第16話 お父様の手
「もぉおおおっ、我慢できないわっ!」
お母様が急にすっくと立ち上がり、両方の拳をぐっと握りしめている。
「お、お母様……?」
「瀬梨華さん、少し待って」
手のひらをこちらに向け私を制し、病室のベッドサイドテーブルの上に置いてあったシャネルのポーチからスマホを取り出す。どこかに電話しているみたい。
「あー、私。いるんでしょ?……そう。もう、私、我慢の限度を越えました」
『……。…………?…………。』
「そちらの映像をカメラで。許可?……いりません。あの人が踏ん切りをつけるのを待っていたら、あと20年くらいかかってしまうわ」
『──。……。!!……』
一体、誰と話してるのかしら?
「このボタン押せばいいのかしら?……あ、OK。写ったわ。……あの人には、気付かれないように」
お母様が無言で、スマホを私に差し出す。唇に人差し指を当てている。
喋らずに画面を見ろってことね。
私は怪訝そうな表情で、スマホを受け取る。
なにかガサゴソとノイズが聞こえ、視界は暗くてよくわからない。
一瞬、薄明るい景色が映ったけど、カメラ揺れている。
『……どうした?』
お、お、お父様の声!?
カメラの揺れが収まると、どこかの廊下の映像だということが判った。
『ちょっと、秘書室の方から定時報告がございまして。特に問題はございません』
お父様の秘書の井吹の声がする。かなり近い感じ。
よく見たら画面の上に通話相手として「井吹啓吾」の名前が表示されている。
『そうか。予定を全部キャンセルしたからな……連絡は密に頼む』
『畏まりました』
廊下の中央にお父様が立っているのが写っている。
予定を全部キャンセル……??
「これ、すぐそこの廊下よ?」
お母様が、イタズラっ子のような笑みを浮かべて私の耳元で囁く。
えっ?…………ふえええっ!?
お、お父様……すぐそこにいるの!?
お父様は、しばらく腕を組んで難しい顔をしていたけど、すぐ脇の扉に手を掛ける。
掛けたまま固まる。動かない。
『ふぅ────』
重く息を吐いて手を離す。クルリと踵を返すと颯爽と向こうへ歩きだす。
『……くっ!』
何か、うめき声を上げると、廊下の向こう側から物凄く恐い顔でツカツカと戻ってきて、再びドアを睨みつけている。
意を決したように、ドアを開ける。
中には相良がいて、慌てたようにソファから席を立ち頭を下げる。
相良は、この病室の隣に控えているので、本当にお父様は……すぐそこの廊下にいるんだ……。
『……うっ、な、なんでもない』
お父様は、扉を閉めてしまい、廊下の中央に戻る。俯いてて表情は見えない。
…………そんなに私の病室に入るのがイヤなのかしら。
「えーと……?お母様?」
「たぶん、今のを5回くらい繰り返しているわ」
お母様が呆れ笑いを浮かべて、肩をすくめる。
「剛さんが扉をあける度に一々席を立って挨拶してる相良が可哀想」
だとすれば、確かに相良はご苦労様としか言えないけど……。
『社長、お嬢様のお見舞いにいらっしゃらないのですか?』
俯いたままのお父様に井吹が物凄く平静な口調で訊ねる。
『お前、わかってて言ってるだろ?』
『さあ……?』
『俺の顔をみたら、アレは怯えるだろうが!』
顔を赤くして額に血管を浮かべたお父様は、気の弱い人なら心臓が停まるくらい怒りにまみれた顔で吐き捨てるように言った。
『そりゃあ……お嬢様の事が心配で堪らないのはわかりますが……もう少し落ち着くことをお勧めしますよ?』
『父親が怪我を負った娘を心配して何が悪い!』
井吹のタメ息をマイクが拾う。
『本当に大事に思うなら、それを相手に伝えるのも大事なことだと思いますが?』
『……うぐっ』
私が見たこともない位、狼狽えるお父様。
『もう……10年ですよ?いい加減、ご自分を赦して下さい』
──ピッ!
お母様の指が、フックオフを押していた。
柔らかく微笑むお母様の顔。
私は、頭の中が真っ白になったまま、何も考えられずに呆然と見返していた。
★ ★ ★
病室の扉を控え目にノックする音がする。
「お嬢様、旦那様がお見舞いにいらっしゃいました」
ドアの向こうで相良の声がする。
「…………ど、どうぞ……入っていただいて」
応える声が震える。ドアが静かに開けられて、お父様が病室に入って来た。
お母様が、ベッドから離れて場所を空ける。
お父様は、まるで果たし合いに来たかのような形相でツカツカと私のベッドに歩いてくると、いつものようにジロッと冷たい目で私の事を見下ろした。
……さっきまでの映像は、何かのウソだったんじゃないか、と思うくらい、いつも通りの冷たいお父様だった。
私は、どうしていいか分からず……思わず顔伏せて目を逸らせた。
前世の記憶が戻ってきて、「しずか」の人生経験が上乗せされた分……少しは、お父様を見る目が変わったのも事実だ。
少なくとも瀬梨華を「嫌っている訳じゃない」と。
でも、物心ついた頃から「お父様にとって、いらない子なんだ」という思いは重く厚く積み重なっていて。
急に「お父様は、あなたの事を大事に思っていますよ」と言われたって、「せりか」の心が「違う!ウソだ!」って泣き叫ぶ。
何度、そう期待したのに、違っていたか。その度に「せりか」の心はキズを負い、心の底で涙を流してきたか。
「嫌われている訳じゃない」ということが少し理解できたとして、それは「好かれているとは限らない」んだから。
「せりか」が私の中で泣き崩れるように呟く。
──もう、期待するのはイヤ……どうせ、裏切られて傷付くだけ。だから、イヤなの……期待したくない!
長い沈黙の時間が過ぎていく。
ぽつりと上から、静かな口調の言葉がこぼれてくる。
「せ…………り、か……ぐ、具合は大丈夫なのか?」
私は自分の耳を疑った。幻聴ではないか、と。
──い、いま、お父様、私の名前、呼んだよ、ね??
呆然とお父様を見上げる。お父様は⋯⋯少し不貞腐れたような顔をして目を逸らした。
「だ、大丈夫です……え、えと、こんな大騒ぎになって、申し訳あり、ません」
私は訳もわからず、しどろもどろに答えた。
「……気にするな。酷い怪我じゃなくて……よかった」
「しっ、心配かけて……ごめんなさいっ……!」
ぺこぺこ、頭を下げる。 お嬢様口調じゃなくて、素の私で思わず謝ってしまった。
お、お父様、どうしちゃったんだ……!?
下げていた頭に、お父様の手のひらが。
私は思わず身をすくめてしまう。
私の頭に触れそうだったお父様の手が、ビクッと震え離れていこうとする。
上目遣いに見上げると、いつもの鉄面皮な無表情がウソのように、お父様は誰が見てもあからさまに判るくらい悲痛な顔をしていた。
──違う!違うの!怯えたんじゃないの!不慣れで驚いただけなの!!
嫌だ!離れないで!
私は、怯えも恨みも何もかも振り捨てて、お父様の手に縋り付くしかなかった。
無理やりお父様の手の平に頭をグリグリ押し付けた。
叱られるかもしれない。払いのけられるかもしれない。
いつものように、期待した分、傷つくかもしれない。
だけど。
だけど、怯えて怖がって逃げ続けるのも、もうイヤなんだ。
ふぅ、とお父様が息を吐くのが聞こえる。
「心配くらい幾らでもさせろ。親のささやかな権利だ。……だが、あまり無茶はするな」
ゆっくり……優しく頭を撫でられる。お父様に!
「はい…………」
自分でも、もう訳がわからない。何も考えられない。
「ゆっくり休んで……ちゃんと怪我は治せ」
色んな感情がゴチャゴチャになって、頭の中がぐるぐるしてる。
「あ゛い……」
喉奥が詰まったように痛くて、絞りだすようなヘンな声が出た。
見下ろしてみると、シーツにポタポタと水滴が零れ落ちてて。
私は、気づいたらボロボロと涙を流していた。
お父様と井吹は、無理やり時間を空けて北軽井沢に来たため、本社の方がちょっとしたパニックになってたみたいで、ヘリでとんぼ返りをした。
入れ違いに、お母様の侍女数人と私のメイドの乃愛が到着した。
残ったお母様は、一人じゃ何もできないからね……ははは。
とりあえず、乃愛が私の身の回りの必要な物を持ってきてくれたので、少し安心した。
お母様は、宿泊施設に部屋が用意されたので、そちらに泊まることになり。私の病室の付き添いベッドには乃愛が、隣の付添用の寝室は相良が使うことになった。
「もう、大丈夫ですからね。ゆっくり休んでいいんですよ」
乃愛が毛布を首元まで掛けてくれる。
「ありがとう……乃愛。おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい、お嬢様」
乃愛がベッドライトを切って、暗くなった部屋で乃愛が隣の簡易ベッドに横になる音がする。
病室の薄暗い天井を眺めながら、今日一日を思い返す。
かつての自分の行いが、どれだけ恨みをかっていたか。
私の償いたい気持ちに便乗してくる連中もいるということ。
クラスメートに囲まれて暴行を受けたこと。
小川さんと一緒に崖から落ちたこと。
大雨を避けて大木の根本で小川さんに手当を受けて。
川端くんが助けに来てくれたこと。その後の大騒ぎ。
お父様とお母様が来てくれて。
お父様が……名前を呼んでくれて…………
…………頭を撫でてくれた。
私の意識は暗闇に溶けるように、深い眠りに落ちていった。
★ ★ ★
次の日、朝食を済ませると担当のお医者様が病室を訪れた。
簡単な診察と問診を受ける。
お母様と一緒に医師から説明を受けて、こちらの病院には3日程お世話になり、自分で起きて歩けるようになったら東京の病院に移ることになった。
看護師さんが、ガーゼや包帯を取り替えたりして、一通り処置が終わって部屋を出て行くと、学年主任の先生とみかっちと小川さんがお見舞いに来てくれた。
一通り、挨拶や状況の確認をしたりして……。学校の他の皆は、昨日の内に予定通り東京に帰った。
小川さんは、私ほどじゃないにしてもケガをしてない訳じゃないので、経過観察ということで。みかっちは、クラス委員として残るように指示されたんだそうだ。
今後の対応とか色々と話すことがあるみたいで、学年主任の先生とお母様は隣の応接室に移動して、部屋には私とみかっちと小川さんが残っていた。
……で。予想通りというか、やっぱし、というか。
みかっちに説教されました。なんで、無茶するか、と。
「ホント、すいませえん……」
「あのね。どんだけ、心配したと思ってんのよ!」
「言葉もございませぬ……」
クラスメイトには、向坂先生と川端くんの方で事情説明がなされたみたいで、それなりに皆、落ち着いてはいるみたいだ。
「それで、どうして、せりっちとわかばちゃんが崖から落ちたのか、順を追って納得がいくように説明、してもらえるのよね?」
うげ……。
思わず、後ろに座っている小川さんを見ると、“私、何にも言ってない!”という意味合いで手をブンブン振っている。
川端くんや先生たちには、「小川さんが落ちそうになったので、抱きついて止めようとしたら一緒に落ちてしまった」としか言ってないんだよね……。
あの5人組と口論になって、リンチされて……という部分は、小川さんにもお願いして黙っていた。
言ってしまったら、大問題になるし……学校側も看過できないだろう。
彼らに思うところがない訳じゃないけれど……私がやらかした事が起因してるんだし……。ウチの家名のせいで、過剰に処罰される可能性もある。それは本意じゃないんだ。
「せりっち……黙秘する?それはそれで私は構わないけど……いいの?」
「え?……なにが?」
「川端くん……事情聴取するって言ってたよ?あの人に尋問されるくらいなら、今のうちに私に言った方が楽だと思うんだけど」
ひいいいい──ッ!?
「か、か、かわばたくん!?」
「誘導尋問とか理詰めで追いつめられるよ?」
ジト目で、みかっちが私を追い詰める。既に今の時点で追い詰めてるじゃんかよ!
小川さんが、困ったような表情で“言っちゃっいなよぉ”と目で訴えている。
「…………わかった」
私は、タメ息をついて、観念した。
★ ★ ★
「なにそれ!?ふっざけんなよ!!」
私が状況を淡々と話終わると、とても外交官のご息女とは思えないようなセリフと表情で、みかっちはブチ切れた。
「美香ちゃん、落ち着いて。隣の部屋に学年主任の先生いるんだし」
小川さんが、みかっちを宥める。
「言うにことかいて……その上、暴力ふるうなんてっ」
「私も、あの5人を止められなかったし……」
小川さんが、しょんぼり俯く。
「小川さんは悪くないよ。元はと言えば、私の酷い行動が原因なんだし」
「だからといって、暴力で報復していい理由にはならないよ」
みかっちとしては、かなり怒り心頭な様子で。
小川さんと二人で、なんとか怒りを鎮めていただくことに専念した。
私の希望としては、学校の公式的な懲罰問題にはしたくないという旨を強く訴えた。竜堂の名前が影響の有無に関係なく、家名と結びつけて悪く言う人は必ず出るから。生徒にいなかったとしても、周囲の大人はどう受け取るかわからない。
向坂先生には報告するが、何とかそこで留めて問題化しないで生徒の自力解決と言う方向で、みかっちには話を持って行ってもらうことになった。
みかっち的には、かなり渋々ではあったけど。
「でも、楢崎さんにはビックリしたよね」
話が一通り終わったところで、小川さんが苦笑いを浮かべて言った。
「へ?燎ちゃんが何かしたの?」
「あー……彼女、いきなりキレて、例の5人組の処にいって『お前ら、竜堂に何やらかしたんだっ!?』って凄んだんだよ」
みかっちが肩を竦めてこぼした。
「え?え?何で、燎ちゃんが知ってるの?」
「いや、知らないよ。後で聞いたら『なんとなく、そんな気がしたから』って」
や、野生の勘、ってやつなのか……。
「すぐに悟桐くんが間に入って止めたんだけどね」
「そうそう。それで悟桐くんが『これが人為的なら、俺が直々にきっちりツケは払わせる。今は引け』って楢崎さんを宥めてた」
あの悟桐がねえ……。クラスの方も、結構な騒ぎになっていて当たり前か。やっぱりなんだか申し訳ないことになったなあ……折角の遠足だったのに。
「川端くんにクラスをまとめておいてくれって頼まれてたみたいだよ。『川端の手の上ってのが少し気に食わねえ』ってブツブツ言ってたし」
思い出したのか、みかっちがクスクスと笑う。
普通に考えたら、クラスをまとめるのは川端くんの方というイメージがあるけど。
「楢崎さんを一人で止められるのは、悟桐くんくらいだよね」
何らか燎ちゃんが怒るのを想定して、悟桐とみかっちという組み合わせを残したとすると、川端くん……恐ろしい子。
乃愛が、紅茶とクッキーを持ってきてくれて、その後は他愛もないおしゃべりを楽しんだ。
みかっちと小川さんが、学年主任とともに学苑の研修センターの方に帰っていった。二人とともに一緒に残っている二人のお母さん達4人で研修センターを見学して、夕方には東京に戻るそうだ。
都内の高級ホテル並みに設備やサービスが整っているセンターなので、楽しめるんじゃないかと思う。
乃愛がティーセットを片付けながら、楽しそうに言う。
「お嬢様、先ほどのお二人とはとても仲がよいのですね?」
「うん。凄く良くしてもらってて、一緒にいると楽しい」
ぽかんと驚いたような顔して乃愛が私を見ている。
「……あ、あれっ!?お、おかしいかな?」
「ああっ、失礼しました。おかしくありません。とっても、イイなあって思ったんです」
……友達……少ないもんな私。今も前世も。
自分の事のように嬉しそうに微笑む乃愛を見て、少なくたってありがたい事には変わりないよな、と思った。
そして、気づくとスマホに、元取り巻き3人娘から山の様なメールとメッセが溜まっていて、慌てて返事を出した。
やっぱり、ありがたいなあ……と、返事を打ちながら
思わず笑みがこぼれた。




