内へ収めることにした。
他の者ならば話の途中でさえも怒りの捌け口にしていたものの、ミハイルに関しては話すこと全て聞いて、その言葉通りにもさせた。
大将軍への絶大な信頼が感じられる。
兵士を全て集合させ、ミハイルは指示を出した。
「いいか。ひとまず厩舎に兵を集めさせろ。あの男はまず自分のビリヴォスカーを取りに行くはずだ。しかし軍の厩舎は帝都内に三軒ほどある。やつはどこに自分のものがあるのか知らんため探すのに手間取るはずだ。だからまずそこを取り押さえようとしろ」
「はっ!」
「神に弓引いた反徒を必ずやひっ捕らえろ」
「はっ!」
兵士たちは伝えられた自分の持ち場へ移動した。




