第14話 あんこく時代
大谷静の暗黒時代は中学生から始まった。
小学校の頃は、背が高く活発な子だった為、女子とおとなしく遊ぶより男子と野山を駆けまわる方が楽しかった。お転婆の野生児で体型も細かった。
静の家は、埼玉の近郊都市の商店街に店を構える精肉屋だった。
中学生になって家業である大谷精肉店を手伝うようになり、状況は変化した。
肉屋には惣菜コーナーがあり、そこの手伝いが静の仕事だった。摘み食いや試食を繰り返す内に、いつのまにやら体型が立派になってしまったのだ。それに合わせて外に出るのも億劫になり、すっかりインドア派に転向していた。
そして、周囲の心無い言葉や不躾な視線。静は学校や家の外では、すっかり内向的な性格になっていた。
それが更に、周囲の無遠慮なコトバや対応を呼び、徐々に静は心に壁を作るようになる。更にストレスが食欲に向けられ、体重が増えていく。
いわゆる、負のデブ・スパイラルに静は陥っていったのだ。
中二の頃には腐に目覚めた。食べること、家族との会話、そしてBLの妄想世界だけが彼女の救いだった。中三では完全に「きもいデブヲタ女」と周囲から罵られるようになっていた。
高校に入ると、学校では全く人と関わることなく、たまに用事とかで話しかけられると冷や汗をダラダラと流しながらキョドってしまうという典型になっていた。
170cmを超える長身の上に肉厚の脂肪が乗っているのだから、静の意志とは関係なくその巨体は悪目立ちする。女性らしさの欠片もない見た目から、男女を問わず満遍なく憂さ晴らしのようにイジメにあった。
BL趣味がバレて晒し者になった。持ち物がなくなる、陰口をたたかれる、村八分にされる等といったことは日常茶飯事。泥水を頭からぶっかけられる、階段で突き飛ばされる、殴る蹴るの暴力、小遣いを巻き上げられる等といったことも日常だった。トイレの便器を舐めさせられたこともある。
そんな彼女の心は、その時点でべったりと真っ黒に絶望的だった。
静が、不登校や自殺を思いとどまったのは、ひとえに親に悲しい思いをさせたくなかったから。そして、イジメにあっていることを親に訴えなかったのも、同じ理由だ。
だから、静は家では昔のように明るく振る舞っていて、家の外と内で全く別人のようだった。
地は真面目で努力家なので勉強に困ったことはなかったが、この環境から逃れる唯一の手段は「東京の大学に行く」ことであり、それが唯一の希望の光とも言えた。もちろん、その学業優秀な点においてもイジメを誘発していたとも言えるのだが。
かくて静は東京の有名私立大学に現役で合格する。もちろん、高校には進路を報告なぞしていない。静のイジメに無関心だった学校側が喜ぶような実績を報告する義理なんて、微塵も感じなかったからだ。
晴れて、ようやく静は地獄のような日常から解放され、東京で一人暮らしを始めた。私立の上に一人暮らしというところで、経済的に親に負担をかけている後ろめたさはあったが、なにより高校時代を知っている人物のいる地域に1秒でもいたくなかった。
このころから、静は自分の見た目に気を遣うようになる。もちろん、急に食欲がなくなったり、ほっそりしたりはしないが、それでも身だしなみやファッションに気を遣うことはできる。
高校まで「面倒くさい」という理由で、見た目に全く気を遣ってこなかったが、見た目に気を使わないと「後でもっと面倒くさい事になる」というのを高校時代に見に染みて体感したからだ。
別に、男子にモテたいとか、そういう途方も無い野望を抱いているわけではなく。単に、周囲の人から“浮かない”程度に目立なくなりたいという自己防衛が目的だ。
そうすると、不思議なもので、異質さが薄まればそれなりに人との交流も生まれてきて、そこそこの友人もできるようになり、静の大学生活は比較的穏やかにスタートを切った。
友人と言ってもそんなに大層なものではなく、知人に近い。真面目に付き合ってくれる人もいれば、打算的な人もいる。静かにしたって自分がグループの添え物ポジで、他の子の見映えを良く見せる演出の為にいる、という事をわきまえていれば、それほど問題にはならない程度の付き合いだ。
もちろん、BL趣味はひた隠しに隠した。隠れ腐女子というやつだ。
もっとちゃんと友人に近い心の同志はネット上のフレで何人かいたし、そういうサークルの手伝いとかもしていた。精肉店の手伝いで鍛えられたお釣り計算の速さや売り子スキルの高さは、即売会などでは貴重な戦力だったからだ。
静の大学生活に不穏な空気が垂れ込めてきたのは、とある先輩と知り合ってからだった。
このホストばりのイケメン先輩は、静に甘い言葉を囁き、耐性の全くない彼女はコロッと騙された。周囲の友人の忠告もあったのに、貢ぐだけ貢いで、使いっ走りや課題やレポートの代行とかまでさせられた。それがカノジョの務めだと静は勘違いしていた。先輩は静の手も握らなかったが「君のコトを真剣に大事に思っているんだよ?」という言葉に寧ろ惚れなおしてしまっていたくらいだ。
だが、その先輩が別の知らない女子とラブホに入っていくのを目撃してしまうことで、静の幻想は破局する。
百万円近くを貢ぎ、生活の大半を先輩のために尽くしてきた。
「いつでもどこでも小遣いが引き出せて、用事を済ませてくれる便利な豚じゃねえか。でなきゃ、誰がお前なんかに声をかけるかよ?」
それは豚に失礼だろ!と精肉店の娘として静が思うのも少しズレている気がするが、ともかく静が「恋愛」だと思っていたモノは、そもそも「恋愛ですらなかった」ことが発覚して終わった。
この件は、静の心に大きな黒い傷跡を残した。
3次元の若いイケメンに対して強烈なトラウマを負うことになる。
どんよりした気分で大学生活を送っていたが、就活の季節が迫ってきていた。
そして、その3年の冬。
年の瀬も迫った12月30日。東京ビックサイトの恒例のイベントが終わり、静はサークル仲間と3人で築地の居酒屋に打ち上げで来ていた。
「ん──、志津ちゃんってば、身体や顔の素地はイイのに勿体無いよな」
サークルのリーダー格の瑠璃波さんが、ぶは──とラッキーストライクの煙を吐きながら唐突に言った。
ネット上で知り合って意気投合したので、本名よりハンドルネームの“瑠璃波”の方が静にとっては馴染み深い。
ちなみに静のハンドルネームが「志津」だ。引っ込み思案で人見知りなので、恐れ多くてキラキラなハンドルネームなんぞ使えない。
「なーに言ってんすか?そんな夢みるほどガキじゃねえですよ?」
静はカットされたミックスピザを3枚重ねて口に放り込む。もっちゃもっちゃと一瞬で咀嚼して嚥下し、中ジョッキの生をぐびぐび飲んだ。
「志津ちゃん、殆ど肉に埋もれてるけど、発掘したら意外とイケるかもしんないし!」
静とほぼ同じ巨体を揺らして、毒舌なもう一人の仲間──結ちゃんが鶏唐を一皿まとめて口に入れる。
「はぁ!?それドコのラノベだよ?」
と、静はツッコミを入れてみたものの、ラノベどころか“痩せたら美人”なんてテンプレは、それこそ昭和の少女漫画の頃からの古典的王道だよ、と遠い目をする。
メンバー唯一のほっそり系の瑠璃波さんは、ちゃうちゃうと手を振りながら言う。
「あのね。顔なんてのはメイクでど────にでもなるんだぜ?」
瑠璃波さんは、六本木でお水の人らしく相応にかなり美人なのだが……………すっぴんはアレなのだ。即売会前の追い込みで彼女の家に泊まりこむことも多いので、静や結はそれを知っている。それに、瑠璃波もかつては静に負けず劣らずなその巨体を誇っていたのだ。
今日の瑠璃波さんは売り子として某作品のイケメンキャラの男装コスをしていた。これが、また結構な呼び込み効果なのだ。
「ふふん。こないださ。ウチの店に、高校の時の同級生が来たんだよ。けけけ、アタシとは気付かずに鼻の下伸ばしてデレデレして、内心もう草不可避wwっw」
「おおーぅ、さすが瑠璃姐、むしる気マンマンっすなあ」
結がゲスい笑い声をあげていると、瑠璃波さんは、テーブルに頬杖をつくと静と結を眺めて真剣な目つきで、ぼそりと言った。
「お前らさ……ちょっとダイエットしねえ?」
瑠璃波さんは、静と結がタイムラインに愚痴めいた事を時折垂れ流しているのを知っている。
例えば、上から下までジロジロと体を眺められた上に蔑んだ目で見下された……とか。
講義室で席に座ったら周囲の男がコソコソ逃げた……とか。
バイトの面接にいったら「デブはなぁ……」と溜息交じりで呟かれた……とか。
数え上げたらキリがない。
そこで……「バカにした連中を見返してみたくないか?」と瑠璃波は言った。
もちろん、静も結も彼女が好意や友情だけで、そんな事を言い出している訳じゃないことは十分に知っている。
──春先にアニメ化される某乙女ゲーのメイン3人組のコスプレを夏の即売会でやりたいんだ……。
静と結は、げんなりした顔でお互いに見合わせる。ニンマリと笑顔を浮べる瑠璃波。
なぜなら、瑠璃波は言い出したら必ずヤル人なのだ。有言実行の人なのだ。
静のサークルが、今まで絶対にムリ!な日程であっても即売会に同人誌を間に合わせてきたのは、ひとえにこのリーダーの有無を言わせない牽引力によるところが大きい。
その率先力が、まさか自分達の体重に矛先を向けてくることになるとは……。
静は、昨日ネットでチェックした腐女子向けの戦国武将ゲームを思い出した。そのゲームの織田信長のスチール絵が、瑠璃波に重なって見えた気がした。
それからは、就活も始まり毎日が修羅場と化した。
静と結の体重は、半分以下に落ちた。メイクやファッションも瑠璃波に徹底された。もちろん、夏コミでコスプレするのが目的だが、就活にもソレは役に立った。4年の冬には小さな中小企業ではあったが呆気なく内定が決まった。
夏コミでは、弱小の底辺サークルの割には少し行列もできたりして、売上も上々だった。
3人のコスプレも評判が良くて、一緒に写真お願いしますという腐女子の子も結構いた。
もちろん、大学の生活も一変した。
元々、背丈もある上に、小さくなったとは言え立派な巨乳だった。モデルばりのくびれた腰に長い脚。六本木のクラブでバリバリいわせている瑠璃波仕込みの謂わばセミプロのメイクで化ければ、静は相当な美人に属する。
静自身、いまだに鏡を見て「うえ!?誰だ!お前!?」と思うくらいなのだから、周囲の驚きは言うまでもない。
とはいえ、急にチヤホヤされたところで舞い上がるどころか、むしろ内心では怯える方が強かった。今まで、馬鹿にするように見下してた連中が、手のひらを返すのを目の当たりにして、素直に喜べるような静ではなかった。むしろ、その外見だけに釣られる人たちの多いことに、彼女の人間不信が深まった。
ただ、少なくともバカにされたり蔑まれたりするようなことがなくなったことに関して、静は瑠璃波に感謝した。
高校時代とはまるで別人の容姿を手に入れた静の社会人生活が始まった。
だが、会社に入って、またもや癒し系のイケメンの同僚にダマされて捨てられる。今度は金は貢がされなかったが、肉体関係に溺れた。
大学の時の「恋愛ですらなかった」のとは違って、ちゃんと告白されて付き合うことになったのだが……彼氏の性癖に問題があった。大人しそうな普段の様子とは裏腹に、彼はドSだった。それも、手練のSM愛好者だった。
静は、カノジョで恋人であり、その上で奴隷だった。徐々にエスカレートしていき、静は完全に調教されてあらゆる箇所を開発されてしまった。
もちろん、会社には秘密の関係だった。
そして、問題が発覚した。奴隷は1人じゃなかった。
静は、このまま奴隷でも良かった。だが、彼と最終的には結婚したかった。彼には、そんなつもりは毛頭ない。静は奴隷の1人に過ぎない。
結果として、会社内での破局騒動に発展する。社内に彼の奴隷は他にも2人いたのだ。
静の性癖が、まことしやかに社内のウワサにのぼる。その性癖を調教したのは彼であるにもかかわらず。
そして、彼女の居場所はなくなっていく。
救いの手は、会社の社長からもたらされた。名目的には懲罰ではあったが、実質的には栄転といってもよい待遇で親会社に出向が決まったのだ。江戸前職人かたぎの社長と、出向を引き受けてくれた親会社のロマンスグレーな営業部長に、静は崇拝に近い恩義を感じている。
静のオジさま趣味は、この二人の影響がかなり大きい。
一部上場の親会社に出向して、幾つかの案件の成約をこなしてちょっと出世して部下も数人持つようになり、部長や会社への恩返しも少しできたと思った矢先に、ソレは起こった。
とある日の会社帰り。
いつものように、コンビニに寄り。
缶チューハイ数本と、おつまみを買い。
今度のコミケはどうしようかなあ、などと考えて。
コンビニの自動ドアを出ようとした、その時────。
★ ★ ★
走馬灯のように人生を思い出すとか、どういうこと?
しかも、現世じゃなくて前世だし!?
いあ、まぁ……このくらいじゃ死なないってことよね。
っと、顔を蹴るのはやめて。
私は、咄嗟に両腕で顔を庇う。背中とかお腹に、容赦なくつま先が食い込む。
「やめてっ!!こんなの間違ってるよっ!!やめなよっ!!」
小川さんの必死な声が遠くから聞こえる。優しいなあ……小川さん。
こんな私でも庇ってくれるなんてさ。
横向きに倒れこんで体を丸めてる私の身体に、ドスドスと幾つも蹴りが入る。
痛い。そりゃあ、痛いよ。涙だって零れる。
泥と砂と涙と鼻水と汗で、顔はベショベショだ。
だけど、どこか慣れてて冷静な自分がいて。
それほど、辛いとは思っていない。
男子高校生5人に「肉サンドバッグ」と称して革靴で蹴られまくって、鎖骨が折れたこともある静にとっては、いいとこのお坊ちゃまの中1男子3人がペシペシ蹴ってくるのは、そんなに大したことじゃない。
私を囲んでいる男子生徒3人が何か喚いているけど、いちいち聞いても仕方ない。どうせ、ロクでもない下品な言葉を吐いているだけだ。
口の中に鉄混じりの塩っぱい味が広がる。
鼻から生暖かい液体が垂れるのを感じる。
鼻血まで出ちゃってるか。ヒドいなあ。
確かにヒドい。だが、私も確かにヒドいことをした。
この男子3人には、共通して好きな女子がいた。
彼女とここにいる女子2人に因縁をつけて暴言を吐き、散々嫌がらせをした上で、土下座をさせて謝らせた。下着姿で。
こいつらは、私に謝罪を要求してきた。
それは、わかる。私も酷いことをしたと思っているし、幾らでも謝る。
だけど、全裸で土下座しろと言われて、ハイでは失礼して……と服を脱ぐ訳にもいかない。
こんな、遠足のトレッキングの最後尾でわざわざ待ち構えているなんて、そもそも私が全裸で土下座したところで、それでお終いにするつもりはないんだろう。
つまり、これは後ろ暗い計画的な復讐だ。
土下座はした。謝った。
言うなりになるのと償うのは同義じゃない。
被害者の復讐心を満たすことはできない。要求が更にエスカレートするだけだ。
もちろん、そんなことをこの場で論じたところで「加害者のお前が言うな」という話で、口にする訳にもいかない。
女子3人の前で下着で土下座しろ、というなら、それは仕方ない。
だけど、男子3人の前で全裸で土下座する理由はない、と口にした途端、私は蹴り飛ばされて。
キレた男子3人に、このように袋叩きにあっているというわけだ。
ガツッ──!!
腕の隙間を狙われて、無理やり顔を蹴飛ばされる。
ぱぱっと鮮血が飛び散る。私の鼻血だけど。
「きゃあっ!?やり過ぎだよっ!!」
小川さんの悲鳴が聞こえる。女子二人を振り切ると、私の所に駆け寄ろうとする。
男子の一人が小川さんを遮る。
「小川、邪魔すんじゃねえよ!」
小川さんの小柄な身体が突き飛ばされる。
……おい。
まて!そっちは!崖じゃないっ!?
小川さんが崖から足を踏み外す。私は、咄嗟に起き上がると、男子を押しのけて小川さんに向かって走る。
ゆっくりと、小川さんの身体が傾いていく。目を見開き、表情は凍りついたまま。
小川さんの腕を掴む。
崖下を一瞬みると、およそ4mくらい。真下には尖った岩が幾つも突き出ていて、このまま落ちる訳にはいかない。
少し先は小石が積もって斜面になっているから、あそこで受け身をとって転がれば、大怪我ということはなさそう。
私は、小川さんの身体に勢いをつけて飛びついた。
「きゃあああああああああああっ!!!」
落下しながら、小川さんの悲鳴が耳元で弾けた。
ここまでお読みくださってありがとうですー(*´∀`*)
なんだか、暗い話で……( ;´-`)
こういうの苦手な方がいらっしゃいましたら申し訳ないです。
ともかく、落下中ですが次話に続きますw




