金髪美女、涙する
カマクラから出たマーシャは道から離れた方向へ歩いていく。
踏むと膝まで埋まる脚を浮かせ、そのたびに奥まで進んでいった。
雪原の奥には森があった。
マーシャは構わず入る。
森には草やはなく、枯れ木しなかった。枝だけの空を潜っていく。
(つらい……もう全然動けない……)
体中の怪我が悲鳴をあげていた。
わずかな体力ももう底を尽きそうだ。
マーシャはふらふらと足取り怪しく森の間を歩く。
やがて森を抜けると、その先には崖があった。
崖の端へ進む。
落ちる直前で、足を止めた。
「クゥ~クゥ~」
「よしよし。こんところに独りでいて寒かったねー」
怪我をしていた獣の子供を、マーシャは抱きかかえた。
子供や怪我をしている獣はこちらが何もしなければ問題は無い。
グリゴリーが語っていたことを思い出しながら、マーシャは優しく獣の子を包んだ。
何の種類かは分からない。
太い糸みたいな毛が全身から生えている。大きな耳は翼のような形をしていた。
ビー玉のような瞳で、マーシャを見つめる。
「クゥ~」
「うん。一人で寂しかったよね、嫌だったよね……でも大丈夫。すぐに暖かいところへ連れて行ってあげるから」
マーシャはカマクラへ獣の子を連れ帰ることにした。
包帯ぐらいならあったはず。出血をとりあえず抑えないと。
マーシャは考えながら振り返り、森へ戻ろうとした。
そんなときだった。
森に、黄光が浮かび上がっているのを目にしたのは。
点のような光は次々と増えていく。
枯れ木の森が、黄色く染まる。
まるで木々から花が咲いて、ここだけ季節が進んでしまったようだ。
マーシャは閉口した末に、声を漏らした。
「うそ」
中型の獣の群れに、囲まれていた。
興奮した獣たちの目は充血し、黄に輝いていた。
獣はバラバーンヴォルフという種類だった。
体長は通常の狼よりやや小さい程度だが、顎に収まらないほど牙が長く、一噛みで獲物を絶命させることで有名だった。実際に長い牙はへそから上を狙えば心臓を貫き、またその下でも大きな傷を残して痛みによるショック死や出血多量を起こさせていた。
「クゥ~……」
オオカミに対し、獣の子は怯えていた。
この傷はバラバーンヴォルフの群れによってつけられたものだからだ。
そしてその掠れた鳴き声を機に、二十以上のバラバーンヴォルフたちが動き始めた。
刀のような牙が様々な動きで一斉に飛びかかる。
「いや! やめて!」
マーシャは身を屈めた。
半数のオオカミの突進はそれで躱せたが、残り半数からはすぐに狙いを低くされて噛みつかれた。
「いたいいたい! いたいよ!」
渡された岩綿の服を頭まで被ることによって傷を負うことはなかった。
けれど今、マーシャは上から横まで全身をオオカミたちに噛まれている。
岩綿は完全に牙を通さないが、牙の尖った形や力は伝えてくる。
マーシャにとっては細長い石で体のあちこちを潰されているような感触だった。
元々入っていたヒビがさらに広がっていくようだ。
「クゥ~! クゥ~!」
「大丈夫。お姉ちゃんが守ってあげるから。心配しないで」
被さっている獣の子へ痛みがいかないよう、体を丸くして出来るだけ隙間を少なくした。
獣の子は自分をかばってくれているマーシャが苦しんでいることに悲しみの声をあげた。
「いやぁああああ!」
肉体が複数に裂けていく。
体内をほじくり回されて、内も外もズタズタに傷だらけにされる。
「助けて……グリゴリー。助けて……」
助けを呼ぶが、人気のない森に誰も来ないことは分かっていた。
独りで来たのが間違いだった。
そうだ。
ぼくは弱いんだ。
なのにそんなことも忘れて……何で忘れたんだっけ? さっきまでそのことばかり考えてたのに。
マーシャの頭に疑問が浮かんだ。
ここまでの来た時の心境を思い出す。
気付いたら足が動いていた。
あれは子供の声だ。子供が悲しんでいる声だ。
早く助けてあげなければ――子供を笑顔にしなければってことだけ考えていたら、ここまで来ていた。
ビリビリビリ。
「クゥー!」
ついに岩綿に限界が訪れ、服が破れてしまった。
獣の子めがけて、バラバーンヴォルフは必殺の牙を刺そうと上顎を下ろした。
――牙はマーシャの腕を貫いた。
獣の子を狙っていたオオカミからするとそれは予想外の感触で、困惑している間にマーシャはバラバーンヴォルフを突き飛ばした。
予想外の出来事に、狼たちの動きが止まる。
「ぐぅううう。ううううう」
呻きながらマーシャは崖に向かって走った。
するとバラバーンヴォルフたちは狙っていた獣の子を置いて、一目散にマーシャを追った。
足を上げるたびにマーシャは痺れるような痛みを感じた。
それでも構わず進む。
そしてとうとう崖の端に辿りついた。
(グリゴリーが言っていた通りだ。獣たちは血の匂いに反応する)
新鮮な血液から発する匂いに、バラバーンヴォルフは充てられる。
強烈な食欲を湧かされ、興奮した状態で我も忘れてより良質の獲物を喰らおうと駆ける。
追いついたバラバーンヴォルフたちはマーシャへ食らいつく。
それぞれが別の部位に食いつき、マーシャの全身は狼の姿によって埋まった。
(よし。もう全員こっちにいる)
マーシャは一匹残らず自分に食いついたことを知ると、崖から身を落とした。
突然の浮遊感にオオカミたちは食事を忘れて暴れる。
目的の達成と痛みの解放から、頭が冷静になったマーシャは下を覗いた。
(ここ、氷だったんだ)
獣の子から引き離せればよかった。
そのため目を凝らして覗くような真似なんてしなかったが、近づくと底が氷柱の集まりだということが分かった。
氷柱は森の木のように長く、先端は針のように鋭かった。
氷柱は見渡すほど広い範囲に立っていて、余すところなくびっしりと生えていた。
まるで針の山のようだ。
(死んじゃうのかな……)
不思議と、死にたくないという感情はなかった。
むしろ獣の子を守れたことで、清々しい気持ちになっていた。
何でだろう? さっきまであんなに怖かったのに?
記憶が失われる前のぼくに関係しているのかな?
ぼくは果たしてどういう人間だったんだろう?
氷柱を間近にして、その答えが出ることは無いとマーシャは悟った。
マーシャから離れて、死にたくないと虚空を爪で切り裂きながら暴れるバラバーンヴォルフ。
でも彼らは飛ぶことなんて出来なかった。
自分も含めて氷柱に刺される姿を脳裏に浮かべながら、マーシャは身をそのまま重力に任せた。
「マーシャぁああああ!」
「え!?」
空から、グリゴリーが落下してきた。
崖を蹴ることで落下速度を上げて、マーシャたちに追いつく。
「助けに来たぞ」
「何で! ちょっと待って! 何で!? 何でここにいるの!?」
突然の事態に、混乱するマーシャ。
答える前にグリゴリーは追い越して、氷柱に真っ先に接近した。
――鏃吹雪
道中の枯れ木から折ってきた枝を砕き、粒にして撒いた。
氷の尖先が一つ残らず破壊される。
そのまま平坦になった氷柱へ、グリゴリーは空中で回転して着地する。
そして落ちてきたマーシャを受け止めた。
「……」
「悪い。気付くのに遅れて、さっき来た。それであんたが落ちていったから、俺もそのままついていった」
「……」
さっきのマーシャからの質問に、律儀に答えるグリゴリー。
あまりの急展開に放心していたマーシャだったが。
「ふっ。うふふふふ」
「どうした? 急に笑って」
「なんか、おかしくなっちゃって」
強いな。本当にこの人は強いな。ぼくとは大違いだ。
二人が話していると、周囲にバラバーンヴォルフたちがドタドタと後から落ちてきた。
破壊されているため氷柱に刺されはしなかったものの、着地体勢を取れなかったせいで全員が耐えきれなくて気絶した。
「どうするの? この子たち」
「森にでも置いてこう。一晩ぐらいなら大丈夫だろうし、起きたら住処にでも帰るだろう」
その後、バラバーンヴォルフたちは一匹残らず引き上げられて、言った通り森に放置された。
怪我をした獣の子とマーシャ。
どちらも応急処置はしたが、ポケットにある道具だけでは足りないと、グリゴリーたちは獣の子を連れてカマクラへ戻った。
「クゥー! クゥー!」
「待っていろ。もう少しだから……よし。終わり」
手当てが終了し、獣の子の足に包帯が巻かれた。
マーシャに抱き着いて、元気に鳴く。
「よかったねー」
「クゥ~」
先に手当てを済ませたマーシャと獣の子は無事を喜び合った。
そのまま遊んでいると、獣の子は寝てしまった。
体に寄り添っている彼を、彼女は撫でる。
「この子、大丈夫?」
「当たったところが良かったみたいだ。一晩もすれば走れるようになる」
「そっか。じゃあ安心」
マーシャは獣の子を幸せそうに見つめた。
バラバーンヴォルフに襲われていた時と違って、安らいだ表情で静かな寝息をたてていた。
新たに点けた焚火が、入ってきた風で揺れる。
一旦外に出て冷えた体を温め直していると、対面からグリゴリーが言った。
「あんた、泣いているのか」
「え?」
顔に両手を当てる。
いつのまにかマーシャは涙を流していた。
「うそ。なんで?」
拭いても拭いても目から滝のように涙は出てくる。
獣の子を目端に入れると、増えた涙が手のひらから洩れた。
何があったのか心配するグリゴリー。
「おい。どうした?」
マーシャは困惑しながら、答える。
「……多分だけど……今のぼく……すごく嬉しいんだと思う」
「嬉しい?」
「うん。この子が幸せなところ見ているとね、そういう感情がいっぱい湧いてくる。こんなの初めて」
傷だらけの心が、いつのまにか癒されていた。
胸が熱くなり、表情は自然と笑顔になっている。
抑えらきれない強烈な感情が涙となって、堰が切れたようにマーシャの瞳から溢れ続けた。




