金髪美女、悩む
現在、グリゴリーは雪道を歩いていた。
「本当にいいの? ぼく自分で歩くよ」
「さっきまで倒れてたくせに。無理すんじゃねえよ」
「でも」
「いいから……それに、その方法じゃいつ村に着くか分からんからな。こっちのほうがまだ早い」
女性はグリゴリーの引くソリの中にいる。
雪崩跡から脱出した後、グリゴリーは女性がまだ生きていることを確認した。
(けど火傷と雪崩のせいで、怪我は悪化するばかりだ。せっかく少しは動けるようになったところだったのに。あいつら、次会ったらただじゃおかねえ)
グリゴリーは手当てのために小屋の中に入ろうとしたが、不可能だった。
建物自体は潰れてはいなかったが、雪は周囲に積もり、窓や壁を破壊して侵入していた。
治療に使えそうなものは全滅だった。
なのでグリゴリーは、村の医者まで連れていくことに決めた。
(雪原は危険だらけだ。だから正直この手は取りたくなかったが、背に腹は代えられない)
盗賊たちは助けた後、雪かきを命じておいた。
おそらくすぐにとんずらこくだろうが、別に盗まれるものもないので放っておく。
グリゴリーは女性と無事だった荷物が入ったソリを引いて、道を突き進んでいく。
ソリから顔を出しながら、グリゴリーへ話しかける。
「ありがとうグリゴリー。ところで村ってどこにあるの?」
「あっちだ」
「分かんないよ」
「ところどころ道標の看板があるからそれに従えばいい。それに人が歩く道は、こうやって日ごろから踏まれているから、他のところよりは雪の積もりが低い」
「そっか。ところでこの格好って何?」
女性は縫い目ごとに丸く盛り上がった生地のズボンと上着を着ていた。
どちらも出発前にグレゴリーから渡されたものだった。
「石国で取れる岩綿が詰まっている。硬いから傷や衝撃を防いでくれるし、防寒にも優れているからこの国の軍でも使われている装備だ」
「重くて硬いよー。着づらいうえに動きづらいよー」
「なら脱いじまえ。そんで凍えちまえ」
「そうなったら引っ付いてやる。それでグレゴリーも凍えさせてやる」
「やってみやがれ」
冗談を飛ばし合うと、一緒にグリゴリーと女性は笑った。
会話の途中、グリゴリーは前から考えていたことを提案してみた。
「そういえばあんたの当分の名前もあったほうがいいな。これから医者のところに行ったりもするし、ないと不便だ。あんた、何か候補はあるか?」
「ええと……ごめんよく分からないかな」
「そうか。それならちょっと俺に案があるんだがいいか?」
「なになに?」
目を輝かせて期待する女性。
少し恥ずかしそうにしながら、コホンと咳をしてグリゴリーは話す。
「マーシャ」
「まーしゃ?」
「そう。マーシャだ」
「……いい名前だけと思うけど、どういう意味?」
「伝説の果実の名前さ。この国のどこかに、一年中、日の差す暖かい森があるらしい。そこに生えている果実で、宝石のように真っ赤で美しく、食せば求める知識を得られる。小さな頃に母親から訊かされた話で、その時からずっと憧れていて、一度でいいから目にしたいと思っているんだ」
「へえ」
女性は頷きながら、名前を付けてもらったことを嬉しがる。
マーシャ、マーシャと何度も呟く女性。
ここまで喜んでいる姿は初めてだった。
グリゴリーは調子に乗って、理由を話した。
「あんたが元々着ていたであろう赤い服から思いついた」
空気が冷たくなった。
ただでさえ寒いのに、まるで一面氷漬けになったようだ。
口を閉じたマーシャは真顔で振り向く。
内心を感じ取ったグリゴリーは目を反らす。
「何て言った?」
「え……すまん。何でもない」
「話して」
赤い服なんて着た覚えが無かった。
バツが悪そうにしながらグリゴリーは答える。
「いやあんたが家に倒れているとき赤い布が散らばっていたんだよ。それでそのときあんたが裸だったから多分服だなと思って……」
「み、見たの?」
マーシャは胸と股の間を隠すように身構えた。
「いや、人命第一で気にしていなかったというか、その見えはしたけど、あのときは特に何も考えてなかったというか」
しどろもどろになっているグリゴリー。
カーッと、マーシャは頭まで赤くする。
「えっち」
「ごめん」
「せっかくこの名前気に入ったのに……」
それからしばらくの間。
グリゴリーが何を話しかけても、マーシャは一切の反応を示してくれなかったほどがっかりしていた。
居心地の悪さを感じながら、グリゴリーが無言で歩いていると、道の先で雪が煙のように舞い上がった。
上がった雪は道幅ほど広がり、見上げるほど高くなっていた。
道に連なって進んできている。
このままではぶつかってしまう。
「ど、どうするのグリゴリー!?」
さすがにこれに動揺を露にしたマーシャ。
「大丈夫だ」
グリゴリーはソリを持ち上げ、道の外へ置く。
これでマーシャは無事だ。
だがグリゴリーが逃げる時間まではなかった。
ソリから手を離したころには、動く煙はグリゴリーに当たる手前まで来ていた。
「早くこっちに来て!」
「大丈夫だと言っただろ」
マーシャが手を差し出す先で、煙はグリゴリーを躊躇することなく中へ引きこんだ。
耳ごと震えさせるような轟音が聞こえた。
煙が晴れると、グリゴリーは元いた位置と変わらずそこに立っていた。
「よかった」
安心すると同時に、目の前の光景にマーシャは疑問を覚えた。
「猪?」
大きな箱を乗せたソリを引っ張っている猪が二頭いた。
興奮する猪を抑えながら、グリゴリーはソリに乗っている人物へ話しかけた。
「そこのビリヴォスカー! 目の前に人がいるなら警笛ぐらい鳴らせ!」
「す、すみませんブー。昨日は雪がひどかったもんで。前がぜんぜん見えなくて……って、グリゴリーじゃないかブー」
「何だ、ブラダィヨーか」
猪たちの手綱を握っている太った青年。
どうやら彼とグリゴリーは知り合いのようであった。
熱心に謝っていた青年は、急に安心した態度へ変わって悪態をついてきた。
「グリゴリーなら轢いてもマッサージ程度で済むだろブー」
「今日は連れがいたんでね」
「連れ? お前のことだからアラシオオカミかユキグマあたりかブー?」
「何で動物だけなんだよ」
「お前と日常を過ごそうとする酔狂な人間がそういるとは思えないからだブー。その反応からすると一応は人のようだが……」
「こんにちは」
マーシャの顔を見て、ブラダィヨーは驚いた。
「えらい別嬪じゃないかブー! お前、人さらいでもしたのかブー? 強さで横暴を働かないところがお前を唯一尊敬しているところだったのにブー」
「してねえよ。ところで、そっちはどこに行くんだ?」
否定からの質問に、ブラダィヨーは答える。
「火国の連中のところブー。これから大きな戦が備えているからって、将軍から特注の薬を頼まれたところブー」
「なるほど……」
グリゴリーは何かを思いついたらしく、ブラダィヨーに尋ねる。
「ちなみにその薬いくらだ?」
「おいおいこれは将軍様に持っていくものだブー。横取りはいけねえブー」
「今までの付き合いのよしみで頼む。なんだったら今度、無料で頼まれてもいい」
「よし、分かったブー。自分も一応所属は氷国だブー。戦争相手に売るより味方に売るのが当然ブー」
「無料」という単語を聞いて、ブラダィヨーの態度は豹変した。
「日ごろから火国連中相手に商売している奴がよく言う」
知らんとばかりにあくどい笑みを浮かべながら、ブラダィヨーは指折りとともに耳打ちする。
グリゴリーの顔が肉食獣のようにけわしいものへとなった。
「ぼってんじゃねえだろうな?」
「親友のお前相手にぼらねえさブー。これでも半額だブー。それで払えるのか? 払えないのか?」
「すまん。後払いにしてくれないか?」
「無理ブー」
それだけ言うと、ブラダィヨーは猪へ鞭を浴びせた。
「商談不成立ブー。ということで自分は行くブー。あいつらせっかちだから急がねえとブー。それに第三将軍は貴族でもかなり高い位の出だブー。コネを作れば今後のいい商売の起点になるブー」
猪が走りだすと、煙とともに消えていった。
マーシャはグリゴリーへ話しかけた。
「えーと誰?」
「ブラダィヨー。腕利きの商人さ。ただ同業にさえ辟易されるほど金にがめつい男でもある」
「あの乗り物は?」
「ビリヴォスカー。動物にソリを引かせる移動手段さ。よく使われるのは猪だけど、犬や牛、伝説では空飛ぶ鹿なんかもあるそうだ」
「へえ。あともしかしてなんだけど……薬って、ぼくのため?」
グリゴリーは道へ顔を向けながら頷く。
「ああ。余計なお世話だったか?」
「いや、素直にありがたいよ。ぼく自身もとにかく早く治したいと思ってるし。けど、そういうわけじゃなくて……」
何でそこまでしてくれるんだろう?
心の中で思うが、マーシャはそれ以上のことを口に出さなかった。
「何にせよ、結局薬は手に入らなかったんだ。あんたも治したいんなら早く病院へ行こう」
「そうだね」
グリゴリーはソリを道へ戻し、猪の足跡を辿るように引いていった。
これ以降は、休憩以外では足を止めることなく進行した。
それでも時間はなかったのか、今日中に村に到着は出来ず、グリゴリーからすると望んでいなかった夜の野宿をすることになった。
赤い空を降る雪を受け止めるように、グリゴリーは倒れた。
「出来た」
「すごーい。大きーい」
道から外れた雪原。
そこには手を広げても足りないほど大きなかまくらが造られていた。
近くにソリをロープで固定して、グリゴリーたちは穴から中へ入る。
二人で寝ても余るほど広い空間がそこにあった。
「白くてきれーい。雪なのに暖かーい」
よほど気に入ったのか、マーシャははしゃぐ。
「今日の寝床だ。夜に出歩くと遠くからの雪崩を見逃したり、獣の群れを避けられない危険性があるからな」
上に通気穴が作ってあり、持ってきた薪に火を点けながらグリゴリーは話す。
「ここ動物なんていたんだ。会ってみたいな」
「やめたほうがいい。一部を除いて、出会ったら食うか食われるかの戦いの始まりだ。向こうもこっちも肉に飢えている」
「それは怖い」
「だからもし怪我とかして血が流れ始めたら、すぐ拭いておけ。奴ら雪に落ちた血痕を発見しただけで、匂いを追って興奮状態で襲ってくるからな」
「野生って感じですごいね。動物さんたちには他にはどんなことがあるの?」
二人は焚火を間にしながら、かまくらの中で会話をした。
夜になり、二人とも眠気が漂い始めたので、睡眠を取ることにした。
望んでなかったとはいえ念のために野宿することも考えて、あらかじめ持ってきていた布にそれぞれ包まっている。
マーシャは、グリゴリーとは逆方向へ横向きになっていた。
寝静まった頃、雪のみの光景を前にしている彼女は震えていた。
寒いのではない。
マーシャの心中は不安に満ちていた。
(怖かった)
盗賊に襲われた時のことだ。グリゴリーの前では必死に感情を押し殺していたが、今は彼の目を意識する必要はないため、我慢しきれなかった。
(あれは得物を狙う目だ。相手のことなんてどうでもいい。ただひたすら自分の欲望を叶えるため、ぼくを襲ってきた)
思い出すだけで、気持ち悪くなる。
あの盗賊たちの足音が耳の奥に響いてくる。
(ぼくはグリゴリーと違って、独りじゃ何にも出来ない。グリゴリーが言っていたことようやく分かったよ)
――絶対に、独りになっちゃ駄目だ。
まともに動かせない手足。布が当たるだけで痛む背中。ときおり訪れる頭痛。お腹や胸の内側から針が刺されるように感じる。息が苦しくなる。
こんなに弱いぼくは、独りになっちゃいけない。
独りのままだと、あの男たちに好き勝手やられていた。
怪我が治ったら、男たちから逃げるくらいは出来るのではないか?
マーシャには、その発想自体が思い浮かばなかった。
過去の記憶のないマーシャにとって、怪我をした現在の状態が当たり前なのだ。健康な自分なんて想像も出来ない。
生まれて初めて浴びせられた恐怖という感情に、マーシャは言い訳することも不可能なのだ。
訳も分からないまま体内に現れた何かに、無抵抗のままひたすら蝕まれていく。
マーシャは眠ることなく、目を閉じると開くを繰り返した。
クゥ~クゥ~。
聞いたこともない甲高い音が、聞こえた。




